この郷に来て、研究も漸く落ち着いた頃
    私は亡霊姫と呼ばれる女性と出会った
    この郷の向こう側にある、冥界の管理を司る立場にあるらしい
    その女性……幽々子さんに冥界について質問した事がきっかけで団子屋で色々話した
    山のように積み上がっていく団子の皿に驚愕した事以外は、楽しい昼下がりだった

    この世に非ざる郷の、更に現世に非ざる冥府の存在
    民俗学や異界伝承を研究していた私にとって、恐怖や畏怖よりも好奇心が大いに掻き立てられた
    是非とも行ってみたいと思い、博麗神社へと向かい巫女に連れて行くよう依頼する
    面倒だの手続きがあるだのごねる巫女に巾着を手渡すと、私は直ぐ様冥界へと赴く事が出来た

    そこは長大な階段の先にあるとても大きな日本家屋だった
    白玉楼と呼ばれ、黄土の伝承に伝わる天帝の白玉楼と同じではないかと思った
    京都の文化指定された歴史ある家屋でも、これほどの存在は無いだろうと思われた
    広大な敷地と手入れされた庭先で、私は再び幽々子さんと出会った
    幽々子さんは私の事を覚えていたらしく、フワフワと笑いながら歓迎してくれた
    最初は警戒と言うか、緊張していた従者の子とも打ち解け私は楽しく歓談したり冥界について質問して過ごした
    そうして、私は時折冥界に渡り、幽々子さんと語らったり冥府について質問するようになった
    それなりに蓄えがあった財布が軽くなったり、鎌を担いだ妙な女性に変な忠告をされたが、それ以外は普通通りだった
    白玉楼の美しい家屋、庭、霧に包まれた風景。この世に非ざる光景、とはまさにこの事だった
    私は彼女に言った。「ここに来れて良かった」と。幽々子さんはウンウンと頷いていた

    幽々子さんとの付き合いが一年を超え
    財布の余裕が無くなって巫女の送迎を使えなくなり、代わりに妖夢君が迎えに来る頃合いの頃
    私は香霖堂で購入した旧式カメラを購入した。本当は最新式が欲しかったが金子が足りずやむを得なかった
    以前、冗談話で「幽霊は写真に映らない」という話を幽々子さんとしたのだ
    妖怪の山の烏天狗が持つ写真機には映るらしいが、それは彼女らが持つ妖気の仕業かもしれない
    何の力も持たない自分が、ただの写真機で撮影してみたらどうなるか? という話である
    意外な程話が盛り上がり是非一度貴方に撮影して貰いたいと願われた
    そうしてあまり余裕の無い身銭を切って、カメラを購入したのである
    次に来訪した時、私は話のネタとしてカメラを出し、実際に取ってみようかと申し出た
    幽々子さんは嬉しそうに承諾したので、早速写真を取ってみることにした
    えらく旧型だったのでフィルムの入れ方に手間取ったが、撮影自体は上手くいったと思う
    縁側に佇む幽々子さんをアップで数枚撮った。素人よりはマシ程度の腕前であるが、なかなか上手く撮れたと思う
    その後で妖夢くんを撮影し、白玉楼のあちこちを撮影したりもした
    最後に、通りすがりの人魂に手伝って貰い三人で記念撮影をした
    とても、楽しかった。この場所に来れて、幽々子さん達に出会えて本当に良かった

    その次の訪問時に、香霖堂の主人に現像して貰った写真を届けに行った
    古い写真とフィルムで撮ったにしては、なかなか綺麗に撮れていると思える
    特に、幽々子さんの写真は素敵だ。とても、素敵だった
    写真を手にあれこれ歓談した後、幽々子さんの写真を一枚欲しいと願い出た
    幽々子さんは、二つ返事で承諾してくれた。写真は写真立てに入れて保管しよう

    その日の片付けを終え、寝床へと入る
    布団の枕元には、幽々子さんの写真が入った写真立てが置いてある
    本物でなくても、写真に写された彼女の姿は変わらず美しい
    手にした蝶の絵柄が描かれた扇子と相まって幻想的だ

    「これなら、ずっと一緒に居られるな」

    冥府と現世に別れた私と彼女でも、こうすれば共に在れる
    そう考えると、何だか心が浮かれてくる
    私は明かりを消し、布団へと潜り込んだ
    意識が落ちる前、写真立てに目がいった
    彼女は変わらず、私に微笑みかけていた

    それから暫くの間、私は場合があるごとに写真立てに話しかけるようになった
    目覚めた後、でかける前、帰った時、寝る前
    幽々子さんは、いつでも変わらず私を笑顔で見てくれている
    定期的な来訪でしか出会えない寂しさを、こうして紛らわせてくれる
    だが、同時に物足りなさも感じていた
    実際に会って話をしたい。声をかけ、声をかけられたい
    死を司る能力を持つものとは思えない、あののんびりとした声音で挨拶をされたい

    「ずっと、幽々子さんと一緒に居たいなぁ、なんて」

    そんな言葉を口にしつつ、私は明かりを消して寝床についた
    意識が落ちる直前に、ふと何かの気配を感じた
    耳元で誰ともつかない声がささやかれる

    「本当に?」

    私は自分の気持ちに素直に答えた後、眠りに付いた


    私は、夢を見ている、おそらく、夢を見ている

    私は、白玉楼の本殿に居た
    私は、私用に誂えた書室で妖夢くんに黒紋付袴を着せられていた
    妖夢くんも普段の姿ではなく、大振袖を着ていた
    妖夢くんは、恭しく私に告げた

    「お式が始まります。どうぞこちらへ」

    私は妖夢くんの先導で、白玉楼の廊下を歩いて行く
    導かれた先は、数十畳の畳が敷かれた大広間だった
    様々な蝶が描かれた金屏風。広間を照らす華やかな燭台の数々
    列席衣装に身を包んだ彼女の親友である妖怪の賢者とその従者
    普段の姿とは違い、格式高い巫女衣装に身を包んだ霊夢が居た
    一段高い座に置かれた提子に朱三宝と三ツ重杯
    そして、右側に座る白無垢姿の花嫁が居た
    紫色の蝶をあしらった髪飾りを角隠しに添えた幽々子さんが居た
    白粉に、真っ赤に引かれた口紅が映える
    彼女は、何時もとは違い、清楚な微笑みを自分に向けてきた
    その笑みに引き込まれる様に、私は何の躊躇いもなく彼女の隣に座っていた

    私の着席を合図にしたかのように、式は始まった
    本来は宮司がやるべきことを、全て霊夢がやっていた
    修祓、祝詞奏上、誓詞奏上。粛々と式は進んでいく

    小・中・大・の杯を交互に飲み干し、幽々子さんとの夫婦の契を交わす
    何の戸惑いも、躊躇いも感じなかった
    私は、彼女とこうなることを望んでいたのだろうか


    霊夢が普段の彼女からかけ離れていると思える程優雅な舞を奉納した後

    「これにて、幽婚の儀は成立するわ」

    そう言うと、私に銀色の酒盃を渡し、朱塗りの銚子を何故か幽々子さんに渡した
    私が反射的に酒盃を幽々子さんに掲げると、幽々子さんは銚子を傾け中身を酒盃へと注いだ
    酒盃は澄んだ液体に満たされた。ほんのりと香る酒精からして上等なお神酒なのだろう

    「あ、酒盃が……」

    銀色の、酒盃がたちまち黒ずんだ色合いになった
    驚いたのは私だけの様で、他の誰も声を挙げなかった
    ただ、視線をじっと私に向けてくる。誰も声を発さず
    幽々子さんを見やると、彼女は穏やかな笑みを浮かべたままこちらを見ている
    その笑みを見ていると、やはり気持ちが和らいでくる
    酒盃が黒ずんだ意味合いは、何となく理解した
    参列者とは違う、霊夢の冷徹な視線の意味も理解した
    彼女は告げているのだ、それを飲めば全ては定まると

    「幽々子さん」
    「なぁに、◯◯?」

    式が始まって以来、初めて彼女は声を発した
    いつも通りの、まるで菓子を食べながら縁側で寛いでいるような彼女の声音

    「ずっと、私と一緒に居てくれますか?」
    「ええ。一緒に居るわ。ずっと、ずっと一緒に」
    「そうですか」

    私は満足気に頷き、躊躇なく酒盃を飲み干した
    朱三宝に酒盃を置き、霊夢の祝詞を受けている内に全身を眠気が包んできた
    丁度、お式で発すべき言葉を終えた霊夢が、真っ先に式場から去っていく
    続いて妖怪の賢者が胡散臭い笑みを浮かべ式場から去る
    九尾の尾を持つ従者は深々と私達に頭を下げ、主人の後を追った

    「さぁ、おふたりともお疲れでしょう。こちらへ」

    妖夢君がふすまを開けると、其処には御簾に覆われた臥所があった
    当然のように、夫婦がともに眠れる大きさで、枕も2つ並んでいた

    御簾をくぐり、布団の上で横になるとそこが限界だった
    緩やかな眠気が、どんどん強くなっていく
    このまま眠ったら、全てが変わる。そう確信するほどの
    ただ、恐怖は全く感じなかった

    「おやすみなさい、次に起きる頃には……その眠気も気にならなくなるわ」
    「そりゃ、ありが、たい、なぁ……」

    新婚の夜に、妻を愛さずにそのまま寝てしまうのはどうかとは思った
    だが、その眠りをこらえるには、もはやどうしようもないというのも理解出来た

    「ねぇ、◯◯。私ね、こういう形で貴方と結ばれる事に、全く後悔は無いわ」
    「そ、う、だろうね、幽々子、は嬉しい、の?」
    「ええ、勿論」

    幽々子は、何時も私が見惚れている微笑みを浮かべ
    まるでとびっきりの秘密を教える子供の様に耳元で囁いた

    「私ね、貴方を好きになってから、ずっとこうしたかったんだもの」

    意識が落ちる。私は、変わる。
    幽婚は、生者と死者の婚儀。そして、それを完全に成立させるには……
    両者を、死者にする事
    こうすることで、2人は完全な夫婦となる

    遠くで、幽々子の眠り唄が聞こえたような気がした
    ああ、起きたら、彼女になんと言うべきだろうか?

    意識が完全に途絶する直前、私が考えたのはそんな事だった

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最終更新:2015年02月06日 12:20