「おい、早く行こう。あんたも来ないと始まらないんだ」
「なぁ、焦ってないか?」
別室でずっと震えていた彼と木こりだったが。木こりの方が急に立ち上がったかと思えば、外に出ようとした。
それは厠に行くと言った雰囲気では断じてなかった。
それに加えて部屋の敷居を一歩またいで外に出たかと思えば、木こりは彼に対して行こうと言って手を差し伸べて来た。

木こりが何処に向かいたいかは、聞かなくても分かった。
だから彼は木こりから差しのべられた手を一思いに握る事が出来なかった。彼の利き腕は開いたり閉まったりして、無意味な動作を繰り返していた。

「どうした?分かるだろう、行った方が良いって事ぐらいは」
「そりゃ、それが最良って事ぐらいは……じゃなくて、こっちの質問にまず答えてくれ。お前、焦ってないか?」
「焦るに決まってるだろう!俺達ここに来てから何をやった!?掃除だけじゃないか!」
彼からすれば、普通にどころか出来るだけ丁寧に質問を投げただけなのだが。
木こりの方は焦りが大分溜まっているのか、思わず耳を塞ぎたくなるぐらいの大声で返されてしまった。

「ここでじっとしてたって、悪くなることはあっても良くなる事は無いと思うぞ!?」
「ああ……ああ、分かってる」
「分かってるなら!」
興奮する木こりとは対照的に、動きの思い彼だったが。そんな事はお構いなしに、差し伸べる手をまた突きつけてきた。

「分かってるよ……お前の言ってる事が、多分正しいってのも分かってる。でもな……」
要するに、怖くて踏ん切りがつかないのだ。それを言えたら随分楽にはなるが……
それを言ってしまったら、多分どころでは無く間違いなく木こりは怒るだろう。
「お前なぁ!何のためにここまで来たんだ!家にも帰らずに!」
実際優柔不断を晒す今でさえ、滅茶苦茶怒っている。家に帰らない事に対しては、色々言いたかったが。火に油を注ぐような物なのでやめておいた。


「もういい!俺一人で行く!何しにここにいるんだ、全く」
行動もしなければ、口答えすらしない彼の様子に。焦りを募らせる木こりはとうとう痺れを切らしてしまい、1人で部屋を出て行ってしまった。
ドンドンと、彼の踏みしめる足音が彼の耳に届いたのは最初の内だけで、徐々に遠くなっていった。

優柔不断で、行こうと言う誘いに乗らなかった事は。その事自体は、とても悪い事をしてしまったと思っている。
しかしだ、単純な損得勘定だけで言えば動いた方が幾分どころか随分マシな事にも成り得る事は解り切っている。
それ以上に、あの木こりを一人で行かせてしまった事に対する慙愧の念も拭えない。
それら種々の感情をもってしても、やはり容易ではないのだ。恐怖に打ち勝ち、差し伸べられた手を握って、腰を浮かす事が。


「はぁぁ~……」
ついに踏みしめる大きな足音も聞こえなくなったぐらいに、彼は大きな溜息を付いた。
それは何てことは無い、大きな自己嫌悪の塊だった。
「分かっちゃいるんだよ、分かっちゃなぁ……」
思ったように動けない事に、目の前に転がっている楽にすがっている自分には。本当にため息が出る。

相変わらず座ったままで、頭をガリガリと掻き毟って考えるのは当然、あの木こりの事だった。
「分からんでもないが……焦ってるな。声も上ずり気味だったぞ……」
アレと、慧音と、○○の三人か。○○はともかくだが、それでも味方としては数えてはいけないだろう。
むしろ気づかれないようにしなければならないので、下手な敵より厄介かもしれない。
とすると……アイツはもう一方の気を使いながら、更に別方向にも気を配るのか。
ここまで考えて、彼の顔は歪んだ。
焦っていて声も上ずり気味な人間に、こんな繊細な作業が出来るのだろうか。
自分だって自身は無いが……今の木こりには一番向かない仕事だと言う事ぐらいは分かる。

「アイツ……ヘマしそうだなぁ……」
ヘマの内容までを考える前に、ヘマをしてその後の混乱を考えたら。
「……怖くなってきた」思わず、身震いがしてしまった。

その身震いは、とてつもなく不快な物だったが。
幸か不幸かは分からないが、彼はそんな不快な身震いの反動で立つ事が出来た。
「おお……?」
今まで全く立つ気になれなかったのに、不思議な物である。だがここまで行ってしまったら、また座ってしまう事がとても勿体ない事のように思える。
そして目の前には、開けっ放しのふすま。
「……」
優柔不断を晒してはいたが、根っこの部分で思う所はあの木こりとそう大差はない。
「…………ああ、もう!どうにでもなれ!」
どうにでもなれとは、ヘマに身震いした人間の言葉とは思えないなとは思った。
でも、また座りなおすよりは。それと比べれば、悪くない選択のはずだ。



「おい、何やってんだよ」
「んあ!?」
当然彼は急ぎ足で向かったが、急いでも多分間に合わないだろうとは思っていたが。
意外にも間に合ってしまった。
木こりの方が、中間地点で背中を小さく震わせながら立ちすくんでいたのだった。

「お前なぁ……俺にあんだけ啖呵切った癖に。結局ビビってるのかよ」
「来てくれたのか……?」
「……ああ。行こうや」
彼が来てくれたと分かると、木こりの震えは見る見るうちに収まった。やはり心細かったのだろう。
彼は木こりの背中をバシンと叩くと、そのままズンズンと進んで行った。

「あー、もう……今さら戻れねぇ。かっこ悪すぎるからなぁ」
前に進みながら、彼はブツブツと愚痴のような物を呟いていたが。そんな物を聞いていても、木こりは少しばかり生気のある笑い方をしていたし。
何よりも、呟いている本人が吹っ切れたような顔をしていたのだ。その愚痴が本心でない事ぐらいは、誰の目にも明らかだった。


「…………」
そして二人とも、ついに慧音と○○のいる部屋へとたどり着いた。だが、二人とも無言のままだった。

彼も木こりも、最初の方こそ威勢よく突き進んでいたが。部屋が近くになるにつれて、その威勢が目減りして言って大人しい歩き方になってしまった。
ただ、彼の言うとおり今ここでくるりと反転して帰ってしまうのはとてもかっこ悪かった。
特にその感情を抱えていた彼が、遅くなりこそすれ絶対に歩みを止めなかったから。二人とも何とかここに辿り着く事が出来た。

「…………行くぞ?」
だがこんな所で何時間も突っ立ている訳には行かなかった。彼が中には聞こえないような小さな声で、扉を叩くような仕草を見せた。
「良い……早く行こう」
木こりからもらった返事はそれだけだったが。十分な物だった。
彼は、視線をまた扉の方に戻して。そして、ついに。

「誰だ?」扉を揺らして、中にいる人間を反応させた。
これでもう、戻る事は出来なくなった。


ガラッと音がして、扉が開いた。その眼前に現れたのは、やはり、上白沢慧音だった。
「ふむ……やっぱりか」
二人の姿を見ても、慧音は特段驚く事は無かった。
「まぁでも、お前達で良かった」むしろこの二人以外が来た方が、少なからず落胆したりしたかもしれない。
「入ってくれ」
迎えに行くつもりなどは毛頭なかったが、来なくてもそれはそれで構わなかったが。多少は待っていたと言うのもまた事実だった。
そのせいか、今までよりは随分。意識しなくても、当たりが柔らかくなっていた

「どうした?入らないのか?」
多少は、値踏みするような視線を慧音は浮かべていたが。比較的簡単に迎え入れてくれた。
○○の前だから、余り目立ちたくなくて等と言う消極的理由などでは無くて。
心の底からと言う訳では無いがこの二人の来訪を、慧音は確かに受け入れてくれた。

「良いんですか?」思わず彼の口から、柄にも無いような丁寧な言葉が飛び出た。慧音は少し笑った。
その笑い方も、今までから考えればかなり柔らかい物だった。少なくとも二人が考えていたよりはずっと。
また視線だけで殺されそうなぐらいの敵意をぶつけられる事を覚悟していた二人からすれば、これは思わぬ事であった。
強張りに強張った二人の体は、思ったよりも柔らかい空気に少しばかり戸惑ってしまった。

「入ろう。折角ここまで来たんだから」
彼は思考が追いついていなくて、それは木こりの方も大して違いは無いのだが。
取りあえず、悪くないと言う直感だけは持っていた。なのでその直感に従う事にした
「あ、え……」出入り口で半ば呆然としている彼を追い抜いて、先に部屋に入って行ってしまった。

「おい、何突っ立てるんだよ」
「あ、ああ……」
別に手を引かれたと言う訳では無いが、彼はなし崩し的に部屋に入らされてしまった。


「昨日……寺子屋の掃除をしてくれたのだってな?あのお姫様から聞いたよ。有難う」
思い思いに座った後、慧音が開口一番に昨日の掃除の事に関して礼を言って頭を下げた。
しかし、二人にとってこの謝辞は。掃除だけの事に留まる事は無かった。
無論それぐらいの事は慧音も理解している。これはそれを理解した上での行動だ。

慧音が頭を下げる姿には、二人は嬉しいはずが無かった。ようやく、話を聞いてくれそうな所まで来れたのだ。
特に、随分焦っていた木こりからすれば。
「いやぁ……ははは……」必要以上に喜んでしまうのを抑えるのが大変なぐらいだった。
「……ただの掃除だろう?」
舞い上がっているのが分かったので、彼が思わず釘を刺してしまうぐらいには。
「いやでも……臭いとか辛かったでしょう……」
意識的か無意識なのかは知らないが。○○はその釘を引っこ抜いていた。

「ははは……まぁ、確かにそうですね」ようやく巡って来た幸運に、木こりの顔は締まっていなかった。
焦っていただけに、分かりやすい戦果が見えた事に舞い上がっているのか。
徐々にではあるが、彼の方が焦り出した。

「まぁ、そのまぁ。あれだ。何か○○さんも、悪くないようだし……掃除の方は、そう。大晦日の大掃除並にやったから」
「寺子屋の手伝いをしてくれると言う話は、どうなったかな?」
彼が落とし所を、さっさと部屋を立ち去れるような空気を見つけようとして四苦八苦していると。また考えてもいない展開になった。

「え……?ああ……あの話」
まさか慧音の方から、慧音が最も守りたい領域であるはずの寺子屋。その寺子屋に、部外者が訪れる様な機会を。
まさか、まさか慧音の方から作ってくれるとは思わなくて。
ここまで考えて、友好的に話を運んでくれると結論付けるには早いと彼は思ったが。
「あの話、宜しいんですか!?」木こりの方は焦りが浮き足に変わって、物凄く逸っていた。

「いや、あの話は……そちらが構わなければと言う話なんですけどね。何せ俺らは精々が体力しかない馬鹿ですから」
逸る木こりの肩をバシバシと叩きながら、出来るだけ謙虚にしていたが。
「そんな事は無い。体力があるならあるで、やって欲しい事もある」
引けば引いただけ、慧音は追いかけてきた。

ここまでされれば、慎重だった彼の考えも、多少は楽観的な物に変わる。
もしかしたらこれは……行けそうだと。
横目で木こりの方を見やると、ものすごく良い笑顔をしていた。少しばかり誇ったような顔をしているのが癪だったが。
まぁ、確かに……来た甲斐はあった。そのきっかけを作った木こりには、素直に感謝するべきだろう。

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最終更新:2014年03月18日 10:55