up0371
「お前が、○○なんだよな?」
「だったら、どうなんですか……?」
疑問符をつけている意味が、果たしてあるのか。妹紅の口調はだいぶ強く、断定を迫るような形だった。
しかも、○○は妹紅の名前も顔も知らないが。妹紅は○○の事は割と知っている風な様子だった。
またか……とは、心の奥で思った。自分が蚊帳の外に置かれているようで、余り良い気持ちがしなかったのも事実だが。
「答えろ、○○だな?」
妹紅の口調にこもる、断定の気配はなお強くなるばかりだし。妙に殺気立った空気も、妹紅からは感じ取る事が出来た。
おまけに、○○はまだ知らないのだ。自分が○○だと言うことを確定さえようとしているこの、藤原妹紅と言う人物の名前を知らない。
一回だけ、八意永琳が騒ぐ彼女を叱責したのは覚えているが。そのただの一回では。○○の脳裏に深く刻み込む事は出来なかったし。
仮に、多少覚える事が出来たところで。○○と妹紅が初対面である事に変わりはない。
なので、○○は妹紅を知らないが妹紅は○○を知っている。この状況に変化が訪れるはずも無く。
また、何故妹紅が○○の事を知っているかと問うても。妹紅はきっとはぐらかしてくるだろうし。
結局どちらにせよ、○○の意志や決定権と言った。そう言った類の物から、遠ざけられている事に変わりは無かった。
それに対して、深く考えるだけの余裕。今の○○にそれがあるわけがないし。
この先、慧音の容態が回復して。考える余裕が出来た所で、○○の知りたいと言う思いに協力してくれる存在など。
ただの一人も存在しないのだ。残酷な事に、現状一番の味方と言える上白沢慧音。彼女ですらそうなのである。
それが今の実態であったし、変わる可能性など絶無であった。
そして、居たたまれない事に。上白沢慧音は、そのどうしようもない実態を知っているのに。
何かに取りつかれたように、里への執着を捨てきれずにいた。
その事を、妹紅は本当によく知っている。
倒れて当然だろう……妹紅はまだ知らないが、今朝がたの狂乱を聞いてもきっと。
「ああ……やっぱり」と言って、納得してしまうだろう。そうなるだけの下地は、今の今までで十分すぎるほど作られてきているのだから。
「○○、少し話がある。顔貸してくれ」
礼を欠いたと言わざるを得ない、妹紅からの詰問に。○○が素直に答えてやると言う気を起こせずにいると。
黙ったままの○○に対して、妹紅は○○の胸倉を掴んで連れ出そうとした。
「ちょっと、何を!?」
「少し黙れ。慧音の体に障るだろう」
言っている事は解るが、腑に落ちると言う事は無かった。妹紅の接し方は、およそ友好的ではなかったから。
しかし、彼女が○○を引っ張る腕には。○○の想像以上の力が込められていた。少しばかり、苦しかった。
妹紅からすれば、少し引っ張ってくるだけのつもりだったのだろうが。
慧音と言い、輝夜と言い。普段から人外としか付き合っていない妹紅の力加減は、ただの人間である○○には少々強かった。
力の強さもそうだが。名前を聞こうとした時から感じる、威圧的な空気と言い。
彼女が、いわゆる普通の人間ではなさそうと言うのは。もう疑いようが無かった。
元々、好戦的な性格ではないし。そもそも、喧嘩自体強いとは思っていない○○なのに。自分を引っ張る彼女は強そうで。
そんな状況では「どうしようかな」と毒づきながら、ずるずると引きずられる他なかった。
「……いないな」
部屋を出た妹紅は、しきりに左右を確認して。何かに対して、これでもかと言うほど警戒していた。
勿論、妹紅の名前すらまだ知らない○○が。妹紅がこれほどまでに神経を尖らせる事の意味を、理解できるはずが無かった。
キョロキョロと、時間をかけて辺りを見回す妹紅に。段々と○○の方も不機嫌な感情を隠さなくなってきた。
鼻を鳴らし気味に、渋々ついてきていると言う態度を。妹紅に対しても、敢えて見えるように表現するが。
妹紅からすれば、そんな事よりも。今この近くに輝夜がいるかいないか。そちらの方が、○○の期限なんかよりもずっと重要なのだ。
「あの……」
態度には、はっきりと現していても。妹紅は相変わらず、左右の確認に余念が無かった。
左右で飽き足らず、隣の部屋も確認して。それ所か、天井を備え付けていたほうきで小突いたり、床下を力いっぱい踏んだり。
上下の確認まで始めた。そこまでやるか、とは慧音ならば思わなかっただろうが。○○の感覚では、奇異にしか映らない。
苛立ちの感情はいつの間にか、全く別の感情に取って代わっていた。
周辺を警戒している妹紅の様子が、余りにも必死だったから。呆れるとかそういう感情ではなく。
仲が悪い人間がここに住んでいるのは分かるが。それにしても……何故ここまでと言う思いで一杯だった。
○○から声をかけられた妹紅は、ようやく自分が○○を連れだした事を思い出したようだった。
「……ああ、そうだったな」
「あの……人の胸倉掴んでおいて。忘れていたんですか?」
「…………」
「それに、貴女はこっちの名前を知ってるみたいですけど。こっちは貴女の名前をまだ知らないんです」
「自己紹介ぐらい、してくれても良いんじゃ」
輝夜がいる場所なんだから、仕方がないだろう。声をかけてきたのが慧音ならば、迷わずこう答えただろうが。
目の前の○○は、蓬莱人の業を知らない。それが、寸前まで出かかった言葉を飲み込む要因になった。
○○の様子を見るに、何も知らないのは明白だったし。何より慧音が○○に対して、何も教えていないのだから。
慧音の心の安定剤。それに成り得る存在の心中に、余計な波紋は作りたくなかった。
どう動けば、慧音の為になるか。それを考えながら妹紅は吟味するように、○○の顔をまじまじと見つめる。
「あの……何か答えてくださいよ」無言のまま見られ続けて、訝しむ○○がいたが。些末な事だった。
とにかく今は、○○と言う人間を見極めておきたかった。慧音に対してどこまで益となるかを、それを確認したかった。
その余波で、妙なやつだと思われても構わなかった。
自分一人が妙な奴だと思われるのなら、むしろその程度で済むのなら。
○○が慧音に対して疑心を持つ事を回避する。それがその程度で買えるなら、安いとすら思っていた。
「藤原妹紅だ」
「妹紅さんですね……慧音先生のご友人ですか?」
「そうだ」
「それにしたって……少し乱暴だとは思わないんですか」
喋っているうちに、○○の中で胸倉を掴まれたり、忘れられていた事が思い出されたらしく。
溜息交じりに妹紅に対して一体何を考えているのかと。そんな事を刺々しく問うてきたが。
「…………本当に、何も知らないんだな」
「えっ?今、何て言ったんですか?」
質問に対する答えなどは全く返してくれず。自分一人で何かを納得したかのような顔つきで、ボソリと呟くだけだった。
その呟きは、○○の耳にははっきりと伝わって来なかったが。
「こっちの話だ。その顔、もっとよく見せろ」
元より、ただの独り言だから。聞かせる気などなかった。
「ちょっと、何を、うわっ!?」
顔をよく見せろ。妹紅はそう言って、今度は○○の顎辺りを掴んでグイッと自分の方に引き寄せた。
そしてまた、先ほどと同じように吟味するような。ただし、今回の方が距離は近いし。
妹紅の中で、自分一人が妙なやつだと思われれば良いと言う。覚悟にも似た腹積もりでいるから。
○○を見極める事に、全力を尽くせることもあって。鬼気迫るような感情を、○○はまともにぶつけられる事になってしまった。
「あの……本当に、何を考えているんですか……?」
妹紅の表情は、真剣な眼差しではあるのだが。今までの接し方が不味すぎたし、これがある意味止めの一撃になってしまった。
顎を掴まれている○○は、通常ならば強がったり怒ったりする程度の気概はあったのだが。
今回ばかりは、相手が悪すぎた。蓬莱人の業に敵ったり、まともに相手できる存在と言うのは。ただの人間ではありえないから。
怯えと言う感情は、確かに存在したが。それ以上に、理解が出来ないと言う感情が○○の心中を支配していた。
「なるほど……慧音が気に入る理由……顔を見ただけでも…………まぁ比べる対象が極端か……」
妹紅はぶつぶつと、いろんな事を呟いていた。その言葉の内容は、顔が近いせいもあって何とか聞き取れたが。
残念ながら、取り留めもない独り言では。その言葉の裏に隠れている、様々な実態を推し量る事などは到底出来なかったし。
顎を引っ掴まれると言う、普段ではまずないであろう体験をしている○○が。そこまで頭を回す事も、難しかった。
「……うん。所で、○○」
「……何でしょう?」
「寺子屋での仕事はどう思ってる」
正直に言って良いのだろうか。乱暴なやり方をしている妹紅に対する疑心のせいで、○○の口は重かったが。
「言えって言ってるだろう……っ!」
「ぐっ……楽しいですよ?それが何か、貴女に不都合でも?」
無理強いするように、返答を求める妹紅のような態度では。出してやった返答が、刺々しくなって当然だった。
「そうか……なら良いんだ」
しかし妙な事に、敵意や不快感をむき出しにしてくる○○の姿を見て。妹紅は安心しきったような優しい顔を浮かべた。
そして、外に連れ出した時とは打って変わって。掴んでいた顎を優しく話してくれた。
「その……一体、何なんですか?本当に……」
○○はイラつきながら話すが、妹紅はまったく意に介さず。ふふふと、微笑んでいるだけだった。
「私の事は、妙な奴だと思ってくれて構わないよ……慧音が起きたら、私が来たって事を伝えてくれ」
そして、そんな言葉を残して。藤原妹紅は去って行ってしまった。
後に残された○○は、怪訝な表情で妹紅の背中を見送る事しか出来なかった。
up0372
「Humpty Dumpty sat on a wall(ハンプティダンプティ塀の上)」
○○を一人置いて行ってしまった妹紅は、何の気なしに歌を口ずさんでいた。
「Humpty Dumpty had a great fall(ハンプティダンプティ落っこちた)」
無論、その歌が。今日日どのような意味を孕んでいるのか。知らない筈は無かった。
「All the king's horses and all the king's men(王様の馬や兵士たち全員でも)」
分かっていてなお、妹紅はその歌を口ずさんでいたのだった。
「……最後の一節、何て歌詞だったかな」
妹紅は、望んでいるのだった。そう言う結末を。
「Couldn't put Humpty together again.(ハンプティダンプティは元に戻せなかった)よ、妹紅」
「輝夜……いつから?」
「貴女が、ハンプティダンプティを歌い出した時からよ」
妹紅がそう言う、悲劇的な結末を望んでいると言う胸の内は。付き合いが長い輝夜はすぐに分かったし。
例え付き合いがそれほどなくとも、多少気の利いた御仁なら。ハンプティダンプティを上機嫌に口ずさむ時点で、何某かの不穏な空気を感じ取れただろう。
「妹紅、貴女ね。この歌の孕んでいる意味、知らないの?」
「知らなかったら、どうするんだよ?知らない方が都合がいいか?慧音との事は、お前には関係ないだろう」
「知ってるんだ……」
いっそ、知らない方が良かったかもしれない。未来永劫相手をし続ける相手が、存外不見識である事は腹に据えかねるが。
知っててなお、そう言う態度を取られた方が。輝夜からすれば落胆の度合いは大きかった。
顔に手を当てて、不味いわねと言う仕草を取る輝夜と違って。
妹紅は、そんな打ちのめされたかのような輝夜の姿を見ながら。ニヤニヤと、楽しそうに笑っていた。
「ねぇ、妹紅。今がどんな状況か解ってるでしょう?なのに。そんな縁起の悪い歌を歌うなんて」
「私ほどじゃ無いにしても。貴女だって、あの時代に藤原姓を名乗れるぐらいなのだから。それなりに教養はあるでしょう」
「この歌が、一般的にどんな意味を孕んでいるのかは、知ったこっちゃないが」
輝夜は、何とか穏便に。軟着陸させる場所を探していたが……妹紅は全く違っていた。
「縁起が悪いかどうかなんて。主観の問題だろう?この歌でお前が思う事と、私が思う事は。全く違う可能性だってあるだろう?」
懇願するように。考え直せないか?と。言外にそう訴えかける輝夜に対して。
妹紅は、それを突っぱねるかのように。爽やかに笑いながら、輝夜の主張に対しては、全く耳を貸さなかった。
この、さやかな笑みこそが。妹紅にとっての決意の表れだった。これから先、何がしかの事を起こしうると宣言するに等しかったし。
何よりも、事を起こす事に対して。妹紅の心中には、後ろめたさと言う物が全く感じ取れなかった。
むしろ、激昂しながらはっきりと。今に見ていろと言うような言葉をぶつけられた方が、輝夜からすればまだ楽観的に物が見れた。
妹紅の根っこは、やっぱり貴族なのだ。あの時代に、藤原姓を名乗れるぐらいなのだから。
貴族流の、やんごとない。己が心中を薄布一枚に隠したような、柔らかい物言いの方が性に合っていたのだった。
怒声なんぞよりも、こっちのやり方の方が。感情の発露としては、とても慣れたやり方だった。
しかし、輝夜は。妹紅のこの慣れた様子の、ねちっこい感情を見せる妹紅の姿が好きではなかった。
問われるまでも無く。こちらよりも、いつまでたっても慣れない様子で叫ぶ。妹紅の怒声の方が好きだった。
妹紅の必死な感情が薄布無しで見る事が出来るし。薄布越しに、騙しあいと化かしあいの応酬のようなやり方は。
未来永劫殺しあう仲の自分達には、似つかわしくないと考えていた。
実際、輝夜の思惑と願望はかなり実現されていた。
「……なぁ輝夜」
但し、今この瞬間に。輝夜の思い描いていた理想は、すっかり瓦解してしまったが。
「余り、邪魔をしないでくれないか?」
今までならば。邪魔をしないでくれと言う言葉だって。これでもかと言うほど鮮やかで、花火のように爆発した感情で叫んでくれたのに。
今の妹紅に浮かんだ顔は、とても穏やかな微笑だった。
吐き捨てるようにでは無く、諭すように穏やかな口ぶりで。
そして、言いたいことを言い終わった後も。しゃなりしゃなりと、上流階級らしい立ち居振る舞いで。
「それじゃあ、ごきげんよう」
これまた、良家の子女らしい。おしとやかな口ぶりで立ち去って行った。
輝夜は愕然としてしまい、立ち去っていく妹紅を追いかける事はおろか振り向く事すら出来なかった。
はっきりと分かったからだ。妹紅が、ある種の壁を突き抜けてしまった事が。
しばらく、呆然としていた。幸か不幸か、今は夜がもう深い。そろそろ日付をまたごうかと言う塩梅の時間だった。
当然の事ながら、イナバ達はもう眠りに入っている時間だ。
だから横槍を入れられずに、自分の配分で平静を取り戻す事が出来たが。
誰にも見つからない事で。自身が一番信頼を置いている、永琳にすら気づいてもらえなかった。
「…………はああ」
ようやく事態の深刻さを受け止める事が出来た輝夜は。精一杯の溜息と一緒に、壁を背もたれ代わりにして座り込んでしまった。
「どうしましょう……これ」
どうにかしなければとは思うが。最終的な回答はおろか、取りあえず取っ掛からなければと言う。
現状をこれ以上悪くしない為の方策すら思いつかなかった。
「そもそも、止めようが止めまいが……なのよね。完全に」
ガリガリと、頭をかきむしりながら。今のにっちもさっちも行かない状況に苛立つばかりであった。
「ああ……でも。止めても、真綿で首は締まり続けるけど……止めなきゃ荒縄に変わっちゃうか」
余り正しい判断だとは思えなかった。しかし、“物凄く悪い”を“かなり悪い”には。
それぐらいの差でしかないが、マシには出来る。
少なくとも、今妹紅を放っておいてしまっては。破滅的で悲劇的な結末が、今日や明日の話になってしまいそうだったから。
「起きているかしら?寝ていたいのなら、また明日来るわ」
「……何の用でしょうか?」
普通なら、○○は扉を開ける事など無かっただろう。
しかし、今の状況は。慧音は起きてこないし、ただでさえ眠れないのに藤原妹紅の来襲で、余計に目が覚めているし。
藤原妹紅は終始訳が分からなくて、悶々が余計に濃くなってしまって。
「ああ、良かった。起きてても、開けてくれないんじゃと思ってたから」
おまけに、今朝方に八意永琳と少し喋って以来。まともに会話をしていなかった。
藤原妹紅との邂逅は、あんなものまともな会話に数えられない。
「……さっきの?藤原妹紅を連れてきた」
だから、声色から判断して。まだまともそうかなと判断して。仕方なく扉を開けてやったのだったが。
開けた先の顔には、見覚えがあった。さっき、藤原妹紅を。あの訳の分からないのを連れてきた張本人。
「あらら……その様子だと、妹紅に色々振り回されちゃったみたいね」
めんどくさそうなのが来た。これなら、狸寝入りを決め込めばよかった。
そんな嫌そうな感情を、全く隠しもせずに顔に浮かべてしまったし。一緒に、疲労の色も一段と濃くなった。
どうやら、相当振り回されてしまったようだ。
妹紅が変な事を考えていると知っていれば。もっと近くで様子を伺っていたのに。
過ぎた事を悔いる他なかった。
「ごめんなさいね、ホントに。妹紅は素直じゃないうえにめんどくさい性格だから」
「何でそんなのを……連れてきたんですか」
「慧音の友人だからよ、数少ないね……何か、不愉快な事された?それが心配で、見に来たんだけど」
「ううん……」
妹紅に何かされなかったかと聞かれて。○○は奇怪な顔を浮かべた。
妹紅にされた事を思い出しているのだろうけど、その途上で○○のゲンナリとした感情がまた大きくなった。
勿論その感情は、表情にも現れた。
「何と言うか……計られてると言うのは分かったんですが。それ以外は、何を考えているのか」
「後でぶん殴っとくわ。あんまり、迷惑かけるなって言葉を添えてね」
「いや……そこまではしなくても。計られた結果は、そこまで悪くなかったようですし……顎は掴まれたけど」
「よし、ぶん殴っとくわ。ごめんね、私の友人が」
笑顔で不穏な事を言う物だから。気を使われているはずの○○の方が、気を使ってしまっていた。
これが蓬莱人の業だった。鈴仙やてゐに見せるそれに比べれば、だいぶ薄かったが。
それでも○○を困惑させるには、十分だった。
「じゃあ、私はもう帰るわね。ごめんなさいね、こんな真夜中に」
「いえ、そんな……さっきよりは、話せる相手で助かりました。少し気が楽になったんで、何とか眠れそうです」
「じゃあ、眠いうちに布団に入っちゃわないとね……」
そう言いながら、輝夜の手は○○が扉を閉めれないように。しっかりと手で支えていた。
「最後に一つだけ、質問させて」
「何でしょう」
輝夜が一番聞いておきたかった質問の答えを聞く為だ。
「上白沢慧音と、仕事をしてるようだけど……どう思ってる?」
「楽しいですよ」
即答だった。八意永琳の時とは違って、今は疲れているから。恥ずかしい回答を避けようとする、感情の防御が働いていなかった。
明らかに、本心だった。輝夜はその混じりっ気のない本心を見れて。満面の笑みを浮かべた。
「そう、良かったわ。じゃあ、お休み」
藤原妹紅ほどではないが、やっぱりよく分からない人物だった。
バタンと閉められた扉を見ながら、遠ざかっていく足音を聞きながら。何だか立て続けに振り回されているような感覚を持っていた。
「計られたのかな……また」
しかし、あの満面の笑みを見る限りは悪くは無いのだろう……多少気分は悪いが。
「……寝よう。今なら、眠れる気がする」
「慧音先生、お休みなさい」
小さな声で、修身の挨拶をした。
反応は多分ないと思ったが。意外にも、少し体が動いて言葉にならない呻き声を発した。
「明日には、起きてくれそうかな……」
寝息も規則正しい物だったから。もう、熱でうなされてはいないのだろう。
峠を越したなと感じられて、張りつめた者が綻んだのか。○○は、一気に眠たくなってしまった。
up0385
「……不味い!」
目を覚ました瞬間、感覚で寝坊してしまった事を確信し。一声と共に飛び起きた。
普段の時間感覚であれば、遅刻は確実。と言うか、起きた時点でもう始業時間を過ぎているぐらいだった。
「……あ?……ああ、そうか」
平素に、そんな時間に起きてしまえば。考えるだけで恐ろしかった。
きっと半狂乱で身支度をしただろうが、それでもきっと整えているようで整っていない身なりで家を飛び出したであろう。
しかし、飛び起きた後に。目に映る、いつもとは違う光景で今の状況を理解できた。
勿論その光景には。寝台に横たわる上白沢慧音の姿もあった。
丁度、鼻先に漂う消毒薬の匂い。いかにも、病院らしい匂いも手伝って。○○が今の状況を再認識させてくれる
遅刻すると言う事態は、状況的にあり得ない事を思い出せたので。急ぐことなくぶっ飛ばした布団を整理する事は出来たが。
急がなくて良いからと言って、ゆったりと出来るとは限らなかった。
布団をいそいそと直している最中にも。たとえ努めて目にしないように思っていても、○○の視界の端には横たわる慧音の姿がチラチラと入ってくるわけで。
目に見えなくても気にかかって当然なのだが、目に入るとそれは余計に。なのである。
その上慧音は、昨日の暴れっぷりが嘘みたいに大人しく寝ていた。
八意先生のお薬がよく効いているからなのだろうけど、大人しすぎて逆に少しばかり怖い想像をしてしまった。
意を決して、ちゃんと横たわる慧音先生の姿を目にしたが。まるでよくできた人形のように、微動だにしていなかった。
先程、頭の中をほんの少しよぎった怖い想像。
よくできた人形のように微動だにしない慧音先生の姿を見て、それは一層○○の中で大きくなっていた。
その怖い想像を打ち消したくて。気が付けば○○は、耳を慧音の口元に近づけていた。
「………………」
布が擦れる音も無い、長い沈黙が辺りを支配していた。無音の状態が続けば続くほど、○○の心中には焦りと言う物が強くなっていく。
「…………」
息らしい音すら聞こえてこなくて、緊張感から自然と○○も呼吸を忘れていた。
「……すぅ」
これは、もしかしたら。八意先生を呼んだ方が良いのではないか。そう思って、大声を出そうかと喉にぐっと力を込めようと。
そう思い立ってからやっと、慧音の口元から呼吸の音が聞こえてきた。
「よ、良かったぁ……」
へなっと、全身の力が抜けて。○○は先ほどまで自分が寝ていたベッドに、腰砕けになりながら身を預けた。
そのまましばらく、沈黙が続いた。普段ならば、もう朝食もすっかり終えて。授業の時間に完全に突入しているのだが。
不思議と、食欲はわかないし。さりとて、体を動かす気にもなれないし。天井の一点を見つめながら、○○は難しい顔をしていた。
しかし物凄く真面目そうに、とても難しい顔をしているからと言って。頭の中身もそれに類するものではなかった。
何かを考えているのは事実なのだが、何を考えればいいのやら。○○の頭の中身は、雑然としてとっ散らかっていた。
とても静かな沈黙であるのだから、慧音の口元に耳を近づけなくとも。時折、すぅと言う寝息が聞こえてきてくれた。
慧音が、まだ確かに生きていると言う証に他ならない。
それを聞いていると。まぁ、今は……慧音先生の回復を祈るだけでいいか。
現実逃避にも近い考え方だったが。今の○○に、そこまで難しい事柄を考える。そんな体力的にも気力的にも。
そのような余裕は、全く残されていなかった。
「はぁ~……」
深い溜息の音も、この無駄に静かな場にこだましていた。
「……静かだな」
医療機関なのだから、しかもここは竹林の結構な奥に位置している。
喧騒と言う物が、この場所にはとても少なかった。ましてや、いつもより多少寝坊したとはいえ今は朝方。
この静けさは、○○に二度寝の魔力も振りかけていた。
それに全く抗う素振りも見せずに。折角たたみかけていた布団を、もぞもぞと蠢きながら広げて。また体に被せて行った。
「食欲も余り湧かん……一食ぐらい……死にはしない」
どうせ、今日だけではなく。この分だと、一週間とかもしかしたらそれ以上の日数。寺子屋を開ける事が出来なさそうだったから。
だったら自分もしばらくは寝ていても構わないだろう。ふっと思い出した、昨日吐き散らかした汚物の事からは目を背けながら。
○○は、目を閉じて二度寝の体制に入っていった。
「姫様がー!!妹紅とー!!」
丁度、意識が眠りの世界に飛んでいるか飛んでいないか。そう言う曖昧な心持の時だった。
遠くから、それなのにかなりはっきりと聞き取れる。大きな大きな叫び声が聞こえてきた。
眠りの体制に映っていた心と体には、この突然の叫び声は非常に心臓に悪かった。
「うお!?」
ビクンと、体を跳ね上がらせて、何事かと辺りを見渡す。当たり前だが、部屋には慧音と○○の二人しかいない。
「妹紅がー!燃やしたー!手数が足りないいー!!」
なおも、謎の人物は大声を張り上げながらこちらに近づいてくる。段々と、声の方も大きくなってくる。
その大声は、かなりキンキンとした金切声だから。○○は思わず眉をしかめながら、両手で耳を塞いだが。
「誰かー!!」
しかし、手の平でふさいだ程度の壁では。容易に突き破ってきて、全く防音の効果を果たしてはくれなかった。
結構な大音響だから、もしかしたら慧音が起きてくるかもしれないかもと思い、寝ている方を見やったが。
「うう……」そう小さく唸るだけで、相変わらず昨日の暴れっぷりが信じられない。そう言う静かな寝姿のままだった。
寝息や寝姿から、うなされている様子は見受けられないし。多分、連れ込んだ時に比べれば大分よくなっているのだろう。
しかし、大分良くなっていそうとは言えまだまだ病人であることには変わりはないはずだ。余り刺激を与えるのは良くない。
出来得ることなら、自然に目を覚ますまで眠らせ続けるべきだろう。
「文句を言いに行くか……」
慧音の安寧の為にと言うのは、当然腰を上げる理由の筆頭である事には変わりはないが。
「うおー!凄い事になってるぞー!!」
ただただ純粋に、煩いのだ。立て込んでいそうなのは分かるが、時と場所と言う物を考えてほしかった。
扉一枚隔てているとは思えないほどにはっきりとした声が聞こえてくるのだ。本当に、我慢ならない騒音だった。
これはどう考えても、近所迷惑と言わざるを得なかった。慧音の事が無くても、ここまでされたら腰は容易に上がっただろう。
「……誰だ!?煩いぞ、病人がいるんだ静かにしろ!」
部屋を出るなり、何処かで聞いているはずの大声の主に対して、○○も大きくてきつい物言いを飛ばすが。
その物言いの前に一瞬の躊躇が。何処かで騒いでいる、このはた迷惑な誰かに聞かせるには大声を出すのが一番良いのだが。
慧音の体を気遣って、この大声を止めさせようとしているのに。自分が大声を出すのが一番手っ取り早い。
立派な矛盾だった。戸惑わせるには十分すぎる。
勿論、扉を開けるなりあの大声の主が目の前にいてくれるのが。一番迷惑であるが、止めるには一番時間をかけずに済む。
しかし、現実はそうは行かなかった。扉を開けても、誰もいなかった。相変わらずの、ぎゃーぎゃー騒ぐ大声が聞こえるだけ。
探す時間は惜しかった。この一声で終わらせることが、差し引きで一番マシな結末だと願いながら。○○は声を張り上げた。
「……良し」
幸いにも、願いは通じてくれた。○○が出した精一杯の一声で、途端に静かになってくれた。
「念を入れて……直接文句を言っておくか」
しかし、安心はしなかった。またぞろ、少しだけ離れた所で騒がれてはたまらない。あれだけの大声だ、離れていても聞こえてくるだろう。
そう思って、右か左かどちらに探しに行こうかと見回したら。
ちょど振り向いた先の、曲がり角に隠れるように。ウサギ耳の女の子が、不味い事をしたなぁ……と言う表情でこちらを伺っていた。
まさかこんなに近くにまで来ていたとは。煩くて当然だ。
もういい加減、このウサギ耳にも慣れてしまった。ウサギ耳への種々の感情など、もうほとんど感じていなかった。
「お前か?」
もうこれ以上、慧音の安眠を妨害したくないから。静かな口調と動きで、騒音の元に近づいていくが。
「ひゃっ!?」
余計な威圧を与えてしまったようだ。短い悲鳴と共に、件の騒音の発生源は逃げ出してしまった。
多分、全力疾走で走って行った。それがすぐに分かってしまうぐらいの、俊敏な動きだった。
「あっ、待て」
ここで全力を出さずに、小走りで走ってしまってから。多分追いつかないだろうな、と諦め気味だった。
だがドタバタと走ってしまうのも、慧音の邪魔になりそうで。そうでなくても、ここは医療機関だしで。
次の角を曲がって、姿かたちが見えなかったら諦めよう。そんな諦めの色を思い浮かべながら、角を曲がった。
「ごめんなさいね……私の躾がなっていなかったわ」
どうせ、誰もいないし何もないだろうなと思っていたから。
諦める準備を半ばはじめていた○○にとっては、先ほどのウサギ耳の女の子が八意永琳に首根っこを掴まれている。
その姿は、余りにも意外だった。
「ああ、いえ。騒ぐのを止めてくれたら、それで良いんですよ。何があったかはよく分かりませんが、立て込んでるみたいですし」
おまけに永琳は、却ってこちらが恐縮してしまいそうになるぐらいの腰の低さと頭の下げっぷりだった。
「分かってくれるのは助かるけど……それでも、あれは煩いわ。こっちの方向には、貴方たちがいるってのも分かってたはずなのに」
そしてまた、永琳は頭を下げるのと一緒に「本当にごめんなさいね、よく言い聞かせるから」と言う風な事を何度も口に出してくれた。
「いえ、分かってくれたらそれでいいんですよ。ええ、本当に気を付けてくれればそれで良いんで」
これは、慧音にも同じ事が言えるのだが。八意永琳の普段の物腰がとても穏やかで柔らかいから。
多分、怒った時の怖さと言うのは。かなりの物になるはずだ、慧音がそうなった時と負けず劣らずの怖さだろう。
「うちのイナバ達は、どうにも無邪気なのが多くて」
永琳に首根っこを掴まれているウサギ耳の子は、本当にしょんぼりとしながらプランプランと揺れている。
背格好も似ているせいか。なんとなく寺子屋の子供達を、○○は思い出していた。きっと心配しているだろうな。
何だかんだで、今日も帰れそうには無いから余計に気にかかる。
「次は気を付けてね」
多分、この子は八意永琳にきつく怒られるだろう。仕方がないと言えばそうなのだが、出来るだけ気にしないように優しい言葉をかける。
「次から気を付けてくれれば、それで大丈夫ですから……八意先生?」
随分しょんぼりとしているから大丈夫そうだろう。そう思って、八意永琳に対して。出来るだけ怒らないように頼んでおこうと顔を上げるが。
顔を上げると同時に紡いでいた言葉は、永琳の耳には全く届いていなかった。
その代わりに、○○のいる方向よりもずっと後ろ側を。目を見開いて、青ざめるような表情で見つめていた。
「……まさか」
八意永琳の表情から、ただならぬものを感じ取って……そして今の状況で彼女が張り詰める出来事など。○○には、一種類しか思い浮かばなかった。
「やっぱり……」
振り向きながら、外れてくれとは考えたが。悪い予想と言うのは、得てして当たってしまう物なのだ。
○○が振り向いた先には、上白沢慧音が立ち尽くしていた。
「慧音先生……お早うございます…………大丈夫ですか?」反応は無かった、相変わらず立ち尽くしたままだった。
その立ち姿も、微動だにしていないのならばまだ良かった。ふら付かないようにする気力と体力が戻った証しなのだから。
しかし、今の慧音は。小刻み等では無くはっきりと分かるぐらいの大きさで、左右に揺れ動いていた。
まだ全然本調子等では無いと言う、十分な証明だった。
「慧音先、生……まだ、寝ていた……方が良いんじゃ」
優しく声をかけるが、どうにも上手く舌が回ってくれないし。心臓も鼓動を速めていて、気持ち悪いぐらいだった。
それは多分、八意永琳も同じだったはずだ。チラリと、○○は後ろにいる永琳の顔色を見やるが。
あのウサギ耳の子は、逃がしたのかもういなくて。
永琳の口元が真一文字に結ばれていて、力がこもっているのがありありと見て取れただけだった。
昨日の騒乱を、力付くで解決せねばならなかったその当事者だけに。○○とはまた違った緊張感が、彼女を駆け巡っていたはずだ。
○○の視線を感じた永琳は、目線だけを○○に合わせて口元を小さく動かした。
「薬なら、持ってるわよ……やりましょうか?」
力付くでの解決、出来ない事は無い。その上最悪の想像を永琳は巡らしているようで、覚悟を決めかけているのが口ぶりと目力で分かった。
「……暴れないだけ、昨日よりは回復しているはずです。何とか出来るはずです」
力付くでやるのが、確かに一番時間はかからないだろうが。
「力付くでやるのは、最後の最後で…………」
そう言いながら、○○は慧音の元に近づいて行った。
「分かったわ……危なそうなら、すぐに言って」
力付くの解決を望んでいないのは、永琳だって同じのはずだ。だから、○○の好きにやらせるように判断を下したのは。不思議でもなんでもない。
「慧音先生、聞こえてますか?」
近づいて行くと共に、慧音の表情がはっきりと読み取れるようになってきた。
慧音の口元は、永琳と同じように口元が真一文字に結ばれて力がこもっていたが。
その口元は、力がこもり過ぎて。ワナワナと震えていたし。その上、目元も何だか覚束ない様子で。多分、目尻には涙が溜まっている。
今にも泣きそうな表情だ。慧音の顔全体を見れば、そんな表情をしていた。
ゆっくり、ゆっくりと○○は慧音に近づいていたが。近づく度に、慧音の見せる体の揺れは大きくなっていた。
ワナワナと震える口元も、口元から全身に波及しそうだったし。泣きそうな表情も、いよいよ泣いていると表現した方がよさそうで。
それらの動きが増すたびに。○○は歩みを止めようかと、いっその事少し距離を取ろうかと迷ってしまうが。
近づかなければ、慧音の手を引いて部屋に戻る事は出来ないし。後ずさってしまうのは、これはもう論外だった。
今ここで、慧音と距離を取ることを選んでしまえば。それは多分、彼女を傷つけてしまうことになりそうで。
「慧音先生、大丈夫ですから」
そんな言葉をかけながら、物凄い時間をかけて。一歩ずつ踏み出していた。
「ッ!?」
いよいよ、少し身を乗り出せば慧音に触れる事が出来そうだし、勿論○○は手を伸ばす。それぐらいの距離にまで近づいた瞬間だった。
何かに怯える様な雰囲気で、慧音は思いっきり後ずさりをして。○○から距離を取った。
「…………ああ」
そんな態度をとられて思わず、○○は心の奥底から沈痛そうな声を漏らした。実際、かなり傷ついた。
「あっ……待て、○○。そう言う意味じゃない…………」
伸ばそうとした手を、それだけではなく頭や肩も一緒に。全身が崩れ落ちるように、がっくりと落としてしまった。
そんな○○の傷ついた姿を見て、慧音は慌てて弁解の言葉を、涙声になりながら出してきた。
「いや……無遠慮に過ぎたのなら、謝ります……」
どうやら、違うようだと言うのは○○も分かったが、すぐに傷は癒えてくれない。
後ろで見ていた永琳も、ぶわっと全身が粟立って。隠し持っている注射器に手をかけようとしたが。
○○は伸ばした手を落としながらでも、もう片方の手は。永琳に対して、まだ大丈夫だから力付くはやめてと。はっきりと意思表示をしていた。
その姿に、永琳は注射器の場所を再確認しただけで踏みとどまった。
「待て、待て○○!待ってくれ……」
別に○○はがっくりとするだけで、一歩も動いていないのに。何故だか慧音は、まるで行かないでくれと言うように懇願してきた。
「そう言う意味じゃない……さっきのは、そう言う意味じゃないんだ……」
そして今度は慧音の方が、○○に歩み寄ろうとするが。お互いの手が届くまで、もう半歩足りない。
そんな場所で、慧音の歩みは止まってしまった。
慧音は見えない壁でも感じているのか。半端に伸ばした手が、所在無さげに宙を彷徨うばかりであった。
慧音に近付かれたの感じ取って、やっと○○は頭を上げた。
視界に入ってくる慧音の姿は、酷く悲しそうで。泣きそうと感じていた雰囲気は、もう完全に泣いているとしか表現しようがなく。
とにかく、酷く狼狽していた。そんな慧音の姿を見て、○○の表情が渋くなる。
「慧音先生……何を気にしているんですか?私が何か……」
「やってない!○○は、何もやっていない!!やったのは…………」
“やったのは”慧音が狼狽する大よその見当は、付けていたが。この一言で確証を得られた。
「……慧音先生、昨日の事ですか?」
「ヒッ!!?う……ぐうう…………」
昨日の事を話題に上らせると、慧音の狼狽は一気に高まった。その様子を見て、不味い判断だと思いまた渋面が濃くなった。
しかし、きっと。この渋面を見せる方が、慧音の狼狽を深くする一助になってしまうだろう。
「慧音先生ッ!!」
かなり軽率な判断だとは感じていた。でも、時間をかけるのも良くなさそうだった。
ならば、勢いに任せた物でも良いから、行動するべきだと。そう思い、残り半歩を○○は一気に歩み寄って。慧音の腕をつかんだ。
「慧音先生、昨日の事なら気にしてはいませんから」
そしてとにかく。絶対に伝えなければいけない事を、はっきりとした口調で伝えた。
「う……あ……それは、本当に……」
「本当の事に決まっているでしょう。嘘を言う意味がどこにあるって言うんですか!」
はっきりと伝えて、力強く慧音の顔を見つめる。そんな○○の勢いに押されたのか、慧音の狼狽は多少収まった。
収まったこの隙に、○○は慧音のおでこに手を触れた。
「……まだ、少し熱がある感じですね。もう少し……少なくとも今日一日は寝た方が良いと思います」
「さぁ、布団の中に戻りましょう。慧音先生」
「……○、○」
「何でしょう?」
「私とまた……寺子屋で……一緒に」
「当たり前でしょう!」
途切れ途切れの文章で、か細い声だったが。それに対して、○○はこれでもかと言うほど力いっぱいの返答だった。
その力強さに、ようやく慧音の表情に安心感が漂った。その表所を見て、○○の顔も綻ぶ。
「○○……」
「何ですか?慧音先生」
病室に誘導しようと手を引く○○に、慧音はまた言葉をかけた。
「寝るまで……傍に…………」
直後、慧音の表情には。言ってしまった……と言うような後悔の念が見える様な顔つきに変わったが。
「ええ、勿論。寝るまでじゃなくて……寝た後も一緒にいますよ。今日も永遠亭に、一緒の病室に泊まりますから」
だが○○は、そんな慧音の不安を打ち消すように。精一杯の笑顔で答えた。
その笑顔を見て、慧音はようやく。何日かぶりに、笑顔を見せてくれた。
「はいはいはい……妹紅、少しは落ち着きなさい。話ぐらいは聞いてあげましょうよ」
「里の言い分を信じるつもりなのか!?輝夜!!」
「だーかーら、信じるとは言ってないでしょ。言い分くらいは聞いてやろうってだけよ。そこから先は別問題よ」
木こりは震えていた。震えながら、冷たい地面の上で正座の格好をさせられていた。
目の前では、藤原妹紅が今にも飛び掛からんとしていて。それを必死で蓬莱山輝夜が押さえているが……
だからと言って、蓬莱山輝夜が木こりに対して敵意を向けていないわけでは無かった。
「で、何しに来たの?今の状況、知らない筈はないわよね?まさかお見舞いにでも来たって言うの?」
時折、話を聞き出そうとこちらを向いてくれるが。表情も声色も酷く冷たかったし、刺々しくもあった。
「その通りだ…………」
「は?」
しかし、木こりはここで帰る訳にはいかなかった。
「頼む、○○と慧音先生…………この両方と、話をさせてくれ!!」
やるべき事が、あるからだ。
最終更新:2013年11月27日 16:47