嬉しそうに、楽しそうに。
二人の子供はその日、寺子屋で起こった事をのべつまくなく。勢いよく喋って行ってくれた。
出来れば妻に任せたかったが。妻は乳飲み子の相手と言う名分を盾にして、奥に逃げている。
お陰で、今のこれもそうだが。あの集まりも全部1人で背負う羽目になっている。
そんなこんなで、うんざりする父親の心中などには気づく事も無く。喋る速度や量は目減りする事は無かった。
その内容、友達と何をどうしたと言う話題よりも。話の大部分は件の二人に集中していた。
興味が無いので余り真剣に聞いていないが、もしかしたら全部の話題にどちらか片方。あるいは両方ともが出ているかもしれない。
しかし、子供たちからのおぼろげな会話でも、何となく察することが出来る事柄が一つ合った。
○○と上白沢慧音。この二人は、もしかしたらお互いに魅かれあっているのではないか?少なくとも苦手だとは思っていないはず。
漫然と聞いているだけでもそう思うことが出来るのだ。恐らくはかなりの人間が同じ判断を下しているはずだ。
しかし、それをはっきりと確認したことはまだ無い。多分これからも、訪れる事はないであろう。
ましてや、○○と上白沢慧音。
あのよそ者と化物をくっ付ければ。万事全てとは言わなくても、大分良い方向に話が転がるのではと言う考えなど。
言える筈が無かった。言う訳がない。
あの集まりで何かを話せば、何か案のような物を出してしまえば。
言い出した人間が、その中心的な役割を。下手をすれば言い出した人間がたった一人で何かをやらされてしまうのではないか。
その種の重圧が、無言のままに辺りに漂っているのを。どうしても否定できないのだ。
どうにかしたいと思いながら。その実、全員が足の引っ張り合いに興じてしまっているのだった。
誰かが何とかしてくれるのを待つ場でしかないのだあそこは。
それでも、あの無意味な輪からは抜け出せなかった。その後のことを考えると、どうしても……
結局、どいつもこいつも。自分を含めての全員が、何もしないをしていたのだった。
子供たちが全員帰路につき、寺子屋の中には○○と慧音の二人だけとなり。
先ほどまでのざわめきなどが嘘のように静まり返った空気をかもし出していた。
この時間は、二人にとってもようやく一息つくことの出来る、とても大事な時間だった。
授業の合間などにある休み時間というのは、どちらかと言えば子供たちの為にあるような物だったから。
教鞭を振るっている○○と慧音には、休み時間も全て次の授業の準備に当てていた。
次が運動の時間でもない限り、子供たちにとっての準備と言えば。精々が筆記用具を出して置く位。
それ位であるのだから、ものの一分も必要が無い。
しかし、○○と慧音はあれを持ってきたり、これを片付けたり。
場合によっては、子供たちの質問に答えたりとで。
この放課後の時間が来るまでは、常時気を張っているような状態だった。
「で、次の話は何にするつもりなんだ?○○」
その憩いの時間で。慧音と○○はいろいろな事を話していた。
他愛も無い話もあれば、授業の事を話したり。里人との付き合いを話したり。
勿論この時間に、茶と茶菓子は欠かせなかった。
○○にとっても、この時間は。一つの大きな楽しみになっていた。
「そうですね……朝三暮四の故事も面白いかなと。今日やった猫の首に鈴を付けようとする童話に似てなくも無いですが」
○○と慧音がやる演劇は、子供たちに大層人気があった。そんな喜んでくれる姿を見ると、やっている方にも張りが出る。
その為、題材を変えて行っては、頻繁に催していたのだが。
「そうだな、その話なら悪趣味な結末にもなりにくいからな」
故事にはまだそう言った物少ないが……童話や民話などに多い妙に死人が多かったり、やたらと救いの無い話を。
そう言った衝撃的な場面や後味の悪さを穏やかにしつつも、話の腰は折らない。内容の改変作業にかなり苦労していた。
「この間教えてくれた……灰かぶり姫だったか?連れ子の姉への仕打ちが余りにも、だったからな」
慧音が○○から教えてもらった、いくつかの西洋童話の話を思い出して顔をしかめた。
それも当然だろう。○○も慧音と同じように、初めて知った時は似たような顔をしたのだから。
「王子様に気に入られたくて……足の一部を切り落としてガラスの靴に無理矢理合わしたり」
気分直しに茶を飲みながら話すが、目の前の慧音の呟きを聞いていると余り気は紛れなかった。
どちらも口には出さなかったが、その後の姉達が。鳥に目を食われる場面まで想像してしまっているのだろう。
同じ時に教えた白雪姫や青髭もそうだが。少しばかり不味い話を教えてしまったかなと、○○は後悔していた。
「白雪姫も……継母に真っ赤に焼けた靴を履かして焼き殺したり。青髭に至ってはただの猟奇殺人者だからな」
「その後も……なんか微妙なんですよね。人間の汚い部分ばかり見えるというか」
「白雪姫の場合は……それ以前に、あの王子が気持ち悪い」
慧音のぼやきに、○○は苦笑を浮かべるばかりであった。
白雪姫は、自分を毒殺しようとした女王を焼き殺した後は、何の感慨も抱かずに幸せに暮らすし。
それ以前に姫を助けた王子に、慧音は酷い嫌悪感を抱いていた。
いくら白雪姫が見目麗しく、一目ぼれしたからと言って。王子は姫を最初に見た時、もう死体と成り果てていたのだ。
死体に対して口付けを働くと言う王子の行動に、慧音はどうにも不快感を隠す事が出来なかったようだ。
それが今回のぼやきにも現れていた。
青髭の方は、妻達を殺して奪った金品を、殺されずに済んだ最後の妻が奪うと言う結末だし。
白雪姫よりは分かりやすいが、青髭から金品を奪った最後の妻には薄ら寒い物を感じていた。
とにかく救いが無いと言うよりは、どうにもやるせない。非常に後味の悪い結末ばかりだった。
かちかち山と言った。慧音が知っているような民話にも、陰惨な内容は多いが。何だか心に来る物は西洋童話の方が大きかった。
茶菓子を食みながら、○○は慧音に教えては行けなさそうな話しを思い返していた。
真っ先に、頭の中に浮かんだのは。ある笛吹き男の話だった……あれも報酬の支払いを拒否した街の人間もそうだが。
その後の笛吹き男の行動も、余りにも行き過ぎだと。慧音ならば考えるだろう。
結局、どちらも擁護のしようが無く。最終的に被害にあったのは、何の落ち度も無い子供だけというのが、非常にやるせなく後味が悪かった。
慧音の性格から言って、この話も間違いなく駄目な方に分けれるだろう。
「……すまんな。辛気臭くしてしまって。お茶のお代わりを入れよう」
「いえ、そもそも話を教えたのは私の方ですから。あ、お茶を入れるくらいなら、わた……ありがとうございます」
ブレーメンの音楽隊なら毒気も無くて良さそうだな。
などと頭の中で取捨選択をしていると、慧音が場の空気を変える為か。茶のお代わりを勧めてきた。
茶を入れるくらいなら自分でも出来るし、働かせてもらってるのだからこれくらいは。と思った時にはもう○○の湯飲みは慧音が持ち去っていた。
この状態から奪い去るのもどうかしているので、○○は素直にまた座りなおすしかなかった。
働かせて貰っているのだから、それくらいの雑事は○○がやろうとしているのだが。
慧音は○○のそんな心中を察してか、こう行った時の動きがやたらと早い。
○○が気を使うよりも早くに行動して、少々ばつが悪そうな苦笑を浮かべたりする○○を見て。慧音は少しいたずらっぽい顔をする。
これは、慧音と○○が二人っきりになると良く見られる光景だった。
こういった他愛も無い戯れ方をして、遊ぶのが慧音は好きだったし。
○○の方からしても、そういったからかわれ方をするのを決して悪い風には思っていなかった。
最も、そうでなければ。先ほど催したような演劇のような出し物、出来るはずはなかった。
互いが互いに、それなりに好印象を持っているから。滑らかに出し物を子供たちに催すことが出来たし。
取り留めの無い会話を続けることが出来るのだ。
「所で、最近はどうだ?まぁ私の方にも言える事なんだが……子供達意外とは余り喋っていないような気がしてな」
お茶のお代わりを○○に差し出しながら、慧音が質問をする。
その内容に、○○は本当の意味でバツが悪そうな顔になってしまった。
「無い……ですねぇ。子供達とかみ……慧音先生を除いちゃったら、本当に両手の指で足りる程度しか」
二人合わせて十超えれるかな。と、慧音から中々寂しい事を突っ込まれてしまった。
「いや、流石にそれは。超えれるでしょう」
とは言うが、実際に勘定してみる気は無かった。意外と少ない数にがっかりとしてしまいそうだから。
慧音も○○も、こうやって寺子屋で教鞭を振るってはいるが。
寺子屋の仕事と、帰ってからの家事仕事などで時間を割かれ。子供たちを除けば意外なほどに他者との交流が少なかった。
二人ともそのことは多少なりとも気にはしているが。毎日の授業と、その準備に追われて。間々なっていないのが実情だった。
「ああ、でも。昨日は、木こりをやっている彼と話をしましたよ」
「ほう」木こりの彼と聞いて、少しばかり慧音の顔が色めきたった。
「何を話した?元気そうだったか?」
こちらが忙しさにかまけて、そういう没交渉気味な中で。向こうから声をかけてくれる人物は、貴重な存在だった。
例えそれが決まった人物であっても、嬉しい事には変わりないし。そこから輪を広げられないかとは考えていた。
「備蓄してある薪の量を気にしてくれていましたね……それ以外は、特に。元気そうなのは確かでしたけど」
そうか……。と、さしたる会話も無いと言われてしまい、慧音は肩を落とした。
「悪い関係では無いと思うんですけど、ね」
「私の事は話題に……私が気にしていると言う事は伝えてくれたか?」
「もちろん。でも、相変わらずでしたね。長いこと会っていなくて恥ずかしいのか、それとも何か気にしているのか」
木こりの彼は、○○が居を構えたかなり初期から、度々○○の前に現れてくれていた。
見た目は五十代に乗るかと言う程だとは思うが。炎天下で作業をする木こりと言う職業の特性上、日に焼けて少し老けているだけかもしれない。
なので正確な年は分からなかったが。一つだけ確かなのは、彼が慧音の元教え子だと言う事だった。
慧音の話では、自分が教えて来た子供たちはかなりの数がいるが。
この寺子屋を卒業した後は、それぞれの生活や習慣を手に入れるからなのか。
卒業してしまった子供たちのほぼ全員と、大した付き合いを持たなくなってしまう。それは、慧音も仕方の無い事だとは思っていたが。
せっかく近くに住んでいるのだから、少しぐらいは。少しぐらいは、付き合いがあってもいいな。
そういう風な事を、度々考えていたし。そう言う思考を、○○も当然感じ取っていた。
次に会った時は。多少無理矢理でもいいから、来るように強く言ってくれないか?諸々の事も気にはしていないとも付け加えてくれ。
もう良い時間なので、寺子屋を出て家路に着く際、慧音からこう言われた。
木こりの彼が、何を気にして慧音と会おうとしないのか。慧音にも思い当たる節は余り無かった。
「昔は悪童で、今は変人だからな」
これは、彼がよく使う逃げ口上だった。慧音が気にしてくれているという旨は、勿論毎回。
直接的な表現を使ったり、匂わしたりする様な程度の差はあれど。会う度に言っては来ていた。
その度に、先ほどのような逃げ口上を使われて。そそくさと立ち去ってしまうのが常であった。
確かに大きくなるにつれて、喧嘩は多くなっていたと慧音は思い返していた。
しかし、それだけで。どうしようもない悪童だと言う自己評価は行き過ぎてはいた。
掴み合う様な喧嘩はしていたが、相手の事を思いやってか。彼の方から殴るような真似は一度も無かったはずだと、慧音は付け加えていた。
「気にしすぎだって事も……伝えておく方がいいかな」
彼の言葉と、慧音の言葉を頭の中で反芻しながら。○○は家路へと足を運んでいた。
帰宅した○○は、何か気配を感じた。
がさがさごそごそと、何かを運んでいるような物音も裏手から一緒に聞こえてきた。
通常ならば、留守となっている自宅からそんな音が聞こえたら。空き巣か何かと思い、身構えるのであろうが。
少なくとも表面上は、牧歌的な雰囲気の強い幻想郷に慣れてしまったよそ者の○○は。
今の物音を聞きながらでも、警戒心と言うものが全く芽生えなかった。
「木こりさん?貴方ですか?」
それ所か、物音の発生源に対して。気軽に声をかけるぐらいに、安穏としていた。
声をかけながら、裏手に回ると。○○の想像通りの人物が、大量の薪と一緒にたたずんでいた。
「よぉ……○○さん。いなかったから薪の方、かってに置いときましたよ。大分少なくなってたから」
濃い無精ひげに、日に焼けた浅黒い肌、力仕事で鍛えられた体つき。笑う事に慣れていないのか、ぎこちない顔付き。
いささか声の掛けずらい雰囲気を持ってはいたが。○○はこの木こりの事を、決して悪い人物だとは思っていなかった。
「○○さん、寺子屋の方。今日は時間が押していたようで?いると思ってたらいなかった物ですから」
「ええ……次の授業の事を話したりしていたら、こんな時間に」
「熱心でよろしい事です……子供たちも良い先生を持った物だ」
それじゃあ、私はこれで。次に出す言葉を考える○○の様子に、何か木こりの彼にとってめんどくさい物を感じたのか。
相変わらずぎこちない笑顔で、○○に渡す分の薪を置いてそそくさとその場を後にしようとした。
「悪いんですが、整理の方は○○さんがやって下さいな」
「いえ、それぐらいはこっちでやれますよ。その、いつも有難うございます。薪の方、お代も払っていないのに……あの!」
「先生さんからお代はいただけませんよ」引き留めようとする、最後の言葉を無視するように。木こりは歩みを止めることはなかった。
「何を気にしているか、知りませんが。慧音先生は……貴方の事、悪くは思っていませんよ!悪童ってのも考えすぎだと思います」
早く何かを言わねば。今日もまた、逃げられてしまう。それでは明日会った時、慧音に顔向けが出来ない。
立ち去ろうとする木こりの背中越しに、何とか言葉をひねり出して、投げかけた。
その信念が多少なりとも伝わったのか。木こりの彼の足は、ピタリと止まって。
しかも、○○の方に対して、顔まで向けてくれた。
「お心遣い、有難うございます……でもね」
しかし、○○に対する返答を見せる木こりの顔は。ぎこちない笑顔では隠し通せない、かなり寂しげな表情だった。
「昔は悪童で、今は輪にも入ろうとしない変人ですよ私は。そんなのと付き合ったら、先生方に、迷惑がかかります」
それだけを言い残して、木こりの彼はまた正面を向いて。足早に立ち去ってしまった。
○○には、何も分からなかった。何故木こりの彼があんな寂しげな表情を見せたのか。
そして、付き合ったら迷惑がかかると言う、言葉の意味も。
どちらに対しても、何一つ。理解できる部分が無かった。
最終更新:2016年04月09日 22:12