献身の対価




献身の対価




霊夢が飛べ無くなった。
その事に気がついたのはつい最近の事で、霊夢は未だ何かの間違いなのだろうと休養を取ったり、普段はしない修行に打ち込んだりしている。
天地が引っくり返るような事態だが、何故かいつかこうなるのだろうと言う予感めいたものがあった。
それなのに防ぐ為の方策も全く思いつかずに、こうして手をこまねいている間にその時が来てしまった。
「〇〇、ちょっと今日は修行で忙しくなるわ、ごめんなさい」
霊夢は朝食を食べ終わるとすぐに本殿へと向かう。 何気ない素振りの端々に焦りの色が滲んでいる。
「わかった」
ある日を境に、毎日そんなやり取りを重ねた。 常人ならとっくに諦めてしまうようなほどなのに、彼女は決してあきらめずにいる。
ありきたりな励ましの言葉や労いの言葉は、日を重ねる事に憔悴してゆく彼女の姿のように擦り切れてしまった。
朝食を片付け終えるとたった一つきりの湯呑に茶を注ぐ。 以前は霊夢の分も一緒に二つ湯呑が並んでいた。
その器を支える片手の重さ、手のひらに伝わる片方だけの温かさ。霊夢の欠落した日常は色の褪せた写真のように、希薄になってしまった。
博麗の巫女が役目を為さないとなると、幻想郷の力の平衡に大きなヒビが入る。
仕方のない事なんだ。 数多の命やこの郷でさえ、全て霊夢の華奢な双肩に掛かっているのだ。
胸の内に凝固する気持ちを無理に溶かす。 
そんな気を紛らそうと、かつての彼女のように日が当たり始めた縁側に座った。
春もひとつ段落を終え、藍々とした草はすっかり背を伸ばしている。 境内の外れた深いところでは膝まで届きそうだ。
寒さをどこかに置いてきた風が肌を滑って、晴れた空の向こうも蒼々と続く。
だが無意識のうちに霊夢の異変を知られまい、とあたりを窺っている自分に気がついて長いため息が出る。
何の力も持たない自分がいくら焦ってみても事態は何も変わらないの言うのに。
一体何が彼女の力を奪ってしまったのだろうか。 違う事を考えようとしてもいつのまにかその事ばかり考えている。
思考は堂々巡り、無為な時間ばかりが過ぎて行く。
耐えきれない歯がゆさに頭を掻きむしったり、柱に頭を打ち付けたり、物にあたったりもした。
まるで狂人のような様相を一通り終えてしまうと、鬱積した感情が少しは楽になって思考がまとまり出す。
――何か美味しいものでも食べさせてあげれば、少しは結果が出るかもしれない。
結局はいつかと同じような考えにたどり着いて、軽い自己嫌悪に苛まれた。

「二つで一円です」
「ははあ……ありがたや、ありがたや」
法外な価格で売っているのに、お守りや護符は飛ぶように売れた。
博麗の名前が持つ強大な力を否が応でも知れる。 
霊夢が力を失ってしまった今、自分がそれらしく書いただけの虚仮脅しだというのに。
多少なりとも心得のある人物がこの品を見た瞬間に、見かけ倒しの粗悪品だと気がつくだろう。
それなのに里の守護者などの重鎮は何一つ咎めるような事をしなかった。
「今日はこれで看板です」
「そんな!」
「後生だから売ってくれ!金は二倍……いや三倍出す!」
――あんたらが身をつぶして稼いだ金で買っているのは只の落書きなんだぞ!
不意にそう叫びたくなったが、手は貪欲に差し出された金をつかんでいた。

「ただいま」
「お帰り、〇〇」
霊夢はすでに夕食を作り終えていて待っていた。
新しく買ってきた食材を台所へ下ろすと、外套を脱ぐ事ことすらせずにごろりと居間へ寝転がった。
「お酒……飲んでるの?」
やつれた表情の霊夢がこちらを窺うように話しかけてくる。
それが堪らなく鬱陶しい。
「ああそうだよ。 悪いか?」
言葉は知らずのうちに刺々しくなった。
彼女はこちらの苛立ちを敏感に感じ取ったのか、少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「そんなことないわ。 ごめんね私、自分勝手で」
自分を卑下するかのように笑う霊夢に、何かが弾ける。
「お前は……いつもそうやって!」

誰の為に良心を殺して商売をしていると思っている。
誰の為に模造した愛想を振りまいていると思っている。
全部お前の為だ、お前の為にだ!

立ちあがってそう叫ぼうとしたが、喉からは掠れたような声しか出なかった。
「どうしたの?」
もうなんの力も持たないはずの霊夢。
幾らか不慣れなはずなのに、身を砕いて家事をして甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。
疲れているであろう筈なのに、こうして帰りを待ってくれている。
裾から少しだけ覗く膝には擦りむいた傷。
不慣れな片手で下手糞にあてがわれた湿布。
それがもう、どうしようもなく嫌になった。
その一つ一つが怒り狂っていたはずの感情を上塗りしていった。
「……少し、根を詰め過ぎる癖があるぞ」
その言葉にはっとしたように霊夢は息を飲んだ。
「心配、させてしまった?」
彼女は申し訳なさそうな表情をしてこちらを見上げる。
「色々買って来たんだ。明日は美味い物でも食べよう」
外套を脱いで脇に置いて座り、夕食の箸を手に取る。
「明日はゆっくり寝ていて良い、家事は俺がやろう」
「そんな」
「いいだろう、偶にぐらい」
霊夢はすぐにそれを止めようとしたが、押し切った。
こんな男の何処が好くて尽くしてくれるのだろうか。
夕食は冷めきっていたのに、どれをとっても美味かった。


「自覚はあったのね?」
「そうであるだろうと、そうでなければいいとも……思っていました」
何日か経つと紫が訪ねてきた。
傍らに眠っていた霊夢はそのまま起こさないでおいた
今もそのまま、抜けだしてきた奥の部屋でそのまま眠っているだろう。
「博麗の巫女は何物からも浮いてなければなりません。 しがらみからも、何者からも」
心苦しそうに紫は言葉を繋ぐ、そしてその言葉に妙に合点がいった。 
「自分は霊夢を縛り付けてしまう柵にすぎない、と?」
初めのうちは結婚式を挙げようとしていた霊夢が、何故急に取りやめたのか。
するりと奥深くに入り込んだ納得だけがあった。
「一時的なものかもしれないわ……だから」
紫は申し訳なさそうに目を伏せた。
「〇〇さん、博麗の為に、幻想郷の為にその身を差し出して頂けますか」
紫は頭を下げた。
幻想郷の重鎮でもある彼女は、人間の一人など塵一つ残さず消してしまえるだろうに。
「わかりました。 今すぐですか?」
迷いは無かった。 
騙すようで心苦しいが、自分は大方妖怪にでも襲われたのだと紫は伝えるのだろう。
この郷の為に、何よりも霊夢の為に。
この矮小な身などいくらでも差しだそう。





「〇〇っ! 〇〇っ!」
「霊夢…」
「紫っ!〇〇がいないの!」
「……彼は、死んだわ」
「そ、そんな」
「死んだのよ、霊夢」
「う、うそ……嘘よね紫」
「嫌だ嫌だ嫌だ、そんなのは嫌……」
「霊夢……気をしっかり持って」
「い、嫌……いやあああああああああああああああああああああっ」




ようやく期限が終わろうとしている。
来る日も来る日も暦に印を付け、壊れそうになる心を必死に支えて耐えた。
ずっと小さくなってしまった世界の中に、いつかのように紫が現れる。
「〇〇さん……」
紫の表情は暗いものだった。 だがそんな事よりも霊夢の事が気になる。
「霊夢は元気ですか」
紫は束になった暦を一瞥する。
「申し訳ありませんでした」
彼女は突然その場に跪いて頭を下げた。
「な、なにをしているんですか……頭を上げて下さいよ」
一体、何が。
あまりに突然過ぎるその謝罪にすぐに質問する事も出来なかった。
「霊夢に……何か、あったのですか」
頭の中をぐるぐると言葉が回る。 詰め寄りそうになるのを押さえつけ、それでも問いかけた。
「あなたが霊夢に深く懸想しているのは知っています、だから……」
霊夢は離れる寸前までこの傍らに居たのだ、彼女に何か変わった様子は無かったのに。
何が言いたい? だから?……こいつは一体何を言っている?
堪らなく嫌な予感がする。 冷える体に流れる汗がとても気持ち悪かった。
「霊夢に、霊夢に逢わせて下さい!」
「きっと後悔します……それでも、構いませんか」
頭をあげた紫は苦い表情を浮かべている。
「早く!」
例え後悔したとしても、早く霊夢の顔を見たい。
「わかりました」
彼女の作りだした中空に現れた隙間に手を掛け、中の暗闇へと滑り込む。


霊夢はいつものようにそこに居た。
何一つ変わらない姿で座っている。 肌を焼くような不安は杞憂に終わったのだ。
ああ、霊夢。
ようやく会えたのだまず何と言葉を掛けようか迷った。 謝るべきだろうか、それとも以前のように話しかけてみようか。
嬉しくてとても嬉しくて、逸る気持ちは足を自然に動かした。 早く、早く、彼女の傍まで。
「〇〇、きょうはなにがたべたい?」
霊夢がこちらを見ずに口を開いた。 
その突拍子もない質問に少し面食らったが、久方ぶりに霊夢の声が聞けた事の嬉しさが勝った。
「ああ、そうだな……」
霊夢の出してくれるものなら何でも美味しいのだが、今日のこの日だけは我儘を言ってみようかと言葉を継ごうとした瞬間――。
「ふふ、きのうもたべたでしょう? ほんとうにすきね」
霊夢が誰もいない方向に向かって話しかけ、あろうことか笑いかけている。
彼女は一体誰と話している。 忘れたはずの不安が再び背筋を冷やし始める、自分の本能的な何かが悲鳴を上げた。
「霊夢?」
いやな胸騒ぎがする。 まるで知人の死体に気付いてしまった時の様に、目を背けたくなる衝動に駆られる。
「おい、誰と話しているんだ?」
彼女の端整な顔の前で手を振った。 うっとうしそうに手を払うどころか、瞬きすらしない彼女の瞳は底が見えてしまいそうなほど透き通っている。
「霊夢……流石に怒るぞ?」
上擦った声が震える。 胸騒ぎはいよいよ心臓に早鐘を打たせ始め、疑惑は確信へと形を変えてゆく。
「霊夢!」
その瞳は誰も見えていない、いや……いないはずの誰かしか見えていない。
こうして小さな肩を掴んで揺さぶっても、その白い頬に触れても、表情は凍りついたように変わらない。

「霊夢はあの後、必死に頑張ったのよ……」
いつの間にか近くに居た紫がそっと俺の肩に触れた。
「頑張ればあなたが帰ってきてくれると、心をすり潰してしまうまで」
知らずのうちに溜まった水が、目の縁を溢れようとしている。

「ねえ〇〇、わたしのこと……すき?」
霊夢は恥じらう様に問いかけた。 
誰もいない、明後日の方向に向かって。
「ねえこたえてよ」
必死に霊夢の小さい体を抱きしめた。
声では届かなくても身体に触れる事で、少しでも答えが彼女へ届いて欲しいと切に願う。
「ほんとう? わたし、うれしい……」
その笑顔は在りし日と全く変わりないまま、彼女の内で完結していた。
彼女の努力が一部の隙もなかった事を、滲む色の中で分かり得た。
「ずーっと、いっしょにいようね?」
霊夢はもう誰にも囚われない心で、すべてから浮いた世界の中に生きている。







感想

  • こうゆう系のヤンデレは、まあまあ怖い様に感じる。 -- 匿名さん (2020-09-13 10:07:20)
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最終更新:2020年09月13日 10:07