「その時の鈴仙の憔悴した顔と言ったらさぁ!今でも思い出すだけで笑えるね。ハハハハ!」
「は……ははは……落とし穴の深さはともかく、中に入れてるものがエグイでしょうそれは」
「んー?私は深い落とし穴の方がエグイと思うけどなぁ。結構あっさり逝っちゃうよ?それなら汚れるだけの方が命の危機も無いしぃ」
邪悪ながらも良い笑顔で、てゐは○○の暇を潰すための話し相手を務めていたが。この人選、どうかしていないと思っているのは輝夜だけだった。
楽しそうに鈴仙を悪戯にはめてやった事を喋るてゐですら、内心ではおいおい……と突っ込みを入れていた。
多分じゃなくて間違いなく。話し相手は鈴仙の方が良いが。鈴仙の能力でなければ、慧音に食事を見つからずに置けないから。
かと言って、イナバの連中がとなるとそれも疑問符が付くし。永琳は心が折れているから、輝夜が使いたがらない。
だったらもういっそ、誰も話し相手として立てない方が良かったんじゃと思うくらいだ。てゐ自身、自分の性格の悪さぐらい承知している。


だがそれでも、妹紅の監視と言う疲れる上に身の危険も大量にあった仕事の鬱憤を晴らすのに。
○○を聞き役にして、悪戯自慢をすると言うのは案外良い物だった。
○○はてゐの風聞を全く知らないから、新鮮な反応と言う物が帰って来てくれるから。自慢話をする相手として中々具合が良かった。
てゐも疲れているからだろう。最初に感じていた疑問符など途中から「まぁ別に良いか」と投げやりになってしまった。


「じゃあ次は、鈴仙を宙づりの罠に引っかけた話をしようかな。あれは大変だったな、何だかんだで縄の長さが20メートルぐらいになったし」
「そんな大掛かりな物まで……と言うかさっきから鈴仙さんばかりが犠牲になってませんか?」
完全に投げやりになってしまった、てゐの悪戯自慢は止まらなかった。
苦笑すらなくなって完全に引いた顔をしている○○の顔を見て、てゐはより一層の笑顔を綻ばせるだけだった。
顔を綻ばせるてゐに○○は。ああこういう性格なんだと、諦めの度合いが少しばかり出てきた。



この席で、てゐにしてはペラペラと喋るが。意外にも、喋り過ぎていると言う自覚はてゐの中になかった。
自慢話と言うのは、案外楽しかったのもある。

最も、聞かされる方からしたらたまったものではないのだが。しかも話題が話題だったから余計に。
この怪我だから、掃除の手伝いなどは見込めないが。それでも寝ている間に退屈しないように、話し相手を立ててくれたのはとても嬉しいが。
この相手は無いだろうと。少々引きつった笑顔の裏では思っていた。




てゐの自慢話で○○の笑顔が引きつっている頃。輝夜たちは教室の戸の前で、神妙な面持ちで覚悟を決めかねていた。
○○の話では、部屋の中で吐いてしまったのは○○だけでは無い。子供達も貰いゲロの嵐を巻き起こしたそうだ。
だから掃除道具の他に、鼻に布をきつく当てるまでした万全の準備は勿論。三人とも相応の覚悟も同時に持ち合わせていたが。
必要な覚悟の量が思ったよりも多く必要で、中々踏ん切りがつかなかった。考えなくても分かる、絶対に臭い。
そう思ってしまって、戸に手をかける事すら出来ずにいた。
「……勢いよ勢い!こういう時に必要なのは勢いよ!……多分、正門で門番と顔を合わせるよりはマシなはず」
輝夜の破れかぶれな言葉に、二人は心が少し痛むのを感じた。
そうなのだ、三人は門番と顔を合わせるが嫌で。空を飛ぶ輝夜にしがみ付いて来たのだった。
しかし、ようやく輝夜が覚悟と踏ん切りを付けれたのは事実。今は掃除が最優先、乗っかる事にした。


「うおえええ!!」折角覚悟を決めて、勢いよく部屋に入った途端、輝夜は勢いよく嗚咽を漏らしてしまった。
その嗚咽は姫らしからぬ酷いだみ声と共に出た、とても汚らしい嗚咽だった。例の二人ですら、顔をしかめて鼻を抑える程度だったのに。輝夜ときたら、悪い意味で素直だった。

しかし、その美貌が台無しのだみ声で嗚咽を漏らす輝夜の酷い有様を見ても、同じ場にいる二人は仕方の無い事だと受け止めるだけだった。
事実、二人とも輝夜のように嗚咽こそ漏らさなかったが。ぶちまけられたまま放置されたゲロの臭いに、嗚咽を漏らす前に十数歩ほど部屋から逃げ出してしまった。
しかし醜い嗚咽こそ出たが、意地と言う点では輝夜が一番勝っていたのか。輝夜だけは部屋に留まろうとした。

十歩以上逃げ出した後、振り返っても輝夜がまだ部屋の中で悪臭と格闘しているのを見て。戻った方が良いのだろうかと言う風に二人を顔を見合わせるが。
「うおええ!無理!!」
結局二人が視線を合わせてから一分所か十秒も立たない内に、輝夜も根を上げて部屋から飛び出してきた。

「水よ!ありったけの水をぶちまけましょう!!どうせもうあの畳は駄目よ!とにかくあの悪臭をやっつけましょう!」
輝夜を置いて来てしまった事を二人が謝罪しようとする前に。輝夜はもう次の手を考えて、二人にぶちまけた。
「何やってるのよ、バケツは持って来てるでしょう?井戸に行くわよ」
ああ、なるほど。確かにこの人はお姫様だ。人に指示を出すのに慣れているし、指示を出された方も動かなくちゃなと言う気分にさせてしまう。
そう言う部分を垣間見ると、自然と二人の輝夜に対する印象と言うのは高まった物になっていた。


「駄目。私たち三人じゃ手数が足りない。ちょっと貴方、私が上げたお札ちゃんと持ってるわよね?」
三人で勢いよく水をぶちまけたが、たった三人でまける量じゃ部屋全体を洗い流すには到底無理な話だった。
もっと人出が必要だと判断した輝夜は、木こりの方に向いた。

「あ……ええ」
「“ああ”ぐらいの返事で良いわよ別に。持ってるわよね?」
「あ、ああ」
輝夜の指導者としての姿に思わずたじろいで、出来得る限り丁寧な言葉を使おうとしたが。輝夜に嫌がられて、結局いつも通りになってしまった。
「イナバをまずは10人ほど呼んできて。それともう10人ほどには、使ってない部屋から畳をはがして持って来いとも……えっと」
「36畳だ、姫さん。この部屋分だけで構わんよな?」
輝夜が教室の畳の枚数を数えようとした時には、もう彼の方は数え終えていた。
この部屋の畳は吐しゃ物塗れになった上に、それが何日も放置されていて完全にしみこんでいる。もう使い物になるとは思えなかった。
多分全部取り替える事になりそうだし、その方が早い。そう思って誰かが話題に上らせる前に、もう既に数えてしまったのだが。
「流石ね」
それが輝夜の心証を殊の外よくしてしまった。

「いや、そんな大したことは……隅の方は汚れていないのもあるが、それも合わせての数だぞ」
輝夜から思いのほか褒められてしまって、照れた顔を隠したくてすぐに話題を掃除の話に戻した。
「多分、隅の方は使えなくも無い気はしないでも……」
「じゃあ自分で使いたい?」
「全然」
「じゃ決まりね。もう全部捨てましょう、ちょっと勿体ないかもだけど心の底では使いたくないのは私も一緒よ」
彼だって、時間をかけようが同じ結論に達しただろう。この畳はもう使いたくないと。それは輝夜も同じだ、だから一気に話を進めた。
「じゃあ……行ってくるぞ」
「…………ごめんね。正門通らせる事になっちゃって」
そしてその結論は、言葉少なめの木こりも同じだった。あんな悪臭を放つもの、どんなに洗っても生理的に嫌悪感が残る。
輝夜の出した謝罪の言葉は敢えて聞き流した。聞き流さないと、三人とも居た堪れなくなってしまう。

「荷車は勝手に使って!玄関から見て右の小屋にあるから!イナバ達はちょっと抜けてる所があるけど、よろしくねー!」
なので輝夜の言葉を背に受けながら、永遠亭への道を駆け抜ける事にした。



永遠亭に到着してすぐに、木こりは勿論輝夜からの言伝を手近なイナバに伝えた。
輝夜と掃除の手伝いをする第一陣のイナバが必要だと伝えるや否や。そこらにいたイナバの大半が出て行った。
「姫様が―!来いとー行ってたぞー!!」おまけに大声まで上げている。その声が聞こえたイナバも、何人か引きずられるように竹林の奥。
すなわち、人里の方向へと駆けていくのが見えた。
輝夜からの命と言う事もあるのだろう、皆脇目も振らずに一目散に駆けて行った。
ちゃんと十人ほどで良いとも伝えたはずなのに。駆けて出て行ったイナバの数は、明らかに10人を大幅に超えていた。
その上、遅れて出てきたイナバも。自分が置いて行かれたらしいと分かると、顔を青ざめさせながら駆けようとしている。

「いや待て、さっき出て行ったので十分だ。お前達にはまた別の仕事をやるようにお姫様から言伝を預かっている」
わたわたとして、落ち着きのないイナバ達を見ていると。成程と合点が行く、輝夜の言うとおりだった。このイナバと言うのは大概、ちょっと抜けている所がある。
ただまぁ、輝夜の最後の言葉から鑑みるに。それほど悪くは思っていないのだなとも同時に感じる。
実際自分もこの光景を見て、可愛い連中だなと思っている。


幸か不幸か、正門には誰もいなかった。その理由を考えると気分が悪くなるので、考えない事にした。



「姫様―お待たせしましたー」
36畳分も運ぶのだから、荷車に積むだけでも時間が掛かるだろうと踏んでいた。輝夜の言うとおり、抜けているのが普通そうだったから。
しかしイナバ達は、わたわたと落ち着きこそ無かったが。こちらの言う事をよく聞いてくれた。
少なくとも、言った事に対してはちゃんと動いてくれた。言わないとまともに動かない事も多いが。
それでも、思ったよりは早かった。

「うわ、うるさーい!」
到着した寺子屋は、騒々しい所では無い騒ぎだった。
ゲロの臭いでまず騒いでいて、汚物が付いたと言ってまた騒いで、洗いに行くと言ってやっぱり騒ぐ。
それを必死で輝夜と彼が指示を出して落ち着かせたり、洗う水欲しさに井戸を求めているのに、井戸の無い明後日の方向に行くイナバを戻らせたりしている。
「うわぁ……」
この騒々しい所では無い騒ぎ、言ってみれば阿鼻叫喚の図。これに木こりも思わずたじろいでしまった。

「来たかぁ!良かった、助けてくれ!」
木こりの姿を見た彼が、涙声で助けを求めてきた。
一言ぐらい遅いなどと言われると思って、身構えていた身からすると。そんなに酷いのかと、思わず別の意味で身構え直してしまった。

奥の方では、輝夜が吐しゃ物に塗れた勉強机を。これを雑巾を使って、素手でゴシゴシと拭いていた。
それでも、手は動かしつつ口では何事か指示を出しているのか。大きな口を開けていた。
「お前らぁ!姫さんが素手で汚い物を綺麗にしようとしてるんだぞ!ちったぁ見習ええ!!」
そんな輝夜の姿も見えずにぎゃーぎゃー騒ぐイナバ達に向かって、彼が涙声で怒鳴り散らすが。
騒音にかき消されてしまい、全員には届かなかった。

あの時、十人以上が飛び出したのを見た時。無理にでも止めるべきだったかと、今さらながら後悔した。
この数、どう数えても三十人近くはいる。いくらなんでも多すぎだ。



そしてすったもんだの末に、西の空が赤く染まり出した頃。
「終わったあああ!!!」輝夜が叫んだ。
ようやく畳を36畳全て敷き終えて、汚れた勉強机も全部綺麗にして元の場所に置いた瞬間。輝夜は天に向かって両手の拳を上げて喜び叫んだ。
そしてどさっと言う音を出して、新しく敷いた畳の上にあぐらをかいて座った。

その姿は到底、いわゆるお姫様のそれとは程遠かったが。二人にはその姿に不思議な大物臭を感じ取っていた。
事実、イナバ達は輝夜の次の言葉を待つように。みんな神妙な面持ちだった。
出来ればその静かさを、掃除中にもっと見せて欲しかった。


「ああ……貴女たちは帰って良いわよ」
手をヒラヒラとさせて、イナバ達を解放した瞬間。
「わーい!」と言う嬉しい悲鳴を上げながら、永遠亭に帰ってしまった。
結局イナバ達は、最後の最後まで煩かったと言う事だった。


「全く……本当に……」
イナバ達が一斉に帰って。やっと静かになった寺子屋の教室で、木こりは座り込んでしまった。
疲れがどっと出てきた。彼もそれに倣って、やっとゆっくり座れる事に安堵していたが。
輝夜だけは、窓の外の風景を見ながら何か別の事を考えていたようだった。
そしてその考え事とは、輝夜の少しばかり渋い顔つきを見る限り。二人にとっても、面白くない事であるのは明白だった。

「どうした、姫さん。何か心配事か?」
「いや、ちょっと考えてただけよ。この大騒ぎ、普通なら近所迷惑よねって思って…………普通ならね」
“普通なら”輝夜が繰り返し使ったこの言葉に、二人とも何も言う事が出来なかった。

「一人ぐらい、様子を見に来ても良いじゃない…………」
幾らかの沈黙の後、輝夜が吐き捨てるように言い放った言葉が。二人の心に深く突き刺さった。
それが例え自分たちに向けられている物ではないとしてもだ。


この静けさ、はっきりと言って毒だった。イナバ達が騒いでいた時の方がマシだった。
確かに体は疲れるが、心は病みそうにも無かったから。
「……帰ろうか、姫さん」
「……貴方、自宅には帰らないの?」
彼からの言葉に、輝夜が返した返事だが。これが彼の顔を想像以上に、悲しく歪ませてしまった。

「ごめん……」
その顔を見て、輝夜は思わず謝ってしまった……謝る事しか出来なかった。
「帰りましょうか三人で……私も、慧音の様子が見たいから。飛ぶから掴まって」
考えないようにしていた、無人の正門の事を思い出したが。話題に上らせた所で、輝夜と彼の心労を増やすだけだ。
彼と同じく、黙って輝夜の体に掴った。

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最終更新:2014年03月18日 10:51