「あ……」
「ほら鈴仙、姫様が言ってたじゃん先客が二人いるって。多分こいつらの事だと思うよ」
ドタバタと、無遠慮に過ぎる振る舞いで。てゐと鈴仙は輝夜の自室に○○を担いで上がり込んだ。
○○の体は傷だらけの痣だらけで、二人にとってはそれを見るだけで説明などもう必要が無かった。
また上白沢慧音が、不味い事になった。今の○○の様子がそれを雄弁に語っていた。
それだけの傷を負いながら、呻き声一つ上げていないのがなお事態の酷さを際立たせていた。


彼と木こりは、部屋に上がり込んだ鈴仙からの冷たい視線に体を硬直させた。
鈴仙をなだめるてゐの方も、横目ではしっかりと「なんだよ、こいつら」と言う感情をむき出しにしていた。

イナバからの火急の報せを、慧音がまた暴れ出したと聞いた輝夜が部屋を出る際に、ここで待っていろと二人は言われていただけなのに。
輝夜から言われた通りに、大人しく待っていただけなのに。それなのにこんな態度を取られるのは、余りにも可愛そうだった。

しかし、二人ともその冷たい視線を甘んじて受け入れるしかなかった。
正直な話、そんな態度を取られても仕方がないのだ。それぐらいの事を人里は長年の間、外部に対して行ってきたのだ。

「……変えような、何としてでも」
居た堪れなくなって、二人は下を向くが。彼の方から木こりに対して、小声とは言え非常に前向きな言葉を投げかけた。
「ああ……お前から聞くとは思わなかった。俺も憎まれ口を少しは治そうかな」
まさか彼の方から、こんな前向きな言葉を投げかけられるとは思わなくて。
木こりも思わず、長年の孤独な生活で出来上がった。憎まれ口を叩いたりする、擦れた性格を治そうかと。
割と本気で考えるぐらいに、彼からの言葉は素直に嬉しかった。

「仲良さそうだね」
てゐが二人の顔を意地悪そうに覗き込みながら声をかけてきた。
手を後ろに組みながら、ニヤニヤと笑いながら覗き込むその姿は。嫌らしいと言うほかないだろう。
「世捨て人とそんなに仲良さそうにして、大丈夫なのアンタ?」
「大丈夫だ。色々とあったとしても、仲良くならない方がこの先酷いだろうから……心配してくれてありがとう」

てゐからすれば煽り半分で声をかけただけなのに。対する彼の方は驚くほどに素直な面持ちで真摯に心配してくれたことに礼を言ってくれた。
寝耳に水とでも言おうか、思いもよらない返しを食らって思いっきり毒気を抜かれてしまったようだ。
毒気の無い状態と言うのが、てゐにとってはある種異常事態なぐらいの“いい性格”な物だから。
てゐは目をパチパチとさせながら「あ、そう……どういたしまして」てゐらしからぬ、真っ当な受け答えで終わってしまった。

「てゐ、何やってるの。今の○○さん全身傷だらけだから、消毒薬塗るの手伝うか絆創膏の用意して」
流石は永遠亭とでも言おうか、姫である輝夜の部屋でさえそれなりに救急用品が揃っていた。
鈴仙は手慣れた様子でそれらを取り出して、出来たばかりの○○の生傷に消毒薬を丁寧に塗り込んでいた。

「うう……」
消毒薬が塗られる度に、傷に沁みて痛いのか○○が呻き声を上げる。
呻き声と言うのは全く良い物では無いのだが。皮肉な事だが意識があると言う事なので、鈴仙は少しばかり胸をなで下ろす事が出来ていた。
「意識はあるみたいね……良かったって言って良い物なのかしら」
「……さぁ?」
意識があるのを確認できたらそれ以上何かを喋る事は無かった。○○に喋らせると、無駄に体力を使ってしまい体に障るから。

「ああ……お二人とも……すいません、こんな」
「喋らないで。あんたは何も悪くないんだから」
なのだが、沁みる痛さで意識が鮮明になりつつあった○○は。視界に件の二人を収める事も出来た。
さっきまで呻き声一つ上げずにぐったりとしていたぐらいなのに。そんな状態なのに、見知った人間を見れば受け答えをしようとしていた。
その上、てゐの言うとおり怪我で受け答えも間々ならない事は○○のせいではないと言うのに。それに対して謝罪の言葉を投げようとしていた。

最もそれは、てゐによって遮られてしまった上に。
「いや、それは…………出ようか、邪魔になってそうだから」
無駄に謝られそうだと言う空気を感じた木こりが、気にしなくて良いと言おうとしても。鈴仙から横目で威圧されて。
別に喧嘩をしに来たわけじゃない木こりは、この威圧に簡単に負けてしまった。
「うむ……ああ、そうだな。ここは専門家に任せよう」
剣呑な空気にまたしても居た堪れなくなって。二人はとぼとぼと輝夜の部屋を後にするしかなかった。




「はぁ……はぁ……」
輝夜は息も絶え絶えに、気力を失った慧音の後ろ襟を引っ掴みながらズルズルと引きずり歩いていた。
途中何回かイナバに出会ったが、輝夜の姿を見ただけで皆逃げて行ってしまった。
無理も無いとイナバ達の心情を理解しつつも、やはり逃げ去られると鬱憤のような物が腹に溜まっていく。

「もう……何でこんな事に……」そもそも、狂乱状態の慧音を相手にするだけでも大層な鬱憤なのに。
多勢は決しているのに、もう慧音が輝夜に勝てる可能性など万に一つも無いようなそんな塩梅なのに。
勝っているはずの輝夜は、涙交じりに慧音をズルズルと引きずっていた。


慧音の足止めは、結果を言えば余り上手くは行かなかった。
○○がてゐと鈴仙によって運ばれる前から酷かったが、運ばれた後は更に酷くなった。
○○がいなくなると、妖怪としての本能が前面にでてしまっていたのか。慧音の暴れ方は最早獣そのものだった。
○○が慧音の凶行の原因であると同時に。やはり○○はどんな状態であろうとも、タガとしての役目を果たしていたのだなと。
暴れ狂う慧音の相手をしながら、輝夜はそんな事を考えていた。

もうこうなってしまった以上、○○に全部を隠すのは無理だから。いっそ○○が傍にいた方が取り押さえやすかったかも知れない。
そう思ってしまう以上に、慧音の暴れ方は獣のそれだった。少なくとも、輝夜が手加減出来ずに慧音をボコボコにしなければいけないぐらいには。


「ふんっ!……そこでしばらく寝てろ、大馬鹿者!!」
慧音に傷をつけるのは輝夜の本意では無かっただけに、相当苛々していて。輝夜の口からは全く柄じゃない、汚い言葉が飛び出していた。
ただ、その罵倒の言葉を浴びせている相手は。どうにかして助けたいと願い、助けようとしていた慧音相手に浴びせているのである。
罵声の一つでも飛ばさなければ、鬱憤が収まらない心中ではあるが。慧音に対して罵声を浴びせる事に、尋常では無い自己嫌悪の感情が跳ね返って来ていた。

しかし、慧音が暴れた事により輝夜も少なからず傷を付けられたのは事実だったので。
罵声を飛ばすのをグッと堪えた所で、痛む体に心中はかき乱されて……慧音が暴れる根本的原因が慧音のせいでは無いとしても。
痛む体に鞭を打って動いていると、やっぱり腹は立ってきてしまう。


「うう……もう!どうすりゃ良いのよ!!」
体は痛むし、腹は立つし、罵声の一つでも飛ばさなきゃやってられないし。かと言って、罵声を飛ばせば自己嫌悪が帰ってくるし。
どうにもならない悪循環の中で、輝夜は大粒の涙をボロボロと流しながらも。
痛む体に鞭を打ちつつ、慧音を放り込んだ部屋の出入り口に結界を張っていた。
本当はここでへたり込んで、手で頭を抱えたり顔を覆ったりして思いっきり泣き喚きたかったが。そんな事をしている暇は無かった。
慧音を部屋に放り込んで扉を閉めようとした際、微かにだが反転してこちらに向かおうとしている兆しがあった。
もし放っておけば、間違いなく慧音は部屋を出て○○の所に向かおうとするだろう。そうなればまた一騒動起こってしまう。
「うう……もう……何で、私が、こんなに泣かなきゃいけないのよ!!」
当面の安全を少しでも確保するために、無理矢理体を動かしているが。動けば動くほどに、涙は溢れてきていた。

「うう……んああああああ!!!」
何とか出入り口に結界を張り終えて、当面の静寂を確保できると同時に輝夜はその場にへたり込んでしまった。
そして今度は輝夜の方が狂ったように、床を手と足でバンバンと叩いたり頭をガシガシと掻き毟ったりしながら。
まるで癇癪でも起した赤ん坊のように、大声で泣きわめき始めた。それぐらいの退行をしなければ、発散できないほどの心労があった。


てゐと鈴仙が帰ってきた事から火事の始末も付いたようで、いよいよ永遠亭も元の人口を取り戻しつつあるにも拘らず。
輝夜は人目も憚らずに、わんわんと大音響で泣き喚いていた。
火事の始末がついて続々と戻ってきているのだから、この泣き声もかなりの数のイナバが聞いていた。
それすらも分からなく、分かっていてももう別に構わないと言う。破れかぶれの心情で輝夜は泣き喚き続けた。


「……姫様?」だが、ある人物からの問いかけだけは。輝夜は一瞬でも冷静さを取り戻す事が出来た。
これがイナバやてゐや鈴仙ならば、キーキー泣き喚いたままだったろう。しかし、彼女が相手では話がだいぶ違う。
「……何よ。部屋にいろって言ったでしょ永琳」そう八意永琳だけは、話が違った。

「いえ……流石にあれだけの騒動が起こっても寝ていろと言うのは……それに、姫様の泣き声まで聞こえてきたら」
永琳から心配されていても、輝夜は涙を袖口で拭いながら憮然としていた。えらく反抗的な輝夜の態度に、心が弱り切った永琳は少しびくついていた。

「どうって事ないわよ……もう大丈夫だから」
輝夜の大丈夫と言う言葉を嘲笑うかのように、慧音を閉じ込めた部屋の戸口がガァンと言って大きな音を立てた。
「……これの事は気にしないで、永琳。まだ寝てて良いわよ」
気にしないでと言った後も、扉に対して思いっきりぶちかます様な音は断続的に続いていた。
「あの……姫様。もしかして、中に慧音が?」
「だったら何なのよ……そうだとしたらどうするの?今の永琳で相手できると思うの?永琳、まだ部屋にいて良いわよ」
部屋の中を気にしだした永琳に対して、輝夜は敵意とまでは行かないが明らかに面倒くさそうに、鬱陶しいと言う感情を表に出した。
中を検めさせないように輝夜は部屋の前に立ち塞がった。
泣き喚くとまでは行かなくとも、まだ座っていたかったらしく。腹の底から唸るような、やっぱり面倒くさそうな掛け声で立ち上がった。

「永琳、部屋に戻って……これ以上私に、キツイ言葉を使わせないで。貴女相手にそれはやりたくないの」
イラつきながら、面倒くさそうにしながらでも。輝夜は最大限の自制心をもってして、柔らかい言葉を選んでいた。
これがてゐや鈴仙ならば今頃はもうかなりの剣幕で、さっさと何処かに行けと、怒鳴り散らしていたかもしれない。


輝夜が永琳に対して、優しい表現を出来る限りの強い口調で言い切っても。そう言っている間にも、慧音は扉をぶち破ろうと頑張っていた。
輝夜が結界を張っていなければ、きっと今頃はもうただの扉などぶち破られていただろう。
しかし結界のお陰で破られていないにしても、派手にぶつかってくる音は盛大に聞こえてくるのだった。

「ですが……」
慧音に対してやらかしてしまったと言う罪悪感が、今なお心中に蔓延っている永琳は。今この場を分かりましたと言って去る気にはどうしてもなれなかった。
「……何よ?これなら気にしなくて良いから、満月ならともかく今は大丈夫だから。それとも貴女、殴られにでも行くつもり?」
すっかりと心がへし折られてしまった。そんな状態の永琳が、今の慧音に対抗できるはずがないのだ。
だから何としても、今この状態で会す訳には行かないのだが。
輝夜の言いつけ通りに戻ろうとしない永琳に、輝夜もいよいよ隠していた棘が見えて来るようになってきた。

初めは輝夜の方を見据えていた永琳も、慧音が扉にぶちかましてくると音が高鳴るにつれて。視線が輝夜の方を外れるようになった。
「永琳。部屋に戻って」
視線が外れるのを見計らって、輝夜は永琳に対して強く部屋に戻れと言うのだが。
「……」
うんともすんとも言わず、押し黙るばかり。いっその事、嫌ですと言われた方が気持ちが良かった。
そのどっちつかずの態度に、輝夜の腹の中で這いずり回る癇の虫も。いよいよ抑える事が難しくなってきた。

「……永琳?何とか言ってよ」言いなさいと言わないのは、輝夜の示した最大限の自制心だったが。
「姫様……せめて、一声だけでもかけさせてください」今の心が弱った永琳では、その自制心を慮(おもんばか)る事が出来なかった。
永琳の手が、輝夜の後ろにある扉に向かった瞬間。とうとう、輝夜の表情が激昂してしまった。


「このッ!」
立ちふさがる自分を素通りして、扉に手をかけようとした永琳に。その永琳の腕を、輝夜は思いっきり掴んでしまった。
「うっ……」
その腕をつかむ力たるや、思わず永琳が呻き声を上げるぐらいには強力な物だった。
ただ輝夜は、今まで我慢していた物が爆発しただけあって。永琳の腕を思いっきり掴むだけでは済まなかった。
残ったもう片方の手で永琳の頬を張らんと、その手を思いっきり上空に掲げた。
「ッ……!?」
手を掲げるまで行くのだ、その顔も酷かった。思わず永琳が顔を背けて、涙を浮かべるぐらいには。


「く……ああ……もう!!」
しかし最後の最後で、今まで一線を守り続けていた輝夜の自制心が勝った。
歯をギリギリと食いしばりながらだが、輝夜は寸での所で永琳の頬を張らずに抑える事が出来た。

「この、馬鹿!慧音の次に大馬鹿よ、今の貴女!」
抑えに抑えた結果、暴言と胸を小突いて居向こうにやるだけで済ませる事が出来た。
しかし、これ以上付き合っていたら本当に頬を張るどころか。それ以上に酷い結果を招きかねなかった。

永琳の胸を小突いて、距離が取れたのを良い事に。足早にその場を後にしようとした。
「永琳……一個だけその胸に刻みつけておいて」
しかし、完全に後にする前に。扉に手をかけようとした永琳の姿が、輝夜の中で大きな不安材料として想起された。

「もし慧音のいる部屋の扉を開けたら、ぶん殴るから。妹紅にやってやるよりも、もっと強くぶん殴ってやるから」
だから酷い顔をしているから本当は振り向きたくなかったのだが。振り向いて脅しを言い放った。
「もし開けちゃったら。リザレクションしても、文句言っちゃ駄目よ?」
その脅しは表情と相まって、とても酷い物だった。

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最終更新:2014年03月18日 10:46