「……そうよ。本気で叩く事が無かっただけ、まだマシよ。本気で叩いたらもう戻れない場所に行っちゃうわ」
輝夜が永琳に対して酷い言葉と態度を取ってしまった事は、最終的にはやはり輝夜自身に大きな自己嫌悪が降りかかる事になる。
今の輝夜は、その自己嫌悪に押しつぶされて泣き出してしまわないように。必死で良かった探しをしていた。
永琳ほどでは無いにしても、慧音と色々あったせいで。輝夜の心もかなり傷だらけだった。その上、先ほど永琳に対してとってしまった態度と言葉。
これが出来たばかりの心の傷に追い打ちをかけて、大量の塩まで塗り込んでしまっていた。
「そうよ、叩いてないだけマシ。よく我慢できたわね私、なかなかできる物じゃないわよ私」
こんなにも追い詰められるのなら、酷い態度何て取らなければ良いのにと。
自分に言い聞かせるようにブツブツと、自己を正当化する文言を吐きながらでも。腹の底の本音では自分自身を嘲っている。
必死で良かった探しをして、一時でも心の平穏を作ろうとする自分を。思いっきり、涙目になりながら嘲笑していた。
目は口ほど物を言うとは言った物で。
腹の底では泣きたい物だから、自己の正当化に忙しい口の方をしり目に。輝夜の目からは大粒の涙が溢れていた。
何度も何度も袖口で涙を拭ったり。自室にいるはずの皆に見られたくなくて、少し廊下で立ち止まっていっそ涙を枯らしてみようかとも思ったが。
結局、自己嫌悪と言う名の栄養剤がすこぶる有能なせいか。輝夜の目から溢れ出る涙は止まる事が無かった。
少し立ち止まったりしてみても、涙は一向に枯れてくれなくて。それに、いつまでもここで愚図っている訳にもいかなくて。
「……こういう時に限って、体って何で言うこと聞いてくれないのかしら」
自分自身に対して愚痴をこぼしながらでも、再び歩み始めるしかなかった。
きっと、自室には彼と木こりだけでは無い。てゐも鈴仙も、そして○○もいる。
永琳が頼れなくなってしまった今、頂点に立つはずの自分が弱っている姿は見せたくなかった。
しかし、いつまで経っても戻って来ないのもそれはそれで塩梅が悪くなる。
それよりも気になるのは、彼と木こり。この件の二人の方だった。
自分はもうこの二人の事は、随分と信じてやる気になっていたが。そうなるまでの紆余曲折は、てゐと鈴仙がいない間に起こっている。
多分……と言うか間違いなく。あの二人はてゐと鈴仙から冷たく扱われただろう。
そんな扱いを受けてどうこうすると言う気や考えは、あの二人には微塵も存在していないだろう。
○○の目の前だし、今は○○の応急処置と言う最優先事項が転がっているから。そこまで剣呑にはならないだろうけど。
それでも、寒々しく冷たい扱いを受けている事実には変わりがない。
「何か、あたしばかりが……いや、あたしが永遠亭の一番上だから、こういう時に動かなくてどうするのって話なんだけど」
涙が溢れる目を袖口でこすって誤魔化しながら、ぼやきつつ再び歩み始めた。
歩きなれた永遠亭内部の道なのに、今は歩き辛く感じられてならない。おまけにめまいまでして来た。
このままへたり込んでしまいたい欲求に駆られるが、そうは行かないのだ。
永琳に見せた自制心を、今は足を進める事に使っていつもより遅くても懸命に、確実に歩みを進めていた。
とにかく止まってはならないのだ。
重い足を無理に引っ張って自室までたどり着くと、自室の前で座り込んでいる彼と木こりに出会った。
二人とも表情が暗い。そんな顔を見ていると、こちらも暗い気持ちになってしまう。ただでさえ嫌な気分だと言うのに。
気分が悪いを通り越して、いよいよ胸糞が悪くなってきた。
「どうしたのよ、二人とも。追いだされちゃったの?」
胸糞が悪くなりつつあって、投げやりにしか声をかけれなかったが。そんな声でも、輝夜が戻って来たと言う事実だけで。少し顔がほころんでいた。
そんな表情を見て。この二人の後ろ盾役、そしてこの騒動に関して。いよいよ戻れない所まで足を突っ込んでしまったなと思った。
「姫さん、その様子だとやっぱり大変だったみたいだな……こっちは別に、出て行けと言われた訳では無いんだ」
ボロボロの体を見た彼が気にしてくれるが「私の方は、何てことないわよ」とだけ言っておいた。
……まぁ、嘘はついていない。私の方はと言う枕詞も付けたし。
実際、体の方は本当に何てこと無いのだから。蓬莱人にしか使えない最後の手段も、回数制限など無しで何度でもやれるし。
嫌な気分が増したので、さっさと話題を戻そうと思った。こうなると、ヒラヒラとさせている手の平が物悲しい。
「で、中での様子もうちょっと話してよ」
「○○さんの治療の邪魔になりそうだから……俺は木ばっかり相手にしてたし、まぁ俺達は学が無いからあの二人の邪魔になりそうだったから」
中にいるてゐと鈴仙の事など、顔はかろうじで知っていても名前など知らないだろうに。それなのに、明らかに肩を持つような庇うような姿勢を見せていた。
「成長したわね、あんた達。で、何されたの?」
それはそれで嬉しかったが。この二人の事をてゐと鈴仙が勘違いしたままでは、色々と差し障りが大きい。
なので何とか聞き出そうとしてみるが。彼も木こりも、てゐと鈴仙に取られた態度を聞かれると少し顔を曇らせた。
「まぁ姫さんが心配するような、そう言う何やられたって訳じゃ無いんだがな」
「と言うより、よく気づけるな」
「伊達に何年も生きてないわよ。あんた達の年齢足して、さらに十倍しても多分まだ私の方が上よ」
ただの人間相手には滅多に語らない、自分の年齢について少し暴露すると。
やはりこの二人にとっては、想像以上に年上だったらしく目を丸くさせていた。だが幸いな事にそれ以上の、やたらと仰々しい反応は何もなかった。
ただ単純に「そうだったのか……全く分からなかった」と言うような分かりやすい感情で相手をしてくれていた。
「まぁ私達みたいなのは、見た目じゃ分からないから……本題に戻りましょうか」
間を取る為に他愛も無い話をした……しかしその話の内容は自分が人間でないと言う事をはっきりと暴露する内容だったが。
それが他愛も無い話で終われた事に。この事実に、輝夜の心中が少しだけ軽くなった。
「さっきこいつが言ったように、何やられたって訳じゃ無いんだ。ただ居た堪れなくて」
木こりがポツリと呟いてくれた言葉を強調するように、彼がコクコクと小さくうなずいていた。
「威圧されちゃったんだ?」
「ああ……そうだな、姫さんの言うとおりか。ちょっとあのウサギ耳持ってる二人の目が冷たくてな」
言葉を全部出し終えると、彼は大きくため息を付いた。その心中は、察するに余りある。
「そう言うのも、広い意味では追いだされたって言うのよ」
自分達から出て行ったと考えたかったが、輝夜からにべも無く修正されてしまった。
いざ真実を突きつけられると、やはり心中には堪える様だったらしく。小さく縮こまってしまった。
二人ともいい大人なのに。しかも木こりは体力仕事だから、それなり以上の体躯を持っているはずなのに。
輝夜の目にも、とても小さく見えてしまった。
「まぁ……私が全部、あの二人には話すから。小さい方がてゐで、大きい方が鈴仙。覚えておいてね」
それに関しては、多分それ程難しくは無いだろう。輝夜自身の口から言ってやれば、訝しみながらでも多少は態度を改めてくれるはずだ。
「ここで待ってて、てゐと鈴仙に話し付けて来るから」
てゐと鈴仙の事は、そこまで心配しなくても良いのだ。
「それよりも○○よ……どうやって説明すりゃいいのよ」
扉に手をかけたと同時に呟いてしまった言葉に、場の空気がまた沈んでしまった。
ここ一日どころか、この数時間ですら浮き沈みが激しくて。たったの数時間なのに、一日根を詰めたような疲労感があった。
今日と言う日は、お日様の位置だけを見てもまだまだ残っていると言うのに。
「はぁい。調子はどう?」
出来るだけ明るい表情と声を携えてみたが。入った瞬間にてゐと鈴仙両方から「ああ、無理してるんだな」と言う哀れみの目を向けられてしまった。
「……」
完全に出鼻をくじかれてしまった。無理して作っていた明るい顔が、一気に引きつってしまった。
もうちょっと頑張れると思ったが。無理して作っていただけに、かなり脆い物だった。
てゐも鈴仙も、今の輝夜に必要以上の相手をしてこようとしなかった。ただ黙々と、○○に包帯を巻いていた。
それは良いのだが、少しはこっちを向いて欲しかった。面倒くさい事をしている自分にも非はあるのだろうけど。
ちょっと真面目すぎる節があるな鈴仙はともかくとして。割とお気楽に毎日を過ごしているてゐにすら半ば無視されたのだ。
「ちょっとてゐ……貴女にすら相手されないって、結構落ち込むのよ。軽口くらい叩いてよ」
「いや……私は、出来るだけ笑える悪戯にしようって言う理念があるから」
つまり今の輝夜は軽々しく笑えない、冗談の種に出来ないと言われたのだ。いつも軽い調子のてゐがこれでは、明るく行くのは無理だった。
「分かったわよ……明るく行こうなんて浅はかな考えをしたのは謝る。じゃ、ちょっと真面目に行かせてもらうわ」
少し溜息が漏れたが。意外な事に、繕う必要が無い今の方が心身ともに楽であった。
「○○の傷の様子は?」
「傷は全身にありますけど、深さはそこまで酷くはありません……ただ、ちょっと寝かせて落ち着かせた方が良いかなと」
成程確かに、治療を受ける○○の様子は心ここ在らずといった面持ちだった。
当然だろう。事情を殆ど解っている自分たちですら、暴れる慧音を見たり相手するのは辛いし疲れるのだ。
何も知らない○○なら、言わずもがなだ。
「包帯もそろそろ巻き終えるよ」
「じゃあ、隣の部屋に運んでちょうだい…………私はこの部屋にいるから」そう言って、ドカッと座った。
輝夜がこの部屋にしばらくいる事を、体と声で出来るだけ強調した。
通じるかどうか半ば不安だったが。てゐが面倒くさそうな顔をしたので、通じたようだ
「じゃあ、姫様。後でご報告に上がりますね」その顔を見れば、鈴仙だって分かる。
鈴仙はちょっと真面目すぎる感はあるが……優秀なのには変わりはない。来て欲しいと分かれば、すぐに来てくれる。
「てゐ。貴女も一緒にね」真面目で優秀だから、てゐも連れてきてくれる。
○○と話をする事を避けている気はするが。話をする前に下地を固めているのだと、自分で自分を説得していた。
「……あの、これはどうします?」
「“これ”とか言わないの、私の客なんだから。それなりには扱ってよね」
○○を隣室に寝かしつけると、てゐと鈴仙は戻ってきてくれたが。
○○の治療中も、隣室で○○を寝かしつける間も。件の二人はずっと輝夜の部屋の前で待ち尽くしていたのだ。
その一向に輝夜の部屋の前から動こうとしない様子に鈴仙も思わず、これ呼ばわりして輝夜に始末の付け方を聞いてきたが。
まさかこの二人が、客などとは思わなくて。それも輝夜の口から言われるとはもっと思っていなくて。
「…………え?」
短い疑問の言葉を呈するだけで、てゐですら無言で「マジで?」と口を動かしていた。
「この間までどうだったかは知らないけど、少なくとも今はクソじゃないから」
輝夜が肩を持つが。そうやって肩を持てば持つほど、てゐと鈴仙は理解が追いつかないらしくて。ぽかんとしていた。
「分かってる、分かってるってば。それを説明するために呼んだんだから。ほら、四人とも入りなさいな、何ぼーっとしてるのよ」
「……壮絶ですね」
「クソだクソだとは思ってたけど……」
ここ数日の動きを彼と木こりから、そしてここ数時間の動きを輝夜から。
今慧音の周りで起こっている事を全て、一切合財包み隠さずにてゐと鈴仙にぶちまけて聞かせてやった。
○○にどうやってこの掃き溜めの現状を、出来るだけ衝撃受けないように話すかで頭が痛かったから。
今更洗いざらい話しても大丈夫な二人が相手だったから、三人とも驚くぐらい口が滑らかに回っていた。
飲み物も無しで良く喋れたなと、喋り終えてから思うぐらいだった。三人とも半ば所か、殆どヤケクソだったのかもしれない。
全く言葉を選ばずに、優しく言い換える努力もしなかったから。
鈴仙とてゐは、三人が話す会話の毒気に当てられて。すっかりと押し黙ってしまった。
「その……物凄く苦労してたのは、理解できました。だからと言ってすぐに態度が改まる訳ではありませんけど」
鈴仙が気を効かせて喋り疲れている三人に茶を入れてくれていた。その作業の途中で、おずおずと喋り出した。
「えっと、大変だったんだなって事は……察します。あ、姫様お茶どうぞ……そっちのお二方も」
口ではすぐには無理だと言うが。輝夜以外の件の二人にも茶を用意するだけ、劇的な改善と言って良かっただろう。
最終更新:2014年03月18日 10:47