「ふぅ……まずは、一歩前進したと思いましょうか?ほんと、良い子よね○○は」
「ああ……申し訳なさも強いが、そう思いたいな。お前もそう思……おい、しっかりしろ!」
部屋を離れて、もう話をしても大丈夫だろうと輝夜が切り出したら。
木こりの方は疲れ切った表情でも、受け答えが出来ていたのに。彼は膝から力を無くして、とうとうぶっ倒れてしまった。
ただ意識はあるらしく、蚊の鳴くような声で「すまん……」と体を支えてくれる木こりに謝っていた。
「はぁ……まぁ、よく頑張ったと言うべきよね。悪いけど私の部屋に運んで、貴方たちと話もしたいし」
自室に来いと言われた二人は強張った表情を見せた。
特に倒れ込むぐらいにまで生気が無くなっていた彼に至っては、怯えた表情にまで変わっていた。
「あんた達、私を何だと思っているのよ……少なくとも、今の慧音よりは冷静で話せる相手ぐらいには思ってよ」
「心配しなくても……ちょっと渡したいものと伝えておきたい事があるだけよ」
ちょっと不出来を晒すイナバを相手にする時よりも、更に優しい声色と表情を意識的に作って。
そこまでやってようやく、二人の表情に安堵感と言う物が少しだけ現れてくれたような気がした。
ただし、安堵感のような物が感じ取れたが。彼の砕けた足腰は元には戻らなかった。
相変わらず木こりの肩を借りていなければ、一歩たりとも動けない事には変わりが無かった。
「疲れているのね……」そう何となしに呟いた言葉。別に何の他意も無いのだが、それを聞いた彼の目線が少し逸れて。その表情が申し訳無いと言うよりは、バツの悪そうな顔に変わった。
彼に肩を貸してやっている木こりも、不安そうに彼を見やる輝夜の表情を覗きこんでいた。
何となく、輝夜から不出来を突っ込まれた時のイナバ。あの子達の事が思い起こされる、そんな表情を二人ともがしていた。
「あ……ああ、そうか。そういう意味ね」
二人の事をイナバと当てはめて考えていたら、今この二人が立たされている立ち位置、場所のような物に合点がいった。
「……そうよね。私が、今の貴方たちの後ろ盾になっちゃってるのよね。今更気づいたわ」
イナバ達は基本的にそこまで強くは無い、てゐと鈴仙が例外なだけだ。
それでも常識の範囲内であるなら、方々でそれなりに好きに活動する事が出来ていた。
好きに活動出来る最大の理由は、イナバ達が皆永遠亭に属して輝夜と永琳の威光があるからに他ならない。
それぐらいはイナバ達も感じ取っているので。輝夜や永琳を相手にした際、あの子達は非常に大人しくなる。
「そうだな、あんたが……いやお姫様がいるお陰で、間違いなくやり易くなる。それぐらい考えなくても分かる」
「“あんた”で良いわよ。まぁ無理してそう呼べとは言わないから、多少砕けた呼び方で構わないわ」
「ああ、そうか。木こりの住処を知る時、里で馬鹿丁寧な対応をされたんだったな。あの怯え方だと、相当に露骨何だろうな。じゃあ、姫さんで良いか?」
「そうね、そっちの方が親しみがあって嫌な気分にもならないわ」
相変わらず彼は木こりに肩を貸して貰わなければならなかったが。顔に若干だが生気が戻って、足腰の震えが多少は収まっていた。
「ありがとよ……もう自分の足で立てそうだ」
彼が立つ姿を見ながら、輝夜は少しばかり悲しそうな顔をしていた。
「話せば分かるのよ私達みたいに……」
そして愁いを帯びた様子で独り言をつぶやく。その呟きに木こりは複雑な表情を作り出した。
「今さら……出来るんですかね。特に、自分自身の気持ちの整理が付けると思えないんですが」
「……次の代ぐらいには」
「二番目に良い結末かもしれませんね……感情の整理で死にそうになるんで、もうそれを結末に据えたい気分だが」
輝夜は木こりの表情を見ながら、根が深いなと思う事しか出来なかった。
蓬莱人ならば輝夜と妹紅のように、無駄に時間をかければ仲が良いような悪いような関係に持っていけなくもないが。
そもそも、蓬莱人であること自体が非常に残酷なのだ。何を得ようが払った代償と釣り合う事は無い。
「姫さん。部屋に行こう」
「そうね……」
居た堪れなくなった彼が、輝夜に対して歩を進めようと声をかけた。輝夜自身も、廊下のど真ん中で辛気臭くなるのはもう終わりにしたかった。
「座布団は勝手に取って良いわ、好きに座って。疲れてるでしょうし正座もしなくて良いわよ」
多少仲良くなれたとは言え輝夜は遥かに目上の存在だ、多少の遠慮と行儀の良さは二人から垣間見えるが。
どかっと座る輝夜の姿にならって、二人とも崩れた格好で適当な場所に座った。
「で、姫さん。話ってなんだ?」
「後、俺に渡したいものがあるって?」
「取りあえず話す方からやるわ……ちょっと私と慧音が喧嘩したから、説明しとかないとねって」
慧音の抱いてしまった○○以外の全てに対する不信感について、そして輝夜に対する暴行とイナバにまで手を上げようとしたこと。
これら全てについて、一通り説明を終えた。
全てを聞き終えるかなり前から、二人とも頭を抱えたり顔を手で覆ったりして。どちらにしても、かなりの衝撃を与えられたようだった。
「……何とかできるのか?」
「するんだよ」
「そうよ、私達三人でね」
彼が発した弱気な発言に、即座に木こりと輝夜は前を向けと言わんばかりに強い言葉を発した。
確かにとびっきりの難題だった、彼が頭を抱えて弱気になるのも無理は無い。
だがいつかの時に貴族たちに取って来いと吹っかけた、五つの難題に比べれば。慧音の疑心を解くと言うのは、絶対にあり得るお宝だった。
少なくとも輝夜はそう信じていたし、この二人も信じてくれると確信していた。
「……そうだな、進んだ方がまだ気も楽だろうな」
輝夜と木こりのかもし出す力強い雰囲気に、彼も意気を多少なりとも取り戻せたようだ。
「そうよ。引いても止まっても地獄なんだから、突き進んだ先に出口があると思いましょうよ」
彼を励ますために出した言葉だったが。この言葉を出すと同時に、心中ではそう思わなきゃやってられないのよと自分で自分に突っ込みを入れていた。
幸いに、そんな自嘲に足る心内の動きなどはおくびにも出さずに済んだが。一度気づいてしまった自嘲気味の心中、これが常に頭のどこかで引っかかる嫌な感触は続いていた。
「……で、姫さん。もう一つの方、木こりに渡す物ってのは何なのだ?」
「そうね、復活してくれたからその話に入れるわね……貴方も連れて来たって事の意味は、薄々でも分かってるわよね?」
「俺にも多少は関係はあるんだろ……?いや、多少どころじゃないかもしれないな」
「分かってれば良いの」
そう言って輝夜は立ち上がって、据え付けられた文机へと足を向けた。
「えーっと確かこっちの引き出しに……あったわ」
文机の引き出しから取り出したのは、二枚の紙切れだった。
勿論輝夜がわざわざこうやって取り出したのだ、ただの紙切れでは無い。その紙切れには種々の絵や巧みに崩した文字やらがちりばめられていた。
このまま一級の美術品として展示が出来そうな物だった。
「それは、お札か?」
「そうよ」
そう、輝夜が取り出したこの遠目には紙切れに見える物の正体は。お札であった。いわゆる、目に見えない悪い物を祓うのに使われる物だ。
そのお札を事もなげにヒラヒラとさせながら持ってくるから、いまいち有難味とやらが少なそうに見えてくるが。
そんな不遜な感想は、二人とも絶対に抱く事は無かった。ヒラヒラと動くお札を神妙な面持ちで眺めていた。
「まぁこんな軽い扱いしてるけど。そんじょそこらのお札なんかと一緒な訳が無いってのは気づいてるわね。話が早くて助かるわ」
相変わらずヒラヒラとさせながらだったが。
妙に軽い扱いと、そのヒラヒラと輝夜の手の中で舞う様子が、却って不可思議な物であると言う存在感を増す役目を果たしていた。
「はい、木こりさん。これ二枚とも貴方にあげるわ」
「あ……ああ、有難う」
「一枚は家の中の何処でも良いから貼っておいてね。里の隅っこで結界の効き目がって言ってたけど、これがあれば安心よ」
「もう一枚は、折り畳んでも良いから外出する際は肌身離さず持っておいてね。ルーミアぐらいの輩でも、喧嘩売ったら後々不味そうってのが知性で分かるぐらいの代物だから」
「そんなに良い物なのか……?良いのか、そんな物を二枚も」
「良いのよ。貴方たちのどっちかが欠けても、不味い事になるでしょうから……それ以上に、これは里に対する楔(くさび)なの」
里に対する楔(くさび)と言い加えられて、彼の表情が明らかに曇った。
「もし木こりさんに何かあったら、私は里を疑わなくちゃいけないの。悪いけど私、木こりさんが里に殺されないか心配なの」
「待ってくれ……こいつはもうそれなりに信じて良いはずだ」
不穏な空気は木こりの方も敏感に感じ取って、思わず彼に対する擁護の言葉が口を突いて出た。
ついさっきまでは駆けずり回る様子を見ても、動機が不純だと嘲っていたのが嘘のように真摯に、そして必死に肩を持っていた。
「……ありがとう」
「どういたしまして……不純だとか言って嘲ってたのは謝る」
急速に仲を深める二人の様子に輝夜の顔も思わず綻んだ。
「大丈夫よ、貴方たち二人の事は信じているから。貴方たち二人はね……ここはちょっと強調させてもらうわ」
少し圧力をかけ過ぎたかと反省して、優しげに振る舞うが。最も大事な点は強く、出来る限り強く強調した。
「姫さん。その口ぶりだと……俺たち以外は」
「信じれるはずないじゃない」
恐る恐る聞く彼からの問いかけに、輝夜は全く考える時間を設けずに言い切った。
「じゃあ逆に聞くけど、貴方は信じれるの?」
それ所か言い切った時の勢いそのままに、質問を投げ返されてしまった。意味合いは彼が輝夜に放った物と大差はないのだが。
「…………いや、無理だな」ご覧の有様だった、輝夜と比べて快活さがまるで足りない。
「良くも悪くも貴方達は必死なの。目的の為に必死で足掻いている。でも、貴方たち以外の里人が目的を持っていると思う?」
何も答える事が出来なかったが。この歯切れの悪い沈黙が、何よりも雄弁に答えを語っていたのではないか。
「……試してみる。里に帰った時試しに何か、何でも良いから手を貸せとでも言ってみる」
「期待しちゃだめよ?手駒としてもあれは駄目な部類だと思うから。将棋の歩にすら……いや比べたら歩に失礼か」
ようやく絞り出した彼の提案だったが、輝夜は全く期待していないようであった。
「歩の無い将棋は負け将棋、何て言う格言もあるからねぇ……」
輝夜の話題の興味がすぐに将棋に移ってしまった所など、彼に対して礼を失するには十分な態度ではあるのだが。
乾いた笑いを続ける輝夜を、苦虫を噛んだような顔で見ている辺り内心では同じ事を。少なくとも今の輝夜を否定できる材料は持っていないのが実情だった。
表情に変化らしい変化を見せずに、慧音はただ呆然と立ち尽くしていた。
○○が、あの○○が、自分を慕ってくれるあの○○が。よりにもよって子供たち以外で、その愛嬌をふりまいている姿を間近に見てしまったのだ。
「慧音、横になった方が良いよ」
「…………ああ」
頭の中ではぐるぐると取り留めのない思考が駆け巡っていた。病み上がりの今の慧音には、非常に疲れる動作だった。
○○に促されて寝床に戻った慧音だったが、静かな外見とは裏腹でその心中が落ち着く事は無かった。
下手に熱やら何やらが落ち着いたせいで、中途半端に回るようになった思考回路が。病み上がりの慧音の体を蝕んでいたのだが。
思考を回すのに必死の今の慧音は、思考を回す代わりに物凄く大人しくなっていた。
傍目から見れば静かに横になっている慧音の様子に、○○は安堵感を覚えてしまっていた。
出来事らしい出来事と言えば、輝夜に言われて来たと言う小間使いのイナバぐらいだった。
小間使いが来てくれた事で、○○はようやく空腹を思い出す事が出来た。慧音の事で一杯一杯で食事を取ろうと言う発想が欠落していた。
何か簡単な食事を勿論二人分の量を頼んだら、小間使いのイナバは脱兎の如く何処かに行ってしまった。
かと思えば。先ほどの脱兎のような速と同じような塩梅で、皿に盛られた食事を持ってきてくれた。
盛られた内容が、おにぎりと漬物かと思って。その後に礼を言おうとしたら、もうさっきのイナバはいなくなってしまっていた。
イナバは怖かったのだ……余りにも静かすぎたから。
俗に言う、嵐の前の静けさを予感してしまったから。言い付けを即座に実行して、新しい言い付けを与えられる前に逃げるように立ち去ったのだ。
○○はおにぎりを一個頬張りながら、慧音の方を見やった。天井の一点を凝視したまま、静かに横になっていた。
傍目には静か、そんな慧音の内心では泣いたり怒ったりしたり。蓬莱山輝夜に良いように動かれているのが悔しくて、泣きたくなったり。
そして更に、輝夜が連れてきた二人の里人の事を考えると。今すぐあいつらの所に行って暴れたくなってしまうけれども。
今この時は○○の目の前だから、嫌われたくなくて大人しくしているだけに過ぎないのだけれども。
そんな剣呑な状況に、人の良すぎる○○が気づけるはずも無く。
「慧音、お腹すいてない?今おにぎりを持って来て貰ったんだけど、食べる?」そう優しく声をかけるだけだった。
「ああ……」勿論○○のこの優しげな言葉を聞いて、慧音が起き上がらない筈は無いのだが。
「慧音?」
「え?」
慧音本人は気づいていないが、○○に言われてのそのそと起き上がった慧音には大きな変化があった。
「慧音……何で泣いてるの?」
「え?……え、え?泣いているのか?」
それは予兆も前兆も無しで、いきなりやってきた。
ゆっくりと起き上がった慧音、それとほぼ同時に慧音の目尻からは大量の涙が止め処無くこぼれていた。
そんな突然の大きな変化にも、○○は戸惑いこそするが優しく寄って来てくれた。
その優しさが嬉しいと同時に、きっと誰にでも優しくするであろう○○の人の良さが怖くなってしまった。
○○の余りの人の良さは、きっと輝夜だけでなく。輝夜が連れてきたあの二人にも振りまかれるだろう。
そう思ってしまったのが最後だった。慧音の中で悪い想像が駆け巡ってしまった。
人の良すぎる○○が、輝夜と件の二人に良いように籠絡されてしまう想像だった。
悪い想像と言うのは、一度始まってしまうともう止める事は出来ない。
一度到来してしまった悪い想像と言うのは、後々までの長い間本人の行動や思考を縛る枷となってしまうし。
今この瞬間の話をすれば……
「○○!やっぱり、何処か遠くに行こう!!今すぐにだ!!」
正気を失わせるには十分すぎるぐらいの物だろう。
最終更新:2014年03月18日 10:45