○○は1人取り残され、呆然としていた。
正確には見える範囲に鈴仙が相変わらず逆さ吊りにされているのだが。
その鈴仙はと言うと、逆さ吊りにされた時間が長すぎて。すっかり血が頭に上り、意識の混濁が酷かった。いつ頃からか呻き声すら上がらなくなった。
何だか騒がしいなと言う事を鈴仙はギリギリ把握していたが、それが何かを成す好機である事までは。
そこに至るまでの思考回路は、残念ながら息を吹き返すことは無かった。
哀れにも鈴仙は、ぶらぶらと揺れ動く。少しおかしな飾りに成り果てていた。


「酷いねぇ……これは。○○がいるからもうちょっと冷静に……いや意識しすぎて却って逆効果だったのかもね」
どうすればいいのだろうか。所在無く宙ぶらりんとなった○○の下に、一人の人物がやってきた。

何処で見つけたのか枝を使ってヨロヨロと歩き。片方の手には袋を持ったてゐの姿であった。
「その様子だと、見ちゃったみたいだねぇ。あぁ、くそ……まだ節々が痛い」
よくよく見れば、てゐの姿は腕や顔や足など。衣服に覆われていない部分にはほぼ全て、痛々しい生傷があった。
「横側、失礼するよ○○」

「てゐ・・・・・・何が合ったの?何か凄い怪我だけど」
「ぐーたらの姫様のやんちゃに付き合ったらこうなった……大丈夫だよ、○○。私でもたまに付いていけないから、姫様には」
○○は酷い見た目を晒すてゐを気遣う言葉をかけるが。てゐの方は気にしなくて良いという素振りを見せるだけだった。

「だからさ、○○が姫様の事でよく分からない事があっても……全然気にする必要は無いよ」
「姫様の事を完全に理解できるのは、境遇が同じ師匠だけだから」
「○○は“まだ”普通の人間でしかないから。その事を考えれば、随分理解している方さ。だから大丈夫」
それ所か○○はけが人であるはずのてゐから、物凄く慰められるような言葉をかけられていた。

「○○は、姫様の事好き?」
「そりゃ、もちろん」
てゐからの質問に即答した○○の姿に、なんだか色々と含みのある笑みをてゐは見せた。
「早いね、一秒も掛かってないよ。じゃあ私の事は好き?」
「……うん、そりゃあ」
てゐの質問、それを受けて○○が答えを出すまで。それほど大きな時間はかけていなかった。
しかし、最初に投げかけられた“輝夜の事が好きか?“に比べれば。気のせいや誤差では済まされない、はっきりとした時間差を確認できた。

「……てゐ?」
その時間差に思うところがあるのか、てゐは口角の端をピクリと動かした後。同じ笑顔のまま微動だにしなくなった。
何か不味い事を言ったのだろうか。○○も不安になるが、思い当たる節は○○には見つける事が出来なかった。


相変わらず微動だにせずに、ただ○○を見つめ続けるてゐ。
○○から冷や汗が流れ出る。
「だいじょーぶ。○○は何も不味い事を言ってないよ」
不安な心中を見透かされたのか、てゐは○○に優しい言葉を投げかけるが。
その声色にはやっぱり、そこはかとない威圧感が込められているような気を、感じずにはいられない。

「ただねぇ……不味い事を言ってないだけに何か腹が立つ」
「てゐ……?」
ふぅ、と溜め息をつきながら。てゐは○○の頬を優しくなでまわす。
「理不尽なのは分かってるよ、愛人や妾の立場でしかないんだから。……でもね」
「痛たたたたた!!!つねってる、爪が食い込んでる!……やめ、ないで!!」
笑顔と諦めと、その他諸々のイライラとした感情が入り混じった。愛憎半ばな表情で、てゐは○○の頬を思いっきりつねり始めた。
そのつねり方も、わざわざ爪を立ててやると言う。地味ながらも非常に痛い、よく効くご褒美であった。

「ねぇ、○○。姫様はこういう事、してくれる?」
「やっては、くれないなぁ。そういう素振りで焦らしたりもしてくれない。でも、良いの?」
半ば諦めかけていた被虐嗜好を潤してくれる、てゐからのほっぺつねり。嬉しくないはずはない。
なのだが、心の底から愉しめないのである。
先ほど、悲壮な面持ちで飛び去った輝夜の事を考えると。どうしても、心の中でつっかえとなってしまう。

てゐも、○○が何を気にして、この状況を愉しみ切れずにいるのかは分かっている。
「○○は優しいねぇ。状況適応力が妙に高いとも言えるけど」
「そう思える事が出来てたら十分だよ。姫様が考えすぎているだけ」
優しい表情と言葉で、てゐは○○の考えすぎを嗜める。頬を強烈につねっているその絵面のせいで、奇妙な光景となってしまっているが。

「でもさ、○○も案外タフだよね」
「何が?」
○○からの疑問にてゐは庭先を眺めたり、鼻先を動かしたりした。
「血の臭いはもう大分薄れてるねぇ。地面の焦げぐらいだね、もう残ってるのは」
「私が来る前は血の臭いとかもしたでしょうに……」
「臭い付きで姫様と妹紅の喧嘩を見てあんまり堪えてないんだから、相当タフだよ。初めてってことを加味したら余計にね」
てゐの出した話題に、○○の表情が曇りを帯びた物に変わった。

「どうしたの?」
「うん……」てゐの言葉を促すような態度にも、口元をもごもごとさせて。中途半端に言葉を出さないでいた。

「てゐはそう言うけど、それは多分人間基準だよね。あの時少しばかり腰も引けてたし、血の臭いに鼻を抑えたりもした」
それが輝夜を傷つけてしまったのではないか。そんな態度を取ってしまったのだから、泣きそうな顔で何処かに飛んでいってしまったのではないか。

「いやいや、そう思えるだけで十分偉いよ。私は見たら逃げる物、全力で。だって怖いし」
余りにも気にする○○に、てゐは感嘆の念すら漏らしていた
「……何で、そこまで」そうして、正直な疑問を聞いてみた。
「忠誠心かな」
疑問に対しての答えも、また早かった。考える素振りが殆ど無かった。

輝夜の事が好きかという問いの時と言い、今回と言い。
輝夜絡みの質問ならば、○○は間髪を入れずに答えが出せる。それだけ○○の心中で輝夜の占める割合が大きいのだ。

妬いていると言うのがはっきりと分かった。ここまで○○に思われている輝夜が、妬ましくて仕方が無かった。
てゐや鈴仙の事が好きかと言われれば、○○は当然好きだと答えるだろう。
夜も共にしているのだ、嫌いなはずが無い。
ただし、同じ好きでも純度が違う。その事実だけは否定しようのない物であった。
挽回は、出来そうにもない。だから妬けるのだ。どうしようもない事だから、余計に、鋭く、強烈に妬いてしまう。

「そりゃあ。師匠には……八意先生には負ける、一緒にいる年季が違う」
「年季って点じゃ、鈴仙やてゐにも負けるだろうけど」
いやーどうだろー、師匠はともかく、あたしはそこまで姫様の事思っていないような。
爪立てながらつねる○○の頬を、ぐりんぐりんと回しながら。より多くの痛みを○○に与えながら、嫉妬の感情を和らげようとする。
今この瞬間は輝夜よりも自分の方が、○○の被虐嗜好に真っ直ぐ向き合っているという事実で。何とか誤魔化していた。

「だから……何か申し分けなくて。どうしても、自分の忠誠心を疑ってしまう」
「何が?」
引っ張ったり、こねくり回したり、爪をもっと鋭く突きたてたり。
てゐの頬つねりが苛烈さを増すほど、心中に渦巻く嫉妬の感情はより激しくなっていた。

「妹紅さんだっけ?あの人との喧嘩の場面をちょっと怖いと思った事もそうだけど」
「それよりも。虐めないという虐め方に喜びを見出せない自分自身に、腹が立つ」
その言葉のお陰で全てぶち壊しであった。


「どりゃあああ!!!」てゐの中で何かが切れた音が聞こえた。
その切れた中身からあふれ出る物に、抵抗する気など毛頭無く。勢いに任せて、○○を思いっきり蹴り飛ばした。
「ぐぇっ!」蹴り転がされた○○の、踏んづけられた小動物のような声が、辺りにこだました。
「もう○○、その忠誠心に天晴れだよ!!」
「え、ああ。有難う」
「それと!無理に会わせる必要ナイ!無理めなら無理めって、ちゃんと言うノ!」
興奮状態が限界すら突き抜けてしまったのか。てゐの言葉は所々カタコト交じりだった。

「はいご褒美ダヨ、○○!!里で買った焼き菓子!」
怒ってるのかとも思えるような勢いで、てゐは傍らに置いた袋から美味しそうな焼き菓子を差し出した。
「抹茶ときなこ、どちがイイ!?」
「えっと、じゃあ。きなこ」
○○がそう言うと、てゐは物凄い速さできなこ味の焼き菓子を口にほお張って。焼き菓子の破片を散乱させながら、貪り食った。

「はい、抹茶味」
「あり……がとう?」○○は思わず疑問符を付けてしまった。


抹茶味を食べる○○の顔は、少し浮かない顔であった。○○は苦い物が少し苦手であったから。
それを見ているてゐの顔は、愉悦に歪んでいた。
愉悦に歪むその顔を見て、○○はようやく事態を飲み込めた。
てゐは今まさに、本気で虐めてくれるのだという事を。そう思うとこの舌に感じる苦手な味も。
甘美な響きを持った物に、変って行った。

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最終更新:2014年03月18日 11:07