白蓮が留守の寺は、正直大分弛い。
さすがに酒宴などは極々たまにしかしないが、それぞれが思い思いにすごしている。
弾幕に興じるもの、繕い物にいそしむもの、村紗のように趣味を楽しむものもあれば……思い人への想いを募らせるものもいた。

「○○さんたち、まだですかね……」

そわそわとしながら本堂の周りをぐるぐるまわっているのは命蓮寺の本尊、毘沙門天の代理役、寅丸星。
なぜ回っているのかというと、まだ見えぬ○○たちの姿を探して「もしかしたら本堂をはさんで反対側からくるのでは」と思い、反対側、その反対側、そのまた反対側へ……
この寅丸星、バターになるのも厭わない覚悟である。

そんな彼女に、飛んで探しにいけばいい、とかつて一輪が言ったことがある。
しかし、彼女は「その手があったか」という顔をしたものの、すぐにかぶりを降って却下した。

待ちたい、そういった。

○○が一時どこかへ行ったとき、帰ってくるのを迎えたい。
そう、必ず ここへ 帰ってくるのを……
そういって、その豊満な胸にそっと手を当てた。
どちらかというと凛々しい面立ちの彼女だが、このときばかりは同性である一輪も息を飲むような女性的な魅力を発散させていた。

聖と○○の間であった何か……というより、その顛末を把握していないものはこの寺には一人もいない。
そう、一人もいない。
全員が知っている。
そのうち、一番○○になついていた村紗が最も動揺していた。
○○が居なくなってしまったらどうしよう……と。
大切に思うひととの離別の辛さは、この寺に住まうものなら誰でも知るところだが、一際色めきだった彼女は、フラれた次の瞬間には飛んでいきそうだった。
それを寅丸は押さえた。
○○は村紗の子供のような純粋な好意に、今でこそ感謝し、寺にも残っている。
しかし、フラれた直後に無遠慮に○○の元へいったなら、本人の気持ちにとは裏腹に傷を抉る行為にしかならなかっただろう。
どんなに好意をもって接しても決して真っ直ぐに伝わらない。
からかい、皮肉、悪口としてネジ曲がり、あるいは伝わっても受けきれず、己がより憐れに、惨めになることもある。
寅丸はその危険性を知っていた。
善意や好意が反転して伝わることの恐ろしさを、身をもって知っていた。
だから、止めた。
結果、見事に○○を寺に留まらせることに成功し、村紗は喜び、彼女は胸を撫で下ろした。

ーーーだが、実際にその豊満な胸を手で撫で下ろしたときに感じた自分の鼓動……
激しい胸の高鳴りと、固く膨らんだ胸の頂き。
感じたのは、安堵だけではなかった。
むしろ昂り、熱く熱された蒸気がまんまんと張り積め、結果として溜め息めいて口から外に出たのだ。
これは、安堵だとか、安心だとかそういった穏やかなものとは対極にある。
……そう、これは歓喜だ。戦ってもいいという「悦び」なのだと、彼女は本能的に理解した。
その本能が、妖怪としてなのか、戦勝の神仏としてなのか、はたまた単に女としてのそれなのかは分からない。
だが、もはやそれを押さえる必要がないことだけは明白だった。
もう、遠慮しなくてもいいんだ!

それから幾つかの昼と夜を越え、今彼女の最も好きな言葉が「おかえりなさい」である。
無論、昼より夜に、それも二人きりで言うときが最も満たされる瞬間なのは言うまでもない。

「たっだいまー」

と、弾むような声で腕を振り上げたのは村紗水蜜。
満面の笑みで歩む歩幅もひろく、上機嫌なのは寅丸の目にも明らかだったが、逆にだからこそ「どうでしたか。楽しんできましたか?」と寅丸は聞いた。
うん! と、予想通りの返事を受けて、彼女は花やいだ心持ちを楽しんだ。

「ただいま、寅丸さん」

と、村紗の後ろから声を掛けたのは○○だ。
平均的な背丈の少女の後ろにいたのだから、当然彼女の目にも映っていた。が、しかし。
声を聞くなり寅丸の総身にさっと血が廻り、目の奥に甘やかな液体が満ちるのを感じた。

「おかえりなさい、○○さん」

噛み締めるように短く、しかし蕩けるように蜜めいて、寅丸は向かい入れた。
今すぐにでも○○の裾をつまんで、気持ちをねだりたいのをぐっと堪えて、一歩だけ歩みより、ただ視線を交わす。
長身な彼女だが、それでも男の背には敵わず、ほんの少しだけ見上げるような形になってしまう。
ぼぉっと上気して、色めく彼女の姿はほとんど抗いがたい程の蠱惑と愛らしさをそなえ、つまり全くの女そのものであった。
んじゃ、あとはよしなにねーと、横を通る村紗に「ええ」と顔を向けるどころか視線さえ追わせず、反射的にから返事を返す。
このまま瞳を閉じてしまいたい。
寅丸はその衝動に溺れながらも、最後の理性で抵抗する。
もし、もしこのまま視線を交わらせていれば、○○の方からなにかしてくれるのでは……
そういった期待も彼女を支える。
しかしつい焦れて、ほんの僅かだが寅丸は背を反らした。
するとどうだ。
完全に自然に、怪しいところ全くなく○○との距離が縮まったではないか。
寅丸はあまりの己の計算だかさと狡猾さに恥じ入った。



「………………ぅぅー」

動かず。
肝心要の○○微動だにせず。
思わず恨めしげなうめきが漏れる。
あれ? 気付いていないのかな、と思った寅丸は徐々に背をそらす角度を深めていき、遂には爪先立ちまでして……
堂々たる威厳をもった立像が出来上がっていた。
いつの間にか腰に当てていた手、反らした胸、外さぬ視線。
どうみても、私怒ってます!のポーズ、完成である。
しかも、ポーズ、というか、いつまでも何にもしない○○に焦れきって、ちょっとだけだが本当に怒りの沸いてくる寅丸星。
彼女こそは、この寺における霊験あらたかなる毘沙門天、その代理である。

「なんで怒ってるんです?」
「怒ってませんっ」

○○はこの愛らしい女性と自分との関係に改めて幸せを感じている。
大事にしたいと思う。
しかし愛らしすぎて、つい笑顔になってしまうのを堪えられなかった。
今は笑うべき時ではないのは、彼も分かっていたのだが。

「……ぅうー、もう、……意地悪です」

そんなだから、ついに彼女も拗ねてしまい、ふいっと顔を背けてしまった。
こうなると彼女も頑固だ。
ちょっとやそっとではその曲げた臍は戻らない。
一途で愛情深い女性ではあるが、それゆえの欠点も十分に持ち合わせているのだ。
縞模様の尾も不満げに揺れている。

「寅丸さん」

「何ですか!」

「私が悪かった。この通りだからもう勘弁してくれませんか」

「…………」

「風も強くなって来ましたし…………向こうで『白湯でも飲みませんか』」

「!」

寅丸ははっと○○を見た。
はた目には分からない程に小さく、○○が頷くと、その頬は再び赤く染まり、瞳は熱に潤んだ。
○○の言葉はどうやら額面通りではない、彼女だけが知る意味を孕んでいるようで、寅丸は途端にもごもごと口を動かしては俯き、小さく恥じ入った。
威厳はない。

「……は…ぃ…………しょうがありませんね、本当に、もう……」

俯いたままそう言うと、彼女は本堂の、裏手へと静静歩きだした。
その後ろに○○がつづく。
寅丸は背中に○○の気配を感じていた。
その通り、すぐ近くに○○はいる。
と、寅丸は玩んでいた思考のあれこれをいらうのを止めた。
そして肩越しに振り向くと、困ったようなふりをした顔で微笑んだ。

「おかえりなさい、○○」

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最終更新:2015年06月11日 07:14