「てゐ、付いて来てくれる?」
てゐから施される傷薬や包帯で傷口に触り、沁みたりして痛い筈なのだが。呻き声も弱音も一つも吐かずに、輝夜はまだ力強くいる事が出来た。
「慧音を探すのなら、手伝うよ。イナバ達にやらせる訳にも行かないもんね」
対するてゐも、輝夜がまだその気ならば。二つ返事で引き受ける以外には無いのだが、かなり分の悪い賭けであることは否めなかった。
「この賭けは、張らなきゃ不戦敗でしょ。だったら全額張ってやるわよ」そんなてゐの心中は喝破されていたらしいが。てゐの苦笑には生気が余りなかった。
「その賭け、俺にも乗らせてくれないか!?」
扉越しに話を聞いていた彼が、輝夜のその気を感じて自分も話に乗らせてくれと。
「……」
てゐと同様に、殆ど考えずに話に乗ってくれたのは素直に嬉しかったが。輝夜から漏れたのは、苦笑いと無言だった。
特にこの無言は、三人にとって嫌な物だった。てゐの時と違って、丁々発止に言葉は出てこなかった。明らかに空気が変質した。
もちろん彼も、その変質した空気にそこまで鈍感でいる事は出来なかった。
さりとて、自分から身を引く事も出来なかった、と言うよりはしたくなかった。
「……ごめんなさい」
振り絞ったように輝夜から謝罪の言葉が紡がれた。ああ、やっぱりか、と言うより少し考えれば分かる事だろうと。
「その……手伝ってくれるって言う気概は嬉しいわ……でも」
「分かってる……荒事になったら、俺は間違いなく足手まといだからな。手を挙げる前に気付くべきだったよ」
そしてまた、嫌な無言が辺りに流れた。
「……すまん、出過ぎた真似だった」途中、彼が謝罪の言葉を口にしたが。皮肉にもこれは逆効果だった、彼からすれば言わないと言う選択肢が存在しないのに。
輝夜もてゐも、彼が現状を何とかしたいと言う思いはひしひしと感じて、分かっている。友人である木こりが殺されたのだから、その思いは憤りと共にまた強くなったはずだ。
だからこそ、彼は慧音を探すと言う輝夜の提案に即答したのだ。
輝夜とてゐは、その気持ちが十分に分かっているから。なのに輝夜とてゐは、彼の身を案じてその気持ちを断らなければいけないから。
そして彼も断られた理由が邪魔だから等では無く、案じられたからだと言う事をよく理解出来るから。
三人とも居た堪れない気分だった。はっきり言って、誰も得をしていない。もっと言ってしまえば、この空気に襲われる以外の道が無かったのかもしれない。
「……鈴仙は?鈴仙はどうするの?」
この空気に耐えかねて、てゐがいきなり話題を変えてきた。まるでさっきまでの空気などなかったかのように、その前の話の続きと言わんばかりに。
「……あの子には、今は永琳の世話をしてもらうわ。二人とも連れて行ったら、永琳が本格的に壊れそうで怖いし」
輝夜は少し迷った。てゐの出した話題を続けるか否かで。でも多分、続けない方が居た堪れないはずだ。そう思って、半ば諦めた。
「……姫さん、俺一回帰るよ」
一番居た堪れないのは彼ではあるのだが。どう贔屓目に見積もっても、今の状況は完全な蚊帳の外だ。
肝心な所で、彼は何もできない。何もしないのが一番の手伝いなのだ。
荒事には手を出さない方が、輝夜の邪魔にならないと言うのは分かり切っていたのに。そう簡単には割り切れなかった。
「待って。帰るならお札を上げるわ。不意にこっちに来なくちゃ行けない事もある筈だから」
「……ッ」
お札と聞いて、彼が少し嗚咽を漏らした。安全の保障であるお札は、あの木こりも貰っていた。それを思い出してしまったのだ。
輝夜も彼の嗚咽を聞いて、しくじったという表情に顔が歪んだ。
結局、澱みに澱んだ空気は元に戻る事は無く。ただただ淡々と、彼は輝夜からお札を、あの木こりが貰ったのと同等の上物を貰って一端帰路に付いた。
「ねぇ、何か嫌な事があったら、すぐにこっちに来るんだよ?」護衛に付いてくれたてゐの、去り際にかけてくれた言葉が酷く心に響いた。
痛みと温かさの両方の意味で。
「……ありがとうな。でもまぁ、俺には子供がいるから。しばらくは頑張れるよ」
「無理しちゃだめだよ?何なら子供も連れて来ていいからさ」
それをやったら、家内に殺されるかもしれないな。そう思ったが黙って置く事にした。
寄合所で切れて、大立回りをしたてゐなら。どこぞに逃げた家内の元に行って、脅しをかけそうだから。
「有難うな……どうしようもなくなったら、そうするよ」色々考えたが、ここはもう簡単に有難うとだけ言って別れる事にした。
無駄に濃い一日を過ごしたと思っていたが。残念ながら、まだ日はそこそこ高かった。
平時ならば、寺子屋から帰ってきた子供たちが残った体力でそこら辺を駆けずり回る時間だった。
最も寺子屋を切り盛りしている二人は、何処かに行ってしまい行方知れずになってしまったのだが。
輝夜が方々手を尽くすとは思うが。その結果、奇跡的に慧音と○○の二人を見つける事が出来たとしても、寺子屋が再開される可能性は皆無なのだろうけど。
今できるのは、どん底の一段上に上がる事ぐらいだった。そしてその手助けを、彼は一切する事が出来ない。
虚無感に襲われながら、ジンジンと痛む腕を押さえる。動かせるから多分折れていないのだろうけど、ぶつけたのだから痛い物は痛い。
家に帰る道すがら、キャッキャと遊ぶ息子と娘に出会った。
「ねぇ、一緒に遊んで」
二人ともそれぞれが、自分の遊び道具である。そこらへんで拾ったチャンバラに使えそうな棒切れと、お手玉を渡そうとしてきた。
視界の後ろの方で、家内が乳飲み子を連れて何処かに逃げるのが見えた。子供たちの手前でなかったら、恐らく怒鳴っていた。
「……すまん。ちょっとこけて怪我して、腕が痛いんだ。それに少し疲れたんだ、今日は勘弁してくれ」
怪我をしたのは嘘では無い、疲れているのも嘘では無い。でも嘘をついているようで、罪悪感が鎌首をもたげていた。
しかし、罪悪感を感じながらでも、横になれば眠る事が出来た。
起きたら、外が少しばかり夕日に焼けていた。家内はまだ帰っていない。末の乳飲み子も当然いない。
でもお腹は空いた、自分はともかく全く関係ない子供たちが腹を空かすのは居た堪れない。
慣れぬ手つきで作った夕食だったが、子供たちは平らげてくれた。
その場は何とかこらえたが、いよいよ申し訳なくなってしまい。夜、寝床で声も無く泣いてしまった。
その日を境に、彼は毎日永遠亭に通った。輝夜から事の次第を聞く為に。でも聞ける内容も変わり映えしなかった。
東を探した、西を探した、南を探した。どこにもいなかったから、明日は北を探す。その北を探す日も、やっぱり聞ける言葉は同じだった。
その上輝夜に会えたのは最初の三日程度で。今の輝夜は寝食を徹底的に削って、幻想郷中を駆けずり回っているそうだ。
それぐらいやっても、間に合うかどうかわからない計算らしい。
対して彼は、三食きっちり取る事が出来るし、眠る時間もちゃんと取る事が出来る。何もやる事が無かったが。
しかし何もやる事が無くても、ちゃんとお腹は空くし、夜になれば眠くなる。忌々しい事だったが。
しかし彼はそれをおくびにも出さなかった。子供達には関係の無い事だし、自分がイラつくのは駆けずり回る輝夜に申し訳が立たなくなってしまう。
一つ申し訳ないのは、イラつかない副作用として殆どの事に対して動く気力が無くなってしまった事か。
子供達からは何度も遊んでとせがまれたが。遊んでやる気力すら湧かなかった。
気力が無いのは、子供達も見れば分かるようになったらしく。途中から、見てるだけで良いからと譲歩までしてくれた。
この譲歩で申し訳なさと居た堪れなさが天井を突き抜けてしまい。一度は子供たちと遊んだが。
幻想郷中を駆けずり回る輝夜、何処かに行ってしまった慧音、そして連れ去られた○○。
これらの事が気になってしまい、さりとてただの人間である自分にやれることなど無くて。
その板挟みに心中で喘ぎながらでは、子供たちの良い遊び相手にはなれなかったらしく。
「やっぱりそこで見てて、見てるだけで良いから」と厄介払いされてしまった。
そんな状況が、十日以上続いたある日。惰性で続けていた毎朝の永遠亭詣でにて、久方ぶりに輝夜に会う事が出来た。
しかし表情は強張った物だった、良い返事はまるで期待できなかった。
「ごめんなさい。ついさっきまで駆けずり回ったけど、何も手がかりが見つからなかったの」
「じゃあ、何で今日は俺と会ってくれたんだ姫さん?と言うか、お願いだから謝らないでくれ。俺は何もしていないのに」
「今夜は……」
謝らないでくれと言う彼の言葉が聞こえていなかったのか、輝夜は震えた声で空を見上げながら、今夜の事を話し始めた。
「今夜?……ああ!!そうか……」
奇しくも今日は晴天。輝夜の見た先には、日取りが良ければ日中でも見える、古から歌にもよく詠まれる風流な物が見えた。
「そうよ、今夜は、満月なの」
但し今の二人には、満月は凶兆の星にしか見えなかった。
いよいよ自分たちは、崖っぷちに立たされてしまった。
「ここまで探して見つからないの……今日一杯探したとしても、見つけれ無い方が可能性が高いわ」
輝夜は空を見上げながら、震えながら言葉を続けた。
「だからね……私、物凄い賭けに出るつもりなの」
「何をするつもりなんだ……姫さん」
彼の言葉に、輝夜は中々答える事が出来なかった。それはそうだ、賭けと言うのは負ける可能性の方が高い。
「迎え撃つわ。慧音は絶対、妹紅と一緒に里に向かうはずだから。二人とも、迎え撃って見せる。見つけれないのなら、それしかないわ」
しかし輝夜は、この賭けに負ける事が出来なかった。
満月で強くなった慧音と、ただでさえ強い妹紅の二人を相手にして、勝たなければいけないと言う無謀な賭けでも。
今の輝夜には、この賭け以外の方法は残されていなかった。
最終更新:2014年03月18日 11:01