『鬼』との生活
さしたる才能はない、力が強いわけでもない、生まれが特別なものな訳でもない。
3週間程前に幻想郷にやってきた○○は、そんなどこにでもいる極普通の人間だった。
他の人間との違いがあるとするならば、
酒に対する興味と知識が非常に深かったという点で特別だったと言える。
お盆に祖父から舐める程度でいいから清酒を口にするように言われ、
恐る恐る口にした際、口に広がるその風味に、幼いながらにこれはなんと奥の深い飲み物なのだと、
記憶に強く印象付けられたのは、はたしていくつの時だったか…
その日以降、○○は酒と言う存在に魅了される事になる。
高校に進む頃には、こっそりコンビニ等で酒を買って飲むのが習慣となる。
個人のパソコンを買って貰った事がきっかけとなり、
こそこそと飲むだけでは満足出来なくなり、次第に酒そのものへの知識を追求するようになっていった。
世界における多くの酒の種類、その歴史、その製造方法、そして味。
ネット上での情報に不足を感じた場合は図書館に足を運んでさらに詳しい情報を得ていった。
果実酒以外の酒を1人で作るのは流石に無理だったが、
大学は農大に行くことで酒造が出来る学科に進み、将来は酒造関係の職に就こうと決めていた。
見事希望の大学に進んだ○○は時間の許す限り酒造について学んでいった。、
そして志望する職に就く為意気込んで準備していた矢先、運命という名の紫婆が彼を数奇な運命に誘った。
―
最初目が覚めた時、○○の周囲は見事な大きさを誇る竹で覆われていた。
そして横たわってる彼を上から覗きこむ銀髪の女性。
彼女は真っ赤なリボンをその銀髪につけ、モンペに似たズボンを履き、
背中には彼女の血であろう銀の髪の毛を生やした赤子を背負っていた。
藤原妹紅と名乗るその女性は、○○に対しいくつかの質問を投げかけ、その反応から外来人と判断し、
幻想郷と言う今いる環境に関する説明を簡単にしながら人間の里と呼ばれる集落へ○○を連れていった。
―
○○は最初混乱した。
就職に関する情報を集めようと奔走していた際に眩暈に襲われ、気が付けば見覚えのない景色に放り出される。
その上自分の横を歩く少女は幻想だの妖怪だの「いるはずの無い存在」について語っているのだから無理もない。
見知らぬ土地で右も左もわからぬが故に彼女について行きはするものの、
現代の日本の常識に染まった○○にとって、彼女の語る内容はとてもではないが信じられる様なモノではなかった。
○○の意見に妹紅が口を開こうとしたが、丁度前方から彼女の名前を呼ぶ声が聞こえてきた為中断された。
前から現れたのはこれまた銀髪の女性だった。
上下が一体になっている青いロングスカート、頭には四角い形をして天辺に赤いリボンのついた青帽子。
彼女もまた赤子を背負っていた。
妹紅の横に○○が立っているのを見たその女性は、簡単な自己紹介と状況の説明を妹紅に求める。
上白沢慧音と名乗る女性は状況を把握した上で、先ほど妹紅が○○に聞かせた物よりもより詳細に、
幻想郷、妖怪、外来人等、○○の置かれた状況について説明をする。
途中○○はいくつか反論するも、隣の妹紅が手から炎を発生させ、弾幕と呼ばれる光弾を空に放ち、
挙句傷を付けた手のひらが一瞬で修復される光景を見せつけられ、
彼を取り巻く状況が洒落や冗談の類ではないと否応なしに痛感させられる事となった。
『鬼 』との生活-2
それから紆余曲折あり、人間の里の中にある外来人達の集落に住む場所をあてがわれた○○ではあったが
人間の里に来てから最初の一週間、○○は自分の置かれた状況に絶望し、何もする気力が起きなかった。
夢に向かって進もうとした矢先だったこともあり、一時は首でも吊ろうか本気で悩むほどだった。
しかし、○○と同じ境遇の先輩達、里の守護者である上白沢慧音とその夫。藤原妹紅とその夫。
そういった人々が親身に慰めてくれたお陰で、思い直すにいたり徐々に前向きに考えるようになった。
自分を仲間と歓迎してくれた人達のお陰で、孤独を感じる事も少なかった点も大きいだろう。
―
先輩達の話では仕事もあり、食うには全く困らないらしい。
特に昨今の外来人の様に四則計算が当たり前の様に出来る者はそれだけでもかなり重宝される。
里の人間達も閉鎖的ではなく、こちらを腫れもの扱い様子もない。
これには○○もかなり意外だった。辺境の村や里と言うのは閉鎖的な空気が漂っているモノだと思っていたからだ。
そして費用が貯まりさえすれば、近くの神社の巫女が元の世界に戻る手続きもしてくれると言う。
また、妹紅や慧音の話で出てきた妖怪という存在に関しても、
妖怪という単語からの印象や想像とは全く違い、とても友好的な種族が多いらしい。
10年20年前はそうでもなく、里の外では人食いも盛んだったらしいのだが、
5年程前から人間に味方する妖怪がちらほら現れ始めたらしいのだ。
特に、人間の味方すると公言し始めた妖怪達が、
幻想郷でも有数の実力者ばかりだった様で、その在り方が他の妖怪にも影響を与えたのだとか。
数年前には規模において最大を誇る天狗の集団までもが、人間の味方をすると宣言したそうで、
今話している先輩達が幻想郷に来た頃では、既にほとんどの妖怪は人間の味方と言うのが既に常識になっていたらしい。
実際、今ここにはいない先輩の中にも、
妖怪が数多く住みつく寺の寺男として働く者が2人、
冥界の管理者と呼ばれる亡霊の元でコックをする者が1人、と言ったように普通に妖怪と交流している人も多いという。
彼ら曰く、とても良くしてもらっていて、最初こそ警戒したものの、実際は一切危険にあった事がないのだそうだ。
生活の水準こそ外と差があれど、慣れてしまえば非常に快適なのだとか。
この様に、外来人という余所者の立場にも関わらずの対応の良さもあり、
先輩達も今の生活に不満らしい不満がほとんど無いらしい。
結果として、ここでの暮らしの中で特定の女性と親しくなり、幻想郷に永住する外来人も多いようだ。
特に外来人は新しい血を持つとして、幻想郷でも「一部」の女性から非常に人気があるのだと先輩の1人が言っていた。
羨ましい事に今いる先輩の中にも働き先で仲の良い女性がいると言う声がちらほら。
今のところ○○はこの世界に根を張るつもりはないが、
色々な話を聞く限りそこまで悲観するような状況ではない、そう判断したのだった。
こうして、元々前向きな性格だったこともあった○○は、ここでの生活に順応してみようと心に決める。
―
ある日の昼頃様子を見に来てくれた慧音にその旨を伝えると、彼女はとても喜んでくれた。
そして○○の人となりや能力を考慮して、
彼に合う仕事をいくつか見繕って来ると約束してくれた。
彼女の弁によると、上白沢慧音は半人半妖であり、
妖怪として歴史という概念をある程度自在に扱う能力があるのだとの事だった。
その能力を応用する事で、外来人一人一人の歴史に目を通し、適正の高い仕事を見つける事が出来るのだとか。
”勿論私的な領域について詮索はしないから安心しろ”と言う彼女を見ながら、
たった今告げられた情報の中で最も衝撃的だった単語を反芻する。
半妖。
妖怪。
目の前の、それもこのように美しい女性に、
半分とはいえ妖怪の血が混じっているというのは意外だった。
”こんな美人なのに”と驚きを表す○○に彼女はいくつか補足する。
力のある妖怪程、外見は人に近い。そして、外見が人間に近い者程、人間の味方をしている。
慧音は人の里の守護者として、妖怪達にも顔が広いが、彼女が知っている人型の妖怪は皆人間の味方をしてくれている。
大体こんな内容だ。
”そして美しいと言ってくれるのは嬉しいが、見ての通り私には家庭があるので褒めても期待には応えられん”、
と背中の赤子を見せながら冗談混じりで締めくくる。
○○はそんなものなのかと頷いた。
『鬼』との生活-3
仕事に関しては明日改めて話そうと言った彼女は、
帰り際に○○を酒の席に誘ってきた。
定期的に近くの神社に集まって、人妖入り混じり宴会を開いているのだそうだ。
そこに参加する妖怪達は、幻想郷へやってきた新たな住人をとても歓迎しているので、
顔見せも兼ねて1度は最低でもその宴会に参加してほしいのだとか。
妖怪が友好的かどうかも、その光景を見ればすぐわかるだろうとも付け加える。
酒好きの○○は特に積極的に断る理由もないのでその場で了承した。
○○の返事を聞いた慧音は、必要な事を伝え笑顔で去って行った。
タイミングの良い事に宴会の日程は今夜だという。
他の者は仕事場から直接来るらしく、
1人では迷う可能性もあるので、案内役として誰かここに寄こすとの事だった。
―
慧音が帰り、案内の人が来るという夕方まで時間もまだあったので、
○○は少し散歩に出かけることにした。
それまでは気落ちしていた為あまり外に出ず、周囲の環境に意識をしっかり向けていなかった○○だったが、
ここで試しに頑張ってみようと心に決めた事で、多少気持ちに余裕が生まれたのだった。
余裕があると周囲の様子も色々と違って見えてくる。
様々な店が並ぶ大通りでは、
普通に歩いているだけでも、ちらほらと妖怪と思われる姿が目に映る。
翼であったり耳であったり尻尾であったり、普通の人間とは異なる部位はあるものの、
その部分さえ気にしなければ、目に映った妖怪達もなんら人と変わりなかった。
中には店の主と色々話している妖怪の姿も見受けられる。
慧音の話では人に近い姿の妖怪は、力が強い部類との事だが、
話相手の店主は恐れる様子もなく普通に応対している。
団子屋の前で美味そうに団子を食べている猫耳の少女は、
隣に座る、とんがり帽子の魔女の様な格好をしている女の子と笑顔で談笑している。
通り過ぎた時に、”うちの何々が…”とか、”そんな時はこういう風に相手してあげれば”、
と言っていたので恐らくペットか何かの話をしているのだろう。
晴天にも関わらず水色のカッパを羽織り、
自分の体重を余裕で越えていそうなでかいリュックサックを背負った少女の所では、
混み合う人達に混じり兎の耳を生やした女性が物を売り買いしている、
一瞬リュックを背負った少女の両手の長さが、左右で変化していたように見えたのは気のせいだろうか?
何本もの美しい金色の尻尾を生やした女性が蕎麦うどんと書かれた店の暖簾をくぐっていったが、
きっと目当てはきつねウドンか野鼠の天麩羅辺りなのだろう。なんとなく。
という具合に町の様子を色々眺めながら散歩していたら、
いつの間にか夕方に近い時間になっていたので自分の部屋に戻る事にした。
『鬼』との生活-4
部屋に戻りお茶で一服していた所、
玄関先から○○の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
慧音の言っていた案内の人が来たのだろうと玄関を開ける。
玄関先にいた案内の人は2人だった。
片方は○○よりも頭1つ大きい女性。
160cm程の○○と比べると恐らく180cm位はあるだろう。
しっかりとした体格に腰の辺りまで伸ばした金髪、
どことなく体操服のような印象の上着に青地に赤の縞模様のスカート、
手足に枷の様なモノを嵌めている。
上半身の一部分が素晴らしく自己主張している魅力的な姿だった。
もう片方は逆に随分と背が小さい。恐らく130cm程であろう少女だった。
腰まである金髪に、上は白、下は紫の西洋風な洋服。
瓢箪を持つ手には鎖が巻かれており、その先をたどると丸三角四角のよくわからない物体が取りつけられている。
上半身の一部分は隣の女性とは真逆で非常に慎ましい。
2人とも妙な枷の様なモノを身につけているが、これは趣味なのだろうか…。
そしてもう1つ、彼女達に共通してその存在を主張しているモノがある。
角だ。
背高な女性は額から真っ直ぐ斜め上に1本。
少女は頭の側面から真横に多少曲がりながら2本。
角が生えている。
その角のお陰で彼女らが人間ではないのが一瞬でわかった。
…鬼。彼女達はそう呼ばれる妖怪なのだろう。
”あんたが○○かい”と背高な女性が尋ねてくる。
肯定すると予想通り自分達は今夜の宴会への案内役なのだと言ってきた。
星熊勇儀と伊吹萃香、彼女達はそう名乗った。
○○も名乗り返す。案内役をしてくれる事への感謝も添えて。
名前を知っていたとしても、名乗られた以上は返すのは当然の礼儀だ。
しかし、○○の対応に2人は少し驚いたような反応を見せた。
普通に挨拶を返しただけなのでその理由が○○にはわからなかった。
疑問をそのまま口に出すと、
鬼が玄関先にいたのにも関わらず、驚きも怖がりもしないのが意外だったのだと言ってきた。
”慧音さんが案内に人を寄こすと言っていたし、里を回れば妖怪だってそこらじゅうにいる。
案内役が妖怪だったのは確かに予想外だったが、だからと言って怖がる理由にはならないだろう”
そうと言うと勇儀に変なモノを見る目で見られた。
そして隣の萃香には”鬼が恐くないのかい”と聞かれた。
幻想郷に来るまで、物語等で存在の事を知ってはいても、実物の鬼等見た事がなかった。
ここに来た時の説明で、今の妖怪は人に対して友好的な者ばかりであると言われ、事実として自分の目で見てもそう感じている。
現状相手が妖怪だからと言って、初対面の方に対して問答無用で怖がってみせるなんて失礼な事は出来ない。
個々人の相性の善し悪しはあるにしても、それだけで鬼そのものがどうこうなるわけではない。
もちろん危害を加えられたら考えを改める。
そう説明すると勇儀の方は納得がいったような表情をし、萃香は大笑いした。
彼女達曰く、妖怪の中でも鬼は別格の種族の1つであるらしく、
友好的だとわかってはいても、大なり小なり恐れは抱かれて当然だったらしい。
故にそういった感情が一切こもらない普通の対応は初めてで、奇妙であり、とても新鮮だったのだとか。
○○の対応が2人にとって好感の持てるモノだったらしく、彼女達の名前は呼び捨てで呼んでくれて構わないと言ってきた。
○○もこれを了解し、3人で宴会の会場へ出発した。
『鬼』との生活-5
道すがら勇儀が鬼という種族が幻想郷にやってきた経緯に始まり、
彼女らの持つ能力や鬼という存在の特徴などを話してくれた。
力が無いのにも関わらず堂々と鬼に対応できる○○は、それだけでも久しく見ない勇を持つ証があり、
それ故に気にいったのだと言われた時は、柄にもなく照れる○○だった。
ファッションと言うには少々奇抜すぎる感のある手足の枷について尋ねた所、
これらは鬼としての力を意図的に制限する為の物だと返された。
付けている理由を尋ねると、付けていない状態でその気になれば、足を地面に打ちつけるだけで周囲の家に被害が出ると返された。
鬼は嘘を嫌うという話を聞いていたので、誇張ではないと感じた時は流石に多少顔が引きつった○○であったが、
無闇にその力が振るわれないのであれば、やはり怖いとは感じないと答えると、2人は嬉しそうに笑顔を向けてきた。
○○の身の上話になり、彼が酒好きで、それが転じて世界中の酒の知識があると知った2人の反応は、
他のどの話題の時よりも激しいモノだった。
目をぎらつかせて色々尋ねてくる様子には○○も若干引き気味であった。
物語等の設定と同じく、やはり鬼という存在は酒に目が無いのだろう。
幻想郷にも美味い酒はあるが、外の酒と比べてどんなものか後で教えてくれと頼まれたので、○○も快く了承した。
―
会場の神社に着いた時、既に宴会が始まっていた。
蝙蝠の様な翼を生やした少女が、燕尾服を着た男性とメイド服の女性を伴い優雅にくつろいでいる。
町で見かけたでかいリュックの少女は猫耳や鼠の耳を着けた少女達と共に1人の男性にあれこれ話し込んでいる。
歪んだ翼に宝石を生やした少女がとんがり帽子の魔女っ子と宴会会場で走り回り、
やたらとでかい狸の尻尾を持つ女性に注意を受けている。
肩の辺りに白い塊がふよふよ浮いている少女は、隣にいる男性と共にピンク色の髪の女性にせっせと食べ物を運んでいる。
黒の長髪の少女と額が触れる距離で睨み合ってた妹紅は、傍らの夫に赤ん坊を預けると黒髪の女性と共に空に舞い上がった。
何が始まるのかと見ていたら夏の花火以上に色とりどりの光を放つ弾幕合戦を開始した。
紫髪にパジャマ姿の女性と、兎の耳を生やしブレザーの様な服を着た女性は、
酔っぱらっているのか顔を真っ赤にして、男性の膝を枕に夢の世界へ旅立っているようだ。
人形劇をやってる金髪の女性の周りでは萃香と同じくらいの背丈の少女達が集まっている。
外来人の先輩達も思い思いの場所で楽しんでいるようだった。
男2人で話している所に金色の尻尾を複数生やした女性と日傘を持った緑髪の女性が話しかけ、会話の輪に参加していた。
慧音は赤ん坊をあやしながら、黒い鳥の翼を生やした少女と何やら真剣に話しこんでいる。
少女の方が物凄い目つきで話に聞き入っている様子からすると、あそこは無闇に近づかない方がいいだろう。
他にも多くの人達が、既に出来上がった状態でやんややんやと騒いでいた。
そんな騒がしくも楽しげな雰囲気を、神社の入り口から眺めていた○○の元へ、
白と赤で装飾された黒髪の巫女が話しかけてきた。
博麗霊夢と名乗るその少女は、○○の名前を確認すると
”ようこそ幻想郷へ、皆思い思いに勝手に楽しんでいるから、
適当な所に座って存分に楽しんで行ってほしい”と言ってきた。
勇儀と萃香に手を引かれた○○はそのまま宴会の中心に突撃する形になった。
見慣れない男がやってきた事に気が付いた女性達が挨拶してくる。
1人1人に挨拶を返していったが、○○は何人かの女性がこちらを品定めするような目で眺めている印象を受けた。
それ自体は初対面なのだからある意味当然なのだが、何故か少し妙な雰囲気を纏っている様に感じた。
『鬼』生活-6
一通り挨拶を終えた○○の元に、勇儀と萃香が酒を持って近づいてきた。
この場にある酒は全種類持ってきたから、早速味比べをして楽しもうとの事だ。
中には吸血鬼の従者が作ったワインや天狗の地酒、妖怪寺で作った清酒等もあるらしい。
外の世界では味わう事の出来ないモノが出てきて、知らず知らず○○の口に涎が貯まる。
よくよく考えれば里に来てから落ち込みっぱなしで酒を飲む機会がなかった。
その反動もあるのだろう。
杯を受け取り早速1つ1つ味を楽しみ始める。
胃が空の状態でいきなり強い酒を飲むのは危ないので、料理も味わいながらまずは里で作られた清酒を飲んでみる。
”美味い”
思わず口にでてしまった。
数週間ぶりに口にした酒は大当たりだったようだ。
自然に囲まれた環境ゆえに水の質が高いのだろう。
そのお陰か一口含むだけで一気に酒の味と澄んだ香りが広がる。
飲み物の中でも酒を飲んだ時にのみ味わえる、共通する酒としての感覚。
飲みこみ自然と吐息が漏れる。
○○が今まで味わってきた中でも指折りのモノだ。
学生の身分故、彼は成人した後もあまり高い酒を口にする機会はなかった。
好みの問題や体調などその他もろもろ影響するので、必ずしも高い酒がそのまま美味いと感じるとは限らない。
だがこの酒の美味さは、相当値の張るモノの味に思えた。
正直に感想を述べると2人は笑いながら答える。
”値段なんかどうでもいい、美味いものは美味い、それでいいだろう”と。
非常にシンプルでわかりやすいものだった。
空いた杯にまた酒が注がれる。
返しとして2人にも注いだら一息で飲みほしてしまった。
2人の杯は○○のそれに比べかなり大きいモノだったのだが、それを一息で飲む姿に一瞬唖然とする。
萃香が笑いながら、鬼は元々酒に強いものだと教えてくれた。
○○は自分のペースで着いてくれればいいと言ってくれたので、あまり無茶な飲み方はしない事にする。
焼き魚を片手間に清酒を味わっていたら勇儀に半分持ってかれた。
餃子や焼き鳥を口にしていたら目を離した隙に萃香に食いかけを持ってかれた。
卵焼きを持ってきたら最初の一口以外2人に独占された。
山菜とキノコの和え物を持ってきたら見向きもされなかったので1人で平らげた。
鬼は野菜が嫌いなのだろうか…。
多少腹も膨れてきた辺りで今度は色々な話しをしながら酒を飲む。
○○が暮らしていた外の世界の生活の様子を説明する。
馬より早く動く鉄の塊や遠くの景色が見れる不思議な箱、
上下移動する部屋と独りでに開閉する扉、立っているだけで勝手に上に登っていく階段、
そしてその様なからくりが詰まった山より高い塔の様な建造物
綺麗な均等を維持して敷き詰められた石畳の道に夜でも明かりの絶えない景色
彼女らが幻想郷へやってきた当時からすれば、
ホラ話にすら出てこない物事が当たり前の光景だと聞いて驚きを隠せないようだった。
話しながらも酒は進み、周りの空き瓶が目立ってくる
だが残念な事にその日は、彼女達が持ってきた妖怪が作った酒を飲む機会はなかった。
そうなる前に○○が酔っぱらってしまったからである。
酒好きの性格に反し、○○はそこまで酒が強くなかったのである。せいぜい平均より多少強い程度だ。
ペースを崩したつもりはなかったが、2人と語りながら気が付かない内に許容範囲を超えてしまっていたようだ。
折角珍しい酒が目の前にあるのに口惜しく思っていると、
勇儀が近いうちに次回があるのだからその時にすれば良いと言って肩を叩いた。
”嫌かい”そう聞いてくるので○○は
”酒は美味い、種類も多い、共に味わいそれについて語り合える知り合いが出来た。
しかもその2人が美人と来てる、次回があって嫌なわけがない”そう返した。
その答えに満足したのか彼女は満足そうな顔をし呵呵と笑った。
○○はまだ成人したばかりの若造である。
自分なりに色々な手段を使って様々な酒を味わってきてはいたが、
許容量や財政的な意味合いもありそこまで極端な量を飲んできたわけではなかった。
定番と言われる物は一通り口にしてきたものの、その中でのブランドごとの味の差を比べるまでには至らなかった。
初めてワインを買いにデパートの食糧品売り場に足を運んだ時、
あまりの銘柄の多さにどうすればいいかわからなくなったものだ。
また、年齢が若いせいか、同世代で酒に関して話しが合う者もほとんどいなかった。
むしろ酒造の研究をしていた際の担当教授の方が話しが合ったくらいだ。
彼女達の言葉は○○にとっても、願ってもない事だったのだ。
『鬼』との生活-7
それから暫く経って、霊夢が今日はここまででお開きと大声で言いながらパンと手を叩いた。
空を見上げると完全に真っ暗だ。腕時計で確認したら11時を示していた。
夕方から飲み始めたとしたらかなり長い間楽しんでいた事になる。
皆が撤収の準備を進める中、○○は霊夢に近づき宴会に招いてくれた事に礼を言う。
彼女は数日おきに開催するからまた来てほしいと言ってくれたので、そのつもりだと返す。
次に○○は慧音のいる方に歩き出す。
黒い鳥の羽の少女との話もちょうど終わった所らしく、彼女にも挨拶しつつ先ほどと同様に礼を言った。
慧音も良ければまた来てほしいと言ってくれたので、もちろんと答える。
隣の少女は射命丸文という名前で、幻想郷で新聞を作っている天狗だと紹介された。
彼女は○○に、近いうちに是非取材させてほしいと頼んできた。
最近はあまり大きな異変もないのでささやかな事でもネタになりえるのだそうだ。
こちらも特に拒否する理由が無いので了承する。
”近いうちに私事でもネタに出来そうな事が起きる予定なんで、
それも記事にするつもりなんです。。その時は無料でビラも配るので是非目を通してくださいね”とも頼まれた。
私事、そう言った時の彼女の目つきが、
慧音と話し込んでいた時の凄まじいそれに一瞬なりかけたのが少々気になったが。
射命丸と別れた所で、タイミングよく勇儀と萃香が声をかけてきたのでそちらに向かう。
途中修験者の様な服装に犬耳と尻尾を生やした少女の近くを通った時、目が合ったので会釈する。
通り過ぎた時、彼女が後ろで何かつぶやいているのが耳に少し入った。
”流石に鬼の御二人が相手じゃあ…”と言っていたようだ。
その口調は何かを断念した空気を含んでいた。
―
勇儀と萃香の傍まで行くと、夜道は慣れていないと危険だからという事で、部屋まで送って行ってくれるらしい。
確かに電灯も何もない夜道に月や星の明りを頼りに里まで戻るのは難しい、と言うかほぼ無理なので、
彼女達の好意を○○はありがたく受ける事にした。
宴会自体はだいたいいつも4日周期でやっているらしい。
”次回の時も、また私達が迎えに行ってやるよ”そう言ってくれた2人に礼を言いつつ、帰路についた。
帰路の途中、○○は先ほどの諦め口調で何か呟いていた少女の事を尋ねてみたが、2人とも特に心当たりが無いと言っていた。
天狗と鬼とでは、その間に絶対的な格差が存在しているらしく、あちらが歯向かうことは有り得ないらしい。
”諦めたと言う事なら、何かの機会にでも私達の方で力になってやるさ”
そう言う2人の姿は非常に頼もしく思えた。いわゆる姉御肌という気質なのだろう。
それならあの少女の事は心配いらないだろうと、そう判断し○○は忘れることにする。
自室まで送ってくれた事も含め別れ際に改めて礼を言うと、次回また一緒に飲めればそれで良いと返してくれた。
今度は私達が飲んだ事のない外の酒に関しての話も聞きたいと言うのでそれも約束して別れた。
自室について布団を被る。
楽しくはあったがやはりそれなりに疲労が貯まっていたようで、布団の感触が心地好い。
襲ってくる睡魔のせいで徐々に意識が遠のいて行く中、○○はふとある事を思いついた。
自分の知識を使って幻想郷にない外の酒を再現出来ないだろうか。
2人との約束についても口で説明するより実物を味わってもらう方が遙かに良いだろう。
そこまで考えた彼の意識はここで睡魔に敗れた。
『鬼』との生活-8
次の日、昼過ぎに慧音がやってきた。昨日言っていた仕事の話だろう。
相変わらず赤ん坊を背負っている。
いくつか合いそうな仕事を持ってきたという彼女に、○○は酒に関係する仕事はあるか尋ねた。
昨日の今日で○○の方から希望が出てきた事に軽く驚いた様子の彼女は、理由を尋ね返してくる。
そこで○○は自分の生い立ちや酒に関する知識、酒造関係の研究をしてきた経験、
そして何よりも、幻想郷に来る直前まで酒に関わる職に就くつもりで色々調べ回っていた事を説明する。
その上で○○は、今現在幻想郷にない酒を作ることが出来ないか試してみたいのだと告げる。
昨日の宴会で勇儀と萃香見せてもらった酒は主にワイン、清酒、濁り酒、焼酎が主だった。
ぱっと見た限りではあるが、ビール等の発泡酒や、ウィスキーやブランデーの様な蒸留酒が見当たらなかったのだ。
それが昨日は偶々だったのか、それとも根本として幻想郷に存在していないからなのかはまだわからない。
だがもしも無かったのなら是非挑戦してみたいと思った。
それ以外でも、○○が自力で調べてきた酒に関する様々な知識は、
きっと何かしらの形であっても役に立つだろうと思ったのだ。
○○の話を聞いた慧音は、少し考え込むと1つの資料を見せてきた。
その資料はこちらの希望通り、人間の里の中で昔から酒造を担ってきた老舗店舗の1つらしい。
同時に他の資料も見せてもらうと、見事に資料の大半が酒屋関係であった。
彼女が昨日言っていた歴史を操る能力は、中々に便利なものだと感じる○○だった。
最初に示された店はここ最近代替わりしたばかりらしいのだが、先代の時に比べ少々酒の質が落ちてしまったらしい。
店主もそれを自覚しているらしく中々苦労しているのだという。
その影響か顧客が以前に比べ減ってしまい、代々の店を守る為にも現状を打開する手段を探しているのだそうだ。
”そこならば可能性があるかもしれない、むしろそこ以外では、
○○の目的の達成どころか挑戦すらさせてもらえず叩き出されてしまうだろう”
彼女はそう言った。
昔ながらの方法に誇りを持っている者はそもそも耳を貸さない、
知識はあれど本格的な酒造を経験していないという不確かな不安要素がある、
仮に作成可能だったとしても、その新たな酒が売れるかどうかもわからない、
そして失敗した時や売れかった場合の損害分の補填手段がない、
彼女の言い分は至極真っ当なものだった。
”もし酒関係に関わる仕事のみならず、自力で新しい酒を作るとなると、やはりここ以外は門前払いになる”そう締め括った。
作成方法を渡して造れるか頼むのはダメなのかとも聞かれたが、この提案は○○の方が拒否した。
味を知ってる○○以外に造れるのか、と言う疑問も勿論あるが、それ以前にそれでは意味が無いからだ。
―
じっくり精査する為一端全ての店の資料を預からせてもらう。
その上で○○は件の店の主に直接話しをしてみたかったので、彼女にその橋渡しを頼んだ。
慧音や相手の仕事の都合もあるので今すぐというわけにはいかないが、
数日、早ければ明日にでもまた来るということで決まり、今日の所はそれでお開きになった。
話し合いの中、背中の赤ん坊が泣きだす様子が全くなかったので、できた子なのですねと褒めてみる。
”それはそうだ、なにせ私とその最愛の夫の愛の結晶だぞ”と鼻息荒く熱弁する慧音に若干怯みながらも相槌を打つ。
というか最愛の夫という箇所で一瞬彼女の眼がヌメリ気のある光を放った気がしたが、気のせいだと忘れる事にした。
”子供はいい、夫と自分との愛の形だ、○○にはそういう相手はいないのか”
女性と付き合った事のない○○からしたら、中々に痛い所を突いてくる質問だったが、
誤魔化そうにもいい言葉が浮かばなかったので言葉に詰まる。
その反応で察したのか、彼女は更に言葉を続ける。
”里の守護者としての観点からしても、外来人という新しい血は中々に貴重なものだ、
働き始めたら何かしらの機会が訪れるだろう”彼女の慰めの言葉で若干胸が痛かった。
”それに知っての通り私は半妖だ。妖怪と親しくなってツガイになる可能性もあるだろう、
出来れば前向きに考えておいて欲しいものだ”そう締め括る彼女に○○は言葉を濁す。
機会があれば考えてみますと答えると、その話は終わり慧音は帰っていった。
○○としても、そういった出会いが実際にあったら多少は考えるだろうが、
現状ではここに骨を埋める気は更々なかった。
帰還の為の費用を貯めつつ、自分の力で零から酒を作ってみる。
その経験は外に戻った後、就職活動等でも強い武器になるかもしれない。
そういう打算もあったのだ。
『鬼』との生活-9
慧音が帰った後、○○は筆記用具を取り出し机に向かった。
彼女の話だと数日中に返事が来る。場合によっては明日の可能性だってある。
件の店主と話をする際、相手をその気にさせられる様に資料を作る事にしたのだ。
これまで蓄えてきた酒に関する知識を頭を捻って文字に表していく。
しばらくの間、部屋の中に筆記用具を動かす音だけが響く。
どの位集中していたのかわからないが、全体の構図で約4割程形にした所で、玄関から聞き慣れた声が聞こえた。
無視する訳にもいかないので玄関に向かう。
声の主は勇儀と萃香の2人だった。
近くでの所用のついでに顔を見せに来てくれたそうだ。せっかくなので中に招き入れることにした。
座布団とお茶の用意をしようとすると、萃香が瓢箪を見せながら、こいつでいいと断った。
勇儀の方も酒の方がいいと言うので湯呑茶碗を渡した。数は2つ。
勇儀が怪訝な顔をして、アンタは?と聞いてくるので、今日は飲めないと断りを入れた。
それを聞いて萃香が駄々を捏ねるように声を上げたので、飲めない理由を話すかどうか少し考える。
頭を掻きつつうーむと唸っていると、唐突に勇儀から声がかかる。
声のした方に目を向けると、そこには鋭い眼をした勇儀の顔があった。
”昨日宴会に行く途中に言った話を覚えているかい”そう問われて○○は行きの会話を思い出してみる。
少し考えた所で○○は、鬼という存在は嘘が大嫌いだという事を思い出した。
萃香の方に目を向けると、こちらを見る彼女の眼も笑っていない事に気が付いた。
嘘を言っては不味い事になりそうなので、○○は観念し机の上で作成中のモノを見せつつ説明する事にした。
ついでに彼女達の前ではこの先も絶対に嘘はつかないと心に堅く誓う。
出来上がるまで秘密にしていたらそれはそれで面白いかもと思っていたのだが、あっさり計画初日でばれてしまった。
作成中の資料を見せながら、先ほど慧音に話した内容や、近いうちにこの資料を手に交渉に行く事を話す。
資料が無いせいで説明も不十分のまま断られては、元も子もないので完成するまでこれに集中したい旨を話す。
新しい酒を人々やこの2人に味わってもらえるかどうかの最初の関門がそれだったので、その点も含め洗いざらいしゃべった。
話を聞いた2人はあっさりと一緒に飲むと言う要求を引っ込めた。もう少し渋るかと思っていたので少し意外だった。
ただし2日後にもう一回来るので、その時既に話がついていたらその成否も含め聞かせる事と、
そして話しがついていたら成否関係なく一緒に飲む事を約束することになった。
その条件ならばこちらとしても申し分ない。
○○にしても事情さえなければ今日だって諸手を上げて歓迎していたのだから。
その後とりとめのない話を1時間程楽しんだ辺りで2人が帰ると言ったので玄関まで一緒に行く。
それまでかなり集中していたので、良い気晴らしになったと礼を言うと笑ってくれた。
彼女達が帰ったところで軽く何かを胃に入れつつ作業を再開した。
―
翌日、玄関を叩く音と女性の声で○○は目が覚めた。
寝ぼけマナコで玄関に向かうとそこにいたのは慧音だった。昨日の話だろう。
寝ぐせ付きの頭を手櫛で治しつつ話を窺うと、件の店主はこちらの話に非常に乗り気なようだった。
明日にでも是非話をしたいとのことなので了解する。
今日の要件はそれだけだと帰る慧音に礼を言い、顔を洗って意識を覚醒させる。
昨日の時点で資料は約7割の出来。今日1日あれば十分間に合う量なのでさっさと終わらせる事にする。
夕方過ぎに資料は作り終えたので、簡単に説明の手順だけ確認してその日は早めに寝る事にした。
―
結論から言うと話し合いは成功した。
店主の方も元々外の世界の酒に興味があったらしく、想像以上にあっさりと第一関門が突破出来た。
説明の際に店主に資料を見せたら、それだけでも十分に価値があるものだとすら言われた。
質の低下した原因を探る手助けになるので買い取らせて欲しいと言われたのを了承しつつ、
具体的な話に進んだのだが、ここで残念な事に1つ誤算が見つかった。
ビールは幻想郷にも在ったのだ。
恐らく宴会に無かったのは偶々だったのだろう。
結果として計画は蒸留酒のウィスキーの作成を主軸に進める事として、
成功したら原材料を変えてジン、ウォッカ、ラム、アクアヴィット、ブランデーに挑戦する事に落ち着いた。
もしそれも成功したら最後に蒸留酒から造り出す混成酒のリキュールを作る方向で話は纏まった。
『鬼』との生活-10
○○が意気揚々と家に戻ると玄関前で勇儀と萃香、慧音の3人が話し込んでいた。
声をかけつつ近寄ると話し合いの結果を聞かれたので、簡潔に最初の関門は突破したと告げる。
帰り際に店主の店で買ってきた酒を見せながら約束通り飲もうと誘うと、勇儀と萃香は参加で慧音は不参加だった。
慧音の方はこれから妹紅や夫達と約束があるのだそうだ。
帰り際にこの前と同様の宴会が明日あると言われたので参加と答えた。
酒やつまみを用意しつつ萃香に何を話していたか聞くと、赤ん坊の事について2人であれこれ質問していたらしい。
一瞬どこからか何かが身体にへばり付く錯覚を見たが、本当に一瞬だった為、特に気にも留めなかった。
とりとめのない話をしながら酒を飲むと時間が経つのが早い。
相手が美人なのも原因の1つなのかまではわからないが。
一升瓶を4本準備してきたのに2人はあっさりと飲みほした。
その辺りで○○の方に限界が来てしまったので、
○○としては鬼の酒への強さの1割で良いから分けて欲しいと思ってしまう。
○○が駄目になったと判断すると、
ありがたい事に2人は手分けして彼の寝床を用意してくれたので、その日はそこでお開きになった。
礼を言って見送った後布団へ直行し、そのまま夢の世界へ旅立った。
―
翌朝、全身から妙にけだるい疲労と、すっきりした感覚がして○○の眼が覚めた。
布団からチーズの様な生臭さも感じたが、臭いの原因はわからなかった。
少なくとも昨日のつまみが臭いの元ではない。
だが、別に大した問題では無かったので、○○は深く考えず換気をして忘れてしまった。
昨日の時点であの店に雇われる形になっているので、夕方の宴会の時間までしっかり働くことになる。
新酒への挑戦もそうだがまずは店自体に慣れる必要があった。
読み書き計算が出来ると言う現代での当たり前な能力は、実際の業務でも非常に役立ってくれた。
逆に、科学の進歩の影響で生活が楽になった影響か、
その科学の存在しない幻想郷では、主に肉体労働の面では割と苦戦することになった。
差引きはあれど、やはり計算が出来、しかも間違いが極端に少ないという点は貴重だったようで、
記念すべき労働1日目は割と良い働きが出来たようだ。
○○が日本の義務教育制度に初めて感謝した瞬間だった。
仕事を終え帰宅すると、勇儀と萃香が既に待っていてくれた。
玄関前でたちんぼなのは心苦しいので、次回以降も迎えに来てくれるのなら、部屋の中で待っていて欲しいと頼んだ。
嘘を嫌うという鬼の性質を考えると部屋に入られても特に害があるとも思えなかったのだ。
そのまま3人で宴会会場の神社に向かい、前回のようにどんちゃん騒ぎの中、様々な話をして楽しんだ。
―
それからしばらくの間は、特に変わった事は無かった。
昼は酒屋で働きながら仕事を覚え、店主に資料の事の相談をされると説明をし、
たまに様子を見に来てくれる慧音や妹紅に対応するぐらいだ。
夜はと言うと、4日に1度の神社での宴会には大抵参加し、
それとは別に2日に1度は勇儀と萃香が○○の部屋に来るので、2日に一度は酒を飲む事のが常になりつつあった。
もちろんこちらとしても大歓迎だったので文句は無かった。
ちなみに酒の席で飲むモノの内、妖怪の作った類は当分禁止という事になった。
妖怪の作る酒は割と強い物が多いので、まずは里で手に入る酒で身体を慣らしてからだと言われたのだ。
○○の持つ酒に関する知識によると、酒の強さは生まれ持った体質であり、慣れても強くなる訳ではない筈である。
だが、いつか飲めるのなら焦る事も無かったので彼女達の言葉に従った。
2人は妖怪の酒を受け入れるだけの受け皿を今こうしてじっくり作ってるのだと言っていた。
その表現に少々疑問符はついたが、特に気にしなかった。
酒を飲んだ次の日の朝、必ずと言っていいほど、けだるげな疲労とすっきりした感覚を感じるのだが、
○○はその原因を、酒から来るものだと判断した。
その感覚等も含めて酒の席のであり、ここでの日常のモノと受け入れていった。
『鬼』との生活-11
○○が幻想郷に来てから約半年が経った頃の事である。
仕事場の流れにも慣れ、徐々に新酒の作成に本腰を入れ始めた頃、2つの問題に直面してしまった。
必要機材に関しては何とかなった。
そして蒸留酒を作る前段階の醸造酒の作成過程までは特に問題は無かったのだが、
そこから蒸留をする為に必要な火力と冷却装置の良い案が浮かばなかったのが1つ。
更に、仮にそれが成功したとしても、
最終段階のである熟成が最大の難点として立ちはだかってしまった。
熟成には年単位の時間が必要なのだ。
しかも味の調整などを失敗すれば最悪その年月すら無駄になる可能性さえあった。
店主は後者の問題に関しては気長にやるから良いと言うが、○○としては内心冗談では済まなかった。
彼自身は未だに外の世界への帰還を諦めていなかったからである。
2、3年程度ならば外に戻っても何とかなるだろう。
しかしこれから先解決の目処が立たず、その状態で年単位の作業をしないといけないのでは話が変わってくる。
どうにか解決策が見つけなければならない状況だった。
以前慧音にここで骨を埋める可能性も仄めかされたが、今のところそういった運命を感じる出会いも心当たりが無い。
何とか方法を探す為に○○は自分の持つ知識を総動員して解決の為に打ち込んでいった。
―
問題に直面してから1カ月程の事である。
解決策が一向に見つからず○○の心が軽く折れかかりそうになっていた時、意外な所からその糸口が見つかった。
勇儀と萃香と飲んでいた時の事である。
彼女達に新酒の進展具合を聞かれた際に、行き詰ってたせい、もあり思わず愚痴を零したのだ。
もちろん愚痴を言ってもどうしようもないのは分かっていた。
しかしそこで彼女達の口から藤原妹紅の名前が出てきた。
話によると彼女は炎の術式を得意としており、以前見た限りでは割と強力な火力を誇るのだそうだ。
今までは竹林の奥の小屋で1人暮らしの彼女だったが、今は夫と家族がいる為何かと入用だ。
夫の方も仕事をしてはいるが家庭がある以上金は多いに越したことは無い。
報酬次第では相談したら助けてくれるかもしれない。
慧音とよく一緒にいる様だし彼女にも協力を頼んでみたらどうか、そう言って彼女達は酒を
飲み干す。
話を聞いた限り、事情を話せばもしかしたら助けてもらえるかもしれない。
○○自身は妹紅の住んでいる場所を知らなかったので、先に慧音に事情を話し協力を頼む事にした。
慧音に相談した時の反応では、ちゃんと話せば協力してくれるだろうとの事だった。
そしてそれ以外にも収穫があった。
冷却に関しても熟成に関しても、紅魔館に住む吸血鬼のレミリア・スカーレットの協力を得る事が出来れば、
恐らく解決するだろうとの事だった。彼女の協力を仰ぐのは難しいかもしれないが、それでも可能性はあるだろうとの事だった。
話を聞いていた○○はレミリア・スカーレットという名前を頭に思い浮かべる。
すぐに、いつも神社の宴会で従者2人を伴って寛いでいる蝙蝠羽の少女の姿が浮かんできた。
彼女はほぼ毎回宴会の席に出席しているので、次の宴会で話しかけて約束を取り付けてみようと決意する○○だった。
『鬼』との生活-12
いつもの様に○○の家で勇儀と萃香と合流し、神社に向かった。
普段なら神社についた後、早速飲み始めるのだが、今回はまず目的の人物の姿を探す。
吸血鬼の少女はいつもの様に従者2人を従えて寛いでいた。
今は男性の従者と会話している様子だったので、女性の方の従者に狙いを定める。
勇儀と萃香に断りを入れて立ち上がり、思い切って彼女に話しかけた。
自分の自己紹介から入り、彼女の主人であるレミリア・スカーレットに用があるので取り次いでほしいと告げる。
十六夜咲夜と言う女性は、○○の話を聞き少し考え込んだ後に、お嬢様に確認してくると言って踵を返した。
しばらく待っていると、許可が出たの着いてくるように言われた。
彼女の主人である吸血鬼の少女は、○○の姿を上から下まで眺めると、
あまり興味ない様子で要件を話せと言ってきた。
簡潔に、外来人である○○が幻想郷にはない外の酒を作成しようとしている事と、
その過程で問題が発生し、里の守護者の上白沢慧音に相談した事、
そして彼女から紅魔館の主人なら解決策を持っていると言われた事、
2点について相談をしたいので後日時間を頂きたい旨を告げた。
話を聞いた彼女は少し考え込むと、興味深いから話を受けると言い、訪問する日時を指定してくれた。
○○が感謝の言葉を言うと、そんなことは良いから後ろのアレをどうにかしろと言ってくる。
何の事かわからない○○は訝しげな顔で後ろを振り向き、そして度肝を抜いた。
勇儀と萃香の2人が物凄い鋭い目つきで此方を睨んでいたのだ。
あまりに険呑な雰囲気のせいで周囲にいた妖怪が距離を置いている。
何故睨まれるのか理由がわからない○○にレミリア嬢は、
”いきなり吸血鬼の傍に行くから心配でもしてるんでしょう、早く行って安心させてやりなさい”と告げる。
レミリア嬢と咲夜に礼を言い、傍に控えていた男性従者にも会釈をして2人の元に向かう。
2人の傍に○○が座ると同時に勇儀の方が普段より低い声で、吸血鬼に何の用事だったのかと質問してきた。
半ば雰囲気が尋問に近かったが、先日2人との話の後、慧音に相談した際の内容を事細かに説明する。
事情を理解した2人の目つきは程なく普段通りに戻ったが、何故かいつもに比べ不機嫌な様子で、
普段と違いかなりのペースで○○に酒を注いできた。
その為普段と比べ大分早い時点で完全に酔いつぶれてしまったらしく、気が付いたら自室の布団の上だった。
おまけに酒の席の後のいつもの疲労感が、普段と比べかなり強く、
普段のすっきりした感覚とは違いまるで全身から体力を絞り取られた様な感覚に襲われ、その日1日かなり大変だった。
―
後日、○○はレミリア嬢との約束の為、仕事からの帰りに自室ではなく紅魔館に向かった。
吸血鬼の性質上、日中は休んでいるので、夕方以降に訪問するよう言われた為だ。
ちなみに妹紅の方は相談しに行ったらあっさりと了承してくれた。
手伝いをする分の具体的な報酬に関しては店主の方に任せたが、お互いが納得のいく金額を提示出来た様だった。
だからこそ今日の交渉にも自然と気合が入る。今回も、最初の店主との交渉の時と同様に資料も持参した。
紅魔館の門の前に仁王立ちで佇む赤髪の門番に訪問の理由を告げ、中に入る許可を貰う。
その際、紅魔館の住人に何か悪さをするつもりならば一切容赦しないので排除するので、
くれぐれも不埒な真似だけはしないようにと厳命を受けた。
玄関をノックし反応を待つ。
程なくして咲夜さんが迎えてくれたので、彼女の案内を受けながら中に入る。
紅魔館という名前の通り、周囲の外壁は見事に真っ赤で少々眼が痛かったが、
内装はそれに反しそこまで赤色の装飾はされていなかった。
床に敷かれた絨毯だけはまるで血のような真紅のモノで、内心流石吸血鬼の根城だと思ったりはしたが声には出さなかった。
2階3階の階段を上り、足音が反響する程長い廊下を歩き、身の丈の倍はある立派な扉の前まで辿り着いた。
”こちらでお嬢様がお待ちです”と告げる咲夜さんに礼を言い、身なりを軽く整えてノックをする。
すぐにどうぞと返事が来たので中に入った。
『鬼』との生活-13
室内は両脇に多くの書物を抱えた立派な本棚が並び、目の前には向かい合わせに置かれたソファとその間の小さなテーブル。
その奥には見事な装飾で彩られた執務用の大きな机が配置されていた。
そして今日の相談相手であるレミリア嬢はその机の上に腰を乗せ、蝙蝠の翼を大きく広げた姿で○○を眺めていた。
口の端から軽く覗く鋭い犬歯、青白い肌に短く切られてはいるものの先端の尖った爪、血のように真っ赤な双眸が印象深かった。
ふと彼女のすぐ斜め後ろに、宴会でいつも彼女の傍に控えている男性従者も佇んでいた事に気がついた。
目の前の彼女の姿が強烈過ぎて一瞬眼に入らなかったのだ。
”紅魔館にようこそ、そこに座りなさい”そう言うレミリア嬢の勧めに従い○○はソファのに腰を下ろした。
彼女もまた自分の対面のソファに腰掛ける。男性従者は静かに主人の後ろに移動した。
その時、彼の口からも犬歯が覗いている事に気がついた。よく見ればレミリア嬢程ではないが肌も若干白い。
今になって○○は、この男性従者も吸血鬼なのだと認識する。
唐突にレミリア嬢がパチンと指を鳴らす。
何の合図だろうと思ったのも束の間、いきなり咲夜さんが部屋の中に現れた。
手には綺麗な紅茶の食器セットを持っている。
今まで何もなかった空間にいきなり一瞬で人が現れたせいで、頭が事態に追い付いていない○○であったが、
目の前に紅茶を置かれ”どうぞ”と言われた所ではっと意識が戻った。
慌てて礼を述べ、頭を下げる。
○○が頭を上げた時、既に咲夜さんはそこにいなかった。先ほどと同様に一瞬で消えてしまったのである。
どういう理屈なのかわからず呆然としている所に、レミリア嬢から声がかかる。
”早速だが、人間である貴方が吸血鬼の私にどんな相談なのか”そう問われ○○も今日ここに来た目的を思い出す。
そして、本来の目的を話し始めた。
外の世界で酒の知識を自分なりに色々調べていた事、
幻想郷へ来た経緯と今現在は造り酒屋で働いている事、
そして幻想郷に存在していない種類の酒を作る為に、店主と2人で計画を練っている事、
その計画に2つの段階で問題が見つかり、持ちうる知識を総動員しても良い解決策が見つからなかった事、
1つの問題の内、半分は何とか目処が立ったがそれ以外の部分は見当もつかず里の守護者である慧音に相談した事、
そして彼女から、紅魔館の主人であるレミリア・スカーレットならその問題を解決する手段を知っていると教えられた事、
今までの経緯を話した所で○○は目の前の女性の反応を窺う。
話を聞いた彼女は顎に手を添え考えを巡らせている様子だった。
少し時間が経った後、○○が知っている酒で、幻想郷に存在せず、
実際に作る予定に入れている酒の数と特徴を質問してきた。
○○は、原材料別に蒸留酒が6種類と蒸留酒に手を加えて作る混成酒が1種類であると言い、
具体的な名前とそれぞれの簡単な特徴を述べた。
ウィスキー、ジン、ウォッカ、ラム、アクアヴィット、ブランデー、そしてりキュールと
酒の銘柄を聞いた彼女は更に少し考え込んだ後、実際に直面した問題についての詳細を聞いてきた。
○○は、蒸留をする時点での冷却装置の問題と、熟成に関しての問題を出来るだけ詳細に話す。
途中いくつか質問が飛び、彼が渡した資料を見ながら何度かレミリア嬢がうーんと声をあげたりもしたが、
話をしている時の反応から察するに、決して全く興味が無いと言う事もなさそうだった。
○○の説明が終わり再び沈黙が訪れる。
しばらくの後、レミリア嬢は背後に控えている男性従者の方に顔を向け、お前はどう思うかと質問を投げかけた。
主人から質問を受けた従者はしばらく考え込んだ後、”外の酒には私も興味がある”と助け舟を出してくれた。
従者の答えを聞いた彼女は再度考え込んだ後、口を開いた。
『鬼』との生活-14
冷却装置に熟成の問題、確かに解決する手段をこちらは所持している。
そしてその解決手段は普通の人間である○○には絶対に用意出来ないモノである。
我が従者も興味があるとの事なので協力をしてやっても良い。
ただし、協力を求めるのならば当然その対価が必要だ。
その対価としてこちらの提示する条件を飲むのならば手を貸そう。
概ねこういった返答だった。
それを聞いた○○は少し考える。
実際の所こちらが解決手段を自力で用意出来ないのであれば、その条件を飲まざるを得ない状況だった。
しかしその対価の詳細がわからない以上何とも言えないので、○○は対価の詳細を求めた。
レミリア嬢の出した条件は以下のモノだった。
紅魔館でも醸造酒であるワインを作っているので、蒸留する手段が確立したらノウハウをこちらにも渡す事。
蒸留酒6種類の内、半分の3種類を造り販売する権利を紅魔館のモノとして譲渡する事。
具体的にはブランデー、ウォッカ、アクアビットの、欧州で作られている3種類は紅魔館が作るので、
人間の里で売る場合はこちらから買い取る事。
最後に、蒸留のノウハウは人間の里の他の造り酒屋には教えない事。
この3つだった。
資産運用面で利用価値が大きいのと、
レミリア嬢の故郷に近い場所の酒は自分の所有物にしておきたいとの事だった。
条件を聞いた限り、そこまで無茶な内容ではない、というのが○○の率直な感想だった。
蒸留と熟成の2つは蒸留酒作成の中でも重要な過程であり、
その問題を一挙に解決してくれると言うならば、対価として高すぎるとは決して言えないモノだったからだ。
○○はその条件を飲む事にした。
○○のその様子を見たレミリア嬢は満足そうに頷くと、先ほどのようにパチンと指を鳴らした。
瞬間、すぐ近くに咲夜さんが現れる。予想出来ていたとは言え少々心臓に悪かった。
レミリア嬢は現れた従者にそれまでの話合いの内容を聞かせ、○○に自分の能力を説明する様に告げた。
命令を受けた咲夜さんがかしこまりましたとばかりに説明を始める。
咲夜さんの話によれば、彼女には限定的な空間内の時間をある程度自在に操れる能力があるとの事だった。
遡らせることは出来ないが、この能力を応用すれば一定の空間にあるモノの時間の進行を早める事が出来る為、
例えば紅魔館で作っているワインも、短期間で十数年分の時間寝かせる事が出来るのだそうだ。
ただし紅魔館での仕事がある為、毎日協力するのは無理という事と、
手伝う時もレミリア嬢が眠っている時間帯のみのモノとなると釘を刺してきた。
その話を聞いて○○は、熟成に関する問題はこれで何とかなると考え、
それと同時に、確かに自分では無理な解決手段だと痛感した。
時間を操るなど想像の範囲外だ。
以前勇儀と萃香に宴会の席で、○○の住む時代の生活の様子を話したら想像もつかないと言われた事を思い出した。
更にレミリア嬢は、紅魔館で働いている妖精メイドの中には氷の術を得意とする者もいるので、
ローテーションを組んで派遣すれば冷却に関しても解決すると語る。
”商談成立ね”そう言って妖艶な雰囲気を漂わせながら笑うレミリア嬢の姿は、
見かけ通りの幼い少女のモノではなく、人知を超えた吸血鬼のそれであった。
『鬼』との生活-15
交渉が成立してから数時間後、○○は大広間で紅魔館の面子と共に夕食を頂いていた。
長い事話し合いをしていた結果太陽は完全に沈み、外が真っ暗になってしまったからだ。
幻想郷の妖怪が人間に友好的になったとはいえ野生の獣は以前と変わらず徘徊しているし、
明りもない状態では遭難の危険もある為、一晩泊っていくよう勧められた○○はありがたく申し出を受けた。
幸い今日は勇儀と萃香が家に来る予定ではないし、念のため明日は仕事も休みを貰っていたので特に問題は無かった。
食事の席には○○とレミリア嬢の他、、
紅魔館の図書館の主をしているという紫髪の女性、パチュリー・ノーレッジさん、
そしてレミリア嬢の実の妹であるフランドール・スカーレットさんがいた。
彼女の背中の歪な羽とそこから生えた色とりどりの宝石は中々に印象的だった。
咲夜さんと男性従者の2人はレミリア嬢のすぐ傍に控えている。
パチュリーさんの後ろには、側頭部と背中に2対の蝙蝠羽と尻尾を生やした赤髪の女性が控えていた。
”貴方とちゃんと話をするのは今日が初めてね”フランドール嬢はそう言い、○○に興味深々な様子だった。
レミリア嬢がそんな彼女に、”○○はあの鬼2人のお気に入りだから壊しちゃだめよ”と釘を刺していた。
壊すとは一体なんの事なんだろうか、○○はよくわからず首を傾げた。
フランドール嬢は姉の言う事に素直にはーいと答え、○○が住んでいた外の世界の様子を次々に質問していった。
以前勇儀と萃香の2人に話した時と同様に、色々な物を出来るだけ分かりやすい言葉で説明していく。
○○の話に目を輝かせて聞きいる彼女は、上下移動する部屋や乗った人を上に運ぶ階段、自動開閉する扉の話を聞くと、
紅魔館にもそれを付けようと提案し、レミリア嬢に無理だと一刀両断にされていた。
馬より早い鉄の乗り物の説明の際、そもそも馬を知らないと言っていたので、
フランドール嬢はいわゆる箱入り娘という感じなのかなと○○は考えた。
食事が終わった後もフランドール嬢は○○と話したがっている様子だったが、
夜も遅く○○は休まないといけないという姉の言葉に、しぶしぶながら従っていた。
大広間から退席する際に彼女から、今度からはフランと呼び捨てで呼ぶよう告げられた。
了承するとフランは嬉しそうに笑い、手を振りながら彼女の部屋に戻っていった。
その後○○は、今夜一晩過ごす部屋へ案内された。案内係は男性の方の従者だ。
何度か顔を合わせているにも関わらず、○○は彼の名前を知らなかったので、
案内の途中で彼に名前を尋ねる。
”ここでは自身の事はジョン・ドゥ(名無し)と名乗っている”彼はそう答えた。
明らかに偽名なのはわかったが、その理由を聞いていいのか○○は判断に迷った。
その判断を下す前に部屋に着いてしまったので、質問を諦め礼を言うに留めた。
部屋から退出する際、彼は1つ、○○に質問をしてきた。
”○○様は幻想郷への永住か、外の世界への帰還、どちらを考えているのでしょうか”と。
○○は帰還を考えていると答える。
勿論今携わっている計画が終わってからの話ではあるが、
今日の話し合いの結果で予想以上の収穫もあったので、思いの外早まるかもしれない。
一時は計画そのものを諦めて、大人しく帰還の為の費用を貯めようかと考えたのは内緒にした。
○○の答えを聞いた彼は、一瞬何とも言えないという渋い表情を浮かべたが、すぐにその表情を止め、
一言”帰還を望んでいるのなら、幻想郷での立ち振る舞いには注意するように”と告げてきた。
彼の言葉の意味がよくわからなかった○○は、質問を返そうとしたが、既に扉を閉めて退出してしまっていた。
どういう事か反芻する○○ではあったが、
普段の生活や仕事場と宴会での自分の態度等を思い返しても、特別問題があるように思えなかったので、
特別重要な意味が含まれてはいないだろうと考え、そのまま眠りについてしまった。
―
酒も飲まず、普段の寝床に比べ格段に質の良いベッドで寝た為か、
定期的に訪れるけだるげな疲労もなく、非常に爽快な気分で○○は目覚めた。
部屋に運ばれた朝食を食べた○○は、レミリア嬢やフランに里に帰る前に挨拶をしようと考えたのだが、
生憎2人とも就寝中だと咲夜さんに告げられてしまったので、2人に礼を伝えてもらうよう彼女に頼み、里へと帰っていった。
その足で仕事先の造り酒屋に寄り、交渉が上手くいった事を話すと、店主は大いに喜んでくれた。
その日から本格的に蒸留酒造りが始まった。
『鬼』との生活-16
○○が幻想郷に来てから約1年の月日が流れた。
普段の生活はおおよそ変わらずいつも通り。しかしいくつかの点で変化が生まれた。
まず紅魔館での一件以降、○○は里での仕事の後、定期的に紅魔館に足を運ぶようになった。
咲夜さんや妖精メイドの力を借りて作業をしているので、その雇用主に進捗状況を報告する必要が出来た為だ。
造り酒屋の店主からも紅魔館との交渉は全面的に任されていた為、レミリア嬢との話し合いは○○の役目となった。
紅魔館に訪れる際は決まって一晩紅魔館の世話になった。
フランは○○の事を気にいった様で、紅魔館での夕食の際は彼に色々な話をせがんだ。
レミリア嬢は、○○が夕食の際に見る限り、毎回機嫌がいいように思えた。
理由を尋ねると彼女は”まず、今まで人間に興味を持たなかった妹が変わったのが姉として嬉しい。
更に、自分の好物であるワインと同じ材料のブドウから、自分の知らない新たな酒が生まれようとしている、
しかもその計画も着々と進んでいるとなれば機嫌の1つもよくなる”そう答えた。
彼女の言うとおり、実際新酒造りは話し合いの後、特に大きな問題にぶつかることなく確実に前進していた。
敢えて言うなら蒸留した高濃度のアルコールの加水割合の見極めが少々厄介な程度で、
それも1つ1つ記録を残しておくことで同じミスは防ぐことが出来た。
ちなみに熟成の際の設備の用意や実行は、ほぼ紅魔館頼りとなった。
空調を一定を保たせた上で時間を操り一気に熟成を早めるのは、人間の里では無理だからだ。
また宴会等の酒の席にも多少変化が現れた。
今までならば、いつも勇儀と萃香との3人で酒を飲みつつ語り合っていたのだが、そこにフランが参加するようになったのだ。
○○としては歓迎だったのだが、最初フランが○○の傍に寄って来た時は、
勇儀と萃香、そしてフランの間に険呑な雰囲気が流れたのには焦った。
どうやら鬼と吸血鬼はあまり相性が良くないようだ。
3人の仲裁をしてその場は何とかなったが、それ以降フランが来る度に、
似たような空気が流れるのは勘弁してほしい○○だった。
話している途中でフランも試しに酒を飲んでみたが、一口飲んだ所で不味い苦いと言い、2度と酒を飲む事は無かった。
その様子を見た鬼の2人が子供には早いと囃したて、フランが凄い眼つきで睨み返したりしたが、
結局それ以降の宴会では、酒ではなく果実を搾ったジュースを飲みながら会話に参加していた。
○○の自宅での酒の席でも同様だった。
こちらは相変わらず勇儀と萃香との3人での会だったが、
その際の彼女らのスキンシップが今までより多少過激になってきたのだ。
萃香は胡坐をかいた○○の上によく座ってきたり、勇儀は勇儀で何かしらの際に腕や肩に絡んでくるようになった。
胸なども時たま当たったりする事があり、初心な○○はそういった際の上手い流し方が思い浮かばず固まるばかりであった。
2人との関係も長くなってきたし、距離感が縮まった故の事と考え、
そもそも人間相手ではないので深い意味は無いのだろうと認識していた。
○○自身にとって最大の変化は体力が上がった事だった。
造り酒屋での仕事は肉体労働も多く、定期的に紅魔館まで移動するので多少健康的になるのは理解出来るのだが、
液体の入った水瓶を苦もなく持ち上げる程の筋力が付いたのは、果たして何が原因なのか、彼には皆目見当が着かなかった。
どこから聞きつけたのか射命丸さんが新酒の話の取材に来た事もあった。
取材に関しては、最終的に失敗する可能性もまだあった為、完成するまで待ってもらう事になった。
その代わり完成した暁には彼女に優先的に取材をさせる事を約束させられてしまった。
ちなみに彼女は先日結婚したそうだ。聞く所によれば相手は若い天狗の男性らしい。
”子供が産まれたら取材の時にでもお見せしますね”
そう答えて飛び立つ彼女の瞳の色が、少々濁っている様に見えたのは光の加減のせいだと思いたい○○だった。
『鬼』との生活-17
幻想郷に来ておよそ1年と半年、新酒造りも全体で6割程まで進んできた頃、
念願の、妖怪が作った酒を飲ませて貰える事になった。
体もできたしもう大丈夫だろうと告げる勇儀言葉の通り、
確かに○○は幻想郷に来た頃に比べ、酒に対して強い耐性が出来ていた。
今ではあの頃に比べざっと3倍から4倍の量は飲めるようになっている為、
彼の持つ、酒への強さは生まれつきの体質によると言う知識に対し、彼自身が真っ向から否定する結果となった。
また同時に、1度の酒の消費量が増えたせいで、外の世界への帰還に使う費用の貯まり具合が遅くなってもいた。
勇儀が持ってきた天狗の造った地酒が全員の杯に注がれると、乾杯の声と共に一気に口へ煽る。
直後に襲ってくる味わった事のない風味が舌と鼻を刺激し、一拍置いて嚥下した喉と胃が焼けるように熱い。
美味い。が、確かに凄まじく強い。
これは確かに昔の自分では太刀打ちできない代物だ、○○はそう思った。
もしあの頃飲んでいたら今の一口目で目を回して倒れていたかもしれなかった。
最初は2人に飲むのを禁止されて多少不満に思ったりもしたが、結果的に2人は正しかったのだと実感する。
が、やはり妖怪の酒は強くなった○○からしても生半可なモノではないらしく
ここ最近に比べて随分と早い段階で酔い始めた。
彼女達からしてもやはりそれなりに強いのだろう、
○○が見てきた中での酔い具合で判断するに、今日が今までで1番酔いが回っている様に見えた。
そんな中ふとした会話の中で、萃香がこんな事を聞いてきた。
”○○は今まで恋人の類はいたのか”と。
生まれてこのかたそう言った経験が無い○○は、即座に否と答えた。
酒への情熱が普通の人と比べてぶっとんでる○○には、残念ながらそう言った機会は訪れなかったのだ。
稀にいい雰囲気になったとしても、趣味特技の話になった時に女性の方から距離を置いてしまう為、
大学を出てから趣味の合う女性との出会いに期待しようと半ば祈る気持ちで考えていた。
”こちらでも生憎そう言った出会いには恵まれてはいない。
恋人云々は今は考えずに、新酒を完成させて帰還の為の費用を貯めて、外に帰ってから改めて探す。”
そう答える○○であったが、酒に酔って判断力が落ちてしまっていたせいもあり、
その言葉を聞いた瞬間から勇儀と萃香の纏う雰囲気が変化した事には気が付かなかった。
もう少し長い間妙な雰囲気が続くようであれば、流石に今の状態の○○も気がついていたであろうが、
そうなる前に2人は険呑で、彼の身体を縛りつけるような重々しい空気を抑え付け、○○が気がつく前に更に質問してくる。
”○○は今造っている酒が完成するまでは確実にここにいるのか”
勇儀が尋ねる。
その問いに○○は、もちろんだと答えた。
実際の所今造っているウイスキー以外にもレシピがあるので、帰るのはそれらを造ってからのつもりだった。
次に萃香が尋ねてくる。
”その酒が出来たら、まず1番最初に私と勇儀に飲ませてくれないか。○○の家の中で、3人で一緒に”と。
○○は萃香の頼みにも、もちろんと快く答えた。
そもそも新酒を作ろうと思い至った切っ掛けがこの2人なのである。
○○にしてもそのつもりだったので話しが早い。
その言葉を聞いた2人は互いに見合わせた後、”約束だぞ”と念を押してきた。
嘘を嫌う鬼の口から約束という言葉を聞いた○○は、破らないようしっかりと約束を心に刻み込んだのだった。
次の日の朝、もはや当たり前の日常の一部になった疲労感であったが、
随分と久しぶりに強烈なモノが襲ってきてしまい、その日1日碌に働く事が出来なかった。
『鬼』との生活‐18
勇儀と萃香の2人との約束をしてからおよそ9カ月。
射命丸さんが見事に第1児を産み、自慢げに見せつけてきたり、
○○以外にも、外来人の後輩が何人かやってきたり、
先輩外来人達がいつの間にか結婚をしたようで、どこかに引っ越してしまったり、
勇儀の誘いで鬼達の多くが住むという地下世界を観光したり、
萃香の誘いで妖怪の山という天狗達の集落にお邪魔してみたり、
フランが○○の自室に1人で突撃かましてきたり、
その際一瞬勇儀と萃香と険悪な雰囲気になりかけたり、と様々な事が起こったある日のこと。
幻想郷に来てからざっと2年と3、4カ月過ぎた頃。
ついに念願の新酒、ウイスキーが完成した。
早速、直後の酒の席で、勇儀と萃香の2人に最初に報告する。
2人は待ってましたとばかりに興味深々に、いつそれを飲めるのか訪ねてきたので、
次回、○○の部屋で飲む時に持参すると約束した。
レミリア嬢も完成の報を喜んでくれた。
彼女も早速味見をしたいと言ってきたのだが、
鬼の2人と先約があるので、こちらは申し訳ないが少し待ってもらう様に頭を下げて頼みこんだ。
○○に要望を断られ少々不満げな様子の彼女ではあったが、
約束の相手が酒好きの鬼という事もあり、しぶしぶながらに了承してくれた。
また、フランにもお祝いの言葉を貰えた。
彼女が盛大にお祝いのパーティーを開こうと提案してきたので、レミリア嬢に窺いを立てると、黙って頷いてくれた。
前々から思っていた事だが、レミリア嬢は基本かなり妹に甘いようだ。
―
勇儀と萃香との約束の日、○○は早めに帰宅し、普段より豪勢につまみを用意して彼女達を待っていた。
程なくやってきた2人は、並べられた数々の料理に歓声をあげた。
早速つまみ食いする2人に苦笑しながら、○○は皆の分の食器を運んでいく。
準備も終わり、3人が席に着いた所で、萃香が新酒を試してみたいと言ってきた。
勇儀もそれに便乗するので、始まったばかりではあるが早速新酒を飲んでもらう事にした。
持ってきたウイスキーを見せると2人の目の色が変わる。
琥珀色をしている液体が物珍しいのだろう。
果実酒の類のと違い濁りの無い琥珀色というのは、恐らく幻想郷ではお目にかかれない筈だ。
蓋を開けると漂ってくるウイスキー独特の樽の香りもまた、ここでは他にないモノだ。
この時の為に用意しておいたショットグラスを2人に渡し、液体を注いでいく。
注ぐ量が少ないと言う彼女達に、この酒は1度に大量に飲む種類の酒ではないのだと説明する。
まず最初は、今注いだ量をゆっくりと味わってほしい。
○○の言葉に納得した2人は手にした酒を、まずは目で楽しみ、鼻で楽しみ、ゆっくりと飲みこんだ。
それを確認した○○は、自分用に注いだ分を同じように味わいながら飲みこんだ。
アルコールで舌の焼ける感覚、それと同時に口一杯広がる樹の香り、
それをゆっくり味わった○○は、自分の造った酒を見て、成功したんだと改めて実感した。
○○が2人の様子に目を向けると、2人もこの味を気に入ってくれた様子だった。
”予想していた物よりずっと強くて、味も深く、美味い。これなら鬼や他の妖怪にも気にいられるよ”
勇儀のその台詞を聞いた○○は、頑張ってきた甲斐があったとしみじみ感じた。
きっとこれならば、里で売りだしても人気が出るだろうと安堵した。
『鬼』との生活-19
それからしばらくの間は、雑談混じりに酒を飲んで楽しんでいたのだが、
用意した料理が無くなりかけてきた所で、萃香が○○にあるものを渡してきた。
瓢箪だ。
普段萃香がいつも持ち歩いているモノとは別の瓢箪に、ちゃぷちゃぷと液体が満たされている。
”祝い品だ”そう答える彼女に中身を尋ねると、
それは鬼の手で造られた澄み酒の、その中でも極上品だと教えてくれた。
”鬼は古来より人間と共に在り、その生き方を長い間観察してきた。
だからこそ、何もない零の状態から新たなナニカを造り出す事の難しさと偉大さを理解している。
○○は、鬼が求める敵としての強さは持ち合わせてはいないが、この2年程で見事に新たなモノを作りだした。
その酒は鬼が人間に贈る上で最高の代物だが、あんたにはそれを受け取る資格が十分にあるよ。
私と勇儀が用意したその酒を、是非とも○○に受け取って欲しい”
その言葉を聞いた○○は、喜びながら、早速飲んでいいかと尋ねる。
もちろんだと返って来たので、瓢箪の蓋を開け、ゆっくりと中身を飲みこんだ。
瞬間、自分が用意したウイスキーを超える熱と風味が○○の口内を襲ってきた。
内心予想していた以上のあまりの強さに驚いたが、それ以上に意外なことに、
飲めば飲むほどに、更にこの酒を自分の身体が欲している事に気が付いた。
美味い、もっと飲みたい。
そう身体が要求しているのが分かり、瓢箪を上に掲げぐびぐびと音を立てて一気に飲んでいく。
瓢箪の中身に集中していた○○には、すぐ近くの勇儀と萃香が、
どろどろとした濁った眼で嬉しそうに微笑んでいる様子に気が付かなかった。
程なくして瓢箪の中身が空になった所でようやく一息ついた○○は、
自分の身体の中で何か得体の知れないモノが駆け巡っている感覚に陥る。
酒の貯まった胃の部分だけでなく、身体全体の隅々にまで何かが行き届く、そんな感覚だった。
『鬼』との生活-20
この感覚は一体何だろうと考える○○の両隣に、美しくも濁った笑顔をした女が2人、腰掛ける。
”鬼にとって2番目の愛情表現と、1番の愛情表現の仕方、○○にわかるかな”
その言葉を聞き、彼は話しかけてきた萃香の方に目を向け、そして固まった。
そこには満面の笑みを浮かべる萃香の姿、しかし、その顔に浮かべる表情は、○○が今までで初めて目にするものだった。
萃香の魅力をこれ程かとばかりに示す美しい笑顔ではあるのだが、
何故かその笑顔にドロドロとした恐ろしいモノが内包されている錯覚を抱く。
”2番目の方は、気に入った男の住処に夜這いをかけに行く事だよ”
今度は耳元で勇儀の声がしたかと思うと、固まった○○の耳たぶを甘噛みされる。
”初めて会った時、全く怯まずに鬼に対応する○○の姿を見て、私達は一目であんたの事を気にいったんだ。
だから酒の席の後は必ず○○の家に行って、酔って眠りこけるあんたが目を覚まさないよう術をかけ、
ずっと2人で夜這いしてたんだよ”
そういう勇儀の言葉は耳に入ってくるのだが、頭の方が言ってる意味を理解できない。
萃香が更にその後に続く、
”不思議に思った事はなかったかい。自分の身体が急に力強くなったり、
そう簡単に酔わなくなって行く自覚はあったでしょう。
あれは私達と交わった結果なんだよ。人間が人外の者と交わると、その体内にその妖怪の力の一部を宿すからなんだ。
最初の内、天狗達の酒を飲ませない様にしたのもその為。
鬼の力が身体に定着すれば、天狗の酒を飲んでも平気になるのがわかってたんだ。
射命丸って天狗がツガイを作ったのは知ってるでしょ、
あの天狗のツガイは、天狗の酒の妖気に浸食されて、天狗に変化した外来人なんだよ”
さらっととんでもない事実が暴露された。
彼女達の言葉の意味を理解していくにつれて○○は、幻想郷での生活の中で偶に感じた違和感の正体に気がついていく。
驚きで身体が固まる○○に、更に言葉を続けていく。
”そして、1番の愛情表現は、その人間を攫って自分に縛りつける事なのさ”
その言葉が終わるやいなや、2人は○○の身体に手を当てて、聞いた事のない呪文を唱えだす。
思わず身を捩ろうとするが、肩を勇儀に、足を萃香にしっかりと抑え付けているので身動きが取れない。
そう長くもない呪文が終わると、ちょうど心臓の辺りの皮膚が熱を帯びるのを感じて目で確認する。
服の隙間から、心臓の辺りに鎖の様な刺青が浮かび上がっているのが見えた。
”その鎖は私達との絆。これで○○の寿命は、私達の両方が滅びるまで尽きる事は無い。これでずっと一緒だよ。
力も私達の次ぐらいまで上がってるから、私達が全力で抱きしめても潰れないで済むから安心してね”
2人の鬼は終始笑顔だった。
あまりの展開に理解が追い付かない○○ではあったが、それでもやっとの思いで言葉を発した。
”どうしてこんなことをするのか”と。
○○の言葉を聞いた2人はまたも笑顔で話し出す。
幻想郷にやって来て長い事経ったが、ある日を境に自分を対等に見てくれる相手が欲しくなり、
それ以降ずっと探し続けていたのだと言う。
しかし、鬼を怖がらない人間を幻想郷に元から住む人間の中から探すのは無理だと諦めたのだそうだ。
彼らは鬼という存在を知っているからこそ、恐れ敬う。
だからこそは外の世界から来る人間から探すしかなかった。
最初会った時に、恐れもせずに堂々と対応してきた姿を見た瞬間から、2人とも○○に目を付けていたらしい。
また、酒好きの鬼とも話が合い、嘘もつかなかった。おまけに私達に飲ませる為に新しく酒を作るという。
これで狙わない訳がない、彼女達の行動の理由はこういう事だった。
今更ながらに、紅魔館で働く男性従者が、○○に向けて言った台詞の真意に気がついた。
しかし自分は外に帰るつもりなんだという○○に、
残念だけど体内に妖怪の力を宿した人間はもう外には戻れない。と最後通牒を渡してきた。
そもそもにおいてあの神社での宴会は、
妖怪達から見れば気にいった外来人を見つける為の見合い会場という側面があったらしい。
最初の一歩目から抜け出せない坩堝に足を踏み入れていたのだと知り、○○の身体の力が抜けてがっくりと項垂れた。
そんな○○の様子を見た鬼2人は、濁った眼と背筋の凍るような美しい笑顔を浮かべてこう言った。
”大丈夫、失ったモノ以上のモノを、私達が与え続けてあげるからさ。これカラ、イッショウ、ズットネ…”
その日以降、○○がこの部屋に戻ってくる事は無かった。
怪訝に思った○○の後輩外来人もいたのだが、里の守護者に彼は結婚して引っ越したと言われて納得するのだった。
『鬼』との生活-21
その後、
○○を奪われた事を知り、怒り狂ったフランドール・スカーレットと
受け取るはずだった新酒のノウハウが目的のレミリア・スカーレットを2大筆頭とした紅魔館勢力と、
○○は渡さんと対抗する鬼の四天王が2人、星熊勇儀と伊吹萃香のタッグとが
全力で正面衝突する。
その争いは幻想郷全体を維持する大結界を脅かす程の大異変級の問題へと発展していく。
博麗の巫女や普通の魔法使いの少女が慌てて解決に向かうも、
弾幕合戦どころではないガチの争いの為、人間では全く刃が立たず。
仕方ないので幻想郷中の実力者達に協力を求め、やっとの思いで異変解決に成功する。
争いの原因となった○○に関しては、協議の結果、紅魔館で暮らす事になった。
○○はそこで、完成したウイスキー以外の酒造りにも精を出す。
勇儀と萃香もまた紅魔館に住み着く事になり、
○○に対する問題は、フランと3人で共有という形で落ち着く結果になった。
こうして、吸血『鬼』の館は、新たに2人の鬼と1人の外来人を迎えてやっていく事になった。
ちなみに、
○○の造ったウイスキーは里でも新たな酒として注目を浴び、
その後、紅魔館で造られた原材料別の更に5種類の蒸留酒と1種類の混成酒と共に
人気商品として多くの利益を産む事となり、○○を雇った造り酒屋も減った昔からの顧客以上の客を得たのだった。
―了―
最終更新:2015年02月03日 11:20