「お、おは……○○、おは……」
「慧音さん……○○さんなら大丈夫ですから」
涙目になって言葉を詰まりに詰まらせながら、慧音は懸命に○○に朝の挨拶をしようとするが。どうしても言い切る事が出来ない。
そんな慧音を見るに見かねてか、鈴仙さんの声が聞こえた。
姿が見えないから、今彼女は○○の後ろ側にいるのだろう……昨日に比べたら痛みもマシで、姿を見ようとも思ったが。
今の慧音から目を離すと言う行為が、不安定な彼女を見ていると怖くて出来なかった。

「慧音、私も大丈夫だと思うぞ。永遠亭の事は全く信用していないが……これに関しては私も同意見だ」
この声の主が誰だったか、○○は一思いに思い出せなかった。目線を軽く動かすと、出入り口に陣取るように座った白髪の女性が見えた。
これでやっと藤原妹紅と言う名前を思い出せたが正直彼女には良い記憶が無い。慧音の目の前だから抑えれたが、頬がピクリと引きつった。
幸い頬が引きつった様子は、慧音は気づかなかったようで。酷い状態がより酷くなる事は無かった。
奇妙な事に、同じ酷さである事に○○は少し安心してしまった。


寝たままよりは、起き上がって向き直った方が良かろうと思い。○○は起き上がろうとした。
一日中動かなかっただけあって、昨日に比べれば痛みも大分マシだったが。それでもやはり時間をかけなければ起き上がれそうになかった。
「うう……」
痛みが大分マシになった上に、時間をかけて、慎重に起き上がってもやっぱり体の節々は痛かった。
その痛みで○○の口からはどうしても、悲痛な呻き声が溢れ出てきた。
これまでの慧音の不安定っぷりを鑑みれば、やっぱりと言うか当たり前の事だろうけど。
大方の予想通り、○○から漏れた悲痛な呻き声に慧音は反応してしまった。

「ひっ……あっ…………」
後ずさりながら涙目どころか、ついに泣き出した慧音に向かって大丈夫だからと言おうとしたが。
痛みのせいで○○は舌が回らなかった。
「慧音!」
不味いと思った矢先に、妹紅が場を切り裂くような大声で慧音の名前を呼んだ。
「大丈夫だ。大丈夫じゃないなら、もっと解りやすい反応をするはずだ」
妹紅は力強い言葉で慧音を励ましながら、これ以上後ずさって逃げないように肩を持ってしっかりと抑えてくれていた。
その行動は有難いのは確かなのだが。正直妹紅に対しての第一印象は最悪だったので、こうやって不安定な慧音の支えになってくれる事にも素直に好感を持てなかった。

「ええ、慧音先生。そちらさんの言うとおりですよ」
でも、間違った事をしている訳では無いから。刺々しい雰囲気は隠すしかなかった。何よりも慧音の精神に悪影響を及ぼす。

「ほら慧音、目線を真っ直ぐ向けるんだ」
○○は慧音を慮って、慧音の顔から目線を外さないのを良い事に。妹紅は慧音を励ましながらも、○○の後ろにいる鈴仙を気にしていた。
それは気にすると言うよりは睨みつけると表現すべきなのだろうけど。実力で言えば、残念ながら妹紅の方が段違いで上。
すくなくとも鈴仙が勝てる相手では無い。そんなのに睨まれてしまったら……奥歯をかみしめながら耐え忍ぶしかなかった。


「――慧音先生、お早うございます」
多少の間は出来たが、その間のお陰で○○はよどみなく朝の挨拶をする事が出来た。
ぐわんぐわんと頭が揺れ動いていた慧音だったが、○○の声は、爽やかに朝の挨拶をしてくれた○○の声はちゃんと判別出来ていた。
○○の声を耳にすると同時に、大きく揺れ動いていた慧音の頭の揺れがピタリと止まった。

そして沈黙。その沈黙はとても重かった。
○○をはじめに鈴仙、そして妹紅ですらその重さにある種の緊張を感じざるをえなくて。とても息苦しい思いを味わっていた。
そう長い時間では無いはずなのだが、一秒が何倍にも何十倍にも膨れ上がったかのような嫌な感覚だった。


「ふっ……」
そしてこの重い沈黙を破ったのは、慧音の笑い声だった。
笑い方の感じから、大丈夫だとは思っていても。三人に一番の緊張が走った。

「……おはよう、○○」そして慧音は○○に返事をした。安心しきったような、とても朗らかな笑顔で。
何てことは無い、慧音は朝の挨拶を返しただけなのだが。それだけの事に辿り着くだけでも、三人にはおっかなびっくりだったのだ。
「はぁー……良かった」その証拠に、妹紅は盛大な溜息を付いて。
「ええ……ええ、ほんと……」○○は訳も無く何度もうなずいて。
「…………」鈴仙に至っては安心しすぎて、意識が飛びそうだった。



「ごめんあさーせぇ~!みんな起きてる?起きてるわよねぇ~やっぱり私が一番のお寝坊さんみたいね」
三人がフラフラになりながらの折に、全く空気を読まない能天気な声と共に。輝夜が勢いよく、ふすまを開けて○○たちのいる部屋に入ってきた。
勿論、本当に読めないのではなくて敢えて読んでいないだけだ。ただ○○だけは、輝夜の行動が素によるものなのか敢えてなのかが分からなくて困惑していた。

「いやーごめんごめん。私って、朝に弱くてぇ~」
ただ能天気なのは声と表情だけで。目線は四人の様子をつぶさに確認していた。
一瞬輝夜は鈴仙と目が合った。緊張感に耐えきれずに意識が飛びそうだったので、半分白目だったので、鈴仙は輝夜の目線に気付いていなかった。
しかし、輝夜の声は聞こえていたので。一番頼れる人が来たとの思いから、とても良い笑顔をしていた。
ただし、半分白目の状態で。今まで頑張ってくれた鈴仙には悪いが、凄く不気味だった。

「チッ!」
「あらぁ……もしかして、私”達“お邪魔くさいわねぇ」
妹紅の出した大きな舌打ちを、これも空気を敢えて読まないのと同じでわざと無視した。
この時、輝夜は私達と言う言葉の“達”をことさら強調した。
「ねぇ、鈴仙。何か良い空気っぽいし。外出ない?妹紅、あんたもよ」
妹紅の名前を呼ぶ時だけ、輝夜の声が一段下がった。
妹紅の顔は溶岩のように、表情に憤怒の色をめまぐるしく映し出していたが。
慧音の顔は、先の朗らかな笑顔のままだった。
「…………」そう、朗らかな笑顔のまま。まったく微動だにしていなかった。
「慧音先生?」
「ほぉら、鈴仙。早く出なさいな」
○○が慧音の様子を心配する声は、勿論輝夜の耳にも届いていたが。こちらも敢えて無視した。
鈴仙がいよいよ限界と言うのもあるが。この場の流れを、物凄く不格好な形でも良いから自分の物にしたかった。
例え、後々○○の心証に変な人なんだなと思われても構わなかった。
とにかく妹紅がこの場に居続けるのが一番不味い。慧音の頭が冷えたと判断するには、昨日の会話だけでは余りにも材料不足だとしてもだ。

「鈴仙?聞こえてる?」
「そ、そ、そうですね。じゃ○○さん、お二人でごゆっくり」多生反応が遅かったが、鈴仙は喜んで部屋から出て行った。半分泣いた顔で。

「妹紅、貴女も来なさい。茶と茶菓子ぐらいは用意するわよ?」
「……」
「妹紅?」
何度呼びかけても、妹紅からの反応は無かった。やりたくはないが、腕でも引っ掴むべきか。
無理強いを覚悟し始めて、もう一歩輝夜は部屋に踏み入った時だった。

「妹紅、行ってやったらどうだ?」
まさかの展開だった。慧音から妹紅に部屋を出るように促したのだ。
「…………妹紅ぉ?一番の友達にまで言われちゃったわよぉ?」
慧音の言葉にどちらの意味が込められているのかは、これだけでは分からなかった。
輝夜と言う、今の時点で一番面倒くさい存在を、一番信頼できる妹紅に任せたぐらいの意味だったのか。
それとも…………昨日、寺子屋の掃除をしたことに礼を言ってくれたのと同様に。
ほんの少しだけ、心を砕いてくれたのか。
勿論、後者であってほしかった……いや、ここは後者と信じて輝夜は進むことにした。


そして心象風景が最も荒れてしまったのは妹紅だった。
慧音は自分を一番信じてくれていると、半ば盲信しつつあった妹紅だったから。
慧音を守ろうとしてその場を動かない事に、否を唱えられた事で。誰の目にも明らかなぐらいに狼狽を見せていた。

「……妹紅さん?」
「ごめんねぇ、○○。この子ったら、慧音と私以外に友達がいないから。不意に離れるのがすごく不安なのよ」
そんな妹紅の様子に疑問符を浮かべる○○だったが、輝夜は即座に合いの手を入れた。
その合いの手に、妹紅の表情にまたイラっとした物が流れた。


「妹紅、私なら大丈夫だから。後ろのお姫様と遊んできたらどうだ?」
そしてまた再び、慧音からの言葉。
決して突き放したような物言いではないが、妹紅にとっては慧音からこの場を離れるよう勧められた時点で。
それだけで十分、突き放されたような感覚に陥るのだ。

「慧音……もしかしてこの馬鹿姫、邪魔なのか?」
「失礼しちゃうわねぇ~私が邪魔だなんて」
慧音が自分に対してこの場を離れるよう言った理由を必死で探した妹紅は。輝夜が邪魔だから、そんな事を言ったのかと問うた。
実際このわざとらしく伸ばした抑揚で喋る輝夜は、○○ですら少し引き気味だった。

「…………そうだな」
慧音はチラリと輝夜の方を見た。そしてまた、小さく考え始めた。
「そうだな、少しばかり……そうかもしれないな」
「少し!?」少しと言う言葉に、妹紅は驚愕してしまった。

慧音の言葉に輝夜はわざとらしく「えー」と言う表情を作ったが。
ここまでやる輝夜が、慧音は“少し”しか邪魔になっていないと言う。妹紅はそちらの方に衝撃を感じてしまった。

「こんな胡散臭い奴が、少ししか邪魔になってないのか!?」
「妹紅、行くわよ。全く失礼しちゃうわね」
衝撃から思わず言葉を荒げるが、慧音から背中を押された格好の輝夜は一気に強気の姿勢に出た。
「待て、離せ輝夜!」
「新しい本があるのよ、妹紅。ついでに新しく作った和歌も見てもらいたいの、だから来て」
慧音の傍から離れたくなくて、必死で暴れる妹紅だったが。慧音はそれを横目で見ているだけで何も言わなかった。
何も言わないのも相まって慧音から拒否されたような感情に支配された妹紅は、思うように力が出せなかった。
そんなだから、ズルズルと輝夜に引っ張られてついには部屋の敷居をまたいでしまった。


「待て、蓬莱山輝夜」
輝夜も妹紅も、二人とも壁に隠れて見えなくなりそうな所で。ようやく慧音は声をかけた。
妹紅は慧音が助けてくれたと、思わず顔を綻ばせたが。
「蓬莱山輝夜……一応楽しみにしているぞ、一応な」
しかしその口から出てきたのは、輝夜に対して何らかを期待するような言葉だった。一応と言う言葉が二つも付いているが、輝夜にはそれでも十分だった。
「ええ!その期待、良い意味で裏切って見せるわ!」

輝夜に対して期待するかのような慧音の言葉に、妹紅は魂が抜けてしまい。この後簡単に輝夜に連れ去られてしまった。

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最終更新:2014年03月18日 10:54