「えっ……?」
もう既に事を起こそうと乗り気であって、その上慧音もその気であると思い込んでいた妹紅は。
慧音からの少し待っていてくれと言う趣旨の言葉に、明らかに狼狽していた。
「え、いや……この笛の出所が不安なのか、慧音?」
「どうせ香霖堂だろう?その手の物が簡単に手に入りそうなのは、そこしか無いだろう」
慧音は冷静だったが、待ったをかけられてしまった妹紅は全く冷静ではいられなかった。
「ま、待ってくれ慧音!確かに出所は怪しいけど、里が嫌いなのはあいつも同じだ!だから信用できる!!」
それどころか、慧音のかけてきた「待った」を妹紅は拡大解釈して。信用できないと言われているかのような錯覚にまで陥っていた。
「すまない妹紅、説明が足りなかったな。そう言う意味じゃない」
ついさっきまで荒れていて、しかも酒に呑まれていただけあって。今の妹紅は感情の振れ幅が極端だった。
「慧音、私、何か不味い事したかなぁ……」
振れ幅が極端なのだから、慧音からすればちょっと軽く「待ってくれ」と言っただけでも。妹紅にとっては強く拒否されたのと同等の衝撃を受けてしまっていた。
あっという間に、妹紅の顔からは大粒の涙が零れ落ちるようになってしまった。
これには付き合いの長い慧音も、流石に驚愕してしまった。
「待て妹紅!そう言う意味じゃない、落ち着いて私の話を聞いてくれ!」
慧音本人は必死で妹紅の勘違いだと弁明を繰り返しているのだが。
当の妹紅は慧音に拒否されたと言う錯覚の方に目が行ってしまい、殆ど聞いていなかった。
「えぐっ……うぇ……ひっぐ……」
「妹紅、落ち着いてくれ。言葉が足りなかったのは謝る、だから少し話を聞いてくれ」
横笛を持ち出して来た時のような勢いのある立ち姿が今やどこに行ってしまったのか。
今妹紅が見せる姿は、ペタンと座り込んで嗚咽を漏らしながら泣いていた。
泣き喚くとまで行かない所が、そんな妹紅の傍らで慧音が必死で語りかけると言う姿が。この二つが却って痛々しさを助長させていた。
馬鹿みたいに荒れて、馬鹿みたいに飲んで。そのせいでけつまずいて扉に顔面から飛び込むような、馬鹿みたいな酔い方をしたせいか。
泣き出した妹紅をなだめるのに、最も親しい友人である慧音でも小一時間ほどの時間を要してしまった。
「ほら、水だ。飲んで少し落ち着くんだ」
しかしそれほどの時間を使っても、慧音は少しも面倒くさいとは思わなかった。そればかり甲斐甲斐しく世話を焼く事まで出来た。
妹紅の業は、慧音は理解しているつもりであるから。
最も蓬莱人ではない慧音がいくら理解したところで、本当の意味では解っていない事は重々承知の上だ。
それでも慧音は、可能な限り妹紅の事を理解しようとしていたし、実際蓬莱人では無い存在の中では一番それが出来ていた。
だから慧音は今この時、妹紅に優しく寄り添う事が出来たのだ。おそらく何時間でも寄り添ってやる事が出来ただろう。
慧音から手渡された水を飲んだり、優しく背中をさすられたりして。酔いだけでなく、頭の方も随分冷えてきたようだ。
「私の話、少し聞いてくれるか?」
頭が覚めてきた証拠に慧音の言葉に対して、妹紅は静かに頷く事が出来た。
「あのお姫様……中々必死だったんだ。私に対して必死で、私が何かをやろうとするのを止めようとしてきた」
「……ふん。何を考えているんだろうな」
妹紅は面白くないと言う表情をしていたが、慧音は反対に面白そうと言う感情が見え隠れしていた。
ただその面白そうと言う感情の真意は、嘲笑であるのは表情から見てほぼ間違いなかった。
「慧音、本気で付き合うつもりなのか?」
妹紅が存外冷静なままでいられたのは、この嘲笑の表情のお陰だった。
「一応な……それに、何かやるにしても満月の時まで待ちたい」
「満月……次の満月までまたなきゃ駄目か?そりゃ、満月の時が一番だけど。でも、満月じゃなくても私が頑張るから」
妹紅は頭の中で暦を計算した。その結果、次の満月まで意外と待たなければならないと知ってしまい。拳に自然と力がこもった。
「大丈夫だ、妹紅」
妹紅の焦りは慧音も十分に感じていた。妹紅はいつも慧音の事を気にかけてくれていたから、よく分かるのだ。
満月でなくて、慧音の本領が発揮できないなら。自分が矢面に立ち続けても良いとまで言った事があった。それぐらい妹紅の覚悟はもうとっくについていたのだ。
妹紅からすれば、もう一分一秒でも早く全てを終わらせたかった。死ぬ心配のない蓬莱人の妹紅だからこそ、出来る無茶もあると思っていた。
「死なないからと言って、余り命を粗末にするな。ここまで耐えれたんだから、次の満月までの時間くらい。ただの誤差だ」
「次の満月……やるのか?」
「ああ……“今”はその気だ。だからその笛、今は妹紅が持っていてくれ。あのお姫様に見つかると厄介だ」
慧音は妹紅に優しく微笑みながら、我ながらどうかしていると思っていた。
まるで、あの三人に機会を与えているようだったから……妹紅は信じてくれているが、次の満月まで待つと言う自らの言葉。
慧音自身は、ただの方便にしか聞こえていなかった。
目の覚めた輝夜は爽やかな気分だった。
なので、いつもの調子で二度寝を決めようとした。いい加減そろそろと言う頃合いになったら、永琳が起こしてくれるだろう。
おきたら今日は何をしようか……再び目を閉じた所で―
「そんな場合じゃないでしょ!!」やっと今の状況を思い出せた。
「最悪ッ……!」
さんさんと降り注ぐ、爽やかな朝日が却って恨めしい。
「てゐ!鈴仙!?どっちでも良いわ、来て頂戴!」
しかし済んだ事を悔いてばかりでは何も始まらない。てゐか鈴仙のどちらかに来てくれと呼ぶ頃には、もう輝夜は衣服を半分以上脱ぎ捨てて、タンスに手をかけていた。
「はい、はい、はい!今来たウサよ!」
「―何があったの!?」
元気よく来てくれたのはてゐの方だったが。そのてゐは生傷が絶えない格好だった。
顔や、袖から出た腕や足、非常に痛々しかった……何かあったのは明白だった。
てゐの生傷に思わず最悪の想像をしてしまった輝夜だったが。
「慧音が妹紅と帰ってきて。私妹紅の家調べに行って、結界に吹っ飛ばされた。以上!」
「それ以外は!?」
「無い!」
「良し!」
良かないのだが、思ったより悪い報せでは無かったし。それ以外は無いとてゐが言うのだ。昨晩気絶したときより劇的に悪くはなってないと言う事だ。
だから良かった事にした。
止まりかけていた着替えの手が再び動き始めた。
いつの間にかてゐは正座をして、真面目な面持ちで輝夜を仰ぎ見ていた。
「鈴仙は?」
「慧音と妹紅と○○の相手、あの二人は怖くて出れないし、こっちも怖いから出さない!」
てゐからの報告を簡潔に聞きながらだが、胃が痛くなってきた。矢面に立っている鈴仙はもっと痛いだろう。
かといって、てゐが表に立つ訳にも行かない。この生傷を見られたら妹紅の家を家探ししようとしたのがバレる。
「部屋は同じ?」
「同じだよ」
「じゃ、行ってくるわ。無茶しちゃ駄目よ」
一番簡単な服に着替えた輝夜は、てゐの頭をポンと触って出て行った。
輝夜が部屋を出て行って、てゐは自分が緊張して体が強張っていたのをやっと自覚できた。
一番簡単な服とは言え、今の輝夜には凛とした空気が漂っていた。普段はと言うと、最悪永琳に布団を引っぺがされて転がされるような人なのに。
流石は月で姫をやってただけはあると言う事か……
てゐが去った後の○○は、暇すぎて昨日の事をほとんど覚えていなかった。
夕食時に、てゐでも無ければ鈴仙でも無い。ウサギ耳の子がご飯を食べさせに来たのはギリギリ覚えていたが。
その後は待てども暮らせども、何も起こらなかった。精々が外で吹く風の音や虫の鳴き声に多少の変化が合ったぐらい。
一日中横になりっぱなしで疲労と言う物とほぼ無縁だったが、それは肉体的な意味の話であって。
てゐの悪戯自慢は聞いている者を精神的に疲れさせる効果があったようだ。
そのせいか、それともそのお陰とでも言うべきか。気づけば○○は、眠ってしまっていた。
「ま、○○、お、おは……おはよ……」
そして目を覚まして視界に一番に入ってきた物は。泣きそうな顔で声を何度も詰まらせる慧音の姿だった。
最終更新:2014年03月18日 10:53