「大丈夫!」
崖っぷちも崖っぷち、そんな場所にいると言う事実を突きつけられて、意識が遠のく事すら出来ずに呆然としている彼に対して。
輝夜は力強く言葉を出して、彼の肩をやはり力強く両手で掴んだ。
「私が何とかするから!」
そして出てきた言葉も、先の二つと同様に。とても力強く、根拠のない自信にあふれた物だった。

「私にしか……これはもう私じゃないと、どうにかする事が出来ないと思うから!」
言葉も、動きも力強かったが。顔を突き合わせる彼には、どうしても無視できない物が見えてしまった。
それは輝夜の目だった。目は口ほどに物を言うとは、言った物だった。

言葉も動きも力強かったが、輝夜の目元だけは小刻みに揺れ動き続けていた。
輝夜の目は懸命に、目の前にいる彼の方を見ようとしているのは分かった。ここではっきりと彼を見なければ、言葉と行動に勢いを与える事が出来なかったから。
しかし実際のところは、輝夜は懸命に視界の中心を彼に固定しようとはしていたが。どうしても眼球が揺れ動いてしまい、視界から外さないのが精一杯だった。

分かっているのだ、輝夜だって。今自分のやろうとしている事が、無理で無茶で無謀な事ぐらい。
只でさえ互角な妹紅に、満月で全力を出せる慧音が脇に控えているのだ。
単純な足し算で戦力は計れないかもしれないが……相手の組み合わせはとても気心が知れている組み合わせだ。
下手をすれば、単純な足し算ですら間に合わないかもしれない。掛け算に、更におまけでいくらかの加味が必要かもしれない。

「大丈夫よ、絶対に大丈夫だから…………大丈夫に決まっているわ!」
輝夜が何度も繰り返す、大丈夫と言う言葉も。何度も聞かされ続けていると、それは彼に聞かせる言葉では無い気すら覚えてきた。
裏の所では、輝夜は大丈夫としつこく繰り返す事で、自分自身に対してある種の暗示をかけているのではないかと。
グラグラと揺れ動く輝夜の眼球の振れ幅が大きくなってきている辺り。おそらくは、当たらずとも遠からずなのかもしれない。

彼には、輝夜の心労と肉体的疲労が余りある事ぐらい分かっているし。そして何より、一番頼れる人間から弱気な言葉を聞きたくないと言う恐れもあって。
輝夜の心中を追及する事は出来なかったが。心中が分からなくても、一つだけ確かに分かる事があった。
今の輝夜は、無理をしているなと。これだけは確信を持つ事が出来た。こんな確信、出来ればかなぐり捨てたかったが。


輝夜は彼をまともに見る事が出来ずに、自己暗示を必死でかけていて。対する彼も、輝夜以外が見れなかった。
ここで目線を逸らしてしまったら、最後の砦が崩落してしまいそうで怖かったから。
ただ、輝夜の目線の揺れ方はなおも酷さを増していて。果たして自分を見ていてくれているのか、甚だ疑問だったが。



「姫ぇー!!?」
そんな調子で彼は輝夜の方しか見れなかったし。輝夜は輝夜で自己暗示をかけるのに必死で、視界が定まっていなくて。
「うぉ!?」
「て、てゐ!?な、何?何かあったの!?」
「あは……あははは……」
てゐが慌てた風に呼びかけるまで、二人ともてゐの存在を感知する事が出来なかったのは道理だった。
不意打ちを食らった様な格好の二人は、大層驚いていたが。かなり近くに来ても気づいてもらえなかったてゐは、引きつった笑いを浮かべるだけだった。

「ああ、うん……姫、お風呂湧いたよ。今夜は山場だから、今から風呂に入って寝るんじゃなかったの?」
「あ、そうなの……ありがとう、てゐ。じゃあ、悪いけど、私行くわね」
そう言って輝夜は手をヒラヒラと枯葉のように振りながら、彼とてゐの元を去って行った。
比喩表現だとかの冗談抜きにして、去っていく輝夜の姿は拭けば飛んで行きそうな程に憔悴していた。


「あはは……あんたも、久しぶりだね…………元気では無さそうなのが残念だけど」
「……事情を知っていても元気を出せる奴がいたら、そいつは人間じゃねぇよ」
「……その言い方だと、里は相変わらずっぽいね。今幻想郷で三番目に元気が無さそうな顔してるもん」
一番目は、蓬莱山輝夜で間違いないとして。二番目も彼はすぐに当たりを付ける事が出来た。
「二番目はあの医者、八意永琳か?」
「そうだよ……姫様も無理しすぎててヤバいけど、精神が粉砕されちゃった師匠も十分ヤバいんだよね」
やはり、無理をしていたか。身内であるから、嫌でも深くまで理解できるからなのか、てゐの目にはよく見ると隈が出来ていた。

「なら、嬢ちゃ……いやてゐ。アンタは四番目に疲れているな」
「嬢ちゃんで良いよ、このナリならそう呼ばれても仕方ないし。あと同着で、師匠の世話をしている鈴仙も入れてやって」
冗談を言っているつもりなのだろうけど、てゐがこちらを向いてくれた事でその目元に焼き付いた隈が更に確認できてしまい。
隈以外にも、頬のコケやシワも見て取れてしまう。
「いや、四番目は俺で良い。三番目はアンタと鈴仙だ」
この十日以上、ずっと里で何もしなかった罪悪感に襲われてしまう顔付き。そう言う顔を、今のてゐはしていた。
きっと鈴仙も、今のてゐに負けず劣らずの疲れた顔である事は見なくとも分かる。


「…………今夜は、大丈夫なのか?」
出来れば顔を背けたかったが。
その行為に輝夜の時ほどの切迫感は無くとも、それをしてしまうと彼自身がてゐや鈴仙。
引いては永遠亭全体に対して、裏切り行為を行ってしまうかのような罪悪感に襲われそうだった。
「そうやって真剣に、真っ直ぐこっちの目を見てくれると気の利いた事も言ってあげたくなるけど……」
彼の行動に対しては、概ね好感触だったが。口から出る言葉は悪い知らせしか無かった。

「良いんだ、言ってくれ」
「そうだね……思わせぶりは良くないね…………勝ち負けで言ったら、負けると思う。二対一だもん」
てゐからの正直な言葉に、彼の顔が歪んだ。
「待って!でもね、試合には間違いなく負けるけど。勝負には勝てるかもしれないから!」
その歪んだ顔を少しでも和らげようと、てゐは必死で良かった探しをしてくれていた。

「どういう意味だ?」
「……要はさ、あの二人が里に辿り着けなかったら良いんだよ。姫様が何百何千と死のうが、最低でも二人の邪魔さえ出来れば良いんだ」
「……死ぬ?あの姫さん、俺達なんかの為に死ぬつもりなのか!?」
「大丈夫!大丈夫だから!姫は死んでも死なない、生き返るの、だって不死だから!消し炭になっても復活するから!」
彼はてゐの言葉に絶句していたが。それは輝夜が不死である事にでは無かった。
「だからって、何度も死ぬのが平気なはずはないだろう!?痛いだろうし、苦しいはずだろうし、他にも色々あるだろう!」
彼が絶句していたのはあくまでも、輝夜が何百何千と死ぬ覚悟を決めていると言う事に付いてだ。それ以外の意味は全く無かった。
その事を指摘すると、てゐの顔にはふっと少しばかり微笑が浮き出た。
「……有難う、そう言う言葉を言ってくれて。姫を気持ち悪がらずにいてくれて。姫も絶対に喜ぶよ」

「礼を言わないてくれ、頼むから。それはきっと俺の台詞だろうし……それと一緒に俺は、アンタらにいくら謝っても謝り切れないはずなんだから」
本当に優しげに言葉をかけてくれるてゐの姿を見ていると。彼の心の堤防に、とうとう大きな亀裂が生じた。
抑えきれない感情に抗いきれずに、彼は頭を抱えて小さく座り込んでしまった。
「俺は……何にもしてないんだぞ」
小さく座り込みながら、小さく呟く言葉で自らを責めていたが。てゐはやっぱり優しかった。
優しい手つきで肩に置かれた手が、皮肉にもまた彼の心の堤防を傷つける。




「確かアンタの所って、乳飲み子がいたんだよね。ちょっと待ってて」
帰り際にそう言われたと思ったら、てゐは永遠亭の奥に入って行った。待っていろと言われたから待っていると、大きめの手提げ袋を貰った。

「はい、粉ミルクのお土産。粉ミルク以外にも、金平糖が入ってるから、子供たちと一緒に食べなよ」
粉ミルクの量は、乳飲み子1人ならまぁ常識的な量だったが。金平糖の量は、子供二人分にしては多かった。
どうせいない家内は数に入れたくなかったが。いれたとしても、大人二人と子供二人分の数か?と疑う量だった。

「うちには、乳飲み子以外の子供は二人しかいないぞ?まさか乳飲み子に食わす訳には行くまい」
「周りの子供達には分けてあげなよ…………あんたの奥さんには上げなくていいから」
途中まで和やかだったのに、家内の話になると声の調子が一段所では無い下がり方をした。

「乳飲み子だけ連れて、後の二人は見捨てていくような奴に。食わせるお菓子なんか、ある訳ないよ」
「ああ、でも、心配しなくていいか。私達みたいな化け物からもらった物、アイツは食べたくないかぁ」
声が物凄く下がっているのに、顔つきは最初の和やかさをほぼ維持しているから。その恐怖感は何倍どころじゃなかった。もはや計算が出来ない程だった。

「……知っているのか?今の俺の状況を」
「天狗の新聞」
「……そうだったな」
天狗に掛かれば、隠し事など無きに等しい。それは分かっていたはずなのに。

「天狗の新聞だけ見た感じだと、他の大人も子供たちの近くにアンタがいるから。怖くて近づかないみたいな書かれ方だけど」
実際どうなのか?と言う風にてゐから聞かれる。
「……多分、その認識で構わないだろう」
「マジ?」
彼の推測に、てゐから表情が消えた。笑ったまま敵意むき出しの顔も怖かったが、こちらも純粋に怖い。

「恥ずかしい話だが……少し放心状態が長くてな。何日かあまり深い事を考えてなかったんだが」
「思い出す限りで深く考えてみたら……どうだったの?」
てゐに促されて更に思い出して、更に深く考えてみるが。考えれば考えるほど出てくるのは苦い思いだ。

「……ッ!?」
そして自分が今、里の大人にどう思われているか。それを考えた時、彼に嗚咽が走った。
「ご、ごめん!無理しなくていいから!無理に考えなくても良いから、十分わかったよ!」
「……ああ、俺自身も、嫌ってほど分かったよ」

子供たちが子供達だけで、思い思いに遊んでいて。なのに監督は大人が一人だけ。
どう考えても目が届かないだろうに。普通なら、それを心配する。心配して、様子を見に来そうなのに。
「天狗の言うとおりだ……確かにアイツら、一回も様子を見に来てねぇ!!」



「ねぇ、もし逃げたいなら、子供達も連れてきて良いからさ!乳飲み子は永遠亭で助けるから!」
粉ミルクと金平糖のお土産も貰って。嫌々だが子供たちもいるから、さぁ帰ろうかと歩みを進めると。背中越しにてゐから中々の提案を頂いた。
「俺と俺の子供は良いけどよ!他はどうする!?」
「それも永遠亭で世話するよ!」
てゐからの豪気で太っ腹な提案に、思わず彼は快活に笑ってしまった。確かにそうなれば、色々と悩まずに済むだろう。

「良さげな提案だが、ここの一番上務めてる姫さん抜きでそんな大事」
「大丈夫!姫にはもう話し付けてるから!姫も天狗の新聞読んでるからぁ!」
思わず言葉を失ってしまった。だが、それは、感情の整理が追いつかないとは言え。喜びの感情の整理だ。

感情を整理しきると。彼は先の笑いよりも、さらに快活で豪放に笑った。
「覚えとくよ!少し気が楽になった!!」
「覚えとくじゃなくて、マジで考えて良いからぁ!!」
皮肉な物だった。本当に皮肉な物だった。人と言うのは、余程の事が無い限り、似たような思考をするらしい。

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最終更新:2014年03月18日 11:02