てゐはわぁわぁと泣き叫ぶ輝夜や、しくしくと泣く永琳を見たくなくて。視線を右往左往させていた。
そうしていると、少し奥の方で。居た堪れない表情を浮かべて突っ立ている、彼の姿が見えた。
昨晩の事は朝一番に、天狗が嬉しそうに配っていた新聞を流し読みしただけでも十分過ぎるほど理解できていた。
子供を奪われていると言うのに、気力を振り絞ってここまで来てくれたらしい。本当に、頭が下がる。


てゐと視線を合わせた彼は、明らかにヤケッパチと言った様子の笑みを、笑い声も無く浮かべた。
胸がキュッと締まるが、てゐもまたつられる様に乾いた笑いを浮かべてしまう。
そうかと思えば、彼は急に笑うのを止めてへたり込んでしまった。
さすがに不味いと思って、てゐは彼の元に近づいた。


「その、さ……」
「おはよう」
近付いて声をかけたまでは良いが、どんな内容の話をすれば良いのか。
そうてゐが悩みながら声をかけると、間髪入れずに彼の方からおはようと声がかかってしまった。
朝の挨拶なのだから、とても礼儀正しいと言いたかったが。残念ながら、おはようとてゐに声をかける彼の表情も声も、枯れた物だった。

「あー・・…うん、おはよう」
「姫さんと話がしたいのだが、大丈夫か?」
出来ればてゐは、慰めや労りの言葉をかけたかった。それが例え、酷く不器用で意味何て見いだせないような物だったとしてもだ。
だけど、てゐがその種の言葉をかける前に、彼は淡々と話を進めていた。
今だって、彼はてゐの方を向いておらず。今もなお、わぁわぁと泣き叫ぶ輝夜の方をずっと見ていた。

それはまだいい、彼は輝夜にかなり世話になった。永遠亭の面子の中で、輝夜の比重が彼の心中で強いのは仕方の無い事だろう。
しかしだ、彼が輝夜を見るその表情は。やっぱり枯れていたのだった。

「その……大丈夫?」
「大丈夫じゃねぇよ」
何の感慨も無さそうに、酷い様子の輝夜を見る彼に。思わずてゐは大丈夫かと聞いてしまった。大丈夫なわけがないのに。
実際、大丈夫じゃないと言う彼の口調は、少しばかり機嫌が悪そうな巻き舌だった。
これを、不用意に聞いてしまったと反省するべきか。それとも彼の感情がまだ死んでいなかったと喜ぶべきか。本気で、迷ってしまった。

「大丈夫じゃ……大丈夫なわけ……ねぇよ。俺もアンタも、姫さんも。どいつもこいつも、な」
「あの木こりに至っては、命まで落とすし……」
感情の揺り戻しが来たのか、彼は少し泣いていた。こんな姿を見てしまうと、喜ぶべきかと思っていた自分が恥ずかしくなってしまう。



「……でもな、残ったもんは意地でも守り通さなきゃならねぇんだ」
歪んだ顔で、涙を袖口で拭きながら。明らかに無理をしていると言った様子で、彼は立ちあがった。
「悪い、時間が無いんだ。時間をかけたら、残った乳飲み子の1人息子もどうなるか分からねぇ」
そう言い残して、彼はずんずんと歩みを進めた。てゐはそれを、止める事が出来なかった。



「姫さん……」
わぁわぁと泣き叫んでいた輝夜だったが、彼が声をかけるとその叫び声はピタリと止んだ。
「……ごめんなさい。私、負けてしまったわ」だが泣き叫ぶ事こそ止まったが、代わりに今度は悲しそうな表情になった。
「謝らなきゃならないのは、俺の方だ……あの後、どうにもならなかった」
開口一番に、彼に対して謝罪の言葉を輝夜はかけたが。彼もまた、と言うよりは、彼は自分の方にこそ謝らなければならない重い理由があると言う口ぶりだった。

「何で!?何で、貴方が謝るのよ!慧音の事は任せてって言ったのは、私なのに!その私が、負けちゃったのに!」
勿論、輝夜は反論する。負けた自分の責任だと。
しかしその言葉の中に、永琳に邪魔されたと言う部分は一言も入っていなかった。それはもちろん、傍らでしくしくと泣く永琳の耳にも否応なく入ってくる。

永琳のやらかしてしまった事を。全く何も言わない、言おうとしない輝夜の姿に、永琳から嗚咽が漏れる。
そしてその嗚咽は、段々と大きくなるのだが。
「姫!私は鈴仙と一緒に、師匠を永遠亭に連れて帰るから!」
横から入ったてゐが、荒れそうな様子の永琳をずるずると引っ張って行ってしまった。
これはてゐの機転だったが、その機転が良いのかどうかは。正直な所、誰にも分からなかった。



永琳がてゐに連れて行かれて、輝夜と彼の間には少しばかり静寂が流れた。
その静寂は、二人が心中を整理するのに役立った。
「…………何があったの?貴方が謝る材料が、私には見つからないのだけど」
たっぷりの間を使って、輝夜は彼に問いかけた。
「ああ……全部話す」
その問いかけで、彼の肩は明らかに沈んだ。何かがあったのは明らかだ。

「何があったかは知らないけど……何があっても、貴方の責任と言うのは無いか、あったとしても少ないと思うわよ」
「すまない……」
「謝らないで」
事情を聴く前に、こんな事を言うのはどうかしているし、迂闊だと言わざるを得なかったが。
それなのに彼の無罪を担保する、こんな事を言えるのは輝夜が彼の事をもうちゃんと信頼しているからだった。



「あの後、まさか寝直す訳にもいかんだろう。どいつもこいつも、浮足立っていたよ」
「……」
謝れば、輝夜から謝るなと叱られる。だが、彼の中に芽生えている輝夜に対する罪悪感と謝罪の念は消えない。
しかし、謝れば輝夜は叱る。だから、謝らずにいる為に何があったかを淡々と喋り始めた。
輝夜もまた、何があったかは純粋に気になっている。また不安定な状態であろう彼をあまり刺激しない為、何も喋らずにいた。

「後は皆が皆、足の引っ張り合いと罪の擦り付け合いだよ。まぁ、これはもう簡単に想像が付いたけどな」
「貴方は大丈夫だったの?」
輝夜が彼の身を案じると、少しばかり歪んだ笑みが浮かんだ。どうやら地雷だったらしい。
「お陰様でな……あんたら永遠亭のお陰だ。俺があそこに入り浸って、それなり以上に交流があるから」
「それに、あの木こりが死んだ時。てゐだったな、あの子が本気で切れてくれたのもあって、俺が死んだら自分たちの身も危ないと思ってる」

「どうやら、あそこにいても俺は天寿を全う出来そうだよ。俺が無事でいられるの姫さん達のお陰だ、礼を言わせてくれ。ありがとう」
輝夜達の知らないうちに、里と言う組織は彼の後ろにいる永遠亭と言う物を恐れていたのだった。
そのお陰で、彼がこの先も人里にいても無事に過ごせそうなのは幸いな事であろうが。
孤立を余儀なくされるのは、火を見るより明らかだった。これに関しては、果たして不幸と言うべきなのだろうか。

「中々誰も、話しかけてはくれなくて孤立していたが。今さらあんなのと長話しようとは思わないから、ある意味助かったよ」
そもそも当の本人が、もはやあいつらの事を嫌う所か憎んですらいる。少なくとも彼は、孤立している事を不幸とは思っていないし。
輝夜もまた、この孤立をそれ程大事だとは思っていない辺りが。根の深さを象徴しているように輝夜は感じた。


「しかしだ……孤立しているからなのかもしれないが、奴らの考えを変える程の発言力は無かったよ」
ここからが本題らしい。彼の消沈した気持ちと下がった肩が、また一段落ちた気がした。
「私が行ったって無理よ」
彼を案じて、すかさず輝夜は彼の肩を持つが。
「すまない……」
「だから謝らないで。何か言いたいなら、有難うと言って」
「ああ……ああ、そうだな」
彼はどうやら、人里の連中が決めた何かに対して。そしてその何かを集成できなかった事に対して、酷く自責の念に駆られているらしい。

「言って、奴らは何を決めたの?何があっても、それで貴方に対する評価が下がったりなんてしないから」
「……今まで以上に、露骨に。自分達以外の存在を、邪険にして、憎んで、排斥する事に決めたんだよ」
彼はここで、輝夜の表情を見た。輝夜がどう思っているか気になったのだろう。しかし、話にはまだ続きがありそうなのは明白だったので。
「続けて。貴方のせいじゃない物」彼の肩を持ちつつ、話の続きを求めた。

「……だがそれは、普段の間は徹底的に隠す」
「徹底的に隠して……そして、年に一回あるかないかだが、幻想郷に迷い込んできた外来人」
「こいつも、出来る限り優しく接する。表向きはな」
「そして……姫さんの様な、力のある存在への生贄にする…………」
「そうすれば、少なくともしばらくの間は。仲良くやろうがやるまいが、人里への注意は目減りする……それを見込んでいるんだ」
「子供を奪われた奴らが多いせいからなのかな……途中から、乳飲み子持ちも含めた親の連中の発言力が物凄く上がったよ」
話を聞きながら、輝夜は頭が痛くなってきて思わず頭を抱えてしまった。
覚悟はしていたが、自分たちの何が原因でこんな事態に陥ったのか。まるで分っていない。


これ以上、連中の事を考えたくなかったから。
輝夜は「そう、奴等らしいわ」と言っただけで「でも貴方は違うわ」と、すぐに彼の肩を持ち、気にするなと伝えた
「同じだよ」
「違うわ、全く違うわ、何もかもが。昔はそうだったかもしれないけど、今私の目の前にいる貴方は絶対に違う」
強く、出来るだけ強く、そして優しい口調で。輝夜は彼に気にしてはならないと言い続けた。
しかしそんな優しい言葉を掛けられれば掛けられるほど、彼は悲しそうな表情になり、目尻には涙も浮かんだ。

「姫さんはそう思ってくれても、俺は俺自身の事をそうは思えないんだ」
「何で?」
「……乗っちまったんだよ。俺もまた、子供を奪われた事で身を切るような思いに駆られている」
「でも、それは!表向きでしょ!?乗らなきゃ貴方の命が危ないじゃない!!」
連中が決めた謀を黙認して、乗った事に彼は酷い罪悪感を抱いているのは明らかだったが。
連中の思考や行動原理を考えれば。異を唱える物は、それこそ命すら奪いかねない。
だから輝夜は必死で、彼に自分の罪悪感がただの錯覚だと言う事を説こうとするが。

「違うんだよ……違うんだ……ただ乗ったんじゃない……」
輝夜が思う以上に、彼に去来した罪悪感の源は深い物があった。
「その滑稽な謀に。最後の最後に首を縦に振って、裁可を出したのは!」
「俺なんだよ!!!」


彼自身が、あの滑稽な謀に対する承認を出したと。彼がぶちまけて、暫くの間輝夜は何も言いだす事が出来なかった。
だがそれは、彼に失望したからなのでは無い。彼に、思いなおして欲しいと説得する言葉を探していただけだった。
「だから、何よ!!?そうは言うけど、貴方に決定権なんてなかったんでしょ!?」
説得するはずだったのだが。昂ぶり過ぎた今の気持ちでは心中とは相反して、怒気を孕んだかのようなまくし立てる様な口調になってしまった。

「まだあるんだよ!!俺が謝らなきゃならん理由がぁ!!」
「そんな物!ただの錯覚よ!!あそこが嫌なら、永遠亭に来なさいよ!!残った乳飲み子事受け入れてやるわよ!!」
輝夜の昂ぶった感情に呼応するかのように、彼もまたまくし立てるように謝罪の言葉を口に出していた。
傍から見るだけなら、二人は怒って怒鳴りあっているかのように思えるが。言葉をよく聞けば、全然違う印象を受ける所か。
二人ともが、涙を流しながら怒鳴りあっているのだ。彼は謝りながら、輝夜は謝る彼を庇いながら。
何とも奇妙な光景だった。


「何があるって言うのよ!貴方が謝らなきゃならない理由が!一つだってないわよ!!」
「あるんだよ!……姫さんがどう言おうが、俺自身が納得できないんだ……」
埒が明かない。そう感じた輝夜は立ち上がって、彼の腕を強引に掴んだ。
「良いわ!貴方が気にしていても、私は気にしないもの!永遠亭に行くわよ!あんな所にいたら、寿命が縮むわ!」
そう言って輝夜は、彼を強引に連れて行こうとしたが。
「良い!必要ないんだ!!」と言って、無理に引きはがすだけだった。

「何が必要ないよ!どう見たって必要よ!」
「……まだ、続きがあるんだ」
「何よ、どうせそれだって錯覚よ」
「…………あの馬鹿みたいな謀が決まっていく最中。俺はな、自分の子供の事しか考えていなかった」
その罪悪感を、錯覚だ錯覚だと否定し続けていた輝夜だったが。
「子供事を考えている時。俺はな、姫さん達の事を全く考えていなかった」
彼が思う子供の事。唯一残った、あの乳飲み子の事を思う気持ちに対しては。錯覚だと言う事が出来なかったし。してはならなかった。


「親でしょ、あんたは!なら、普通じゃない!!」
「俺と同じで、乳飲み子だけが残った家も多いんだ!そいつらと同じなら、俺もやっぱり、あいつらとそう変わりは無いんだよ!!」

「すまない……俺は例え振りをするだけだとしても、俺は姫さん達の事も。邪険にして、憎んで、排斥しなきゃならないんだ」
「謝らないで……後ずさらないで……こっちに来なさい……永遠亭なら部屋ぐらい、いくらでもあるから」
「すまない……俺にはまだ……子供が一人残っているんだ。そいつの為に生きたいと思っている」
「立派な考えよ……貴方は立派な親よ……でもそれとこれは別なの。子供も連れてきなさいな……さぁ、永遠亭に行きましょう」
「すまん!子供が心配なんだ!妻が子供を離さないんだ!俺は、あそこにいなきゃならないんだ!!」
遂に彼は、輝夜の差し伸べる手を振り切って。里の方へ向かい、走り出してしまった。


「馬鹿ー!この大馬鹿者ぉー!!」
「――でも、待ってるから!私は、アンタが来るのを!あそこより絶対良いはずだから!!」
「いつでも良いわ!蹴りが付いたら、来なさい!いや、来い!!絶対に来い!!」
「子供たちは!私が探すから!!何年何十年かけてでも!!絶対に探し当てるから!!」
輝夜は泣いていた。子供を最優先に考えた末の、彼の行動を尊重すれば。無理は出来なかったから。
そして走り去る彼も泣いていた。背中から届いてくる言葉は、馬鹿と罵りながらもまだ優しかったから。










彼……の孫は、最も重要な全ての日記を読みつくした。
全てを読みつくした頃には、もう窓の外は薄紫色に染まっていた。読み始めた頃は、確かに暗かったのに。
つまりは寝食すら忘れて一晩中、日記の中身を読み漁っていたと言う事になるが。
その事実に気付いたのは、読み終えた今この瞬間だった。

一晩中、寝食を取らずに読み耽っていたはずなのに。余りの衝撃に、“彼の孫”は空腹も眠気も感じていなかった。
それぐらいにまで、気持ちが昂ぶっていたのだった。
「全部読み終えたのね……感想は?」
内容の余りの衝撃に座り込んだまま呆けていると、後ろから女性の声が聞こえてきた。
ただ、誰だとは思わなかった。声を掛けられた瞬間に、声の主が誰だか分かってしまった。
むしろこの状況で、彼女以外の人物が声をかけた方が驚く。
「蓬莱山輝夜様……ですか?」
振り向きながら、“彼の孫”は。自身の祖父である“彼”が、最も世話になった女性の名前を口にした。

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最終更新:2014年03月18日 11:04