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「……どうする、永琳にぐらいは会わせる?何を考えているか知っておいた方が、まぁ色々と」
「……私は、反対だ。と言うか生理的に嫌だ。こんなのに引っ掻き回されるのは」
「だからって……永琳をここに連れてくる訳にもいかないわ」
木こりの前に立ち塞がるように、輝夜と妹紅は互いに意見を言い合っていた。輝夜はまだ冷静だが、妹紅はかなり感情的だった。
「てゐと鈴仙も、消火の為に出張ってるから。永琳を連れて来たら、何かあった時にどうにか出来る存在がいなくなるわ」
はぁ、と息を吐き出しながら。輝夜は周りを見渡す。

鬱蒼と茂る、迷いの竹林。その生い茂る竹達により、この場所は日中でもかなり薄暗い。はずだった。
そのはずだったのだが、輝夜と妹紅の周りに限っては。少しばかり様子が違っていた。二人の周りだけは、妙に開けていたのだった。
焦げた臭いとむせかえる煙の臭いが充満して。それらをかき分けるように、イナバ達が動き回っていた。
そのイナバ達の数も、一人や二人では無く何十人もの数だった。
それら何十人のイナバ達が、てゐと鈴仙の指示の下で。懸命になって、周りに水をまきまくっている。
この状況下で、動きが少ないのは輝夜と妹紅と……件の木こりだけだった。
正直な話、輝夜も妹紅も。消火の為に駆けずり回っているイナバの群れは、もう完全に見慣れた光景だった。
だから、周りの騒動など気にも留めていなかった。だから、存外落ち着いて木こりの相手をしているのだ。


妹紅はギリギリと、歯を鳴らしながら木こりを睨みつけて。
一方輝夜は、激昂寸前の妹紅が馬鹿をやらかさないように見守りつつ。木こりの真意を見定めようと、その表情を覗きこむために。
輝夜の視線は、妹紅と木こりの間を行ったり来たりしていた。
「裏の裏を読むのは、私達なんかよりも永琳の方がずっと得意だってのは分かるでしょう?」
「……ああ、不本意だがあれの実力は本物だからな」
妹紅は輝夜の言葉に返答こそしてくれるが、視線は全く自分の方を向いてくれてなかった。
「当然よ。本気になったら、私より強いんだから」理由が明確とは言え。全くこっちを見てくれない相手に喋るのは、案外疲れる物だった。

それは良いとして……輝夜がそう一言溜息混じりに呟きながら、視線を妹紅から木こりに移した。
視線を移した輝夜は妹紅に向けていた時の、心配しているような。そんな渋くて、複雑な表情ではなく。
眼の奥の奥まで、覗き込んでくるような。そして、いつかの貴族相手とは違って敵意などと言った棘は一切隠さない。
そんな呼吸も出来なくなるような重圧感を容赦なくまといながら、木こりの真意を探ろうとしていた。
無論、妹紅だって同種の重圧感をまとって木こりを睨んでいた。輝夜が妹紅を気にしているときもずっと。
慧音絡みの事だから当然だが、相当な執念だ。まとう重圧感の強さでなら、もしかしたら妹紅の方が上かもしれない。


「……」
「……」
「……」
三人とも、言葉を紡ぐ事は無かった。紡がない理由に関しては、三者三様だったが。
輝夜は紡ぐ必要性が感じられなくて。妹紅は紡いで会話などしたくなくて。木こりは重圧に耐えるのが精一杯で、紡ぐ余裕が無くて。

「何考えてるかは知らないけど……二人掛かりで睨まれて、視線を外さないのは大したものね」
「おい輝夜……」少し軟化した輝夜の口ぶりに、正気か?と言うような表情で、初めて妹紅が輝夜に視線を移した。
評価と言うよりは、呆れの感情に近かったが。決心を認めるような輝夜の発言に、妹紅は苛立ち漏らしていた。
「何ほんの少し、認める様な事を言っているんだ。所詮、保身で走ってるだけろう」
「違う!!」
利己的な思考で行動しているだけだ。そう断言されて、木こりは思わず弁明の言葉を口走った。


「ああ!?」
「……!!」
弁明の叫び。その余韻をかき消すように、妹紅はドスの効いた声と表情で凄んだ。
だが、木こりの方は凄みを増す妹紅の表情と声に圧倒されこそはしたが。視線だけは、絶対に外す事は無かった。
無論輝夜はその一部始終を見ていて、そして気になった。この木こりが見せる、この覚悟。
この覚悟の大きさは、尋常ではない。
親兄弟でも、質に取られているのか?親兄弟所か、里全体から絶縁されているのに?今さら向こうが関わりを持とうとするか?

何時しか輝夜の表情は、威圧感をまとった物と言うよりは。興味深そうに、見定めるかのような表情をしていた。
「ふぅ~ん……妹紅に凄まれても、まだ崩れない」
「輝夜。こいつもう、追いだそう」
「ちょっと待って。こいつ、少し気になるのよ」
実力行使に出ようとする妹紅の肩を掴みながら、輝夜はなおも見定めようとしていた。
見定めれているような視線に気づいた木こりも、嘆願するような視線を輝夜に送り返していた。
「まぁ……必死なのは分かるけど。これだけで心中は推し量れないか」
「そうだろう!だから、今すぐ追いだそう!!」
輝夜と妹紅の会話も、いよいよ噛み合わなくなってきた。死闘の際の方が、もう少し自然な会話をしている。

いよいよ不味いか。そう思った輝夜は、肩を掴むでは無く妹紅の前に無理やり割って入った。
「まぁ……その必死さだけは認めてあげる。真意は、これから図らせてもらうわ…………永琳になら、会わせてあげる」
「おい!輝夜、何を考えているんだ!?引っ掻き回す取っ掛かりを作るのか!?」
「ここで門前払いしても、多分諦めないわ。退院した後の○○になら、接触は容易よ」
妹紅が輝夜を押しのけて、いよいよ掴みかかろうとしても。木こりは怯えこそするが、逃げようとはしないし視線もこちらを向いたままだ。
ここまでの度胸を見せる人物が、そう簡単に諦めるとも思えない。
「だったら……何を考えているか。洗いざらい吐いてもらうわ……大丈夫よ、妹紅。会わせるのは永琳だけだから」
木こりの決心の強さには、危機感を覚えてはいるが。永遠亭に近づける。
すなわち、慧音と○○の近くに寄らせる事には。こちらに対しては、全く納得はしていない様子だった。
「今永琳を、永遠亭から離す訳には行かないの。上白沢慧音が錯乱したとき、止めれる存在がいなくなる」
「……ああ、もう!!妙な事したら、即たたき出すからなぁ!!」



道案内、と言うよりは誘導。誘導と言うよりは、連行に近かった。
前を妹紅が歩き、後ろを輝夜が歩いて。その間に挟む形で、木こりを歩かせていた。この形ならば、例えどっちが妙な事をしでかしてもすぐに止めれる。
妹紅は後ろから付いてくる二人には全く気にかけずに。振り切りそうなぐらいの速さで、道中を歩いていた。
別に輝夜は置いてしまっても、永遠亭に住まう彼女にとってはこの竹林は半ば彼女の庭だし。
木こりに至っては、はぐれてくたばってしまっても。全く問題は無かった。

「はい、そのまま真っ直ぐ。妹紅の動きは半分は貴方を騙すためにあるから」
おまけに、わざと左右に揺れ動いたり、普通は使わない道を使ったり、遠回りしたりして。木こりが道を間違うように図っているのだが。道を間違いそうになる度に、輝夜からの修正が入っていた。
その為、妹紅にとっては真に忌々しい事ではあるが。三人とも無事に、永遠亭に辿り着いてしまった。


「そこで待ってなさい。一歩も動いちゃだめよ?」
「糞が……はぐれれば良かったのに」
輝夜は柔らかい口調で、木こりの肩に不自然に手をかけて。ありったけの力で握りしめ、妖力も少し流して牽制をして。
妹紅は、木こりの周りをうろついて威嚇し続けていた。
最も、妖力を流した際。やっぱりただの人間だからか、脈拍が肩越しでも早くなったのを感じて。
通り過ぎる際、横目でも苦しそうなのが分かったが……知ったこっちゃなかった。
少なくとも動く気力は大分削げたようだから、そっちの方が重要だった。死ななきゃ、多少苦しそうでも構わなかった。


「永琳ー!!ちょっと来てぇ!!話があるの!!」
そして玄関扉を少しくぐったかと思ったら、輝夜は大音量で自身の従者の名前を呼んだ。
その声の張り上げ方は、長年付き合った物なら分かる。そう言う、緊迫感を隠した声の張り上げ方だった。
何も知らない……そう、○○のような人間ならば。横着な人だなぁと思われるかもしれない、そんな声だった。
もしかしたら、慧音には何か感ずる物を与えてしまうかもしれないが。問題は無い、病床から起き上がるよりも○○の傍にいたがるはず。
そう判断して、輝夜は声を上げていた。



しばらくして、ドタドタと言う床板を踏み鳴らす音が近づいてきた。
勿論、その音の発生源は八意永琳だった。永琳は、自身の主からの緊迫した呼び声に一目散に走り寄っていた。

「永琳。ごめんね、こんな呼び出し方で」
「いえお気になさらずに……これは確かに、この呼び出し方を選ぶはずです」
永琳は、玄関先の光景で大よそを理解してくれた。なるほど、これは確かに……輝夜が上がろうとしない筈だ。

「まぁ……見てくれたら分かるとは思うわ永琳。逃げ出しちゃうくらいの敵意をぶつけてたけど、逃げなかったのよ」
「姫様だけでなく、藤原妹紅から睨まれても……ですか?」
「そう……おまけに、視線も外さなかったわ。大した度胸と……決心の強さよ」
輝夜と永琳の会話も、二人が顔を見合う事は無かった。ただただ、木こりの表情をじっと観察して。
その心中の一部でも良いから、見定めようとしていた。

「なるほど、確かに……私たち三人から睨まれていても。一歩も引こうとはしませんね」
「蛇に睨まれた蛙……と言うわけでも無さそうと言うのは、表情で分かるしね」
「……ふん。決心の理由次第じゃ、ただじゃおかないからな」
三つの視線を受けながらでも、木こりは震えこそすれ逃げ出すようなことはしなかったし。その素振りすら、一切なかった。

「へぇ……」
「気になるでしょう、永琳?」
「ええ……監視が必要ですね。無論、腹の底で考えている内容も把握しておきたい」


「なぁ……こいつを入れるのか?中に」
どうやら、木こりに対する尋問が始まりそうだった。それはそれで別に構わないのだが。妹紅には一つ懸念があった。
その懸念とは、木こりを中に入れるかどうか。もし中に入れたら、不意に慧音か○○のどちらか。下手をすれば両方と一気に会うかもしれない。
そうなったら、また面倒くさい事になる。それを危惧して、妹紅は口を挟んだのだが。

「まさか」
そんな妹紅の懸念に対しての回答は、永琳から出た短い言葉とせせら笑う表情だけだったが。その二つでもう十分だった。
むしろ表情だけでも妹紅に対して意を伝えるには、全く差し障り無かっただろう。
「何か合っても、ここなら即帰ってもらえるから」
「なら良いんだ……個人的には今すぐにでも帰ってもらいたいが」
「最低限でも、上白沢慧音と○○に合いたい理由ぐらいは聞き出さないと」
永琳と妹紅が話している間でも、輝夜は見張るように見つめ続けていた。誰かが必ず、監視している状態だった。
ここにいる限り、木こりはこの矢のような視線から逃れられないだろう。

しかし、木こりの決心に濁りや迷いは。矢のような視線が最大三つに増えた今でも、見受けられなかった。
まるで揺らぐ事の無いその様子に、輝夜は敵意や苛立ちよりも別の感情。
興味深いと言う、そんな感情が増していた。
「ねぇ、貴方って。里とはほとんど交流を持っていないのよね?」
「ああ、そうだ。それだけで、俺の全部を信じてくれとは言わないが。俺が他の人間と違うと言う点だけは知っておいて欲しいんだ」
妹紅はその言葉に“どうだかな”と言う感情を身振りで表していたが。輝夜は、“俺は違う”と言うその言葉。そこだけは、そこそこ信じていた。
最も、違うからと言って自分たちにとっての味方と断じる事は無かったが。敵の敵も、やっぱり分かりあう事のない敵かもしれないから。

「そう。まぁ、そこだけは信じてあげるわ。そこだけは」
一瞬目の奥に光が宿りかけたが、強く念を押すような輝夜の言葉に、肩が落ちた。これぐらいしないと、妹紅が煩い。
「案の定だけど……里も一枚岩じゃないのねぇ」
ほんの少しでも木こりに同調したせいか。妹紅からのジットリとした目つきが痛い。頭をガリガリと掻く振りをして、視界からさえぎった。
「それでも、慧音に対する理不尽な憎悪だけは一枚岩なんだよな?」
「違う!少なくとも俺は違う!!」
ケラケラと笑いながら、妹紅が木こりに顔を近づけて嫌味たらしく煽る。必死の弁明をする木こりの目尻には、涙すら浮かんでいた。
「はいはい。気持ちは分かるけど、あんまり挑発しないの」
「輝夜、お前はどっちの味方なんだ!」
妹紅は自分を少し遠ざけようとする輝夜に対して、噛みついてきた。
「上白沢慧音の味方よ。少なくとも、アンタの鬱憤晴らしに付き合うつもりはないわ」
「ああ……なら良いんだ」
やはり、慧音の名前を出すと妹紅は弱かった。それに、前置きも無しに即答したのが効いたらしい。慧音の名前が出た途端、一気にしおらしくなった。


「いっその事、慧音が子供たちと○○を連れて何処か遠くに。それが一番の特効薬だったりして」
疲れ気味の輝夜が、つい口を出してしまったある種の弱音。妹紅の前で言ったのは不味かったかと、少し後悔したが。
「そうですね……対症療法での根治は、まず望めませんからね」
「ちょっと永琳?冗談よ、今のは。本気にしないでよね?」
妹紅を諌めるのが、きっと骨だろうなと覚悟していたら。輝夜は思わぬ所から不意打ちを食らってしまった。
これならば、妹紅が反応してくれた方が良かった。永琳が弱音に乗っかってくるのは、余りにも想定外だった。
おまけに、一番反応を見せてくれそうな妹紅が。この時に限って静かに黙りこくっている。
「ちょっと、妹紅も何か言いなさいよ。何で無言なのよ」
余りにも静かだから、それが不気味で挑発気味に迫ってみても。バツが悪そうな顔をしながら、顔を背けるだけで。
明らかに、何かを考えている顔と反応だった。そしてきっとその考えとは、どう見てもろくでもない事柄。
先に輝夜が口走らせてしまった弱音と、密接に関係するものであろう。

「はは……」
「力無く笑ってないで!あんたも少しは反論と弁明をしなさいよ!!」
恐らくは。人間側では、最も今の事態の収拾と根本的解決を望んでいるきこりでさえも。
焦燥感にやられた感じで力無く笑う物だから。輝夜の焦りは一層濃くなっていた。




取りあえずは。永琳に対しては、先の言葉が冗談である事。妹紅には馬鹿な考えを起こすなと。木こりに対しては、簡単に諦めるなと。
きつく、とにかくきつく。もし諦めたり本気に取ったり、馬鹿な真似を起こしたら。本気で怒ると。とにかく強く言い聞かせた。
これならば、性質の悪い冗談だと怒られた方がマシだった。

冗談であると言い聞かせる。
これに存外、時間をかけてしまい。一通り言い聞かせた後も、妙な沈黙が流れるばかりで。木こりに対する尋問が疎かになってしまった。

そんな折だった。ある一つの声が、この気だるい場面を静かに切り裂いた。
「あの、皆さん。どうされたんですか?」
その声は、○○の声だった。



四人とも一言も喋らずに。ただただ、何もせずに立ち尽くしていたものだから。
取りあえず、今は最も避けたかった。木こりと○○の接近……これを許してしまった。

少なくとも、今は一番不味かった。
木こりの真意を探り切れていないし……何より、今の慧音の心理状態に良い影響を与えるとは思えないのだ。木こりの存在が。
最終的に、会う会わせないは別としても。今は一番不味いはずだ。

○○の声を耳にした途端。玄関を背にしていた永琳の顔は、しまったと言う慙愧の念で顔を歪ませて。
妹紅は、無表情で木こりの肩を掴んで。色めき立つ木こりが、一歩も動けないように箍(たが)をかけた。
多分掴まれた肩はかなり痛いはずだ。もしかしたら彼女の能力の一端でもあれば、痛みと同時に熱さもあったはずだ。

輝夜はと言うと、頭の中身が真っ白になってしまっていた。
先の言葉が冗談であると。それを言い聞かせるために、体力をかなり使ってしまったからだ。


「あ……木こりさん」
無論、四人の心中がしっちゃかめっちゃかな事など。○○は知る由もないし、知る必要も無かったから。
「もしかして、慧音先生のお見舞いに来てくれたんですか?」
どうかそのままでいてくれと言う。そんな人の良さそうな表情と声で、○○は玄関先から出てきてくれた。
「ええ、ええ!そうなんですよ!」
但し、今は別だった。その人の良さそうな、付けこみやすそうな雰囲気は。今は何処かに行ってほしかった





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永琳が髪をかき分ける仕草を見せた。それと一緒に、何往復かガリガリと頭をかきむしった。
永琳の見せたその奇行に、真っ白になっていた輝夜の思考回路が息を吹き返した。
皮肉にも、突然○○がこの修羅場にやってきたと言う衝撃で動かなくなった頭が。永琳の奇行と言う衝撃で再び動いたのだ。


「永琳。○○が後ろにいるわよ」輝夜がそう言って止めなければ、永琳は血が出るまで頭をかいていただろう。
必死で隠してこそいるが、明らかに狼狽していた。その証拠に輝夜から○○の名前を聞くまで、かきむしる手は止まらなかった。
幸いにも、永琳が狼狽しているのに気づけたのは輝夜だけだった。

「……そうでしたわね。ありがとうございます、姫様」
しかし、奇行こそ止んだが。ぐちゃぐちゃに散らかった、頭の中身までは片付かなかった。
頭をかきむしる事こそ、輝夜の言葉で止める事は出来たが。先程まで頭をかいていた手は、相変わらず頭の小脇に携えられたままだった。
そうやってこめかみを抑える事で、永琳はかろうじで冷静さを多少取り戻していた。

「あら、○○。どうしたの?」
「慧音先生が、お腹が空いたと言うので」
「そう、分かったわ。じゃあ、私が用意するわね」

「お願いします」そう言って、戻ってくれるはずも無し。○○は、そう言いながらなおも歩みを進めてきた。
「有難うございます。まさか、わざわざお見舞いに来てくださるなんて。ここまでは結構遠いでしょう?」
○○はちゃんとした形の笑みで、永琳の横を通り過ぎて木こりの傍までやってきた。
○○が何も知らないと言うのは、何も知らないままでいなければならないと言うのは。本当に難儀な物だった。
○○の歩みを止めようとするのは、いつでも出来た。無論今からでもそれは十分に可能だったが。
無いのだ、その材料が。○○を慧音の部屋にとんぼ返りさせる為の材料が。残念な事に、まるで存在していないし作り出す事も出来なかった。

「妹紅、行儀よくね?」
「分かってる……分かってるよ……」
いっそ、妹紅が暴走してもいいかなと考えて、しばらく傍観しようかなとも思ったが。
同じ死ねない者どうし、一番の仲間でもある妹紅が狂人のそしりを受ける様子は余りにも忍びないし。
何より、根本的解決になっていない。だから、少々きつめに釘を刺してみたが。にっちもさっちも行かないのは、妹紅だって同じだから。
○○にはすぐに何処かに行ってほしいけど、無理は出来ない。その板挟みで、声が震えて目尻もうるんでいた。


「あの……妹紅さん、ですよね?昨日の夜に来た……あの、泣いてるんですか?」
今の妹紅は木こりの動きを封じるために、肩を掴んで傍にいる。木こりの傍に近寄った○○は、必然的に妹紅の傍にも寄る事になる。
○○が妹紅の泣き顔に気付いたとしても、そりゃそうだろうぐらいにしか思えなかった。
遠目にみている輝夜ですら、妹紅が泣いている素振りを感じ取れたのだ。より近くにいる○○が、分からないはずが無い。

「あ……ああ……その、病床に伏せてる慧音の事を考えると、な……」
「……確かに、そうですよね。高熱のせいか、普段じゃあり得ないような事までやりますし」
病床の慧音を思って、湿っぽくなる妹紅と○○。妹紅だって、嘘は言っていない。板挟み状態は切っ掛けでしかない。
ただ、それはとても良い事なのだ。あんな環境にいるはずの慧音が、幸いにもとてもいい友人が少なくとも二人はいると言う証拠なのだから。

問題は、その間に挟まれている木こりだ。彼は何を考えているか分からないが、口元をもごもごとさせている。
何かを迷うように、口元を少しばかり開けたり閉めたり。それの繰り返しだ……頼むから、黙っていて欲しかった。

「あの、何か?」
輝夜にせよ妹紅にせよ、そして永琳だって。そんな木こりの姿を見ても、別に何の助け舟も出さない。
つありは、この状況で歯車を動かせるのは○○だけだったのだ。
「慧音先生には……会え――
「駄目だ」ようやく出せた言葉も、妹紅が制止した。

当然だ。妹紅だけでなく輝夜も、そして永琳も。これ以上歯車が回る事など良しとはしない。
○○に促される事で、やっと口を動かす事が出来た木こりだったが。妹紅からのきつい表情と声色でまた口元が閉じてしまった。
「そうね……ちょっと不味い気がするけど。専門家の意見が聞きたいわ」輝夜が妹紅の言葉に乗っかると共に、永琳に目配せをする。
「ええ……確かに、姫様と妹紅の言うとおりでしょう。今は、余り○○や妹紅以外と会わせて体力を使うべきじゃない」
そうだ、それで良いんだ。この幻想郷で、最高の医者がそう言っているんだ。これを覆せる者など、そうそういてたまるか。
だから帰れ、今すぐに!


妹紅、輝夜、永琳。この三人に、しかも全員がそれなり以上の実力者。そんなのに一気にたたみ掛けられて、木こりは狼狽していた。
「うん……その、私じゃ八意先生の意見に従うしか無いんで。医療の知識もありませんし」
なお良い事に、○○は永琳の言葉を全面的に信頼してくれた。
そうだ、もっとだ、もっと言ってやれ。言葉にこそ出さないが、輝夜は内心では○○を思いっきり煽っていた。
「それとも……貴方、永琳に勝てるとでも?」
○○を煽る代わりに、輝夜は木こりの恐怖心を煽る事にした。
「私は姫だけど……実力派永琳の方が上なのよねぇ」
「確かに、物凄く頭が良いってのは分かります」やり過ぎたかとは思ったが、○○はあくまでも永琳の知識を話題に出しているだけだと思ってくれていた。

最も、○○以外は輝夜の言う実力と言う言葉。これが現す物が知識だとは思っていなかった。
本気を出せば、妹紅にすら永琳は勝てるのだ。ただの人間が、一秒たりとも持つものか。
純粋な命の恐怖を感じているのだろう。木こりは、顔を下に背けて小さく震えていた。


「じゃあ、○○さん貴方とお話がしたい」
小さく震える様子を見て、あとは低調に帰ってもらうだけだなと油断したのが不味かった。
最後の最後に、特大の爆弾を落として行った。
「え……構いませんけど、何のお話ですか?」
「寺子屋と里の話です!」
やられた。そう思った瞬間に、○○はもう返事をしてしまった。



「何を話すつもりだ!?私にも聞かせろ!嫌と言っても同席するからな!」
寺子屋と里の話。これに○○よりも早く、真っ先に食いついたのは妹紅だった。
妹紅だけじゃ心配だ……また真っ白になりかける思考の中で、鮮明だったのは妹紅を心配する事柄だった。
「あ、じゃあ……私も一緒に聞きたいな。ほら、私って姫だから。永遠亭の外にあんまり出ないから、世間知らずなのよね」
「ええ、ええ!どうぞ、出来れば貴女方にも聞いて頂きたい」
意外な反応だった。てっきり、邪魔者が来たと言うような反応を見せるかと思ったのに。
混じりっ気なしに、自分達が同席することを望んでいる。
「と言うわけで、○○。私と妹紅も同席するわね」

「……ごめんなさいね、妹紅は慧音の友人なのに、引きこもりだから里の事に疎くて。その引きこもりが勇気を振り絞ったのよ」
だから、勘弁してねと言う風な雰囲気を装って。腐れ縁で結ばれた、同類への助け舟は忘れなかった。
「お前だって、さっき自分で自分を世間知らずだと言ってただろう」
そうやって、憎まれ口を叩きながらも。妹紅の表情は確かに、輝夜に対して幾ばくかの礼を見せていた。
これだから、輝夜と妹紅の間に流れているこの腐れ縁は途切れる事が無かったのだ。



「と言うわけで、永琳。慧音の世話はお願いね」そう言い残して、輝夜は妹紅問○○と残り1人を連れて永遠亭の奥に引っ込んだ。
輝夜にそう言われた通り、永琳は慧音が伏せている病室へと。○○に頼まれた、食事も一緒に持って進んでいるのだが。
ふと……戻ってこない○○について、多分間違いなく慧音に聞かれるだろうなと。そう考えた時、永琳の歩みがぴたりと止まってしまった。

里の人間が、よりにもよって○○に用があると言って来ているのだ。
勿論、一人で相手はさせていない。多少強引ながらも、輝夜と妹紅が同席しているから。多分大丈夫だろうけど。
それで納得するかと言えば、難しいだろうし……永琳自身、説得しきれる自信も希薄だった。
思考が進む度に、渋くて固い物に変わっていく永琳の表情。
それと同時に……先ほどは○○からの嘆願で使わずに済んだ。小袖に隠していた、種々の鎮静剤……これに自然と手が伸びた。


「慧音、お腹すいたんですって?○○さんに言われて、食事を持って来たわ」
「○○は?まだ戻ってこないんだ……ここは永遠亭だから、大丈夫だとは思っているが」
開口一番。慧音の口を突いて出てきたのは、○○の安否だった。
「大丈夫よ。姫様が、いろいろと話を聞いたりしたがってるの」
嘘はついていない……はずだ。罪悪感なのだろうか、そんな物が心中にはびこっていて自身の行動を正当化出来ていなかった。

「……熱も、随分下がったわね。受け答えも出来ているし、昨日みたいな事にはもうならなさそうね」
永琳の出した話題に、慧音は申し訳なさそうな表情を浮かべて、口数も少なくなってしまった。
「嫌われてはいないだろうか……」
「無いわ、それだけは絶対に」
必死に、今何が起こっているかを隠している罪悪感と。突っ込まれた質問されたくなくて、慧音の気にしている事を話題に出してしまった罪悪感。

「気にしていると言うなら、早く治さないとね……食事の前に、お薬を飲んでもらうわよ。まだ回復の途上だから」
そして、厄介事を避けるために一服盛る。
そんな事しか出来ないし、考え付かない。この三つの罪悪感で、永琳の胸は張り裂けそうな程の苦痛を抱えていた
「……ああ、そうだな。確かに、言う通りだ」
慧音は永琳の差し出した錠剤を、何の警戒心も無く手に取り。水と一緒に一気に飲み干してくれた。

「量が多いな……」
ゴクリと飲み干した後、そんなことを呟いた。そりゃそうだ……鎮静剤や睡眠剤だけでなく。
病気を治すために必要な、抗生物質や解熱剤もちゃんと混ぜてあるのだ。
そのせいで、薬の量が多くなってしまった。それを怪しまれたら、もう正直に言ってしまおうかとも思ったが。
幸か不幸か。慧音は、永琳の差し出した薬を全て信頼して飲み込んでくれた。

「ごめん……」
「何が……だ……何を……混ぜ…………」
すきっ腹のせいか、薬の効き目は中々の物だった。
ただでさえ、体調が悪くてトロンとした目つきをしていた慧音の表情は、薬を飲んでそれがさらに増幅された。
ここまでくれば、永琳が呟いた「ごめん……」と言う言葉も合わせて。何かをされたと言う想像を及ばすのは、当然の事だった。
「頼む……何があった……大人しくする……暴れないから…………教え……」
寝台の欄干を掴んで、必死に眠気や体の重さに抗って。
色々と、事情を知っていそうな永琳に対して。必死になって、何があったのかを教えてくれと嘆願してくる。

「ごめんなさい……本当に……存外、私は浅はかだったわ……一服盛るなんて」
とうとう、欄干を掴む力も振り絞れなくなって。慧音は自重にも抗う力も出せずに、ズリッと地面に向かって落ちていきそうになった。
その落ちていく体は、当然永琳がしっかりと抱きかかえてくれた。
自分の体を支える事も出来なくなった慧音に、果たして聞こえているかどうかは分からなかったが。
それでも、永琳は何度も何度も。消え入りそうな声で、ごめんなさいと呟いていた。






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「誰かぁ~誰でも良いわー!お茶とお茶菓子…………四人分お願い!」茶と茶菓子を何人分用意させるか。その数を伝える前に、数瞬の迷いがあった。
「お菓子はすぐに用意できる干菓子を適当に菓子器にぶち込んでぇ!」
多少の苛立ちを隠すように、大きな声で何処かにいるであろうイナバに対して、輝夜は声を張り上げていた。
そのけたたましい姿に、妹紅は「こいつ、こんなのでも姫だからな」と○○に苦笑交じりで、茶化しながら教えていた。

多分、この席に○○がいなければ。茶も茶菓子も、輝夜と妹紅の二人分だけをイナバに用意させていただろう。
しかし○○がこの席にいる以上、そうも行かなかった。○○に不穏な事態を悟られたくは無かったから、ここは大人しく人数分をイナバに用意させた。

「ふぅ……さてと、何を話すつもりなのかしら?永琳が帰ってくるまでなら、話を聞いてあげるわ」
あれだけ声を張り上げれば、だれか聞いてくれるだろう。用意してやる手間が惜しい、今は一秒たりともここから離れたくなかった。
木こりが一番話をしたいのは、多分○○なのだろうけど。そこまで希望通りに事を動かしてやれるほど輝夜は、そして妹紅も。
二人とも、そこまでお人よしでは無かった。机と言う結界を挟んで、輝夜は木こりの真正面に座っている。
その輝夜の両脇に、妹紅と○○が座っていた。輝夜と言う目隠しが一枚あるから、そのお陰で妹紅も思い切り睨みを効かした顔でいる事が出来た。
全く持って、最高の座り位置だった、○○には怪しまれている素振りなどは無いし。
「はぁ……その、何と言いますか」妹紅の睨みのおかげで彼奴は口数が少なかった。
逃げるように視線を○○の方向に向けても、今度は輝夜がその表情を巧みに視界に入れてきた。

「あのう……姫様。お茶とお茶菓子をお持ちしたのですが」
「待ってたわ~やっぱり飲み物と茶菓子が無いと、話は進まないわよね~」
輝夜のそんな白々しい言葉に、睨んでばかりの妹紅も思わず頬が緩んだ。進める気など、毛頭無い癖に。
「はい妹紅の分、こっちは○○の。妹紅、それは私の分よいやしんぼね」
イナバから手渡された茶と茶菓子。これらを輝夜はテキパキと、世話好き風の印象を持たせながら配っていた。
お饅頭や、羊羹と言った大物ならば。感嘆に配り終えてしまえるから、きっとこんなにも時間は稼げなかっただろう。
これのせいで、○○もそして木こりも。話の出だしを計れなくなってしまった。



「輝夜、お前の分少し多くないか?」
この行動が輝夜の謀っている、時間稼ぎだと。そして時間を稼ぐ目的が、きっと永琳が帰ってくるまでの間を繋ぐ事だと。
何だかんだで付き合いの長い妹紅は、輝夜の所作と時折合う目線でその考えを敏感に感じ取っていた。
輝夜が時間を稼ぎたいと言うなら……少なくとも、慧音の味方であるならば。輝夜の謀に乗る事に、妹紅は全く抵抗感が無かった。
「小さいのが多いから、大して変わらないわよ。その代わりに、妹紅の皿にはちょっと大きいのを入れたじゃない」
なので、輝夜の行動に対して茶々を入れて、輝夜が稼ぎたがっている時間を増やす後押しをした。

妹紅に茶々を入れられて、面倒くさそうな表情こそ見せるが。輝夜は内心では、親指を思いっきりグッと上げて見せたかった。
今も妹紅は、輝夜の皿に乗った干菓子を必死に数えている。

「もう、しょうがないわね。一個あげるわ」
しかし、タダでは上げない。両方の意味で。
ただ妹紅の皿に一個転がすだけなら、数秒も稼げないし。何より、面白くない。
「はい、アーンして妹紅」輝夜の妹紅に対する悪戯心がくすぐられたらしい。
中々、いっその事清々しいほどに。今の輝夜は悪そうな笑顔で、妹紅の相手をしていた。
「待て、やっぱり良い。いらんといってるだろう、その手をこっちに向けるな」
「遠慮しないの。はい、アーン」


「……はい、最後に残ったのは貴方ね」妹紅で一通り遊んで、輝夜はその顔に戻ったが。
それは恥ずかしさがやってきたからでは無いのは、妹紅は十分承知していた。何より木こりも、色々知っているからそこまで鈍感ではいられない。
自分の分を引き寄せて、次に妹紅と○○の分を取り分けて。ついでに、妹紅との寸劇を繰り広げて。
最後に残った分を……木こりに。渡す際、やはり多少声の調子が落ちていた。
先の寸劇と言い、落ちた声の調子と言い。二人は明らかに、話を聞いてやるつもりなど。毛頭無かった。
知らぬは、何も知らぬただ一人のみ。


木こりに茶と茶菓子を与える際。わざとらしく音を立てたり等して、威圧する事は無かったが。
「ねぇ、○○。寺子屋での話、聞かせてよ。特に、妹紅に聞かせてやるつもりで……貴方はほとんど、寺子屋で過ごしてるんでしょう?」
木こりの話を聞こうと言うこの場で、全く関係のない話を進めようとはしていた。
「あ、お菓子どうぞ。好きに食べていいわよ。お茶も、この品種なら暖かいうちに飲んだ方が美味しいわよ」
そして、話をしてくれと言ってるのに。そう言った当の本人が、それと逆行するように。茶を飲め菓子を食えと。
もてなしているのだが、振り回しているのだか。何だかよく分からない光景だったが、これで良かったのだ。
輝夜にとっては茶も茶菓子も、全てが時間稼ぎの道具でしかないのだ。


「寺子屋の話ですか。でも妹紅さんは、慧音先生とは……少なくとも私よりは長い付き合いだから、知らない話がどれくらいあるか」
輝夜に促されて、茶を飲んで茶菓子を多少食んだ後。○○は、ぽつぽつと喋り出した。
輝夜の雰囲気と勢いに呑まれて、当初の目的を忘れかけているような様子だった。
木こりに対しては、今も輝夜と妹紅が時折目を合わせて睨みを効かせ続けていたから。何事かを言い出したくても、怖くて言い出せなかった。


「まぁ、そうなんだけどね。でも、さっきも言った通り、この子引きこもりだから。上白沢慧音の普段の姿ってのを余り知らないのよ」
自分が一番の新参である事を、○○は自虐的に捉えている。
「だからね○○、少し教えてやってくれない?この引きこもりに」
「引きこもりなら、お前も十分過ぎるほど当てはまると思うんだが……?」
しかしながら輝夜は、そんな自虐的思考に陥る○○に対して。気持ちが落ち込まないように、巧みに持ち上げている。
「それに、別に古いからってえらい訳でもないと思うわ」
「ああ、それは同感だな」
そして輝夜も妹紅も、なるだけ自然に釘は打っておくのを忘れていない。
「……?」
多少の間こそ出来たが、茶を飲んだり茶菓子を口の中で転がしたりして誤魔化していた。
「そう、なんですか?妹紅さん」いきなり出来た間に戸惑いながらも、○○は妹紅に問うてきた。二人には良い傾向だ。


多少、妹紅に対して辛辣な表現が多くて。それに対して、○○が少々戸惑う場面もある程度は見受けられたが。
「うん……うーん。全部が全部本当ではないが」
「当たらずとも遠からずよね、妹紅」
竹林に定住して、出来事と言えばもっぱら輝夜との死闘。しかもそれがここ何年かは一番の楽しみで。
たまに慧音が心配して、食糧やらを差し入れてくれ。ついでにちょっと世間話。輝夜の言うとおり、先の評価は全くの事実無根とも言い切れないのが痛かった。
その事実に、妹紅も苦笑では無く少々バツの悪い表情を浮かべるが。困惑しつつも、輝夜の話術で多少は居心地の良さそうな○○がそこにいた。

そんな○○の様子を見て。妹紅のバツの悪そうな顔に、少しばかり笑みがこぼれる。今の○○は、完全に輝夜と妹紅の方を向いている。
このまま話を回して行けば、そのうち永琳が帰ってくる。そうなれば、きっと永琳は○○を慧音の下に向かうように言うだろう。

「まぁな……寺子屋で何やってるかってのは、そこまで知らないな。慧音とは毎日会うわけじゃないし」
「だから、まぁそうなんだよな……輝夜の言う通り、慧音の人となりは大分知ってるが」
「慧音が寺子屋でどんな風にやってるかってのはそこまで知らないんだ」
渋々で多少濁しながらとはいえ、輝夜の言っている言葉を大体は認める事になってしまった。
妹紅の顔は百面相のように、先ほどからコロコロと変わっていた。そんな顔を見て、輝夜が喜ばないはずが無い。
「忌々しいが……ほんとに忌々しいがな……」そして輝夜の笑顔を見て、しきりに忌々しいと呟く妹紅であった。

○○はそんな様子の輝夜と妹紅を見て。これはこれで、案外仲は良いのだなと感じるが。
それを口に出したら、輝夜はともかく。妹紅は機嫌が悪くなりはしないだろうが、微妙な感情が濃くなりそうだなと思い。
「ははは……そうなんですか。じゃあ、寺子屋での話をしましょうか」
苦笑しつつ、輝夜の言うとおりに寺子屋の話をする事にした。
「ああ……うん、頼むよ」しかし、そんな状況でも。妹紅も輝夜も木こりの事は忘れていなかった。
むしろ。輝夜の笑顔を見るのが嫌で、妹紅の視線は正面に座る木こりに固定されつつあった。
その為、木こりは何も話す事が出来ずに。その存在感をとてもとても薄い物にまで押し下げてしまっていた。
そのせいで、○○の方は……そもそも、自分たちが何でここに来て話をしているのか。もはや、それは忘却の彼方だった。



「最近は、そうですねぇ……算術や読み書き、幻想郷の歴史何かは常にやってますけど」
寺子屋の話をぽつぽつと喋り出すと。妹紅は視線を○○の方に移して、ずいっと身を乗り出して来た。
やはり日中の慧音の様子と言うのは、慧音と知り合ってそれなりに経っている妹紅にとっては、大変興味のある事柄のようだ。
勿論だが、妹紅が外した睨みの代役は。輝夜が瞬時に、その役に入っていた。

「寸劇と言いますか……慧音先生が場面説明の朗読をして、私が人物のセリフを喋るんですが」
「寸劇?童話何かをやってるのか?」
「ええ。読み書きの一環で、童話何かをやりますけど。ついでに教養も身に着けようってんで、この間は猫に鈴をつける話をやりましたね」
「イソップ童話か。好きだぞ、あの童話集は。結構黒い冗談が多いから」
「知ってるんですか!?」まさか、この東洋のど真ん中に位置する幻想郷で。西洋の童話をスラっと言える者に会えるとは思っていなくて。
○○は思わず色めき立って妹紅の方に、ずいっと言った形で身を乗り出した。
輝夜は興味津々の妹紅と、色めく○○に挟まれた格好だったが。別段、悪い気はしていなかった。
むしろ、このような光景がずっと続かないか。そんな詮も無い事を考える始末であった。



「そりゃあ、妹紅はこんな性格でも藤原姓を名乗れる身分だから。外の世界じゃ、もう藤原姓に神通力は無くなったみたいだけど」
「え……妹紅さんって。ああ、確かに昨日は藤原妹紅と名乗ってくれ……うん?」
“ふじわらのもこう”こう口に出して、何か引っかかるものを感じた。
「“の”が付く?“ふじわらもこう”ではなく、間に“の”が」
「ああ、確か聞いたような気がするわ。外の世界じゃ、もう姓名と名前の間に“の”はつけないのね」
輝夜が思い出したかのように呟いた言葉が、○○の中で反復している考えの駄目押しとなった。
「妹紅さんって“藤原”を名乗ってますけど……もしかして、あの摂関家の藤原…………」
「そうよ。こんな性格だけど、この子私と同じで貴族なのよ。もうそんな物、幻想郷じゃ殆ど関係ないけどね」

うふふと笑う輝夜とは対象に、○○の顔からは先の朗らかな表情が消えて。
ぽかーんとした、そんな呆けた表情を作っていた。
「え……ガチで?」
「ああ、ガチだ」
「あ、○○。後でその“ガチ”って言葉の意味教えて。初めて聞く言葉だから」
「輝夜、それくらい文脈で分かるだろう」
「こう言うのは、正確に分かってなきゃ」
やいのやいのと言う輝夜と妹紅のやり取りなど。今の○○には、ほとんど素通りして意味の判別などしてなかった。


「○○さん!」
呆けて、何処かに行ってしまった思考回路が。久しぶりに聞く男性の声で呼び戻された。
○○が呆けて、話を止めて。輝夜と妹紅がやいのやいのと言い合っている。この時、輝夜も妹紅も。その意識が二人とも木こりの方を向いていなかった。
そんな一瞬の隙だった。その一瞬の隙を、輝夜と妹紅は取られてしまった。
「○○さん、お話の続きお聞かせ願えますか?あっしも気になります」
木こりは早口で多少まくし立てるように、○○に話の続きを喋るようにせがんだ。

「え、ああ……そうですね」
「そのイソップ童話以外には、他に何かやられなかったのですか?○○さんと慧音先生なら、色々とやってくれそうな気がするのですが」
とにかく、木こりの口調は早かった。輝夜と妹紅が、話の輪に戻ってくる前に少しでも○○の意識に自分を思い出させておきたかったのだ。

「そうですね……今やろうと思ってるのは、朝三暮四と言った故事成語」
「コジセイゴ……?」
「ああ、それは良いな。ただ文章を読ますよりも、滑稽な寸劇にした方が頭に入るだろうしな」
しかし、残念な事に。木こりには学がそれほど無かった。
慧音の授業は受けていたはずだったのだが。長らくの間、人との交流を断ってしまったせいで、教養の部分がすっかり錆びついていた。
その隙を逃さずに、教養のある妹紅が合いの手を入れて。輝夜が睨む役目に戻った。


「でも、故事成語辺りのことわざじゃあ長い話は作りにくいだろう…………」
「まぁ、仰る通り何ですが……童話の類は、残酷な話も多くて。趣旨を変えずに穏やかに作り替えるのが意外と難しいんですよ」
寸劇をやるに当たっての台本作りが、意外と労力がいる事を○○は吐露するが。それに対して妹紅の返答は無かった。
しかし、反応は合った。「ふん……」と言った風に、何かを考える様子は合った。
しかし、それが案外長くて「妹紅さん……?」そう○○が声をかける程、それぐらい奇妙な間と妹紅の長考であった。


「私はあの手の、黒くて救いが無いような童話。結構好きなんだがなぁ……」
「童話ってのは……あれは戒めと言った物を持ってるのが多いから。穏やかにしたら、意味合いが弱くならないか?」
ぬるりとして、まとわり付くような話し方だった。○○はこの変容した空気に、一抹の不安感を覚えるが。
事情を知っている側の輝夜は、一抹所では無かった。妹紅が何かしでかさないか、不安でたまらなかった。
「確かに。特にイソップ童話は説教臭い部分がありますから、余り変える事も出来ませんね……」


「まぁ、そのままの状態でも。イソップは、グリムよりはまだ話しやすいかな」
「グリム童話なら……ハーメルンの笛吹き男。私は、あの話が結構好きなんだがな……あれこそそのまま話すべきじゃないか」
妹紅の言葉に○○は「えっ?」と言う疑問符で一杯の顔を浮かべて。
「何を言っているの、妹紅!あんな悲劇的な結末、貴女は望んでるの?」
「望んではいないさ、そうならない方が良いとは分かっている……」
一呼吸間を置いて妹紅はわざとらしく、誰の目にも分かるように木こりの方向を少しの間だけ向いて、また輝夜に向き直った。
「でもさ、輝夜。報酬の支払いを一方的に拒否した街の方……一番悪いのは、そいつらの方じゃないか?」
言い終わった後、妹紅はまた木こりの方を向いて「なあ、お前もそう思うだろ?」と、微笑を携えながら聞いてきた。


木こりは、何も答える事が出来なかった。
学の少ない彼にはハーメルンの笛吹き男がどのような物語で、どのような結末を迎えるのか。全く分からなかった。
しかし、妹紅、輝夜、そして○○。三人の反応と……特に、妹紅の言葉尻。
これが自分達、里の人間に対する。はっきりとした敵対の暗喩である事は、理解できた。

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最終更新:2013年11月27日 16:56