表情筋を思ったように動かすのに大分時間を費やしてしまったが、そのお陰で三人ともまぁまぁ自然な演技が行えるようになった。
これ以上はキリが無いな、これ以上を求めるのは不毛だ。そう思った輝夜は、一歩だけ足を進めた。
一歩だけ足を進めて、輝夜は二人に目配せをした。
二人ともここまで来てるのだから、覚悟ぐらいはそれなり以上に付けている。
輝夜からの目配せに、二人とも何の迷いも無しに頷いた。表情が無駄に明るかったが、気にはならない。それは多分輝夜自身もだったから。
下手に崩すと、直すのにまた苦労しそうで怖かったから。三人とも多分同じ考えだったであろう。
「○○~起きてるぅ!?」
いっそ寝ててくれたら、それはそれで助かったのだが。
「ああ、輝夜さん。待ちくたびれましたよ」そう都合よくは事は運んでくれない。
一抹の期待も吹き飛ぶような、とてもしっかりとした目つきを○○はしていた。あれだけ寝ていたのだから当然と言えば当然なのだが。
「ああ、起きてる起きてる……」良かったとは言えなかった。今まで○○に対しては嘘をつきすぎているのに、今更かもしれないが。
「さっ、何を話しましょうか?」
ドカッと座った輝夜の言葉に、○○が少しばかり呆気にとられた。言った輝夜自身も、余りの出たとこ勝負に辟易とした。
何だかここの所、ずっと綱渡りをしているような気分だった。
しかもその綱は、慧音やら妹紅やらが揺らしてくるし。揺れを抑える役をしてくれるはずの永琳は、隅っこで動かなくなってしまっている。
そんな想像をしていると、何だか泣きたくなってきた。
「……ほんと、何を話しましょうかぁ。正直、何も考えてなかったわぁ」
綱渡りをしている自分を想像し続けると、泣きたくなるでは無く本当に泣き出してしまいそうだったから。
それを防ぐ為に、さっきと同じ事を言ったばかりか。何も考えていないなどと、無責任な事をぶちまけてしまった。
これはこれで、別の意味で泣きたくなって来た。
「ははは……姫さん、そりゃないだろう」
彼が笑って流せそうな言葉を投げかけてくれるが、言葉が妙に小さい。無駄に笑っている顔と比べると、違和感が拭えない様相だろう。
「ははは……まぁ世間話でもしましょうよ。気が紛れるから、それだけでも助かります」
「正直横になったままも苦痛なんですよ、かと言って動くと痛いし、でも眠り続けるのにも限界はあるし」
何度目だろう○○の人の良さに助けられたのは。苦笑する○○に合わせて輝夜たちも笑うが、心中は○○に対する申し訳なさで一杯だった。
「世間話ですかぁ……と言っても、こちとら1人で暮らす木こりだから。話の種もそうあったもんじゃないし」
「だなぁ……酒の席では無駄に喋っている気はするが、何を喋ったかなんて全く覚えてないのが常なんだよな」
「お酒かぁ……持ってこようか?いくらでもあるわよ」
輝夜の呟きはその小さい呟き方とは裏腹に、かなり本気の考えだった。
確かに酒の力は偉大だ。ちょっと使い方を間違えば、身を滅ぼしてしまいかねないぐらいには強大な物だ。
でも輝夜はその強さに、今ばかりは乗っかってしまいたかった。酒の使い方に良い悪いがあるなら、物凄く駄目な使い方だと分かっていても。その力に頼りたかった。
「え……ええ?」
「姫さん、本気で言ってるのか……?
木こりと彼がしばし絶句する。本来の輝夜ならばここに“しばし”等と言う間はきっと作らなかっただろう。
しかし今の輝夜は「あははは」と少し笑うだけだった。表情がまだ演じ続けているだけに、怖い物があった。
「お酒ですか?……まぁ、好きですけど。この状態で飲む気はしないですね。悪酔いして吐きそうな気がして」
「……そうよね。じゃあやっぱりお酒はやめるわ」
しかし○○からの指摘にはあっさりと、返答を返した。一応まだ事態の状況と言うのは覚えているようだった。
しかし輝夜の方も、まだ永琳のようにぽっきりと折れてこそいないが限界はそう遠くないのが二人の目にはありありと見て取れた。
輝夜のそんな、そろそろ駄目かもしれないと言う様子を見て。木こりは笑い声を小さく出して誤魔化しているが。
こめかみを抑えて、奥歯を強く噛みしめて。こめかみを抑える力と同じくらい、強く考えていた。
早く何とかしないと。輝夜だけに頑張らせる訳には行かないと。
「……そう言えば、寺子屋。あそこは今どうなっているんですかね」
吐くと言う単語を口に出した事で、○○の中にあった嫌な記憶が呼び起された。
「慧音が倒れた時……恥ずかしい話ですけど、ちょっと大混乱にまで頭の中身が滅茶苦茶になっちゃって」
「その心労が余りにもって言うんですか、そのせいで……吐いちゃったんですよね。余りにも衝撃的過ぎて」
本当は、あの日の朝寺子屋に来た時から色々あって。そっちの心労の方が比率としては大きかったのだが。
それを喋ると無駄に思い出してしまって、おまけに体調も悪くなりそうだった。
なので、敢えて喋らなかった。
「あれ……掃除されてるかな」
「……されてないだろうな。多分と言うか、間違いなく」
○○の懸念に対して、彼は思いっきり直球の答えを返した。
何故掃除されずに放置されているかと言う部分にまでは流石に言及しなかったが。少しは柔らかく言ってやれなかったのか。
その余りの直球っぷり、言ったあとで流石に彼の方も不味いと思ったらしく。表情が少し歪んだ。
「ちょっとぉ……見てもいないのに」輝夜だって見なくても彼と同じ意見しか持てないが。
それでも、もう少し言葉を選んで言ってやってと言うのを言外に示したかったが。案外うまくいかなくてよく分からない反応しか出す事が出来なかった。
彼の歪んだ顔を見ると、輝夜もつられて歪みつつあった。
「なら、あっしらが掃除しましょうか?○○さんはまだ動いちゃ駄目だろうし」と、輝夜と彼がしどろもどろな所に。木こりが割って入った。
今まで黙っていた木こりが、いきなり核心に迫ったような話し方をした。
「はい?」「えっ?」輝夜と○○も、多分中々喋らないだろうと思っていたから。彼からの提案はまさに寝耳に水と言っても良かった。
「ああ……そうだなぁ……良いかもな」
「良いに決まってるだろ」
随分急な提案だが、それが助け舟と言う事ぐらいは彼も理解している。
押し入るように、木こりは自分の意見を推し進めていくが。別段否定する材料も無いし、その気も無かったので。
この場が一気に木こりの流れに変わった。
「あ、待って。それ私も参加する!今日?いっそ今日やる?」
「今日って……姫さん」
「良いかもな」
彼の方はいくらなんでも今日は無いだろうと言った。輝夜も言いながら今日は無いだろうとは薄々思っていた。
でも木こりからの「良いかもな」と言う短い返答に、輝夜も彼も「えっ?」となって少しばかり固まった。
「あはは。善は急げって奴ですか?」
そんな三人の噛み合っていない様子を見ていた○○が、少し笑った。
その笑い方はほかの三人とは違って。間違いなく心の底から平穏を感じての、暖かい笑いだった。
そうして笑った後に、少し申し訳無さそうな顔を浮かべた。
「何悪いなぁって顔してるのよ」
輝夜が気にして声をかけるが、○○の懸念は輝夜たち思うほど重大では無かった。
「いや多分臭い……凄い臭いになってるはずですから……だって、その……ゲロを放置してるんですから」
「それを、三人だけでやってもらうのは何だか……」
「良いんですよ、○○さん!○○さんは働き者なんだから、少しは寝てないと」
輝夜が口を開くよりも前に、木こりの方が○○に気にするなと声をかけた。
木こりは少々暴走気味かもしれないが。その心中で考えている事は真摯で、批判のしようが無かったのも事実だった。
それを加味してもだ。これは使えるかもしれないと輝夜は思った。
○○が、彼と木こり。この二人に対して信頼感を得てくれるのは、どう考えても悪い事では無い。
「善は急げかぁ……確かにそうかもしれないわね」
○○の言葉を反芻するように、輝夜は1人ごちに呟いた」
「姫さん?」
1人で呟いたっきり、何かを考え始めたのか輝夜からの反応が途絶えてしまった。心配して彼が声をかけるが、それでもだった。
「行きましょうか、掃除しに!」
やっと反応が返ってきたと思ったら、何か吹っ切れたような顔だった。
どうやら輝夜も、ここは木こりの暴走っぷりに乗っかってしまう決意を固めたらしい。
最終更新:2014年03月18日 10:50