「……眠れてしまう自分が憎いわ」
迎えに来てくれたてゐと鈴仙に付き添われながら、二人で永遠亭に帰って来た所までは覚えている。
その後疲れたと言って、自室で座布団を枕に横になった後の記憶が一切ない。気が付けば、外の景色はすっかり明るかった。
「この明るさは、多分お昼前ね。眠り過ぎでしょう、こんな状況でさぁ」
「姫様……お目覚めになられましたか?」
外の景色を見ながら、自虐的な事を呟いていると鈴仙が声をかけてきてくれた。
「……永琳は?」
いつもなら、起きた後の挨拶や世話は永琳が焼いてくれる。その永琳が来てくれない事に、輝夜は一抹の不安を覚えた。
「……その」
鈴仙が言葉を詰まらせた。やっぱり永琳が来てくれないのにはそれ相応の、とっても悪い理由があるらしい。
「良いから。教えて」
輝夜は段々と自分の感覚が麻痺して来ているのが分かった。心臓も高鳴らないし、眉根も動かなかった。
「……はい。今朝、まだ姫様がお眠りになっている頃に、上白沢慧音を探しに行きました」
「やっぱり、事情を知っちゃったかぁ」
「申し訳ありません……」
鈴仙が蚊の鳴くような声と共に、頭を下げた。
「良いのよ。遅かれ早かれ、知るはずだから。天狗の新聞は文文。新聞以外にも沢山あるから」
「……有難うございます」
優しい言葉をかけて貰えて、鈴仙は少しばかり安堵の表情を浮かべたが。話の続きをしてはくれなかった。
「良いから、話しなさい。最初に言葉を詰まらせた時点で、何か悪い事が起こってるってのは気づいたから」
「……結論から言います」
「お願い」
鈴仙は意を決したようだが、口を開こうとする前にその眼には涙が浮かんだ。
感覚が麻痺してきているなと思っている輝夜でも、流石に嫌な緊張感が走ってきた。
「妹紅の家で上白沢慧音を見つける事は出来ましたが、一緒にいた妹紅に有無を言う間も無く殴られて。上白沢慧音からも腹を蹴られたようです」
一時だけ鈴仙は涙を押し殺して、その一時で一気に言葉を紡いでくれた。
事実を一気に喋った後の鈴仙は、目を押さえてさめざめと泣きだした。
「……今永琳は?」
「……泣いてます、泣きながら帰ってきました。その後は自室に籠ってます」
行動が逆転したなと輝夜は栓も無い事を思った。普段ほとんど外に出ない罰なのかなとも考えてしまった。
しかし一つだけ確実なのは。永琳の心は折れる所か、今朝方の一件でついに粉砕されたと言っていいだろう。
永琳抜きで何とかしようとは思っていたが。余りにもな仕打ちに心は痛む。
「……彼は?」
しかしだからと言って、会って慰めてやる自信も今の輝夜には無かった。そして、ただ寄り添ってやる時間も無いのだ。
だから輝夜は、敢えて永琳の話を無理やり終わりにして、彼の事を聞いた。
「里に戻りました。護衛にはてゐがついてます……“妖怪向け”の文文。新聞を持っていました。問い質してやると……息巻くと言うよりは暴走してました」
一晩眠って体力が回復したら、彼はどうやら怒りが湧いて来たらしい。
その様子を聞きながら、若いなと思った。人間基準ではさほど若くないのだが。
「……てゐがいるなら、もしもって事も無いわね」
しかし、暴走しているとは言え。立ち上がっている彼を無碍に扱う気は、輝夜には毛頭無かった。
「妹紅の家ね……ちょっくら行ってくるわ!」
「あの……姫様。用意しますからせめてお風呂ぐらいには、随分汚れていますから」
「今から用意するんでしょ?んな暇無いわよ。水被るから、用意して」
「でも寒い―」
「動けばじきに暖かくなるわよ」
輝夜の体を気遣って、風呂を用意すると言う鈴仙を強烈に突っぱねた。
輝夜の言うとおりに、
鈴仙を井戸水を用意して輝夜にぶちまけたのだが。真面目すぎるきらいがある鈴仙は、輝夜よりも青い顔になっていた。
「……何てこと」
妹紅の自宅に、一戦交える覚悟で乗り込もうとした輝夜だったが。
「最悪……覚悟決めたって事じゃない!」
その意気は、消し炭となった妹紅の自宅を見た事で。折角こしらえた意気が何処かに飛んで行ってしまった。
これは最悪の一言だった。いがみ合いながらも、殺し合いながらも、、過去百年以上に渡って住んでいた場所を妹紅は自ら引き払ったのだ。
確かに、輝夜は妹紅の自宅に押しかけて何度もちょっかいをかけたし。その度に妹紅は苛立ちを隠さずに、本気で相手をしてくれた。
勿論その逆も、何度もあった。
お互い、押しかけられて相手をさせられている時は強烈に鬱陶しいと思っているのだが。互いに居を構える場所を変える気は無かった。
小間使いのイナバなどもいて大所帯の、輝夜が住まう永遠亭はともかく。基本1人身で、身軽な妹紅も同じ場所に住み続けた。
それは心の底で妹紅は、遊び相手に自分の居場所を把握して貰いたかったからだ。
輝夜が永遠亭に引きこもりがちなのも、妹紅と同じ理由だった。
その妹紅が遊び相手だったはずの輝夜に、自分の住まう場所を分からなくした。
それは何十何百年ぶりかに訪れた、大きな危機だった。
こうなってしまっては、輝夜は妹紅が新しく居を構える場所をすぐには把握する事は出来なかった。
しかしまだ幸いな事に、慧音はまだやらかしていない。多分満月まで待つはずだ。それが最も里に被害を与えれる時だから。
慧音は満月まで待つはず。ならばそれまでの間は何処に?知れた事だ。
○○のそば意外に、何処に行くと言うのだ。今の上白沢慧音が。
満月までは、まだしばらくの日数がある。
ならばまだ、まだ間に合うはずだ。妹紅や慧音とも一戦交えて、ふんじばってでも動きを抑える事ぐらいは叶うはずだ。
もう悠長な事は言っていられない。○○には、全てを知られてしまうかもしれないが、それを気にしていられるような時では無くなった。
とにかく今は、慧音の凶行を止める事を最優先に考えるべきだ。
衝撃を受けるであろう○○の心中に同情しながら。輝夜は里へと駆けた。
「○○の家は何処!?言わないとはっ倒すわよ!!」里の入り口に着くや否や、輝夜はもう喧嘩腰になって話を進めていた。
里の正門にいた門番達から、一番輝夜の近くにいた者の襟首を掴んで、思いっきり締め上げていた。
「早く、言え!!アンタと問答をしている時間なんて無いのよ!」
そしてガクガクと相手の体を揺らしながら、早く言えと急くばかりだった。
片手で、しかも輝夜の見た目はそれほどガタイも良くないのに。襟首を掴まれた男はとても大きく揺れていた。
こんな行儀も礼儀もあった物じゃない挨拶だが、門番達は何も文句を言わなかった。皆、輝夜が何者かを知っているからだ。
ただただ、頭を下げて丁重な扱いをしながら恐れていた。
丁重な扱いをしながら恐れるのは、もう気にする余裕が無かったが。
「頭を下げてる暇があるなら、早く言えええ!!」と、心の声の大きさを、そのまま大音量にして声に出した。
「……に、お住まいです」
「言えるんじゃないの、馬鹿共が!」
ようやく聞き出せたが、内容の割にこいつらは時間をかけ過ぎだった。掴んでいた門番を投げるように解放したと同時に、また輝夜は駆けた。
乱暴に降ろした時に、こけ方が悪かったのか呻きながら腕を押さえていたが。知った事では無い、どんなに悪くとも死にはしないだろう。
「貴方……来てたの?」
「姫さん……どうしよう、足が動かないんだ」
○○の家まであと十数歩と言う所まで来て、青い顔で1人立ち尽くす彼に会った。
十数歩先の○○の家からは、話し声が聞こえてくる。男が一人、女が二人、合わせて三人分の話し声が。
確かにこれを聞いて、1人で一思いに入って行けるほどの豪胆さはマレだろう。これは彼を責める事は出来ない。
輝夜だって、正直怖いのだから。
中の様子も気になるが、彼が1人と言うのが気になる。
「てゐは?護衛に付いたって聞いたけど」
てゐの事だから、死にはしないだろうけど。里の人間が死んでしまわないかぐらいの事は心配だった。
「寄合所でな、妖怪向けの新聞をぶちまけたんだが……あいつらまだ自分は悪くないの大合唱でな。ついにあの嬢ちゃん、切れちゃったよ」
「死人は出てないわよね?」
「死なない程度にボコると言ってたから、多分大丈夫だろう」
「あっそう、なら気にしなくて良いわね……」
てゐが切れたけど、死人は出ないように気を付けていると聞いて。輝夜は途端に興味が無くなった
。
その様子に、彼は少し苦笑を浮かべた。
皮肉にも、今頃大立ち回りを演じているてゐの姿を想像すると。彼の心労が少し軽くなった、歩く事が出来るぐらいには。
「……行くわよ」
「……ああ」
苦笑が漏れて、少し気が紛れた様子は輝夜も感じ取っていた。そして今この瞬間が、多分唯一の動く好機だと言う事も感じ取っていた。
「○○、入って良い?私だけじゃなくて彼もいるの」
輝夜が戸を叩いて、自分たちがいると言う事を中に伝えた瞬間。彼の中には込みあがる物があった。
しかし、何とかそれは飲み込めたが。とても長話が出来る状態では無かった。
「喋るのは私がやるから」
フラフラの状態を慮ってくれたのは、とても嬉しかった。しかし同時に申し訳なく思いもした。
しかし、本当に限界ギリギリの彼は「すまん」と言う一言も中々紡げなかった。
「良いから、気にしてくれてるのは分かるから」
本当に、申し訳なかった。
「ああ、輝夜さんわざわざ有難うございます。昨日の事ですよね?」
○○の様子から見るに……真相は知らないようだ。木っ端妖怪に食われた不幸な事故だと、まだ信じているようだ。
「何しに来たんだ?」
しかし妹紅の言葉には棘があった。慧音はこっちすら見てくれない。
「……あんな事があったんだから。見知った人間に会うぐらいの事はするでしょう?」
妹紅は何も返してはくれなかった。ただ声も出さずに、含みのある笑みを見せるだけだった。
「えっと……まぁ、立ち話も何なんで。どうぞ」
「何でこいつらと同じ席に座らなくちゃならないんだよ」
妹紅がまた棘を飛ばしてきた。慧音も止める気配が無い、相変わらずこちらを見ずに○○だけを見ている。
最早○○の前だと言う躊躇が、二人から感じ取れなかった。
「あの……お二人って、もしかしてあんまり」
「色々あるのよ……色々ね。ちょっと込み入った話がしたいわ……慧音と妹紅も一緒に―
「断る」
ようやく慧音が声を出してくれたと思ったら、これである。
「え、慧音先生?」
こんなにも冷たい慧音を見るのは、きっと○○は初めてなのだろう。明らかに動揺している。
だが慧音は「○○、先生と言う呼称は外してくれ。呼び捨てにしてくれないか?」
と言って、○○とは全く違う方向の事柄を気にしていた。
「いや、そうじゃなくて……」
オロオロする○○、それでも○○ばかりを見る慧音、輝夜と彼に対して敵意をモロにぶつける妹紅。
だが、妹紅の敵意は主に仇敵である輝夜に集中していた。彼にはたまにしか巡って来なかった。
眩暈がするし、吐き気もするが。敵意がたまにしか巡って来ないのは、彼にとっては体勢を整える時間を手に入れる事につながった。
そして何度目かに生じた吐き気で、込みあがる気持ち悪い何かを完全に呑みこんで、意に落とし込む事が出来た。
「なぁ、○○……」
口の中は気持ち悪いが、喋るのに差し支えは無くなった。
「くっ、放せよ輝夜」
「嫌、絶対に嫌」
彼が口を開いた瞬間、妹紅が飛び掛かろうとしたが。
基本的に輝夜の方しか向いていない状態からでは、一拍の間が出来てしまった。それだけあれば輝夜なら妹紅の動きを封じれる。
慧音はワナワナと震えているだけだった。すぐに激昂しないのは、多分○○の前だからだろう。
「木こりの事は……あれはとんでも無い事だ……○○の想像を遥かに絶する事柄だと思う」
慧音妹紅輝夜、三人の尋常では無い様子に、○○は驚くが。それを気にせずに話を続ける彼も、また尋常では無かった。
「でも、だ……頼む聞いてくれ……!」慧音と、輝夜妹紅の二人、そして彼。この三つの中心にいる○○は、狼狽していたが。
彼からの必死の嘆願に、○○の注意が彼に固定された。
その瞬間、輝夜は妹紅をさらに強い力で抑え、慧音の口角の端からは泡のような物が漏れた。
「頼む、お願いだ、全部話すから。全部知ってからでも、俺と仲良くしてくれないか?」
「誰が、貴様なんかとおおお!!!」
○○からの返事が出てくる前に。慧音の体当たりが、彼を思いっきり吹っ飛ばした。
最終更新:2014年03月18日 11:00