彼は木こりの住んでいた、あの小さな小屋の前で小さくうずくまり、下を向いて、両手で頭を抱えていた。
輝夜が慧音の家に行くと言った時、無理にでもついて行った方がマシだったかもしれない。
輝夜は彼の身を案じて、1人で行くと言って譲ろうとしなかった。
確かに、怖くないと言えばそれは嘘になる。しかしそれでも無理について行けばと思うぐらいだった。
少なくとも、あの小さな小屋が見るも無残に破壊しつくされたこの姿を。一人で見るよりはマシな気分でいられたはずだ。

辺りには木っ端妖怪が来たことでも演出したかったのか、わざとらしく小屋の破片やらが散らされていた。
これだけでも演出過多なのに。散らされている破片には、これまたわざとらしく血がべったりと塗りつけられていた。

だが死体は見つけようとはしなかった。小屋の残骸の中央程に、一番派手に血液を飛ばしたような痕跡があるから、場所の見当は見ただけで分かったのだが。
友人の無残な姿を見たくなくて、彼は残骸の中身を検める事が出来なかった。

それらを見たくなくて、彼は小さくうずくまって、下を向き、頭を抱えているのだ。
幸いと言っていいかは分からないが、血の臭いは乾ききった事で全く漂っていなかった。

「ここまでやるか……」
なのに彼は、何度も頭を上げた。見える光景など変わりっこないのに。
そして何度目だろうかこの種の言葉を呟くのも。どうせ何度試しに頭を上げてみたって、眼に入る光景は同じなのに。
「……一体何の恨みがあるんだ」
それでも彼は、何度となく頭を上げた。そしてその度に恨み言をこぼし。また目を覆うように、下を向いて頭を抱えた。


だがこれらの演出の中に、木こりが日常的に読まざるを得なかった妖怪向けの新聞は一切なかった。
風でいくらかは飛んで行ったと考える事が出来たとしても。いくらかは辺りの木々に引っかかっても良いはずだ。
昨日は特に風が強かったと言う訳でもなければ、雨も降っていない。あれだけ大量に合った物が、全て消えてなくなる事は考えにくかった。
作為的な物を感じざるを得ないが……考えれば考えるほど只でさえ悪い気分がさらに悪くなる。
今でさえ、動悸が激しくて心臓辺りが痛いのに。これ以上考えたら、いよいよ倒れてしまいそうなぐらいだった。


「馬鹿じゃねーの……あいつら」
「本当にね……本当に、救いようがないわ」
何度目かの呟きに返事を返すように、輝夜の声がした。
「あれだけあった、妖怪向けの新聞だけ綺麗さっぱりなくなってるわね……どこにやったのやら。ほんと、そう言う姑息な所は気づくのね」

ここ最近では、最も心強い人物が傍に来てくれたのだったが。輝夜の方に振り向く彼の顔に、生気と言える物は戻って来なかった。
戻るはずが無いと言っても良かった。輝夜が来てくれたのは嬉しいが、その姿が余りにも痛々しくて喜びを相殺してしまうのだ。

輝夜の立ち姿は良さそうな服の袖が片方、根元からバッサリと破り取られていて。
輝夜の顔は、その袖を破って作ったと思われる包帯もどきで、鼻を起点にぐるぐる巻きにされているし。
破れていない胸元辺りは血で塗れているどころか、鮮血の後は胴や下半身辺りにも見て取る事が出来た。
この鮮血が誰の物かは、輝夜の顔を見ればわかるだろう。考えるまでも無い。


何とか立ち上がる事が出来たが、輝夜が来てくれて彼が立ち上がれたと言う好材料を相殺所か、思いっきり大きな赤字を突き付けられてしまい。
彼の眼もとからは涙があふれ出た。
何故泣いてしまうかの理由は分からなかったが。泣いてしまう自分が情けなくて、涙がより多くなっているのだけは分かった。

「ごめんなさい……1人にしてしまって」
フラフラの状態で立ちながら、ボロボロと涙をこぼす彼の姿に輝夜は、自身の怪我を勘案せずにまずは彼の身を案じた。
「姫さん、謝らないでくれ……俺はずっとここで、呆然としていただけなんだぞ」
「貴方も私も違わないわよ」
傷の程度で言えば、輝夜の方がずっと酷いから彼は一歩引いたが。輝夜は追いかけてくれた。

「強いて言うなら目に見える体の傷か、目に見えない心の傷かの違いでしかないわ。私は妹紅に殴られて、貴方は友人の惨殺された姿を見てしまった」
「いや、傷の度合いで言えば。貴方の方がずっと……かもしれないわね。こっちは時間をかければ確実に治るから」
鼻の骨がどうかして、随分喋りにくそうなのに。きっとまだ痛みも引きずっているはずなのに。
それでも輝夜は、彼の心の傷を慮っていた。それ所か、彼の方が重症だと思って優しく接していた。


「……悪い、姫さん。気遣ってくれるのは嬉しいが……気遣われ過ぎると自分が情けなくなるんだ。わがまま言ってるようだが……」
輝夜からの気遣いは嬉しかったが。目に見えた“重傷”患者から“重症”だと扱われるのが。とてつもなく心苦しかった。
皮肉な事に、輝夜から気遣われる事が彼の負った心の傷に塩を塗り込む事になっているのだ。

「……っ」
輝夜は“ごめん”と謝ろうとしたが。多分その行為も、彼の心の傷に塩を塗り込む事になってしまう。
直感でそれが理解できてしまったから。輝夜は喉を不自然に動かす事しか出来なかった。


「……」
「……」一体何を喋ればいいのやら。
彼は立ってこそはいるが。どうにも足元はおぼついていないし、静かに泣いたまま顔を押さえて動こうとしない。
輝夜も輝夜で、多分折れてしまった鼻っ先はさっきからずっと痛いのだが。喋る事が無くなって黙りこくる今の方が痛みは鮮やかだった。
これならまだ喋ったり動いたりした方が、痛みが紛れてくれていた。かと言ってその為の話題や事柄がすぐに見つからなかった。
いつのまにか輝夜も、伏し目がちになって地面と衣服に張り付いたた自分の血をを見ていた。
血はもう変色していて、褐色がかっていた。



黙りこくって間延びしすぎた場を誤魔化すように、輝夜は何度も頭を掻きむしっていた。
その頻度と強さは、苛立ちも手伝ってどちらも大きかった。
「っ!?」
何度目かの掻きむしりで、頭皮に痛みが走った。

思わず顔を上げて、手を見ると。爪の間に血が入り込んでいた。掻きむしり過ぎたのだ。
「あっ……」
そして頭を上げた拍子に、目についたのは。木こりが住んでいた小屋だったもの。
そして小屋だった木片に、わざとらしく塗りたくられた鮮血……が渇いて黒っぽくなった物。
丁度今輝夜が着ている衣服に張り付いているのと、似たような色だった。


「……ねぇ。今、私の話聞ける?」
しばらく考えて、ようやく輝夜は彼に話を振る事が出来た。
「何だ……」
涙声が酷かったが、彼は返事をすぐに返してくれた。案外強いらしい。その強さがむしろ痛々しい。

「ねぇ、木こりさんの死体。荼毘に付しましょう。こんな所じゃなくて、もっとちゃんとした……墓地に、永遠亭の一角を提供するわ」




木こりの亡骸は、もはやそれがいったい誰なのか判別がつかなかった。
瓦礫をどかす際に、意を決していたのに。色々とみてきた輝夜でさえも思わず口と鼻を押さえ、目を背けた。
彼に至っては尻餅をついたかと思ったら、大きな声で嗚咽を漏らしていた。よくは見ていないが、多分吐しゃ物をまいたはずだ。


「バレバレなのに……いくら取り繕っても、バレバレなのに……食い意地だけの木っ端妖怪が、こんなに残すわけないのに」
「くそ……何で……こんなに、ここまで……」
木こりだった何かを運び出す時、輝夜も彼も自然と大粒の涙がこぼれた。
おかげで運び出す作業が全くはかどらなかった。朝もそれなりの早い時間だったはずなのに、まともに作業が出来たのは泣き疲れて涙も枯れたころ。
そして泣き疲れて涙が枯れたころに見た空は、もう昼時ぐらいの様相だった。

結局、木こりの亡骸を荼毘に付す事が出来たのは。もうお昼ごはんも終わって午後の作業に出ようかと言う塩梅の時間だった。
朝食はもちろんだが、二人は昼食すらとっていない。でも空腹を感じる余裕は、二人ともなかった。
ただ呆然とした顔で地面にへたり込んで、亡骸を荼毘に付している炎と紫煙を眺めるだけだった。


荼毘に付すための炎が燃え尽きても、二人は動けなかった。
「……上白沢慧音はどうした?」
何分経っただろうか。いい加減午後の作業所か、今日の作業が終わりそうな時間になってようやく彼が口を動かす事が出来た。

「……知らない。慧音の家にいた妹紅に殴られて、気が付いたらどっちもいなくなってた」
「そうか……見当は、ついているのか?」
「大よそついてるわ。妹紅の家だと思うけど……ごめんなさい、行く気力が湧かないの……………少なくとも今日は」
少なくとも今日は、と言う部分。輝夜はこの部分を最後の意地で捻り出したが。
だからと言って、明日に行くのかと言われたら…………

「そうか……まぁ、今日は無理だな……俺も無理だ。余り動きたくない」
輝夜は彼の言葉に対して。明日は行くと言いたかったが。これ以上受け答えをする気力が湧いてくれなかった。

結局二人ともそのまま飲まず食わずで、夕日も沈んでしまうまで放心状態で座り込んでいた。
夕日すら完全に沈みきったぐらいの時間に、鈴仙とてゐが迎えに来てくれるまで。二人はずっとそのまま座り込んでいた。

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最終更新:2014年03月18日 10:59