「案外、見境が無いんだね。この程度でそこまで悦んで貰えるとは思ってなかったから、意外だよ」
「ははっ……あはは、何か以外と。来たと言うか」
確かに、絵面としては頬つねり以上に地味である。
苦手な抹茶を食わされたと言うやり方では、見た目で分かりやすい情報が何も無い。
先程まで行っていた頬つねりの方が、視覚的にはいたぶられていると言うのが分かりやすいぐらいだった。
が、第三者にわかってもらう必要は微塵も存在しない。てゐは○○を今正に虐めていいる真っ最中。
そして○○はそれに気付けた。
それだけで十分なのだ、二人が満足して納得していればそれでいい。そもそも、男女の仲とは得てしてこういう部分があるはずだ。
別に誰かが見ているとは思ってはいないが。○○もてゐも、そのような事を考えて完全に開き直っていた。

「よっと!」
次にてゐは座り込んでいた○○にめがけて、飛び込むように座った。
「えふっ!」
あぐら気味に組んでいる足の上だけではなく。滑り込み捻りこむように、足の上から○○の腹を押すように飛び乗った。
押された腹の感触が良かったのか。呼吸を荒くさせ、口の端から妙なものを噴出しそうになりながらも、ちゃんと笑う事ができていた。

「悪いけど、鈴仙みたいに道具は使わないよ。いつ姫様が帰ってくるか分からないから」
その代わりに、とでも言うべきなのか。てゐは両腕を使って、自分の頭上の方に位置する○○の頬を。
先ほどのような嫉妬心を紛らわせる為に、漫然と繰り返していた物ではなかった。
○○が多少は喋りやすいように、つねり方を抑えたりもしない。
爪は可能な限り食い込ませて、頬も可能な限り引き伸ばして、更に上下左右に揺さぶる事も忘れない。

「ふぁ~、ふぇゐ。ふぇゐ~」
てゐはまだ節々に、多少の違和感を残しているがそれでも体力の方は大分回復した。
その回復した体力を使い、可能な限り、てゐは○○の頬をいたぶり続けた。
爪を思いっきり立てて、遠慮無しに力を込めている物だから。つつつ、と。てゐの爪から赤い物があふれ出す。
てゐは上目使いでそれを認識して、○○は痛みの質が変わったことで気付いた。

血が流れ出した事により、てゐはつねる力を緩めようか、それともこのままか。いやいっその事、もっと強くしてみようか。
この三つの選択肢で迷っていた。
余り傷を付けるのは良くない、いくら○○に被虐嗜好があるからといっても、本格的に体を壊してしまうようなやり方は考えていなかった。
余りにも刹那的過ぎるではないか。体の限界と愉悦の大きさを両立させて、長く愉しむならば。
そういうギリギリの線をしっかりと把握しておきたかったのだが……
いかんせんてゐにとっては、今日この時が初めてなのだ。○○の被虐思考とまともに向き合ったのは。
だから、どうにも限界の判断が付かない。判断をつけるための材料が何も存在していないのだ。
なので、力加減の方は消極的な現状維持で留めながら。上下左右に動かしていた手の方も、どことなく様子見のような塩梅になってきた。

「ふぇゐ?」
○○も、てゐのそんな力の降り方に迷った感じの姿勢には、すぐに気づく事が出来た。
何と無しに爽快感がないのだ。手探りである事が、ではない。それはそれで探す楽しみが有っていい。
力加減の方は現状維持なので、相変わらず喋りにくいが。それ以上の快楽が見えてこない。
探り探りの状態ならば、やきもきした感情にもまた趣があってよいものがあるのだが。

どうにも、てゐの行動には爽快感が無かった。今の行動事態に迷いはないのだろうが、その後の歩の進め方で……なのだろうか。


「ふぇゐ」
押して駄目なら引いてみろ。向こうが攻めあぐねているのなら、こちらから道筋を示してやればいい。
○○は自分の頬をつねるてゐの両手に対して、優しく手を添えた。そして。
「ちょっと、○○!?」
○○はそのまま、自分の頬をつねるてゐの両手を、更に伸ばすように手心を加えた。
否、手心などと言う生ぬるい物ではなかった。とにかく、全力で引っ張ってもらいたかったのだ。

「あふぁふぁふぁ」
笑い声も、ほほが引っ張られている物だから膜の張ったような、非常に締まりの無い物になっていた。
一応てゐはまだ○○の頬を掴み続けている、力を込めてもいるが。引っ張ると言う事に関しては、ほぼと言うか完全に○○の仕業であった。半ば自傷行為に近かった。
てゐも突然行った、○○の自傷行為とほぼ同義なこの行動には、面食らうしかなかった。

「ふおおお!!」
しかし、てゐは○○の頬から手を離さなかった。なので、○○の頬はこれでもかと言うほど伸びる。
だが物事には何だって限界というものがある。
○○の頬が伸びるにつれて、てゐも掴み続けるのが段々と難しくなってきていた。
離そうと思えば離す事は出来たが、それを考えるとなんだかそれをやると○○に負けてしまったような気が。
○○の心に対して、背を向けてしまうような感情があふれ出て。取りあえずは、限界までつかみ続けようと言う気にさせていた。


「えぶっ!」
そして遂に、てゐは頬をつかみ続ける事ができなくなってしまった。
限界までつかみ続ける為に、始めよりも更にきつく、置く深くまで爪を食い込ませていたため。
手を滑らした瞬間。物凄く嫌な、生ぬるい何かを引き裂くような感触が、てゐの指先にはっきりと伝わった。
「げっ……」指先にも、爪の間にも。当然のように引き裂いた証が付いていた。
指先にはぬめっとした、赤い物が。爪の間には、何かの破片が入り込んでいた。
そして、○○の頬にも。引き裂かれた証である傷跡が、その傷跡からダラダラと流れる血が、はっきりと映し出されていた。


「やっちまった……」
そう言って青ざめるてゐとは裏腹に。両頬から止め処なく血液を滴り落としている筈の○○は、爽やかに笑っていた。
「大丈夫だよ、てゐ。刃物で付いた傷に比べれば、爪で引っかいた傷くらい。すぐに消えるさ」
正直、舐めていた。○○の被虐思考に対する、業の深さを。
「あっ……やっぱり沁みる」笑顔で傷口を指でぐりぐりしている姿を見て、その認識はどんどん強固な物になっていくしかなかった。

「何か、少し心配になってくるよ」
具体的にどうと言われたら困るが。少し心配になるのは事実だった。
「大丈夫だよ、てゐ。1人っきりで自傷行為なんて、寂しいだけだから」
少なくとも今の段階ではの話だよね、それ。口には出さなかったがそれが正直な感想だった。
この業深さが加速しないとは、更に深くへと向かう事がないとは。○○の笑顔を見ていると、とてもじゃないが思えなかった。

「○○って……こっちが思う以上に、進んじゃってたんだね」
溜め息混じりに、てゐは○○の頬についた傷に触れる。やはり沁みるのか、とても嬉しそうだった。
「どっちがいい?自分で触るのと、誰かに触ってもらうのと」
「誰かに触ってもらった方が良いね、自分でやるのじゃなんか味気ない」
笑顔の裏に隠れた業の深さと苛烈さ。知らず知らずのうちに、てゐもこれらに影響されて行っていた。

「そぉ」
「あう……ああ、肉に食い込む感触が、沁みる感触がぁ……」
少し心配なのは相変わらず変わらないが。それと同時に、とても愉しかったのだ。
傷口に触るのが、○○の被虐思考を煽るのが。楽しくて愉しくてしかたがなかった。
「ふふ、ふふふふふ……あ、はがれかけの薄皮見っけ」
頬についた傷口を、いたぶっている内に、すっかりてゐも深みに嵌ってしまった。

「うりゃー、ぴりぴり」
てゐは薄皮と表現しているが、薄皮と呼ぶには若干分厚かった。
「ぴりぴり~」
「おおわああー!破れてる感触がぁ!!」

薄皮と言うよりは、さかむけやささくれ。
それも薄皮よりは近い表現と言うだけで、さかむけやささくれと言うよりは、皮膚の一部がペロンとはがれた物だった。
そんな物をてゐは遠慮無しに引っ張って言っているものだから。さかむけ何ぞを無理くりに引っ張るのとは、分けが違った。
「うおおお!!」
さかむけ程度でも無理に引っ張れば相当痛いし、引っ張って出来た傷痕は下手をすれば空気が触れた程度でもヒリヒリと沁みる。

その上今この部屋には、縁側からそよそよと風が吹いている。
その風が、さかむけ何か目じゃないくらいの傷痕を容赦なく撫でていく。
常人ならば、苦痛に悶えさせる風を恨むだろう。しかし、○○の場合は違った。
涼しい上に、傷口に心地よい沁みる感触を与えてくれる大自然に。感謝してしまうぐらいの心持だった。


○○は、愉悦の渦中で転げまわっている状態であったが。
「……やばい。やっちまった」てゐの顔は青ざめていた。

冷静になって考えていれば、いつものてゐならば、怪我をあまり酷くしないように引っ張る力加減を調節するぐらいは出来た。
しかし、○○を前にすると、○○の愉悦に歪む顔を見ていると。
輝夜の手によって、今まで抑圧されていた事も合ってか。タガが外れやすくなっていた。
調子に乗って、ピリピリ所かビリビリと、○○の頬の皮膚を破いてしまった。
満面の笑みで、頬からダラダラと血を流す○○を見て。ようやくてゐの中の理性が、少し息を吹き返した。

(これは、治療した方が良いよね。いや絶対治療するべきだ、じゃないと私の命が危ない!)
そう考える事は出来るのだ。出来るのだが……
「てゐ?」
突然攻める手を休めたてゐに対して、○○は不安そうな表情を浮かべる。心の根元から、キュッと締められるような官職を覚えるには十分な破壊力だった。
(とりあえず、この傷も含めて、これから付く傷は全部妹紅のせいにしよう)
○○の傷を治療して、○○の被虐思考を満足させつつ、傷に関しては全部妹紅のせいに。
やめとけば良いのに、てゐは二兎どころか三兎もの数を追いかけようとしていた。



三兎を追いかける算段を、てゐは頭の中で目まぐるしく考えている折。
突然廊下側のふすまが、がたんと音を立てた。
「ひゃあ!!」
誰かに見つかったか!?最悪の想像に思わずてゐは飛び上がって、○○から離れた。
「風じゃないの?てゐ、何をそんなに怯えてるの?」
「え、風?ああそうか、そうだね、確かに今吹いてるもんね。驚いてそんしたぁ」

てゐには敵が多いのだ。輝夜が大量のイナバを手足として使っている以上。この光景、誰の目にも留まってほしくはなかった。
とにかく、今すぐ、被虐思考を満足させつつ、○○を治療しなければ。

「○○、四つん這いになってくれない?」
「え……ああ勿論!」
てゐからの命令に、○○は悦び勇んで四つん這いとなった。

「よいしょっと」
四つん這いとなった○○の背中に、てゐが腰を預けた。
「とりあえず、師匠の処置室まで行って貰おうかぁ」
○○の頬の傷を治療すると言うことは、忘れていないはずなのだが。

「ああ、そうだ○○。私の手汚れちゃってるから、ちょっと綺麗にしてよ」
そう言って○○の血で汚れた指先を、○○の口元に突き出した。
忘れてはいない。行き先を処置室に指定したから、治療をすると言うことは忘れていない。
しかし、外れやすくなったタガが、そう簡単には元に戻ることはなかった。
先ほどは、息を吹き返した理性によって、外れた場所に再度タガを突っ込むことが出来たが。
余り長持ちはしなかったようだ。
てゐの指先を舐める○○も笑っているし。舐められるてゐも、笑っていた。
やってる事はどうかしているのに、物凄く愉快な笑顔だった。






どぉん!と言う、何かが倒れる音がした。廊下の方向からだった。
先ほどの音は、そよ風にふすまが揺れたで説明できるが。こんな音は、今吹いているそよ風では説明できない。

「……不味い」
一体何事かと、てゐも○○も音の下方向に顔を向けた。
目に飛び込んだ光景に、てゐはただ一言“不味い”とだけ口走って。
○○は本能的な部分で不味さを感じ取ったのか。顔が青ざめていた。

二人の目に飛び込んだ光景とは。
数え切れない数のイナバ達が、雪崩の様に折り重なり、ふすまを押し倒してしまった光景だった。


「ねぇ、みられちゃったよ」
「お前が押すから……」
「だって早く前に進まないから」
「廊下にこれだけの数が集まる事に無理があったんじゃ」
「どうしよう……」
「いや、どうしようもこうしようも。二人を止める為に私たちはいるんじゃ……」
「これ止めようとしない方が姫様に怒られちゃうよね」
「もう姫様に貰ったお給金、全物使っちゃった……」
「……私も」
「そもそも、皆てゐ様と○○を止める為にここに来たんだよね?お給金欲しいし」
「じゃあ、やるしかないよね」


今の轟音の前に起こった、そよ風がふすまを叩いた音。
もしかしたら、あの音も。そうだとしたら、下手をすれば、二人の戯れは始めからずっと、今目の前にいるイナバ達に。

「突っ込めぇ!!取り押さえろぉ!!」
「じゃないと姫様に怒られるぞー!!」
「それは嫌だー!!」
「お給金の為にー!!」

「○○早く走って、逃げなばぎゃあああ!!!」
てゐは○○に走れと命じたが。時既に遅し、放心していた時間が長すぎた。
四つん這いとなった○○の背中に腰掛けるてゐに、何匹ものイナバ達が。
数え切れない数のイナバ達が飛び掛かり、○○のそばから一気に引き剥がしてしまった。
そして○○の方にも、これまた数え切れない数のイナバ達によって、お神輿のように持ち上げられてしまった。

「二人を遠ざけろー!」
「てゐー!!てゐー!!!」
「ぎゃあああああ!!!」
○○は必死にてゐの名前を呼び叫ぶが、てゐからはただ悲鳴が上がるのみであった。
そして徐々に、その悲鳴すら遠くなっていき。
ついには、○○の耳にはてゐの悲鳴すら聞こえなくなってしまった。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2014年03月18日 11:08