勇儀は満ち足りていた

勇儀と夫の○○との睦み愛は本の少しだけアブノーマルだ。
しかし異常性を孕む行為の真の姿を理解すればたちどころに羨望の念が沸き上がってくるだろう。……強力な妖怪であればあるほど。
「……んっ」
切なげに喉を鳴らした勇儀は今にも切れそうな細い糸で両手を拘束されていた。
いいや両手だけではないよくみればあちらこちらが拘束されているではないか。しかし腑に落ちないのは何故こんな今にも切れそうな頼りない糸なのかということだ。
特に鬼ともなれば強力で知られる妖怪、こんな拘束などなんの意味も持たないのではない……そう思われる方も多いだろう。しかし見よ、星熊勇儀のこの恍惚と期待に弾けそうなほど満ち溢れた表情を。
頬は赤く上気して染まり、その形の良い眉を歪めた様はまこと妖艶で、濡れた唇が短く吐息をつく様のなんと扇情的なことか!
「今日もお疲れさま、勇儀」
そういって夫の○○が勇儀を抱き締める。すると……おお見よ!勇儀はきゅっと瞳を閉じてそれを受けたかと思うと大粒の涙を浮かべてはそれで頬を濡らしたではないか。欲情とは全く違う満ち足りた熱が勇儀の頬を伝い濡らしていく。
「はぁ、ぁぁああぁ……」
全ての力を我が身から抜くように声を上げる勇儀だが自分から抱き返すことはしない。そのかわりそっと顎を○○の肩に預けた。
勿論のこと○○は更に強く、腹と腹とが境を無くし張り付くほどに抱き返す。勇儀は声を漏らした。
鬼は強力な妖怪であるのは最早語るまでもない。
好いた男を拐い自分だけの物にするなど朝飯前、目障りな他の女を潰して歩くのも容易いだろう。
そう、抱こうと思えばいくらでもどうとでもなるのだった。

しかし、抱かれるとなればこれは難しい。
なんせ恐ろしい鬼だ。ちょっとやそっと覚えがある程度では荷が勝ちすぎる。鬼は人間を食うものだし妖怪であっても不興を買えば塵に帰るのは誰でも知っている。そんな危ないモノに誰がすき好んで無防備な姿をさらそうか?刀を持つ手を空にして術編む剣指の印を解こうか?居ない、居ないのだ!
……しかし、天の気紛れかこうして勇儀は伴侶となる人間を得ていた。経過は今は語らない。愛する夫を得た、これだけが重要なのだ。
最初、お互い好き合ってるとはいえ○○も勇儀を抱き締めるのに躊躇していた。そこで勇儀はこういった。
「あたしも、あんたに抱かれるとなれば嬉しくて嬉しくて、ともすれば絞め殺してしまうかもしれない、夢中になって爪で背中を引き裂いてしまうかもしれない……だから」
といって差し出したのは鬼をも拘束できる神鉄で鍛えた鎖の束。
「あたしを、あんたのものにして欲しい。これで縛って全てを捧げさせておくれ……」
委ねる。超攻勢生物の鬼が有史以来初めてとる愛情表現だった。
その夜彼女は深雪に足跡を刻んだ。
全てを相手に任せ……いくらでも自分のすきにできるのを捨てて無防備に相手の情を受ける。
力で脅すのではなく、恐れて命乞いめいてしてくるのでなく、こちらから食いかかるのではなく、ただ受け手に回る。
相手に全てを任せ、依存し、愛されている実感にどっぷりと溺れる。魔性の味だった。

堪らない快楽だった。
昼の仕事の労をねぎらわれ、その肩を流れる髪ごと手を滑らせられれば内から熱い液が溢れた。
いかに愛してるかを囁かれれば胸の奥にある結晶のような大事なものがキイインと響いて頭を貫いた。
タブーとされているが鬼は寂しがり屋の妖怪だ。ただ、自覚をするにはそのプライドが、強力な力が許さなかった。
勇儀は危険なほど深く溺れていった。
幸運なことに、あるいは彼女の男をみる目が確かだったのか○○は誠実に彼女を愛し続けた。
その過程で彼女を拘束すら素材は徐々に脆い素材に変わっていった。
無骨な鎖で愛する女を拘束するのは倒錯した悦びをもたらすがどうにも痛々しいし、何よりその鎖は人間が持つには重すぎて正直邪魔だった。
しかしその邪魔な程の頑強さが彼の身を守っているのも事実。
○○はより勇儀と純粋に結ばれる事を望んでいた。
肉を裂き骨ごと砕かれるのは勘弁願いたいが、出来るなら抱き返してほしかったのだ。
結果、拘束素材は段々と脆いものへとシフトしていった。
ことの次第を○○胸に顔を埋めながら聞いていた勇儀は最初しぶしぶと受け入れた。やはり不安だったからだ。自分からは動かないと決めていても鬼封じの鎖は何度と鳴くその硬質な音を響かせては宙を舞った。人間には重すぎて不可能なほど激しく。
この力をかすりでもしたなら、○○
死んでいた。原型を残したら御の字というレベルである。
しかし、○○は諦めなかった。

その結果の果てが今の糸である。
法力で編んだわけでも、妖怪が繊維の一本一本になってできたものでもない、ごく普通の糸である。
勇儀でなくても、妖怪どころか子供でも引きちぎれるごく普通の糸。
ハッキリいって拘束具とは全く言えない。形だけの枷、形だけの不自由。しかしそこにある気持ちは鎖よりもより強力で、固い。
絶対に傷つけない、という反射レベルにまで浸透した想いの結晶。
相手に自分の意思で己が身を捧げているという誇りにも似た悦び。
勇儀は深く溺れて○○に依存していった。それは、まるで雛鳥のように。
しかし、その勇儀を抱き締めながら○○は不安に思い始めている。
もし、自分がなにかの事故や事情で彼女から離れなければならなくったとき彼女はどうなってしまうだろう。
与えられ悦びを知ってしまった彼女は同時に強いることに……正確にはそう疑われるかもしれないことを極端に恐れるようになってしまった。

生きていけるのだろうか?

幻想郷で最強の種族ともいわれる鬼に、○○は不安を抱かずにいられない。
すでに、この方法の良さを勇儀に教わり、実践している鬼は何人かいるらしい。
○○は普通の人間だ。年を取れば衰える。
時が来れば黄泉路を踏む身だ。
そうなったとき、一人で我妻はどう生きていくのだろうか……

今日も勇儀の手が○○の背中に触れることはなかった。

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最終更新:2014年10月29日 20:48