永琳に対して怒るに怒れず、どうにかなだめすかして永琳の自室まで連れて行った。
「あ……姫様、お風呂は」
「一番初めに見つけたイナバにやらせるわ……永琳、ちょっと一眠りでもして落ち着きなさい」
と言って永琳が不用意に出歩かないように軽い釘を刺した。
「ところで、慧音と○○は何処にいるの?」
「会われるのですか……それも今ですか?」
「何処にいるの?」
輝夜の口調は穏やかで微笑も携えた物だったが……
「あの……姫様」
「永琳、教えて。二人は何処にいるの?」
有無を言わさないと言う表現が的確だった。笑顔が全く崩れないだけに、中々怖い雰囲気を輝夜はまとっていた。
何とか二人が新しく入った部屋を聞き出せたが。どう動けばいいかは何も考え付いていなかった、いわゆる行き当たりばったりだった。
かと言って動かないのが一番不味いのも輝夜は理解できていた。終着点が見えない中で動くのも結構な心労ではあったが。
しかし、対症療法でも良いから。とにかく動く為の時間が欲しかった。
風呂の方はそんな事をやっている時間が惜しいので、洗い場で顔と手を洗うだけで済ました。着替えも適当に見つけた作業着に替えた程度だった。
二人がいると言う部屋の近くまで来たが、部屋に勇んではいる事は出来なかった。無策にも程がある。
背中を壁に預けながら、輝夜は長考していた。今後の出方を考えていたのだった。
出方を考えるのと一緒に思い返していたのは、木こりと○○の最後の会話だ。
妹紅と睨み合いながらだったが、木こりと○○の会話はよく覚えていた。
○○が子供達の体力に振り回されて、運動の時間が取れないと言ったら。木こりは手伝わせてくれと答えた。
その答えに対して○○は、決して悪い印象は抱いていなかった。慧音の返答次第だが、今の慧音が首を縦に振るものか。
「木こりは慧音の為に協力する事に対しては、いくらでも頑張ってくれるでしょうし……○○は悪い塩梅じゃない……」
つまりは、懸案事項は慧音だけだった。
「強引かもしれないけど……既成事実を作っちゃいましょうか。○○の目の前じゃ慧音も無茶は出来ないでしょうし」
ブツブツと呟きながら、輝夜の中で件の木こりの立ち位置や印象が随分和らいで行っていた。妹紅は真逆の事を考えていそうだが。
「もしかしたら使えるかもしれないなぁ…………と言うか、永琳があんな状態だから。使えるのがもうこれしかないと言うべきかな」
急がば回れと言う奴だろうか。とにかく、二人の部屋に今乗り込むのはやめにした。
「そう言えば……あの木こり、何処に行ったのかしら」
だが、回って接触を取りたい人物の居場所が。全く分からなかった。
「はぁ……あの木こりも大変ねぇ。永琳に帰れと言われたかと思ったら、私からもう一回来いなんて言われちゃって」
苦笑交じりに独り言を吐きながら、輝夜は小高い丘を登っていた。
件の木こりは、永琳から今日は帰れと冷たく言い放たれてしまっていたようだ。
ただこの情報をイナバから聞き出すのも、少し時間をかけてしまった。
死闘の余波で起こしてしまった火事の始末で、殆ど出払っていたからまずイナバを見つけるのに苦労した。
永琳に聞けばそれが一番早いのだが、今は休ませたいと言う思いから永琳に聞くと言う選択肢はすぐに無くなってしまった。
「1人分くらいの通ってる気配は、獣道みたいに残ってるけど……こんな所に住んでるなんて」
小高い丘だったが、その場所はほぼ人の手が入り込んでいなかった。
よくよく観察すれば、鋭利な刃物で伸びる枝を切り落とした跡や、下草が踏み荒らされている箇所が存在していて。
それらが一本の線となって道のような物が、長々と続いている。
足元だけならば、獣道と間違えそうだったが。刃物で切ったような切り口が点在している事で、この道が獣の物でない事がようやく判断できる。
恐らくこれが、件の木こりが住む場所への道なのだろう。
そしてこんな場所に居を構えていると言う事が、彼が世捨て人となってしまった何よりの証拠かもしれない。
「案外……信頼できるかもしれないわね、あいつ」
ただこんな辺鄙な場所に住んでいると言う事は、あの糞みたいな感情に塗れた人里との交流も絶無と言う事だった。
輝夜にとっては、この一点がとてつもなく大きな、木こりに対して好感を持つための最大の材料となっていた。
その思考を手助けするような嫌な体験を、輝夜は先ほど人里で味わってもしまっているから、余計に。
「狭そうな佇まいね……薪を置いている敷地の方が広そうね」
獣道を見紛うような狭くて鬱蒼とした道を抜けると、終点として多少は開けた土地が出てきた。
その開けた土地一杯に、木こりの物と思われる。見るからに狭そうな小さな小屋が輝夜の目に入ってきた。
その余りの小ささは、周りの薪がちょっとした拍子で崩れたら押しつぶされてしまいそうな程だった。
「こんな所に何年も……しかも1人で?」
とてもじゃないが、住む場所とは思えなかった。しかし申し訳程度に脇から伸びた煙突から、炊煙が立ち上っている。
だから木こりの住処は、間違いなくここなのだろう。
木こりの住まいの余りの粗末さに輝夜はしばし呆然としていた。
呆然と立ち尽くしたままでいると、小屋の出入り口がガタガタと揺れ出した。
「扉を叩く必要は無さそうね」人の気配を感じ取って表に出てきてくれるようだ。
「おい、だ…………」誰だ?と機嫌が悪そうに言いたかったのだろうけど、輝夜の顔を見た途端木こりは言葉が止まってしまった。
どうやらと言うよりは、やっぱりと表現するべきだろう。小屋の目の前にやってきた人影がまさか輝夜だとは、木こりは夢にも思っていなかったようだ。
「と、とにかく上がってくれ!何か用があるんだろう?」
「そうね。じゃあ、お言葉に甘えて。私も貴方とちょっと、ちゃんとした形で話しておきたかったし」
招き入れられた小屋の中は想像以上に狭かった。
「危ないわね何この紙の束……火元が近くにあるのに」
「次から次へと溜まって来てな……焚き付けに使うにしても、使う以上の速さで溜まってきやがるんだ。里の醜聞が好きな連中が多いようで」
ヤケクソな笑みを浮かべながら木こりは茶の用意をしていた。何故こんなにもヤケッパチに喋っているのか、紙の束が何なのかを確認したらすぐに分かった。
「これ……全部天狗の新聞?」
「そうだ……人と関わらなくなったから、何が起こっているかを知る為に集めだしたんだが。いや、酷い酷い」
「しかもこれ全部妖怪向けじゃない!貴方、人間なのにこんな物何年も読んでたの!?」
衝撃を受ける輝夜をよそに、木こりは喋っているうちに悪い感じに気分が高揚してきたのか、その笑い方はまた一段高くなった。
笑ってなきゃやってられないと言うような状態なのだろう。
「ああ……なるほど……そりゃ、1人でいた方がマシだと思いたくもなるわね」
輝夜はヤケクソ気味に笑う木こりの姿を見ながら。色々とその余りある心中に、同情の念を禁じえなかった。
「その……貴方の心中に関しては察するわ。私もさっき里の方で嫌な気分になったし」
「俺が住んでいるこの場所は、人里で聞いたのか?」
自分の居場所を何処で知ったのか?それを木こりに問われると、輝夜の表情が明らかに曇った。
輝夜は口を動かす気にもなれなくて、黙って首を縦に振るしかなかった。
「まぁ……そちらは永遠亭のお姫様だから……邪険にはされんでしょう…………」
「それでも十分過ぎる程の悪意は感じたわ……千年前に求婚してきた馬鹿貴族の方が、まだマシだったかも」
輝夜が木こりの気持ちを察したように、木こりも輝夜の気持ちは十分理解していた。
だからただ黙って、入れたてのお茶を輝夜に対して差し出すだけだった。
気分を少しでも紛らわすように、輝夜は湯呑の中身を一気に飲み干した。
「もし……私が里の方で貴方の話題を出したのが。それ自体が迷惑になるのなら、謝らせて」
「いや良いんですよ。今さらあいつらの好感を得ようとは思っていない……」
輝夜の懸念に対して、木こりは気にしないようにと言ってくれた。気遣い等では無くどうやら本心のようだ。
「それに、永遠亭の姫様が気にかけてくれているお陰で。里の方で食糧調達がしやすくなるかもしれない……○○さんみたいに」
「そうね……確かにそうね。そう言ってくれたら助かるわ……有難う」
人外に対して極度の排他的な空気があるのはよく分かったから。人外に気に入られた者も排されないか心配だったが。どうやら杞憂のようだ。
よくよく考えれば慧音に気に入られている○○と言う、最大の実例があるのだから。
「着物を着てないから、威厳の演出が出来ないなと心配してたんだけど……私の顔を見ただけであの丁寧さは、一週以上回った酷さね」
「話題を変えましょうか……何か用があってここまで来たのでは?」
能面で中空を見つめる輝夜の姿が見ていられなくなったのか、木こりは無理にでも話題を変えてきた。
「帰ったばかりで悪いんだけど……私と一緒に永遠亭に戻ってくれない?慧音の説得に必要なの、貴方が」
慧音の説得に必要だと。その言葉を聞いた木こりの目に、力がこもったのが輝夜の目には確かに映った。
どうやら決意と真意は、どちらも本物らしい。
「本当は、貴方と少し話して。真意や慧音に対してどう思っているかを計るつもりだったけど……その必要は無さそう」
「それでは…………私が、他の里人と違うと……」
「ええ、信じるわ。あんなの見た後じゃ……ね。ごめんなさいね、竹林や永遠亭ではあんなに邪険に扱って」
いや良いんです、と。力強く首を横に振ると、木こりは火の始末をしたらすぐに立ち上がった。
「助かるわ……時間が惜しいし、私の背中に乗って。飛んでいくわ」
皮肉な展開だった……妹紅は相変わらずだとしても、まさか一番信用していた永琳の心が折れてしまって。
一番信用していなかった木こりを信用することになってしまうとは。本当に、皮肉な出来事だった。
「じゃあ行きましょうか……待って、何の音?」
「近づいてくる。獣の類か?」
木こりの手を取って飛ぶ準備をしていたら、奥の方から木々や枝を踏みしめたりへし折る音が聞こえてきた。
「ここって一応里の敷地よね?」
「かなり端の方で結界の効き目が怪しい気はするがな。それでも、妖怪の類が来たことは無かったのだが……」
「良いわ、私が相手するから。その獲物置いて後ろに引いてて」
人里にはそれなりに強い結界が張られている。それでも時たまに、強い弱いは別としてはぐれたように妖怪が近づく事がある。
結界を破って中に入られる程度の妖怪となると、それなりに知恵もあって話が出来るので。
破れない程度の妖怪がうろつくぐらいなら、人里の中に引きこもっていれば安全なのだが。
それでも木々の伐採で燃料を手に入れたり、食糧の採取言った。種々の活動に制限が掛かってしまうので、そう言う時は大体慧音辺りがすぐに始末をつけてくれている。
そのお陰でここ何年も人里の活動に制限が付く事は無かったし、妖怪に食い殺されたと言う事件も無かった。
「いっその事結界が無くなってしまったら、慧音の有難味が少しはあいつらも分かるんじゃ。ああ……今のは半分冗談だから。自分ではやらないわ」
構えながら輝夜は物騒な事を呟いた。
半分冗談とは言ったが……その言い方ではもう半分はそれなりに本気と言う事になってしまう。
異変認定されかねないので、自分からやってやる事は無いが。
何かの手違いでこの結界が消え去ってしまわないかとは……こちらに関してはかなり本気で思っているのは事実だった。
なので木こりの耳にはこの言葉は全く冗談には聞こえなかった。半分冗談だと言って笑う輝夜の様子にも、うすら寒い物を感じるしかなかった。
「真っ直ぐこっちに来るわね……猪何かが来ることは?」
「ある事はあるが……この音は人っぽくないか?」
「音の主に知恵があるのは確かね」
音は大きくなるだけでは無く、脇道にも逸れずに真っ直ぐこちらに向かって来ていた。
端っこの方で、結界の効き目が多少怪しいとはいえここは里の敷地内のはず。
そう厄介な存在が来るとも思えないが……今は後ろに守る者がいるだけに、輝夜の構えにも張り詰めた物が出てきた。
「誰!?」
音のなる方向に向かって、輝夜は強い口調で叫んだ。
相手が何なのかと言う点はまだ分からないが、知恵があるなら多少は反応を見せてくれるはずだ。
「俺だ!待ってくれ!永遠亭の者だろ?話を聞いてくれ!!」
「俺だじゃ分からないわ!」
余り歓迎されていないのが分かったのか。音の主は声を上げるが、足音を示す枝を踏みしめる様な音はピタリと無くなった。
声の主に正体を明かすように迫りながら、もしかしたらと思い輝夜は後ろにいる木こりに視線を合わせる。
「大丈夫だ」
視線を合わすと同時に木こりはそんなことを言った。
「やっぱり、知ってるの?」
「似たような立ち位置だ。多少動機は不純だが……俺と立ち位置が同じだから、それなりに信頼しても良い」
「そう……貴方が言うならそれなりに信じてみるわ。出てきなさい!ゆっくりよ、馬鹿な考えは起こすんじゃないわよ!」
それなりに信じてやることにしたが、それ以前に姿を現さないのでは、話が進まない。
ゆっくりと、本当にゆっくりとその声の主である、彼は出てきてくれた。枝などを払いのける時間すら惜しかったのだろう、彼の顔は一面傷だらけだった。
「初めましてかしら……?一応貴方が何者かの算段は付いてるけど、自己紹介してくれない?」
「昨日、上白沢慧音を永遠亭に運んで。○○以外で一人だけ残ったやつ……それが俺だよ」
「昨日俺は貴女とは会っていないが、俺が誰なのかを知っているのは……天狗の作る、妖怪向けの新聞からか?」
妖怪向けの新聞。この話題を出されて木こりが彼をそれなりに信頼する理由が、輝夜は十分理解できた。
「ええそうよ……そう、妖怪向けの新聞の存在。知ってるのね。それなら確かに、それなりに信頼できそうね」
「そう言ってくれるのなら、本当に有難い。有難いついでに、俺もこの話に混ぜてくれないか」
「ええ、良いわよ。今から永遠亭に戻るから……三人で行きましょうか、お話は道中で構わないわね?」
「ああ構わん!何処へなりと連れて行ってくれ……多分ここよりはマシだ」
永遠亭に行くと輝夜が彼に伝えると、彼の表情に助かったと言うような安堵の色が濃く浮かんだ。
その助かったの意味は……多少なりとも信じてもらえたからなのか、それとも里から離れる事自体に、ある種の安らぎを感じてしまったからなのか。
口走った言葉の内容から言えば、十中八九後者なのだろうけど。
最終更新:2014年03月18日 10:41