的外れな使命感と、それを糧に成長を続ける 闘志。それらのせいで気付けずにいる、酷い独占欲なのだが。
「○○……出来る限りで良いんだが……出来るだけ私と一緒にいてくれないか?理想を言えばお早うからお休みまでずっとなのだが」
最も今の慧音が、自らの内部に孕んだこの独占欲に対して随分とひん曲がった物である事を客観視出来たとしても。
果たしてその事に対して、恥じ入ると言う感情を持つ事が出来るのか。
あり得たとしても恐らくは。そう言う思考をする事しか出来ない事に対して、責任転嫁をするのみであろう。
「それからだ……出来るだけ早く、寺子屋に戻ろう」その責任転嫁は留まる所を知らなかった。
今自分たちの首に回った真綿、これを必死に解きほぐそうと悪戦苦闘する物に対しても行われていた。
“慧音にとって幸い”だったのが。この最後にボソリと呟いた言葉に、○○の方が深刻な意味を感じ取れなかったことだ。
それが内心では的外れな使命感に燃える慧音にとって、どれ程幸いだったが。


知らぬが仏とはよく言ったもので、○○の意識は慧音の口走った最後の呟きよりも。その直前の告白じみた文句の方にあった。
「お早うからお休みまで……ですか。随分大きく出ますね」
そうは言う○○ではあるが、その顔は決して嫌な物では無かった。そもそも○○は慧音に対して一定以上の好意を抱いている。
その発露としていわゆる照れた顔と言う奴を。今度は○○から慧音に対して見せていた。
そんな顔を見れば、慧音だって嬉しくないはずが無い。
ただ、悲しいかな。慧音が嬉しくなればなるほどに、○○の首に巡っている真綿は少しずつ締まって行っているのだ。
「そうですね……まぁ、出来るだけで良いなら。お早うからお休みは、ちょっと恥ずかしいので」
そしてまた。○○は自分の首を少しだけ締めてしまった。


○○は慧音に対して照れ顔を晒すばかりであった。
照れ顔を晒すと言う事は。そしてお早うからお休みまで一緒にいてくれなどと言う戯言に対しての、前向きな発言も加味すれば。
○○から慧音に対する好意の量。これがそれなり以上である事は、簡単に察する事が出来る。
無論。慧音から○○に対する好意の量などは、言わずもがな。酷い独占欲を抱くぐらいなのだから、筆舌に尽くすまでも無かった。


それよりもだ。今さら確認するまでも無い慧音の○○に対する思い。それよりも、好意に波及して育つ感情。
慧音は今この感情に、ありていに言ってしまえば劣情に身を任せたくて仕方が無かった。
しかし。多少なりとも理知的な姿を取り戻した慧音は、この劣情に身を任せてしまうのを躊躇していた。
病み上がりと言う条件と、それ以上に教師である事の矜持。この二つが無ければ多分もっと直接的に求めていたかもしれない。
ただし直接的に求めなかっただけで、間接的には慧音は○○に対して幾ばくかの色香を出し始めていた。

「ふふ……ふ。思ったよりいい答えが聞けた……有難う、○○」
慧音らしくない、間延びした口調と笑い方だった。そして、らしくないのは口調だけでは無かった。
○○が両手で固く握り続けている慧音の片手……その上から被せるように、慧音はもう片方の手を添えているのだが。
らしくない動きを見せるのは、このもう片方の手の方だった。

ツツツと言う風に、被せているだけの手が徐々に。○○の手から腕、そして肩を少し撫でたかと思ったら、ついには頬にまで到達した。
この一連の動作が、勿体付ける様な速度で行われて。とにかく、酷く艶めかしいのだ。

初めの方は○○も、何事かよく分かっていなかったが。
慧音から発せられる、言い逃れる事の出来ない艶めかしさに気付くと。
「あっ……」慧音の手が○○の頬に向かった折に。○○は照れ顔では無く、赤面したような面持ちで少しばかり距離を取ろうとしたが。
今まで○○の方から握りしめていた手が、今度は慧音の方から強く握りしめてきた。
そのせいで、○○は慧音と繋がっている手を解く事が出来ずに。少しばかり体をのけ反らせるぐらいの事しか出来なかった。
これで稼げた距離など、慧音が少し前かがみになれば相殺される程度でしかなかった。

「ふふ……ふ、ふふふ」
ただ、今の慧音が○○の頬を触るぐらいで満足は出来なかった。
慧音は前かがみになった体勢を維持することを、割と簡単に放棄してしまった。
ここまでやって、どこが間接的だと。永琳あたりでなくとも、大体の人物が頭を抱えて呆れそうだったが。
行く所まで行かなければ、今の慧音の中では十分間接的だった。


「慧、音、せんせぇ!?」
締まりのない上気した笑みの慧音が、自分の方向に突っ込んでくる様子と言うのは。○○にとってはかなりの衝撃だった。
結局○○は迫ってくる慧音に対して、これと言った抵抗を見せる事も出来ずに。素直に慧音の体の下敷きになってしまった。

慧音の下敷きとなった後も、○○は何も行動を取る事が出来なかった。
ただただ今の状況に対して、とにかくまとまりの無い様々な思考が○○の中で流れているだけだった。
たとえば頭の端では、慧音に押し倒された今の状況に幾ばくかの劣情や情欲が降り積もっているが。
もう片方の端っこでは驚くほど冷静な思考で、慧音の体調を気遣う所か。
抱きつかれている今の状況を利用して、呼吸はどうか体温に異常はないか?脈拍はむしろ自分の方が上だな……等々。
それらの慧音の体調に関わりそうな事柄を抜け目なく確認出来たのは大した物だったが。
抜け目なく確認してしまったが為に、○○はより一層の混乱に陥っているのだ。

体温に呼吸そして脈拍。体の調子を見るのによく計られるそれら全ての項目において、むしろ観測者である○○自身の方が平常値を大幅に上回っているぐらいだった。
病み上がりだからと言う事情を鑑みたとしても、今の慧音は体調に関しては大分元に戻っている。
少なくとも傍目には、思考回路をかき乱すような高熱などと言った特段の何かは全く見受けられない。
つまり、慧音が○○を押し倒している今の状況は。
慧音自身がある程度望んで、こういう状況を作り出した。裏を知らない○○からすれば信じられない事だが、そう結論付けるのが一番自然なのだ。

実際問題、慧音は○○が全く抵抗しないのを良い事に。
「ふふ……ははは、ふへははは。放さないぞ、○○」等と締まりのない笑い声を上げながら、グリグリと自分の体を押し付けてくる。もちろん、両腕ではしっかりと○○の体を掴んでいた。
いわゆる羽交い絞めの状態だった。そのせいで○○の方はこの状況から脱出するのがかなり困難になっているのだが。
ちょっと前までの慧音のように姿形に現す事は無かったが、心中での狼狽っぷりは慧音のそれと大差が無かった。

むしろ憧れの慧音先生から、かなり一方的でこそはあるが好意をモロにぶつけられている。
それが分かるだけにこのままでいいかなぁ……。等とかなり安楽な発想がジワジワと○○の脳内を蝕んでいた。
しかもよくよく考えてみれば。このまま何もしないでいたって、そんなに悪い話に転がりようがないのも事実だった。
○○は慧音に一定以上の感情を……少なくとも、1人の女性として意識することが多々あったし。
慧音だってそれは同じどころか。ついさっき、○○を1人の男性として見ると言う意思がより強固な物になった。
つまり、何も不都合が無かったのである。例えこの場で行く所まで行ったと仮定しても、やっぱり不都合な部分は見つからなかった。



○○の口の端がにへらと、だらしなく歪んだ。
今のこの状況。憧れの慧音先生に押し倒されているこの状況と言うのが、とてつもなく甘美な物だと思ってしまったから。
それは同時に常日頃から抱えこそすれ、必死で表に出さないようにしていた慧音に対する諸々の情欲や劣情。
これらの全肯定にまで繋がった。

「少し、体に走っていた緊張感が解けたようだな……嬉しいぞ○○」
状況を受け入れてしまおうとする心の内が及ぼした影響は、○○の表情だけでなく全身に及んでいたようだった。
それは慧音が○○をより一層抱きしめやすくなる方向に……つまりは○○が慧音を受け入れ始めた事に他ならなかった。
「ふふ……○○もうこの際だ、言ってしまう。私はおまえの事が好きだ。勿論1人の男としてだ」
慧音のその言葉で、○○の顔に浮かび上がっているだらしのない笑みがまた強くなった。
ここに来てついに○○の方も動きを見せたが、その動きと言えば特に大袈裟な物ではない。
ただそっと慧音の頭部に、○○の手を置いただけだった。
慧音の柔らかい髪が○○の手に触れるとまた笑みが強くなって、緊張感から強張っていた体も柔らかくなった。

「ああ、そうだ……ここは永遠亭だった」○○がボソリと呟く。
自分たちが今永遠亭にいる事を思い出して行く所まで行かないのは、まだ○○もそれなりに箍(たが)が残っていたと言う事なのだろう。
しかし○○からは見えなかったが、慧音はその言葉を聞いて。
「ああ……そうだったな。今思い出した」声の調子をいくらか落とした感じで……明らかに落胆していた。
どうやら慧音は忘れていたらしい、自分が今どこにいるかを。



そのまま、どれくらいの時間が経過しただろうか。二人はすっかりと、時間の感覚を失ってしまっていた。
ただ幸か不幸か今日は何もない、だから出来るだけ長い時間このままでいたいなとは二人ともが思っていた。
「○○、慧音。い……・る、みたいだけど取り込み中ね」
そんな上せた状態なのだから。普段通りにやってきた永琳の気配に気付けなかったのは、それは仕方の無い事なのだろう。


「えっ!?あ……八意先生……ちょっと待って!逃げないで!」
不味い時に来たなぁ……と言う顔をしながら戸を閉めようとする永琳に対して、○○は必死の形相で呼び止めていた。
ここで呼び止めるのが果たして良いのかどうかは、○○からしても大いに疑問符が付く行動ではあるのだが。
かと言って、あの不味い時に来たなぁ……と言う顔を見ながら、何もしないと言うのも非常に後味の悪い物があった。
だったら後味の悪さを感じるよりは、これで良かったのかなと頭をひねる方がまだマシだった。

「えーっと……良い入っても?ちょっと慧音と話がしたいんだけど」
「あ、それって私は席を外した方が?」
「出来れば」
慧音と二人っきりで話がしたいと言う永琳に対して「分かりました、じゃあ」と言う風に○○は身を起こそうとするが。
「あの、慧音先生。解いて、この両腕を解いてください」どうやら慧音は○○に行ってほしくないようだった。
ちょっとジタバタとする○○に対して慧音は、見た目からして明らかに力一杯○○を抱きかかえていた。
「羽交い絞めじゃないの、これ」その様子を見て永琳が……少し深刻そうに呟く。



「痛い痛い痛い!ちゃんと戻ってきますから!遠くには行きませんから!隣の部屋にいますから!」
そう○○はもがき叫ぶが。
「慧音先生?慧音先生!?返事をしてください!痛い、痛いんです!」
○○の叫びに対して慧音は一切返事をせずに、ただただ両腕に込める力を強力なまま維持していた。

「ちょっと慧音、気持ちは分かるけど○○さんが痛がって……」
どうしようかなと、しばらく様子を見ていた永琳だったが。
○○の痛がり方が洒落にならない程度にまで緊迫してきて、おまけに慧音が全く返事をしてくれないと来たものだ。
間に入らないと不味そうだなと思い、慧音の肩に手をかけて○○から引き離そうとするが。
「……邪魔をしないでくれ」永琳が慧音の肩に手をかけた瞬間だった。舌打ち交じりの声が聞こえてきたのは。


慧音は永琳に対して、顔を半分しか覗かせてはくれなかったが。
舌打ち交じりだけでも十分なのに……顔半分だけでも分かる、明らかに不機嫌そうな表情。
もしこの場に○○がいなかったら、きっと慧音はもっと露骨に永琳に対して敵意を向けていただろう。
慧音に羽交い絞めにされた光景を始めに見た時……永琳は少し深刻そうかもしれないと思ったが。
どうやら……少しどころでは無さそうだった。

慧音が永琳に向かって敵意に満ち溢れた表情を向けたのは、それ程長い時間では無かった。
精々が二、三秒程。すぐに○○の体に埋めるように顔を戻して、その表情を○○にも永琳にも分からなくした。

「○○。先生と言う呼び方はやめてくれ」
「はい?」
そして永琳の事など無視するかのように、慧音は○○とだけ話し始めた。
「どういう意味で……?」
「二人っきりの時は、先生と言う部分を外して欲しいんだ……慧音と呼び捨てにしてくれ」
「二人っきり……」
永琳がしっかりと見ているのだから、この場はどう考えても二人っきりでは無い。
なのだが「気にしなくて良い……私の事を慧音と呼んでくれ、○○。そうしたら手を放す」
そう言って慧音は○○に対して、呼び捨てにしてくれと求めるだけだった。
どうやら慧音の中では、永琳はいないものとして話が進められているようだった。

○○に顔を埋めるようにしているから、その表情をうかがい知る事などは出来ないが。
永琳は自分自身がここにいるせいで、かなり怒気に満ちた顔でいる事は……想像に難くは無かった。


○○は戸惑いながら何度か永琳に目を合わせる。話をするのは諦めないが、一度立ち去った方が良さそうだった。
目を合わせる○○に対しては「いいから、言ってあげて」と声を出さずに口だけ動かしながら、何度も首を縦に振りながら。
後ずさるようにして、○○と慧音のいる部屋から出ていくしかなかった。



「○○……言ってくれないのか。まさか嫌なのか?」
ガタンと扉のしまる音が聞こえてすぐに、慧音はまた○○に促してきた。その言葉尻に○○は少し涙声のような印象を持った。
「そんな!嫌なはずはない…………慧音!」
多少の気恥ずかしさから言い切るまでに多少の時間を必要としてしまったが。
「もう一度言ってくれ、○○!」
たった一度の呼びかけなのに、本当に嬉しそうな顔でガバッと起き上がられると。
「ああ、慧音。こんなので良いなら何度でも」○○も次の一言が滑らかに紡ぐ事が出来た。

勿論このやり取りは、扉のすぐ前で立ち尽くしている永琳の耳にも届いている。
会話の様子から多分○○はもう慧音の羽交い絞めから解放されたはずだ。
しかし中に入っても良いかと聞く為に、扉を叩く事が出来なかった。
先程永琳は、席を外した方が良いかと聞く○○に対してそうしてくれと言ってしまったし。
下手をすれば慧音の方からして、○○が席を外す事を望むかもしれない……色々言いたい事があるだろうから。


「…………まだ外で待ってるのか?いるのなら入ってきてくれ」
長い沈黙があるなと不安になったら。その沈黙を破ったのは慧音の方だった。
言葉尻こそ多少繕っているが、実際の所は早く入れと命じているに等しかった。
慧音の方から来いと言われる事態に対して、永琳は息が苦しくなるのを感じた。

だからと言って逃げるわけにも行かず。逃げれば事態はもっとわるくなるだけなのだから……永琳には部屋に入ると言う選択肢しかなかった。
「込み入った話か?」
部屋の扉を開けて永琳の姿が見えると同時に、慧音は言葉を投げつけた。
名前すら読んでくれない事に、永琳は落胆するしかなかった。

「ええ……そうね。大分込み入った話ね」
「そうか。まぁ、そうだろうな…………○○、すまないが」
「ああ、じゃあ隣の部屋にいるから。何かあったら呼んで」
「待て○○……」
永琳の横をすり抜けようとした際、不意に慧音が○○を呼び止めた。
「戻ってきてくれるよな……?」
そして愁いを帯びつつ、恐る恐る○○に確認する慧音の表情。
きっとこの表情は、もうこのさきずっと○○にしか見せる事のない表情であろう。
「勿論だよ。当然戻ってきますよ……慧音」
そして慧音と呼ばれた際に見せた、パァっと輝く表情。これも○○にしか見れない表情であろう。




○○が隣室に入るまで十分な間だった。二人とも何も喋らないから、耳を澄ませば隣室の扉が閉まる音も聞く事が出来た。
「…………座れ。そしてこっちを向くんだ」
○○が確かに隣室に入ったのを確認してから、ようやく慧音は口を開いた。
○○がいないからもはや演技の必要が無いから、その声は酷く刺々しい物だった。
永琳はそれにもめげずに慧音の言うとおりに座って、慧音の方を向いた。
「慧音さっきは睡眠薬なんか盛ってごめッ―!?」
そして開口一番。先ほどの騙し討ちのように、睡眠薬を飲ませた事を謝ろうとしたのだが。
その謝罪の言葉を全て言い切る前に。慧音の張り手が永琳の頬を切り裂いた。

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最終更新:2014年03月18日 10:39