慧音は輝夜謹製の、特大のおにぎりを両手で掴んではくれた。もうその光景だけで輝夜は飛び上がって喜びたかった。
少なくともこの光景は、今までクソしか見えなかった状況の中でやっと見る事の出来た、直視に耐えうる光景なのだ。
しかしながら、慧音はまだおにぎりを手に取ってくれただけだ。まだ食べてはくれていない、つまりまだ喜ぶには早いのだ。

実際、慧音は輝夜の手から特大おにぎりを受け取りこそはしたが。鼻を近づけて匂いを嗅いだりなどして、疑念はまだ残っているようだ。
そうかと思えば、今度はおにぎりを分解し始めた。
米だけではなく、おにぎりの具として使った佃煮も含めて。器の中にぶちまけられていく。

「…………おい」
分解して、中身を見ながら。慧音は随分長い時間をかけて思考していた。
「何よ」
折角作った食事を弄ばれた事で、輝夜は少なからず機嫌が悪くなっていた。口調や表情に多少なりともそれがにじみ出る。
「……食ってみろ」
しかし慧音はそんな事は意にも介さずに、佃煮を一切れつまんで輝夜に投げ渡した。
「ああ……そう言う事。気の済むまで何度でもやってやるわよ」
無論、その投げ渡された一切れの佃煮。輝夜は何の躊躇も無しに食べた。


外側だけでなく、不意に中身を渡されても同じだった。輝夜は躊躇なく口に含んで、咀嚼して、飲み込んだ。
その様子を二回も見た慧音はようやく、本当にようやく輝夜からの食事に口を付けた。

「はぁ~……長かった……」
さっきは飛び上がってまで喜びたいと思っていたのに。不思議な事に、今はそんな気力は無かった。
盛大な溜息と共に、輝夜はヘナヘナと地面に崩れ落ちた。
目の前では、やっぱり慧音は輝夜の事など気にせずに。輝夜から与えられたおにぎりをガツガツと、猛烈な勢いで食べていた。
嬉しい事は嬉しいのだが、その光景を見ていると同時に疲れも出てくる。

半ば呆れながら見ていると、米をかっ込み過ぎた慧音が少し苦しそうな様子を見せていた。
「全く……誰も取りはしないわよ……鈴仙、てゐ。用意してたお茶を出して」
近場でずっと待機していた鈴仙とてゐが、ヤカンと湯呑を持って入ってきた。もちろん湯呑は二つ分用意している。
ようやく一段落が付いた。そう思うと、意識が何処かに飛んでいきそうな感覚に襲われた。まだ眠る訳には行かないのに。


「れーせん。ただ見てただけのあんらが、何でそんな顔するのさ」
「てゐ。貴女も呂律が微妙に回ってないわよ」
何かあった時の為に二人はずっと伏せていたが、待ちぼうけと言うのも案外疲れる。
二人とも目線と呂律がどこか安定していなかった。
そして輝夜に至ってはそれ以上の酷さだった。鈴仙に膝枕をしてもらいながら、意識が半分以上宙を彷徨っていた。
出来るだけ飛ばさないように頑張っていたが、全部飛ばさないようにするのが限界だった。

「姫様、吸いのみ持ってこようか?」重病人が使う物を持ってこようかとてゐが言うが。その顔に邪気は全く無かった。
てゐが茶化しなど抜きで本気で心配してくれている。あのてゐがである。
「舐めんじゃ、無いわよぉ……」てゐの声に反応して、輝夜は何とか起き上れたが疲労困憊と言った様子は相変わらずだった。

しかしだ、本気で自分の心配をしてくれているてゐの姿。彼女には悪いが正直な話、本気で気持ち悪かった。
普段の行いが行いだから、ある意味仕方がないのだが。
だが皮肉な事にその気持ち悪い姿、その姿は輝夜に気付け薬の代わりをしてくれた。
「有難う、てゐ。貴女が私の事を本気で心配する姿、柄に合わなさすぎて眠気が飛んだわ」
「…………はは」
てゐは少し考えて、いつもの自分ならこの場面は憎らしく笑う場面だと分かったが。今のてゐでは、その笑い方は全く憎らしくない。
相手を心配させんとする為の。物凄く無理のある表情だった。

ボロボロの様子を見せる輝夜達だったが。慧音は空腹を満たす事を優先しているのか、全く意に介してくれない。
ガツガツと獣の様に貪り食う慧音の様を見ていると、輝夜はめまいを覚えてしまう。いつもの理知的な姿を知っているから余計に。
そんな事を考えていると、また意識が飛んで行く感覚がやって来るのが分かった。
なので、視線を外して天井だけを見る事にした。



慧音が食事を終えるのをじっと輝夜は待っていた。
ガツガツと勢いよく貪り食う割には、食い終わるのに意外と時間がかかっていた。要するに、効率の悪い食べ方をしていた。
しかしそれは輝夜が休憩をする時間を作るのに、非常に都合が良かった。疲れた体に、茶が染みわたる。
そうでなくても疲労から無駄に喉が渇く。わんこそばのように、輝夜は湯呑に継がれる茶を次々と飲み干した。

多少気持ちが落ち着いてみると、いつの間にか茶の入ったヤカンが二つに増えていた。
鈴仙かてゐのどちらかが、出て戻って来たのにも気づけなかったのかと。茶のお代わりを継がれながら、気落ちしてしまった。


慧音の食べ方は粗雑で礼儀やしつけなどと言った物は、微塵も感じ取れなかった。
しかしそんな獣の如き汚らしい食べ方でも、空腹を満たそうと言う努力は垣間見れた。
器にへばりついた米の一粒、佃煮の一片に至る小さな破片まで。慧音は手掴みでとは言え、綺麗に全てを平らげた。

「……」
「……」
慧音が食べ終わると、輝夜と慧音は目を合わせたまま妙な沈黙が辺りに流れた。
鈴仙が不穏な空気を感じてオロオロとし始めて、てゐは何が起こっても驚くまいと身を構えるが。
慧音の目を見続ける輝夜は案外冷静だった。慧音の目の色が思ったよりも冷静だったからだ。これならば話が出来るやもしれない。
空腹を満たす事が出来たのが、きっと大きかったのだろう。腹が減ると些末な事にも腹を立てやすくなる。
ましてや今の慧音が置かれている立場……全く小さく無いのだから。腹が減っていれば必要以上に暴れたくもなる。


「てゐ、鈴仙。貴女達は席を外しなさい。用があればこっちから呼ぶから……大丈夫だから、そんな顔しないの」
三対一では、慧音は心を開いてくれないだろう。物凄く心配そうな顔をする二人を多少強引に外にやって、ようやく話をする場と言う物が整えれた。


「さてと、ちょっと話をしましょうか…………その前に」
二人を追いだして、慧音の前に向き直った輝夜は身を整えたかと思うと。
「まずは……貴女にきちんと謝らせて。永琳が貴女に毒を盛るなんて、とんでも無い事をしちゃったみたいで」
輝夜はこれでもかと言う程綺麗で、静かな動作をもって慧音に対して頭を下げた。
いわゆる土下座の体勢を使って、輝夜は誠心誠意、慧音に対して謝罪をした。

わざわざ蒸し返す様な真似をしてと傍からは思われるかもしれない。しかし輝夜は永琳がしでかしたことを知ってから、まだちゃんとした形で頭を下げていなかった。
こうしないと、輝夜が次に進む為の気持ちの整理。これを付ける事が出来ないのだ。
正直な話、汚い言葉を投げつけられたりすることは覚悟の上だ。

だが、輝夜が見せた誠心誠意で土下座をする姿に。慧音は顔が渋く歪むが、同時に困ったような顔を見せた。
しかし輝夜はそんな顔を慧音がしている事を知らない。顔色を伺うように頭を下げるのが、誠心誠意を込めた姿でないと分かっているから。
その輝夜の真摯な考え方は、慧音も同じだった。
頭を思いっきり下げたままで、顔色を伺おうとしない輝夜の姿に。慧音の顔は徐々に困り顔の方が強くなってくる。


「頭を上げろ……蓬莱山輝夜。それではまともに話が出来ない」
慧音に促されて、ようやく顔を上げる輝夜の表情。その表情も許された?等と期待するような顔では無く、真摯で真剣な面持ちだった。
本当に誠心誠意、輝夜は慧音に向かって謝罪の言葉と態度を取っていると。それが誰の目にも分かるような、そう言う態度を輝夜は取っていた。


「……簡単に許しはしない。だが、暫くは話題に出すのは止めておく。勘違いするなよ?許した訳では無い」
「有難う……今はそれで十分よ」
慧音から提示された譲歩に、輝夜はもう一度深く頭を下げた。
「だから、頭を上げろ……お前は何か話をしに来たのだろう?」
再び深々と頭を下げた輝夜に、慧音は困ったような顔と声で頭を上げるように言うしかなかった。
ここまでの対応をされたら、無理くりに何かをする気にはなれない。それぐらい慧音の思考は回復していた。




「……で、話と言うのは何なのだ?」
「取りあえず、今日私達三人がやった事を話しに来たの」
片膝を立てる慧音と違って、輝夜は正座の姿勢で慧音をしっかりと見据えたまま。はっきりとした口調で喋っている。
「三人……お前以外の二人は、あの二人か?」
「そうよ。あの木こりともう一人の彼。その三人で、寺子屋の掃除をして来たわ」
輝夜が見せるその誠心誠意の態度に、慧音も立てていた片膝を降ろした。
「……掃除?」
まだ心中はざわざわと蠢いていたが。真摯な態度の輝夜の姿が、その蠢きを抑えて、声を荒げると言った無礼で乱暴な振る舞いも思い止まらせていた。

「ええ、そうよ。寺子屋の教室を、大掃除したの。○○さんや子供たちが、貴女が倒れたのに狼狽してゲロを吐いたって聞いたから」
その後の言葉を紡ぐのに、輝夜は少し躊躇した。
「きっと、誰も掃除なんてしてくれないと思ったから……」その一言に、里の内実がたっぷりと含まれているから。
多少落ち着きを取り戻したとはいえ、今の慧音とその事を話すのはとても怖かった。

「実際その通りだろう?お前たちが掃除したと言う事は」
輝夜がびくびくしながら紡いだ言葉に対して、慧音はにべもなく肯定した。その声には酷い侮蔑の意識すら垣間見れた。
刺々しい慧音の様子に、輝夜の心臓が嫌な感じに高鳴る。心臓の高鳴りと共に、息苦しさも伴ってきた。
「……だが、掃除をしてもらったのは事実だ。お前達にだけは礼を言わないといけないだろう」
だが慧音の対応は、ほんの少しだけ柔らかかった。柔らかめの口調にも驚いたが、それだけでなく慧音は頭まで下げてくれた。
つい先ほどまで、暴れ狂う何かとしか言いようが無かった慧音がである。これには輝夜も面食らってしまい、目をパチパチとさせるだけだった。

「どうした?私は何か変な事をしたか?」
呆気にとられたままの輝夜を目にして、慧音は少し不機嫌になった。まだ笑って流せる所までは回復していないようだ。
「あ、いや……ただ何を話そうかなと」
「別に誤魔化さなくても構わん……こっちとしても、ここ数日の事は忘れたい事の方が多い」
慧音の方が流してくれなかったらと思うと、本当に肝が冷える。



「で、何だ?どうせ掃除をしたと言う報告だけをしに来た訳では無いのだろう?」
「……そりゃあね」
早く言えと慧音に促されるが、多少の躊躇は輝夜にも生まれる。
頭をボリボリと掻いたりしてわざとらしく誤魔化して踏ん切りを整えていたが。
目の前でまごつかれている慧音は、待たされることに対してイライラをすぐに出してきた。
随分進歩したとはいえ、溝が埋まった訳では無いのだ。まごついたりしても相手は余り待ってはくれない。

「分かった、言うから。あんまり怒らないで……振りでも良いからあの二人と仲良くしてやってくれない」
案の定だったが、それを言った途端慧音の顔がみるみるうちに歪んいった。

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最終更新:2014年03月18日 10:52