霊夢/おやつ氏①
――聞きました?あの人ですよ、あの巫女の所に住んでるっていうのは。
あぁ、聞いた、聞いた。
……でもただの人間なんだろう?あれは。
そうらしいわ。
妖怪に襲われていた所を助けられてから、それ以来ずっと神社に……って話よ。
そりゃまた。
……あの巫女は何を考えているのか分からない所があるからねぇ。
いやまぁ、掴み所が無いってのは何時もの事だけどさ。
でもあれは何で一緒に居られるんだろう。
あの鬼と違って、完全に自活している訳でもないんだろう?
それだけの間があったなら、とっくに外に放り出されるのがオチだと思っていたんだが。
……さぁねえ。
でも聞いた話じゃあ文句の一つもないらしいよ。
いっつも笑顔で、それが余計に気味が悪いってね。
それ、誰から聞いた話なんだい?
……あの森に住んでる魔法使いからよ。
人間の方ね。
だからこの話、信憑性としては五分ってとこだけど、あれを見れば――
(……また、か)
人里へと買い物を頼まれたその途中、何時もの様に人の噂話が聞こえてくる。
喧騒の中だというのにその音は掻き消されずに、自分の耳へと入り込んできていた。
(そうだよ。ただの”人間”だ。
けど、それが何だって言うんだ)
買った品を入れた鞄を握る手が、自然と力んでいる。
その声に耐える様にしながら、ただ歩みを速くするしかなかった。
声は人里を出るまでの間、ずぅっと聞こえていた。
「ただいま」
「おかえり。早かったじゃない」
霊夢が割烹着姿で出迎えてくる。
左手には鍋の蓋、右手にはおたま。
「あいつらが持ち寄ってきた七草粥の材料、まだ大量に余ってるのよね。
好きでも無い癖に、食べたがった奴があんなに居るなんて……」
霊夢は返事を待たず鞄を受け取ると、中から調味料を取り出して言う。
「出来るだけ味付けは頑張るから、あなたも処分するの、協力してよね。
……で、何かあった?」
唐突に放たれた言葉で、意識が揺れた。
「え……いや、何も」
「あー。村の連中に何か言われでもしたってわけ」
誤魔化す様にいった言葉はまるで無駄で、霊夢は溜息をついた。
「……いい度胸じゃない。で、えーっと」
そうして自分へと近付くと、体のあちこちをぽんぽんと叩き、胸を撫で下ろすような顔をした。
「実害は無かったみたいね。うんうん、無事で何よりだわ」
「じゃあ、早速」
霊夢は巻いていた頭巾を取ると、持っていたおたまをくるりと回し、
ビュッ、と音を立てて振った。
そして鍋の蓋を指に挟み、構える様にして振り下ろす。
辺りの空気が変わった事に気付き、霊夢が少し宙に浮いた所で自分はやっと声を掛けた。
「ちょ、ちょっと待って霊夢!」
「ん?なあに」
それと同時に、空気は色を変える様にして静かになる。
彼女は、無表情だが口元を緩め、視線は自分へと好意を向けていた。
瞳の奥に宿った、それを除いては。
「……晩御飯の支度、まだ途中なんだろう?」
彼女が何を考えているのか、薄々は分かっていながらそんな事を言う。
「あ、うん。だから帰ってきたらすぐやるから
(だから早く行って”アイツラ”を……)」
「て、手伝おうかなって。
ほらたまには、霊夢の料理する所、見てみたいしさ」
「……えっ」
彼女は驚く様に顔を変えた。
ほんのりと頬を染める様に。
「でも台所仕事なんて面白くないわよ?
面倒だし、大変だし……。
それに改めて見るようなものでもないし」
「で、でも一度も覗いた事もなかったしさ。
何時も任せきりじゃ、悪いよ。
だから、手伝わせてくれ」
彼女の瞳の奥に伺うそれに、怯える様に。
「……。でも……」
「頼むよ」
自分は心の中で懇願していた。
「……うぅん。しょうがないなあ」
そして霊夢は嬉しそうな顔をして、自分の手を取った。
「じゃあ途中からだけど、最後まで手伝ってね。頼りにしてるから」
「あ、あぁ」
「えーっと、それじゃあ……
(それじゃあ……”アイツラ”の事は後回しでいいわね……)」
「ひゃっ!?」
「え?……って」
聞きなれない声がした彼女の指には、浅く伝うような血の滴。
「……その、あなたに見られながら料理するのって、なんか慣れてなくて……
あ、傷は浅いし大丈夫よ?」
「そ、そっか。なんかその、ごめん」
「謝る必要なんてないわよ。……その、私だってこういうの……
なんか悪くないなあ、とか思うし」
「そ、そう?」
「ええ」
そう言った彼女は、指を滴るそれを眺めながら。
ふっ、と、流す様に視線を向けて来た。
……何とも掴めない表情。
いや、普通には無表情に見えるのかもしれない。
しかし”いつものように”それが自分には、
何かを訴えかける様に聞こえる気がしてならなかった。
そう。
(舐めて)
と。
……霊夢が、自分を見つめ続ける。
赤い滴は、滴り落ちそうになりながら。
(舐めて。舐めて、舐めて、舐めて。
…………私の事が好きなら)
(早く。 ここにくちづけて?)
――とりつかれたようにその指をくわえていた。
彼女の幸せそうな顔が見えると、体中が痺れ、何かが麻痺していくような感覚があった。
「あ……ん…………」
霊夢がもう片方の手で、自分の手を優しく握り締める。
そして、何か憑きものが落ちる様な感触と一緒に、彼女の指は抜け落ちて――
両手で自分の頬を引き寄せると、彼女はそれに、想いを重ねていた。
お互いに恍惚とした顔のまま離れると、霊夢は何も言わずゆっくりと微笑んだ。
つられるように、自分の顔も緩むのが分かる。
何故だろう、それが少し不自然なものだと感じながらも。
「続き……作らないとね?」
それが何故か” ”に思えていた。
――それから、数日後。
再び人里に買い物へ向かおうと鞄を手にかけると、霊夢が慌てた様に走ってくる。
「あっ……、ちょっちょっと待ちなさい!」
その手にはお守りが握られていた。
「これを渡そうと思っててね」
有無を言う間もなく、それを鞄へと括りつけてくる。
結び目を確かめる様に引っ張ると、霊夢は笑顔で”よし”と言い、自分の肩を叩く。
「これでいいわ。寄り道はしないでね、○○。
……行ってらっしゃい」
(それと)
彼女が何か言いたそうにしている。
……引きこまれるように、彼女の体を引き寄せて抱きしめていた。
「……行ってきます」
それがまるで当たり前みたいに。
――あいつだ。
巫女に告げ口したのよ。男の癖に、なんて情けない。
ああはなりたくないな。
放っておけ、放っておけ。
どうせ飼い殺しさ。ほっとけば、そのうち死ぬに違いない。
案外彼女も脅されてる口じゃないか?弱みを握られてるとか……
あるかもしれないわねぇ。
それなら説明がつくし。
しっ。声が大きいぞ……
本当にあれがそういう類のだったらどうするんだ。
またとばっちりを食うのはごめんだぞ。
あの巫女……
あいつの陰口を叩いていた奴だけ、聞きもせずに全員ぶっ飛ばしたらしいじゃないか。
怖いねぇ……
きっとあいつが教えたんだ……
さっさと神社に帰れ。
帰れ。帰れ。 帰れ 帰れ 帰れ――!
言葉の暴力に、意識が混濁していたのか。
誰かが投げたその石が、目の前に来るまで気付いていなかった。
避けられない
そう、思考が判断した瞬間、目は閉じる事を選んでいた。
バリィッ!!
……その音が聞こえるまで。
投げられた石は、少し離れた地面へと反射するように落下していた。
その先の人影が、慌てふためきながら逃げだしている。
噂話をしていた連中も、散るようにその場を離れ、
聞こえて居た声は無くなり、静寂が訪れた。
鞄について居たお守りが、少し黒く焦げるような痕を残したまま。
一瞬、苦虫を潰した様な顔をしたが、霊夢は何処か遠くを見下ろす様な表情に変わる。
「……やっぱり持たせて正解だったみたいね」
けれど直ぐにその表情も消え、彼女は涙を伝わせていた。
「ごめんね……ごめんね……ごめんなさい、○○……」
「私が甘かったから……
人里の連中だからって、加減なんかする必要なかったのに!
あなたが私より弱いって事を知ってた癖に、私は……きっと、あなたに甘えてた」
「……あなたが男の人だからって。そんなの関係無いのに……」
――霊夢の涙が止まる。
彼女の眼は、決意に満ちていた。
それを示すかのように、霊夢は自分へと微笑んでいた。
……天使の様な鋭い目をしながら、悪魔の様に口元を歪ませて。
「あなたの周りにある障害は、全部私が”解決”してあげるから安心して。
○○に苦しい思いは、絶対にさせないから」
「…………ね?」
その言葉に、怯え。
しかし我慢できなかった感情だけが、噴き出す様にしてその言葉を告げた。
「……霊夢は」
「霊夢は、どうしてそこまでしてくれるんだ?
……こんな、何も無い自分に……」
吐き捨てる様にして俯く。
けれど霊夢は表情一つ変えずに、即答する。
「あなたが好きだからだけど?」
「ていうか、それ以外理由に何があるってのよ」
(だから)
(あなたはずっと此処に――
此処にこの場所でずっと――
私と――)
霊夢の手が、自分の手を握る。
柔らかく心地良い――けれど感触は、どこかねっとりとした様な温かさの。
それに掴まれた自分は、本当に顔を掴まれてもいないのに、
その顔を持ち上げる様にして、彼女の瞳へと視線を向ける。向け続ける。
(私とずっと一緒に居たいでしょ)
「霊夢とずっと一緒に居たいよ」
『え?』
自分で意図した訳でもないのに、何故かそんな言葉が口から出ていた。
そしてそれは直ぐに、当たり前だったと思えていた。
何でって
(私の事好きだって言ってくれる。だからそれは” ”)
……何で?
「……私も、同じ気持ちよ。愛してるわ、○○。
誰よりもね……」
(好きな人の為なら”当たり前の事”をするに決まってるじゃない)
それが”当たり前の事”だからに決まってるじゃないか。
「だから他の奴がどうなったって 構わないわよね、○○」
「…… …… ……
…… …… …… あぁ」
”当たり前の事”がこれからも続いてゆく。
彼女を好きでいればいい、霊夢を愛し続けていればいい。
他の事はもう 何も考えなくていい。
何でって
「この世界で私を一番に好きなのは、あなたでしょ?……勘だけどね」
……何で?理由なんか要らないでしょ。
○、○。
感想
最終更新:2019年02月02日 18:49