薬で眠った慧音を丁寧に寝台に寝かしなおして、寒くないようにしっかりと布団を被せた。
ここまでやれば、もう部屋を出ても大丈夫だ。輝夜が妹紅に○○、それとあと一人。この三人を連れて行った部屋に向かえる。
そこで、○○に慧音の所に戻った方が良いと○○に伝えれば。きっと○○はここに戻ってくるだろう。
そのお膳立ては、輝夜がやっているだろうし。妹紅だってこの状況では、輝夜の後押しをそれとなく続けているはずだ。
だから薬の力でそうなっているとは言え、慧音がすやすやと寝息を立てている所までこぎつけた今は。
後はもう、早く○○をここに連れてくるだけだった。極端な事を言えば、永琳がここにいる意味はもう無かったのだが。
だまし討ちをするように、慧音に薬を飲ませた事が。しかも眠りに落ちる寸前に何かを察した慧音の、事情を知りたいと嘆願する言葉。
これらが永琳の頭にこびり付いてしまい、一思いに部屋を後にする事が出来なかった。
逃げるように部屋を後にしなかったのは、これが永琳が持っている責任感と言う奴かもしれない。

しかしずっとここで、○○が自然に戻ってくるまで待つ訳にもいかない。
今頃は、輝夜が時間稼ぎの為に色々と手を回しているはずだが。それにだって、きっと限界はある。
これ以上、ここで時間を潰しているだけでは。折角気を回して、現状では一番動き回っているはずの姫様に申し訳が立たない。
「ごめんなさいね、慧音。回復して、空腹も抱えていない万全の状態になったら……今日の事を教えるから」
ああ、そう言えば。何で私は慧音に用意した食事を……蓋付の入れ物に入れたのだろう。しかも二人分。
どぷやら私は無意識のうちに、慧音に薬を盛る事を決めていて。○○をここに、なるべく早く返そうとしていたらしい。


後ろ髪を引かれる思いで、戸を閉める最後の最後まで未練がましく。永琳は、慧音の姿を視界から外す事が出来なかった。
「はぁ……」重い溜息が、自然と出てきてしまうが。ここまで来たら、立ち止まっている訳には行かない。
折角意を決して、外に出た意味が無くなる。相変わらず後ろ髪を引かれるような感情は止むことが無いが。
しかし、そんな感情のせいで重い足取りだろうと。鞭を打ってでも速く回さなければいけないような事態が降って湧いた。


「何を言っているの、妹紅!あんな悲劇的な結末、貴女は望んでるの?」
悲鳴にも似た、輝夜の叫び声であった。
この声が聞こえたと、ほぼ同時に永琳は走り出していた。
永琳は走りながら、輝夜がポツリと呟いたある種の弱音を思い出していた。

「いっその事、慧音が子供たちと○○を連れて何処か遠くに。それが一番の特効薬だったりして」
この言葉が脳裏に反響するのと一緒に、あの時の妹紅の態度が何度も思い返されていた。
考えてみれば……勝気な妹紅の性格を考えれば。ほんの少しでも、あの発想に対する反発や拒否感があれば。
きっと妹紅は口を滑らせた輝夜に対して、殊の外噛みついてくれたはずだ。
多少面倒くさい事にはなるだろうが……長い目で見れば、妹紅が悲観的になっていない事の何よりの証明だ。

つまりは……妹紅が何も反応を見せなかったことは。
妹紅が、もう諦めていると言う事ではないか……悲観的になり過ぎて、悲劇的な結末をある種の救いとまで捉えているのではないか。

そう、ハーメルンの笛吹き男のように。あんな悲劇的な結末が、ある種の救いだと……
笛吹き男を上白沢慧音に置き換えて、かの者が連れ去った子供たちを寺子屋の生徒に変えて。
そこに、○○を一人足す……確かに上白沢慧音に対する、理不尽な悪意を持たない。おそらく、唯一の集団が出来上がる。

そこまで考えれば、後は慧音がやらかしてしまう姿を想像するのは。そんなに難しい事では無かった。
先頭で笛を吹く慧音、虚ろな目で付き従う子供たちと○○。きっと、妹紅はその周辺で子供たちを取り返そうとする者達の相手をしているだろう。

そこまで考えて、永琳は背筋が凍った。
人を惑わし操作する術さえ手に入れれば。どちらか一人でも十分なのに慧音と妹紅程の者が手を組んでしまえば。
この二人の組み合わせを、里の者達の一体誰がこれを止めれる。


「藤原妹紅!何を言った!?」
四人がいる部屋に辿り着いた永琳は、輝夜や○○や後一人の事よりも。藤原妹紅を注視していた。
妹紅が何か言ったのは、輝夜の悲鳴のような叫びからも間違いないし。流石に、まだ○○がいる席でそこまでの事をやるとは思っていなかったが。
実力行使などと言った、荒事はさすがに起こっていなかったが。もう半歩ほどで荒事までに発展しそうな雰囲気は、妹紅と輝夜の間には存在していた。
多分、○○がいなかったら。どちらかが掴みかかっていたのでは無いか……それぐらいの危なっかしい空気だった。


「ああ……永琳。丁度良かったわ……貴方、ハーメルンの笛吹き男の話、知ってるわよね」
「え……ええ、まぁ。筋ぐらいは、そらんじれますが」
悪い予感と言うのは、往々にして当たってしまう物だ。
「私、あの物語嫌いなのよ……妹紅は好きみたいだけど」
そう言い放つ輝夜は、声もぶっきら棒だし表情も素の顔だった。
輝夜は妹紅の方を見る前にチラリと、一目だけ○○の顔を見た。少し困ったような顔だった。
実際、かなり困っているのだろう。そんな輝夜の思惑に、妹紅は気づかないはずが無い。
妹紅の表情は“来いよ?”とでも言いたげに挑発的な眼をしていた。輝夜には重大な懸念があるから、来るはずもないが。

ならば、今の自分にできる事は。
「○○……慧音の部屋に行ったけど、寝てたわ。行ってあげたら?お腹が空いてると思うから、そう長くは寝ないと思うの」
輝夜の抱いている懸念を、取り払ってやる事だろう。八意永琳は考えた末に、そう言う答えを導き出した。

存外、○○は素直に永琳の言う通りにしてくれた。半分は、慧音の傍にいてやりたいからだろうけど。
多分もう半分は。このきな臭い雰囲気が立ち込めだしたこの空間から逃げ出したい。
そんな腹の底が見える様な、固い愛想笑いを○○は浮かべていた。

「じゃあ……お茶とお菓子、ごちそうさまでした」
「あの、○○さん!少し待ってくれませんか、一言だけお聞きしたい事が!」
振る舞われた品の礼を言いながら、そそくさと部屋を後にしようとするが。
その背中に対して、忘れかけていたあいつが。そう、件の木こりが○○に向けて声をかけてきた。
永琳はどうするかと思いながら、輝夜の方を見ると。輝夜は妹紅の肩を思いっきり掴んで、その動きを封じていた。
意外だとは……思わなかった。多分、妹紅は諦めてしまったのだ。
諦めていない輝夜から見れば、そんな自棄を起こしたかのような妹紅の存在は。これぐらいやってでも、止めたい相手だろう。

「何でしょうか?」
だから、何も口は挟まなかった。姫様が、輝夜がそうしたいと言うのだ。それに従うのが、八意永琳にとっての存在証明に等しいのだから。

「あの、○○さん。何か……お困りの事はありますか?寺子屋でやっていくのに関して」
「寺子屋で……ですか?そうですね」
少し小首を傾げながら、思い当たる節を探そうとする○○。その為輝夜と妹紅の姿が、一瞬視界の外に行ったのを感じた二人は。
それを良い事に、ほんの少しの間しか無いと言うのに。物凄く怖い顔で睨み合っていた。
戯れ半分で儀礼的になりかけている、今の死闘なんぞよりも。ずっとずっと、敵意やらがこもった眼をしていた。
多分これが大昔の、死闘を始めた頃の……いや、下手に仲良くなっている分それよりも感情的かもしれない。


「あ、そうだ。一個あった」
「何でしょう!」
色めく木こりに、妹紅の頬の端に妙な力が入った。
「恥ずかしい話なのですが、子供たちの体力に付いて行けなくて」
「ああ……あれぐらいの年だと、気力体力が空になるまで暴れまわれますからね」
「そうなんですよ。だから……体育や運動の時間と言うのが、あまり取れなくて。その後の授業に差支えそうで」
「なら、私がやりましょう!学はありませんが、体力はあるつもりですから!」
木こりは即答で、自分が子供たちの体育の面倒を見ると言ってくれた。
「……良いんですか?」○○は、嬉しそうではあるが。どこか悪いなと言うような感情が顔に表れていた。
「良いんですよ!どうせ、1人ですから。○○さんが思うほど、負担にはなりませんって!」
「うーん……なら、慧音先生にも少し話してみますね」
「え、ええ。お願いします」
慧音の名前を出されたら、木こりは一言だけ言葉に詰まった。今は一言で済んでいるが……そろそろ、潮時だろう。
これ以上取り繕うのは、三人とも限界に近かったから。

「○○。順番が逆かもしれないけど、部屋に二人分の食事を置いておいたわ。慧音と一緒に食べたら?」
取り繕うのが限界に達してきて、輝夜と妹紅の節々からも何やら不穏な空気が漂い始めた。
表情こそは笑顔だったが、はっきり言って固そうだった。その固い笑顔が、嫌な空気を加速させているのだろう。

「大丈夫ですよね?」
「気にしているのなら、貴方のせいじゃないわ○○。この二人は、こんなのなのよ」
流石に、気づかれたが。今すぐ部屋を後にさせれば、まだ何とかなる。
だから永琳は、○○の背中に手を回して。色々と気にしているであろう○○の、その歩を進める手助けをした。



「表に出なさい……妹紅」
「ああ……ここじゃ不味いからな……○○にバレる」
○○が部屋を後にさせられて。○○の視界に、自分たちが写り込む心配が完全に無くなると。
途端に二人は、相手を眼力だけで射殺さんとばかりの。そう言う怖い表情に、一気に変化した。
言いたいことを言えて、しかも存外良い返事をもらえた木こりは。油断して、何の気構えも無しに振り向いてしまったから。
多分、彼の一生の中で初めて見るであろう。敵意と敵意がぶつかり合った、本当の敵対と言うのを見てしまった物だから。
思わず、喉の奥から太い叫び声を上げそうだったが。その動きは、いつの間にか戻った永琳に口元を押さえつけられる事で封じ込められた。
ただし、声と一緒に息も封じられたので、ジタバタと暴れていたが。
そんな木こりの様子など、歯牙にもかけずに。驚くほど静かな足取りで、輝夜と妹紅は部屋を後にした。





流石に、三度寝は。この経験は、○○にしても初めての物だった。
来客用の椅子は、あるにはあるが。それに座って慧音の様子を見るよりは、寝台に座っていた方が楽だし。
それよりもっと、横になっていた方が楽であるのだから。
そして横になると言う行為は、人が寝るのに適した体勢で……おまけに横になっている場所は寝る為の場所。
意識して、目を開けようと努力していても。○○の瞼は自然と重くなって、そして気づけば…………
外の明るさは、明らかに朝のそれでは無かった。

「……大寝坊だぞ、私が言えた義理ではないが」
それよりも、慧音先生に三度寝と言う、かなりの醜態を見られてしまった。こっちの方が、○○にとっては辛かった。

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最終更新:2014年03月18日 10:36