彼の後ろ側では妹紅による大立回りが繰り広げられていたが、彼は殆ど蚊帳の外にいた。
正確には、後ろで起こっている大立回りの物音すら彼の耳には殆ど届いてはいなかった。だから蚊帳がある事にほぼ気づいていなかった。
棒立ちのままで、これと言った表情も無く笛を吹く慧音の姿を。彼はただただ、見つめるだけであった。

後ろでは妹紅が慧音を化け物呼ばわりした者を徹底的にシメていて、悲鳴と叫び声と自分の子供の名前を呼び声が入り混じっていた。
そんな煩すぎるぐらいの彼の後ろと違って、慧音が笛の音で先導している子供たちは不気味なほど静かだった。
その中には勿論、彼の子供もいた。しかし見つけただけで、正気に戻って欲しくて子供たちの名前を呼ぶとか。そう言う事は一切しなかった。
出来なかったのではない。本当に、する気が無かったのだ。する必要性を感じ取れなかったのだ。
やったって無駄だと確信できていたからだ。要するに、諦めていたのだ。今さらただの人間に何が出来る。

実際、慧音の連れた子供達の姿を見れば。確信に対して確証を与えてくれていた。
子供たちは、まるで後ろの騒々しさなど最初から無いかのように、何も聞こえていないかのような。何事にも惑わされずに、一糸乱れぬ整列の体勢だった。
ここまでの数の子供を、ここまで見事に操ってしまうとは。やはり上白沢慧音は、それなり以上に凄かったのだなと。
よく分からない方向で、感心してしまった。


そう言えば、アイツは。○○は何処なのだろうか。
ボーっとしながら子供達と慧音を交互に見ていたら、○○の事が気になった。
まぁ多分、無事では無いのだろうけれど。害していると言う事は絶対に無いはずだ。
緊迫感の欠片も無くキョロキョロとしていると、すぐに見つける事が出来た。

見つけた○○の姿を見て、彼は少しばかり苦笑いを浮かべてしまった。○○もやっぱり、何かされたのだろうと言うのが一目見て分かってしまったからだ。
顔はニコニコ顔だったが、体の方はフラフラとして動きはウロウロとしていて。およそまともな人間の動きでは無かった。
「……ははは。逝ったな○○の奴、いろんな意味で」
「何を笑っている。何がおかしいんだ?」
こりゃ駄目だと感じて、思わず声を出して笑っていると。視界の真ん前に藤原妹紅が割って入ってきた。
当然だがその表情は、敵意に満ち溢れていたし、拳には力がこもっていたのがよく分かった、次の瞬間にはその拳が顔面めがけて飛んできそうだった。

「いや……おかしくは無いさ……でも、な……はは、ははははは」
要領を得ない喋りと、何故か込みあがる笑いを押さえきれずに。彼は渇いた笑いを出し続けていた。
笑いながらでも頭は案外冷静で、ついに殴られるかなぁと軽く思っていたが。
「……恐怖で馬鹿になっちまったか?」妹紅からは呆れたようにそう言われるだけで、特に何もなかった。

妹紅は乾いた笑いを出し続ける彼を前にしても、怒りもせずに酷く残念な物を見るような顔でずっと見つめていた。
他の物からすれば、そこに一瞬の隙があるとでも思ってしまったのだろう。彼の背中の方で誰かが近づいてくる気配と言うのを感じた。
だが、確認する暇は与えはくれなかった。

「うぉ!?」
背中に気配があるなと感じたとほぼ同時に、彼は何者かに突き飛ばされてしまった。
「やろう!」
そして運の悪い事に、彼は妹紅に覆いかぶさってしまった。当然だが、妹紅は激昂した。
「舐めやがって!」
いや違う、俺がやったんじゃないと弁解したかったが。妹紅はそんな物は待たずに、覆いかぶさった彼を乱暴に跳ね除けた。

だが、跳ね除けるだけで。視線など諸々の感覚は、転がされる彼の方などには歯牙にもかけていなかった。
「邪魔するな、死ね!」
それでも彼は一瞬、遂に終わったと思ったが。何か熱い空気が感じられただけで、痛みも苦しみも何も襲ってこなかった。
代わりにやってきたのは、何か肉が焼け焦げるような臭いだった。


肉の焼けるような臭いで、少しばかり嫌な予感を抱えながら起き上がったが。それは案の定だった。
起き上がった彼が見た物は、人型の何かが燃えて地面に突っ伏している姿だった。それだけならば、よくできた人形だとでも無理やり思い込めなくも無かったが。実際、悲鳴は聞こえていない。
しかし残念ながら、肉の焼ける臭いは、その人型から漂っていたのだ。悲鳴がいないのは、きっとそれだけ強い火力だったのだろう。

「おいお前、よく聞けよ。こいつさ、お前を囮にしようとしやがったぞ?今まで散々駆けずり回ってくれたお前をだぞ?」
遂に、遂に、とうとう遂に死人が……等と言う殊勝な考えは浮かんでは来なかった。
死人ならば、もうとっくの昔に一人出ている。
その犠牲で被った被害が、これで釣り合うとは思えないしこの犠牲をもってして釣り合わせようと向こうが考えているのなら、それこそ殴り飛ばしてやりたい。
何より、犠牲が出たのだからお前達も犠牲を出せとまで言えるような、そう言う性格を彼はしていない。
それでも、まぁ。嬉しくも悲しくも無かったが、多少なりとも溜飲は下がっていたのは事実だった。

「どうするよ、お前」
無言のままで、燃える人型を見ていると。また妹紅が声をかけてきた。
妹紅の話通り、自分は突き飛ばされて、妹紅の動きを防ぐ囮にされたのだろう。
きっとその事も含めて、これからどうするのだと妹紅は聞いているのだろう。実際その顔には、酷い嘲笑の色が見えていた。
「まぁ、私はおまえがどうなろうと、知ったこっちゃないけどね……身の振り方は考えた方が良いぞ?」
最後の最後に、肩に手を置かれて。案外優しい言葉をかけて貰えた。何故だか、少し嬉しかった。


「慧音!もう良いか!?そろそろ行こう!」
人が一人生きたまま焼かれて。野次馬のざわめきも最高潮に達しようとしていたのを見て、妹紅はそろそろこの場を後にしたかった。
慧音に対して妹紅は、そろそろ潮時だと。屋根で優雅に横笛を吹いている慧音に向かって叫んでいた。

相変わらず○○は、体をフラフラさせながらニコニコ顔で子供たちと接していた。
きっとこちらの事など見えていないし、聞こえてもいないのだろう。子供たちの何人かも、○○と同じような動きを見せ始めていた。
自分たちのざわめきなどきっと、今日は虫が煩いな程度にしか。操られている者達は感じていないのだろう。


しかし、人が一人焼かれていても。まだ諦めきれない者はいた。まぁ、親だから当然なのだろう。早々に諦めてしまった彼がむしろ異質なのかもしれない。
妹紅が後ろを向いているのを隙と捉えて。自分の子供の元に駆け寄ろうとしたが。
哀れにも、両手で顔を挟まれるように。思いっきり叩かれてしまった。あれではまるで、蚊を相手にしているみたいだ。

「先生ぇ、ここ虫が多い」
叩かれた方が、事態を理解しきる前に。子供の方が、今しがた叩いた物を、虫だとはっきり言ってしまった。
なるほど、彼自身が思った通り。もうこの者達には、自分たちの姿が見えていないらしい。見えたとしても、虫程度の存在価値でしかなかった。

「慧音!行こう!」
「……そうだな、そろそろ行こうか。妹紅、蚊取り線香があるなら、炊いてくれ」
慧音にはまだやり残している事があるからなのか、多少なりともまだ満足していないような顔だったが。
後ろの野次馬どもを見て、そろそろ潮時だとは感じたようだった。

「分かった。線香なら、盛大に炊いてやろう!」
しかし、蚊取り線香とは一体何の暗喩なのだろうか。そう思っていると、また熱い空気が全身にやってきて、思わず目を閉じた。

だが今回の熱された空気は、先ほどのように一瞬では引いてくれなかった。
恐々と目を開けて見た物は、炎で出来た壁だった。
人の背丈の倍以上あるような高い炎の壁が、月の光と相まって煌めくような姿で立ちふさがっていた。
絵面だけ見れば、むしろ神々しさすら感じるが。現場にいる自分たちは、圧迫感すら覚えるこの熱さを目の当たりにしている為、この姿に何の感慨も持てなかった。


炎の壁を隔てて、慧音は子供たちを連れて、○○と一緒に何処かに行こうとした。
当然その姿を見れば、親たちはざわめきを取り戻した。

「待っていろ!今行くからな!!」
1人の親が、井戸まで戻ったのかずぶ濡れの状態で布団をかぶってやってきた。体もずぶ濡れだし、何処かから持って来た布団もぐっしょり濡れていた。
塗れた状態で、少しの間なら炎も駆け抜けれると思ったのだろう。
確かに、ただの火事ならばその手段は非常に有効的だったかもしれない。しかしだ。

「ぎゃああああ!!!?」
この炎の壁は、藤原妹紅が作り出した火で出来ている。ただの火であるはずがない。
ずぶ濡れの状態で突っ込んで行った誰かは、炎に触れると同時に布団も含めて全身に火が燃え移り、あっという間に火だるまになってしまった。
悲鳴を上げながら、地面を転げまわるが。火は一切衰える事も無く、その人物の全身を舐めるように火が駆け巡っていた。
不思議な事に、地面にある草木にも何度もぶつかっていたのに。それらは一切燃える事無く、かの者と、かぶっていた布団だけが燃えていた。

この姿を見て、人々は言葉を失ってしまった。
人々が何を考えているのかは、分からなかったが……多分彼とは違う事を考えていたはずだ。
諦めてしまった彼は、負けてしまった輝夜の心配と、下世話な天狗の新聞に今朝は一体どう書かれるか。その心配しかしていなかった。

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最終更新:2014年03月18日 11:03