「○○、 何か手伝うことはありますか?」
ある夏の夜、庫裏で一人皆の食事の支度をしていると、聖がそう言いながら入り込んできた。
命蓮寺では食事の支度は俺の仕事なので、手伝いの申し出は素直に嬉しい。
「あー、もう出来るから運ぶのを手伝ってもらえるか?」
「はい、わかりました」
料理自体は完成間際で残すは盛り付けだけだったので、食堂まで往復する回数を減らすための人手として手伝ってもらうことにする。
命蓮寺はかなり大きな造りなので、寺の者全員の料理を食堂まで運ぶだけでもかなり大変なのだ。
「しかし、○○が料理上手で助かりました」
料理を運んでいる時に聖がそんな事を言い出す。
俺は外の世界でも自炊をしていてそれなりに腕に自信があったので、それを褒められるのは嬉しい。
だが、
「違うな、命蓮寺の皆が女所帯にも関わらず料理を出来ないだけだ」
そう、命蓮寺の者達は全員平均的に料理が出来ないのである。
俺が初めて精進料理を作った時に、皆が美味いと感動して食べているのを見た時は涙が出そうになった。
当時の事を思い出しながら俺がそんな言葉を返しても、聖は苦笑いをするばかりである。
「まあ、○○が精進料理を上手く作れるようになってしまったので、皆向上心も薄れてしまいましたし」
「そりゃあ寺から出る事も出来ず精進料理ばっか作ってれば、上手くもなるよな。…なあ、聖?」
口調を変えて嫌味ったらしくそう言ってやると、苦笑いをしていた聖から表情が無くなる。
それを見て、俺は内心してやったりとガッツポーズをした。
命蓮寺で料理なんて作っている俺だが、別に外から来た時に命蓮寺に拾われただとか、ここで修行をしている坊主というわけではない。
どういうわけかいつの間にか、聖に好意を寄せられて、その暴走の末に聖の魔法で命蓮寺から出られなくされただけの、元配達屋である。
しかも出られないだけでなく、命蓮寺の者以外に対して存在を認識されなくなるというおまけ付きだった。
それを伝えられた時はそんな馬鹿なと門に向かって走り、出ようして見えない壁に阻まれたり、参拝客に話し掛けても見向きもされなかったりした。
それに焦ってその参拝客を思わず殴ってしまったりもしたのだが、その参拝客が妖怪や幽霊の仕業かと叫んでいる光景を見た時は、全てを把握してしまい乾いた笑いが出た。
結果、出られない、他人に見てももらえない、助けを期待することも出来ないと、俺は完全に聖の手中に収まったのである。
だが、俺をここに縛り付けた本人である聖はその事に対して罪悪感があったのか、捕らえた俺に対して愛を囁くわけでもなく、俺に関係を迫るわけでもなく、俺をここへ監禁する前と変わらない態度で俺に接してきた。
始めは意味が分からなかったが、喚こうが叫ぼうがまるで話を聞かない聖を見て色々と諦めた俺は、聖のように態度を変えずに寺の一員として普通に生活するようになった。
だが、聖は俺を手に入れ、俺は全てを奪われたというのではあまりに不公平だ。
だから、俺は代わりに、命蓮寺に閉じ込められている被害者であることを良いことに、このように、時々聖にその事を嫌味っぽく仄めかして仕返しをするようになった。
いくらここから出せと言っても涼しい顔をしている聖だが、その時ばかりは渋い顔で押黙り、それを見る事が俺の唯一の楽しみとなった。
もちろん聖が癇癪を起こせばどうなるかわからないし、陰湿で男らしさを微塵も感じられない嫌がらせなのだが、ここに閉じ込められた事に対して自分でも気づかない怒りを孕んでいるのか、ここから解放されるその時までこの行為を止める気にはなれなかった。
「お、もう着いたな」
「…そう、ですね」
先程の俺の嫌味に少し顔色が悪くなった聖を連れて食堂に入る。
まだ誰も来てはいなく、食堂は静かだ。
配膳をする間、聖は一言も言葉を発さずに黙々と作業をこなしていたが、俺はそれを見てやってしまったと思った。
聖に監禁されている事を仄めかすのは楽しいのだが、そうすると聖は暫く黙り込んでしまう。
これから何度か庫裏と食堂を往復する間、この黙りこくった聖と二人でいなければならないという事実に、自業自得ながら俺は気が重くなった。
「○○、この後少し時間をいただけますか?」
無言の聖と運んだ料理による皆との食事が終わり、後片付けを始めようかとした時、食事を終えてからもずっとその場で動かなかった寅丸さんが話し掛けてきた。
皆が食堂から出ていくのを待ってから話し掛けてきたあたり、なにやら重要な用件の予感がする。
「ああ、いいぞ。少し時間が掛かるが待っててくれ」
「ありがとうございます。ですが○○が働いているのを見ているだけというのも忍びないですし、私も手伝いますよ」
そう言うと寅丸さんは手際良く食器を重ねていき、それらを持って立ち上がった。
あまりの早さに是非毎回手伝ってほしいと思ったが、寅丸さんは忙しい身であることを知っているので口にはしないでおく。
「待たせたな、それじゃあ庫裏まで頼む」
「任せて下さい」
その後急いで俺も食器を重ね、俺と寅丸さんは軽く談笑しながら後片付けを進めた。
寅丸さんは聡明な人で、幻想郷の事や寺の事などほとんど知らない俺に程度を合わせて話してくれる。
さらに話上手で聞き上手と、この人との会話は本当に面白い。
気づけばやるべき事は全て終わっていた。
「よし、これで終わりだ。助かったよ寅丸さん」
「私から言い出した事です、気になさらないでください」
俺の礼に、さも当然の事をしたまでだと柔和な表情で答える。
「それでもだよ。さ、俺の用事は済んだことだし今度は寅丸さんの話を聞こうか」
「すみませんね…それでは、私の部屋まで来ていただけますか?」
「あ、ああ」
ふと、寅丸さんの表情が真剣なものに変わる。
そのあまりの変わりように俺は少し気圧された。
しかし、そんな真剣な表情で私室に呼ぶなんて、誰かに聞かれては困るような話なのだろうか。
「ここが私の私室です。どうぞ、入って下さい」
「ああ、邪魔する」
暫く歩いた所の部屋で足を止めた寅丸さんに促され、中に足を踏み入れる。
中は毘沙門天様の部屋とは思えない程に簡素なもので、ほぼ必要最低限の家具しかなかった。
「適当に座って下さい」
部屋の襖を閉めると、寅丸さんはそう言い綺麗な所作で正座になった。
俺も釣られて寅丸さんの正面に正座で座る。
「………」
「………」
「…それで、話ってのは一体なんなんだ?」
「ああ、それは、ですね」
座ったもののなかなか話を切り出さない寅丸さんに痺れを切らし、俺の方から話し掛ける。
しかし、それでもなお寅丸さんは言い淀んだ。
先程までの真剣な表情は弱々しいものになり、視線は泳ぎ、何度も座り直すその姿は、悪戯を誤魔化そうとする子供のようだった。
「…言いづらいのならまた今度聞こうか」
「あ、ま、待って下さい、その…聖についての事なんです!」
「な、に…?」
話をする素振りがないのならまたの機会にしてもらおうかと思い立ち上がろうとすると、寅丸さんは慌てて用件を述べた。
聖の名前が出された事に意表を突かれ、俺は立ち上がろうとしていたその体勢で固まる。
聖が俺を命蓮寺に閉じ込めてからの二ヶ月、ここの者達は聖と同じく変わらない態度で俺と接してきた。
そして、その中での暗黙の了解として、聖が俺にしている事を話題に挙げない、俺が聖にしている事を見て見ぬふりをするというものがあった。
特に、寺の皆は俺と話す時に聖の名前を出すようなことをしたがらない。
表面上平穏な日常を送れているのだからわざわざ自分達で波風を立てる事はしない、という方針らしい。
だが今、寅丸さんはその暗黙の了解を破ろうとしている。
そして、それはそうせざるを得ない何かが起こったのだと、俺は直感的に理解した。
俺は立ちあがろうとしてい足を降ろし、長くなりそうだと思い胡座をかく。
寅丸さんは少しの間何も言わずに俯いていた。
その様子は、何を言おうか悩んでいるというものではなく、どう伝えようか言葉を選んでいるようだった。
「…○○、貴方は良い人です」
たっぷり間を開けてから、寅丸さんはそれだけを呟くように言った。
だが、漠然とし過ぎていて俺にはその言葉の真意を測る事は出来なかった。
「…いや、すまない寅丸さん、それだけでは話が見えない」
俺がそう言うと、寅丸さんは困ったような顔をして腕を組み、また言葉を探し始めた。
そんな様子を見て、このままでは埒があかない気がしたので、話を進めてもらうことにする。
「別に気を使ってくれなくていい。率直に言ってくれ」
「そうですか?…ええと、そのですね…その、聖が貴方にしている事…この狭い世界に貴方を閉じ込め、人との関わりを絶ったことは、許させるような事ではありません」
寅丸さんは俺の言葉を聞くと、言いにくそうではあったがそう言い切った。
それはここに来てから二ヶ月の中で初めて聞く、寺の者が聖の行いを非難する発言だった。
聖の事についての話という事だったので、俺がしている聖への嫌がらせを咎められるとばかり思っおり、正直面食らった。
「…そうだな」
「貴方が聖に意地悪をするのも、それに対する囁かな意思表示だとは思うのです。それについてはむしろ、よくその程度で我慢していてくれていると、私も、皆も感心しています」
褒められるような立派な事など何もしていないのだが、寅丸さんは熱弁する。
しかしそれだけではないだろう。
俺はこの後の言葉を聞くのが怖くなっていた。
「ですから、こんな事を私が言うのも、貴方に頼むのも烏滸がましい話なのですが…」
「…要するに?」
「どうか…聖の想いを受け入れてあげて下さい!」
つまり、なんだ、聖が如何に非人道的な事をしているか知っている、そんな事をした聖に対する対応も大したものだ、だからそのまま聖と恋人になれという事か。
冷静に寅丸さんの言葉を整理してみたが、頭が痛くなる話だった。
「…断る」
「…やはり、そうですよね」
その話に乗るくらいなら、始めからこんな事にはなっていない。
しかし、寅丸さんは俺の返答を予想していたのか、あまり落胆する様子はなく俺の答えを受け入れていた。
「何があったんだ?」
「え?」
「俺の答えに寅丸さんはやはりと言っただろ?寅丸さんは意味なく暗黙の了解を破ってまで和を乱したりしない人だ。だけど、かといって何か隠し玉を持っている様子もない」
「…ええ、貴方を説得する手立ては持ち合わせていません」
「という事は、だ。俺が断ることを分かっていても頼まないといけないだけの理由があったってことだろ?…まあ、寅丸さんが聖の名前を出した時から何かあったとは思ってたけど」
俺がそう言うと、正解だと言うように寅丸さんは軽くため息をつき弱々しく微笑んだ。
今の今まで気づかなかったが、どうも寅丸さんはかなり疲れているようだった。
「…聖の心は、もう限界なんです」
「限界?」
寅丸さんが重く吐き出したその言葉は、これからの話がかなり悪いものである事を物語っていた。
「○○には嫌われ、自分のした事の罪に苛み、けれど、○○への想い故にそれを止めることも出来ない。そんな日々に聖の心は弱っていっています。○○は見たことがないはずですが、最近になって聖はよく泣くようになりました。○○の前では絶対に泣かないようにしていると言っていましたが、昨日、参拝客の前でも涙を見せるようになったので、それももう時間の問題だと思います。それ程までに、聖は追い込まれているのです…」
寅丸さんは、堰を切ったように話し始めた。
聖が泣いている。
それを聞いた俺は驚き、同時にひどく胸が痛むのを感じた。
聖の心を追い込んでいるのは、間違いなく俺なのである。
そんな俺の心中を察したのか、寅丸さんは俺の事を気遣う言葉を述べてくれる。
「すみません、失言でした。いえ、○○、貴方に非はありません。本当なら…私達が何としても聖を止めるべきだったのです。責任があるとすれば、ただの恋路だと、どこか、軽視して傍観していた、私達です。本当に、すみ、ません…」
そう言う寅丸さんは血の気が引くほどに拳をきつく握り、言葉の所々に嗚咽が混じっていた。
俺の胸が痛みを感じているように、寅丸さんも聖を止めなかった事を後悔しているのだろう。
しばらく嗚咽だけが聞こえていたが、胸に手を当て深呼吸をすると寅丸さんはまた落ち着いて話し始めた。
「…昨日、聖とも話をしました。それ程までに辛いのなら、しっかりと○○に謝って話し合うようにと提案をしたんです」
「だが、俺の方に来たということは…」
「はい、聞き入ってはもらえませんでした。今更何を話せというのか、そんな資格があるとでもいうのか、って怒られてしまいました。感情を剥き出しにして叫ぶ聖なんて、長い付き合いの中でも初めての事だったので…驚きましたよ」
言いながら手でさすっていた寅丸さんの首筋には痣があり、俺はいよいよ驚愕した。
聖と寅丸さんは古くからの付き合いだと聞いていたし、お互いが信頼し合っている事は見ていて分かっていた。
聖がそんな寅丸さんに手を上げたということが信じられなかったし、信じたくなかった。
だが、寅丸さんの泣き出しそうな表情がそれが事実であることを物語っている。
それを見て、もう、俺は限界だった。
「…寅丸さん、俺、聖と話してくる」
立ち上がった俺を、寅丸さんは目を見開いて見上げている。
何か言いたそうに口を開閉していたが、言葉が出てこないようだ。
「俺の下らない言動で寅丸さん達には迷惑をかけて、聖の事は傷つけて、そのくせそんな事を知りもしないのに被害者面してたんだ…最低だ、俺は」
「そ、そんな事はありません!○○は事実被害者ですし、私達は迷惑だなんて思ったことはありません!それに、この異常な空間で気を違えず耐えている事だけでも十分過ぎるんですよ!」
俺を見上げるだけだった寅丸さんだが、俺の自虐を聞くと弾けるようにそれに対して反発した。
だが、いくら寅丸さんが俺を擁護してくれても、俺自身が自分の行いに罪悪感を持ってしまったのだからどうしようもない。
「俺がもっと上手く立ち回っていればここまでにはならなかった」
「それを言うなら私達も、そして…聖もそうです」
「それでも、今は俺が行かなければ事態は悪化する一方だ」
「………」
俺が聖に対して何かしらの行動を起こさなければ、現状が改善することは有り得ない。
寅丸さんはそれを理解しているので、それ以上は返してこなかった。
「まあ、なんとかしてみせるから安心して待っててくれ」
全てが丸く収まるような妙案などなかったのだが、今の寅丸さん相手にはそう言う他ない。
寅丸さんの横を通り襖を開けると外はすっかり暗くなっており、夏にも関わらず空気はかなり冷えていた。
「一つ、お願いがあります」
部屋から出ようとした所で、後ろから声を掛けられる。
振り返ると寅丸さんはこちらに向き直り、真っ直ぐ俺を見据えていた。
「なんだ?」
「先程あのようなお願いをしたばかりなのに発言を変えるようで申し訳ないのですが、私達の…聖の為に自分の意思を捻じ曲げるような事はしないで下さい」
「なるほど、聖と恋人になるよう頼んできたさっきとは言っている事が違うな」
おどけて返すが、寅丸さんの目は真剣そのものだった。
「恥ずかしながら、あの時は聖をどうにかする事しか考えてませんでしたので…ですが、私の話を聞き真剣に考えた上で聖の元に向かって下さる貴方にそのような事は言えません」
「少し買い被り過ぎじゃないのか?俺は謝って、話し合って、ただ全部すっきりさせたいだけだ」
「それで良いのですよ。私は所詮当事者ではないので、どういう結果になろうと貴方達が決める事ならそれが最善だと勝手に思うだけです」
真剣だった表情を崩し、今度は寅丸さんがおどけて言い、それに対し違いない、と俺も笑う。
「…頑張って下さい」
「了解」
その受け答えを最後に、俺は今度こそ部屋を後にした。
向かう場所はただ一つ、聖の私室だ。
「失礼する。俺だ、聖、起きているか?」
聖の私室の前で俺が名前を呼ぶと、中からばたばたと音が聞こえた。
少しして音が聞こえなくなったかと思ったところで、聖から返事が返ってくる。
「どうぞ、入ってください」
襖を開けて入ってみると、正座をした聖がにこやかに出迎えてくれた。
目を凝らして聖の顔を見ても涙痕は無かったので、泣いていたわけではないようだ。
「悪い、何かしていたのか?」
「いいえ。ただ、○○が私の部屋に訪れるなんて珍しくて少し慌ててしまっただけですよ」
そうか、と返事をしながら聖の正面に座る。
聖をもう一度見るが、笑顔や所作などに違和感はない。
しかし、この姿が無理をして作っているものだと知っている俺は、そのあまりにも変わらない姿を見る事が辛かった。
「あの…どこかおかしいでしょうか?」
「ああ、いや、なんでもない…こともないな」
「はい?」
凝視し過ぎたせいか、聖が困ったように聞いてきた。
あまり話を切り出すのを先延ばしにしても良いことなどないだろう。
聖に返答するついでに本題に移らせてもらうことにする。
「聖、俺は寅丸さんにお前の事を色々聞いてここに来た」
「あ…え?」
聖の表情は見るみる間に変わっていった。
怯え、恥じらい、怒り、悲しみなど、次々に顔を変えていったかと思うと、その後放心したように惚けている。
が、この後俺に何を言われるのかと恐れているのか、その体はがたがたと震えていた。
「聖、怖がらなくていい。俺はお前に謝りにきたんだ」
「…え?」
聖は困惑しているようだった。
それはそうだろう、つい少し前まで自分に嫌味を言っていた男が急に謝りに来たのだ。
趣向を変えて自分を甚振りに来たか、そうでなくとも裏があると考えるのが普通だ。
俺自身も心変わりの激しい行動だとは思う。
知らなかったからと言い訳はしない、しかし知ってしまえばこうする以外ないのだ。
「ずっとお前に酷い事を言っていたが…すまなかった。もう言ったりしない」
頭を下げて謝り、沈黙が訪れる。
数分経っても聖が何も言葉を発さないので顔を上げてみると、聖は呆然としていた。
その目には恐怖が映っている。
「すまないなんて、勝手な話だとは思う。俺は軽い仕返しのつもりでお前を責めるような事を言っていたんだ。まさか、聖が追い詰められているなんて思いもしなくて…」
「や、やめてください!」
俺の謝罪は聖の叫びで止められた。
どうしたのかと聖を見ると、その顔は青ざめていた。
「貴方は何を言っているんですか?…どうして、謝るんですか?」
「言葉の通りお前への謝罪だ。何故謝るか…それは本当に悪いと、思ったからだ」
寅丸さんと話した事で気づくことのできた嘘偽りない事実だ。
だが、聖は理解出来ないというように、内に溜めたものを吐き出すように、俺の謝罪を恐れ拒否するように叫びだした。
「○○は、悪い事なんか!何もしていません!悪いのは全部、私なんです!私が貴方をこんな所に閉じ込めたんです!誰とも繋がりを持てないようにしたんです!その癖なに食わぬ顔で貴方と話したりして!貴方に何を言われても、また近寄って!陰では喚いて泣いて、皆に迷惑かけて!星なんて私を心配してくれたのに、ぶってしまって!私は!なんて気持ち悪い!気持ち悪い!…気持ち悪い!」
気持ち悪いと連呼し、頭を掻き毟り叫ぶ聖の姿に面食らう。
だが、それ以上に全てを自分のせいだと言い、全てを自分の内に溜め込んでいた聖の事が可哀想で仕方がなかった。
聖の近くには俺を含めたくさんの人がいたのに、聖は誰からも声を掛けてもらえず、誰を頼る事も出来なかったのだ。
気がつくと俺は聖を抱きしめていた。
「○、○…?」
「ごめんな、聖。本当にごめん」
「ち、違います!悪いのは…」
「確かに、原因は聖だったかもしれない。けど、お前を止めなかったのは、見てやらなかったのは…ここまで追い込んだのは、俺達だ」
「私は………」
「もういい、もう怒ってないから…もう、我慢しなくていい」
なおも自分を責めようとする聖だったが、俺がそう言うと、堰を切ったように俺の胸の中でわんわんと泣き出した。
そうして、時折ごめんなさいと言いながら泣く聖を、俺はただ抱き締め続けた。
どれほどの時間が過ぎたか。
ふと、俺の胸に顔を埋めていた聖が顔を上げた。
その顔は真剣なものだった。
「話を、聞いてもらえますか?」
「ああ、いくらでも聞くぞ」
聖が身をよじり俺から離れる。
自分から離れたにも関わらず名残惜しそうな表情をする聖を、不覚にも少し愛おしいと思ってしまい顔が熱くなるのを感じた。
「…それで、何を話してくれるんだ?」
「始めから、全てお話します」
聖は俺と初めて会った日の事から話し始めた。
第一印象だとかいつ好きだと自覚しただとかまで事細かく話す聖に、正直何の羞恥プレイだと思ったのだが、聖の表情は真剣そのものだったので口を挟むことは出来なかった。
「………要点をまとめてみるとだな…」
「○○、顔が紅いですよ?まさか風邪…」
「いや、違うから、大丈夫だから、話を進めさせてくれ」
「…?はい…」
すっかりいつも通りになった聖に比べ、俺は疲労困憊で耳まで茹でだこのようになっていた。
いや、半刻も自分への想いを熱弁されたら多分誰でもこうなると思う。
「俺を命蓮寺に閉じ込めたのは、他の娘に取られると思ったから」
「はい、○○は配達屋なので交友関係が広く、綺麗な女性と仲良くしているのも何度か見かけて、気が触れそうになりました。私は寺の住職ですし、長く封印されていたので、趣味も気も合わないですし、若い娘達の中から○○に選ばれる自信がなく、焦った私は気がついたら魔法を行使していました…すみません」
今しがた聖が説明してくれた通り、そういう事だったらしい。
人から認証されなくなったのもまた然り。
ただ、綺麗な女性と仲良くなんてしていた記憶など無いのだが、聖の目には何かがそう映っていたようである。
「次、俺を閉じ込めてからも態度を変えなかったのは、どうすれば良いか分からなかったから」
「はい、○○とずっと一緒にいられるようにはなりましたが、その…私は、非人道的な方法で無理矢理貴方をこの場所に縛り付けてしまった身ですので、男女の関係になる資格が無いと思いまして…」
やはり聖は根が真面目だったようである。
ただ、そのせいで俺は聖に嫌味を言うようになってしまったので、すれ違ってしまったというか噛み合わなかったというか…少し悔やまれる事だ。
「じゃあ最後に質問、何で閉じ込めてから誰かに相談したりしなかったんだよ」
「罪悪感からどうにかしなければとは思っていたのですが、皆私を腫れ物に触るように扱うので、相談しようにも出来ませんでした…」
「俺は?」
「わ、私が無理矢理閉じ込めた相手に相談なんて出来るはずがないじゃないですか!そんな事を言ったって怒られることが目に見えてますし…」
聖の言う通りだ。
やはり、聖が色々と溜め込んでしまったのは俺や寺の皆の対応が悪かったようである。
それについては本当に申し訳ないと思う。
「○○」
「どうした?…って、なにしてんだ聖」
「その、今回の事…本当に、ごめんなさい」
所謂土下座で、聖は謝ってきた。
俺の中では謝って済んだ事だったのだが、聖の中ではまだ終わっていない事のようだ。
そういう事なら、俺が終わらせてやろう。
「ああ、許すよ。だから顔を上げてくれ」
俺がそう言うと聖は顔を上げたが、その顔は浮かないものだった。
伏し目がちに何かを言おうとしているようだが、なかなか話す素振りを見せない。
「どうしたんだよ」
「…その、○○は、これからも、ここに…命蓮寺にいてくれますか?」
そう言えば、それについてはまだ決着がついていなかった。
おそらく、今なら出してくれと言えばそうしてくれるのだろうが、ここにいてくれるかと言う聖の顔は俺からその選択肢を消した。
「分かった、分かった。いてやるからそんな泣きそうな顔をするな」
「ほ、本当ですか!?」
「この場で嘘なんてつけるか。本当だ」
そう言うと、聖の笑顔は三割増になった。
それは笑顔と言うよりもにやけ顔で、初めて見る
聖のそんな表情に少し笑ってしまう。
「…よし、じゃあ色々わかった所で今日は寝るとしようか。皆には明日話そう」
「あ、あの、○○?」
話を締めようとした所で、聖が遠慮がちに話し掛けてくる。
まだ何か言っておくようなことはあっただろうか。
「どうした聖、お前も泣いて喋って疲れただろう」
「それはそうですが、これだけは決めなければ寝るに寝られません」
どうも重要な事らしいが、俺の頭にはそんな重要な話が残っていたかと疑問符が浮かぶ。
「なんだ?」
「そ、そのですね、私は、○○が好きです、大好きです、愛しています。ですが、○○がどう思っているのかを聞いていないので…明日からの私達の関係は…その、どうなるのかと」
聖はとても不安そうにそう聞いてきた。
今思うと俺は聖の想いに答えていなかった。
なんと答えようかと思ったが、俺はこの短い時間で聖に対する考えが変わってきていた。
もちろん、それは良い意味で…なので、
「あー、その…恋人ということで、ひとつ…」
それを聞いた聖の表情はぱあっと明るくなったが、どこか不満気だった。
そんな微妙な表情の違いが分かったり、それを見て言い直さなくてはと思った辺り、もはや俺の負けである。
「…好きだ、俺の恋人になってくれ」
「はいっ!」
今度こそ聖の表情は満面の笑みになり、そのまま俺に飛び込んできた。
そろそろいい加減眠たくなってきていたのだが、聖は俺を離すまいと背中に腕を回していて逃げられそうにない。
なので、俺は観念して聖の気が済むまでそうしていてやる事にした。
結局、俺に掛けられた魔法が完全に解かれる事はなかった。
しかし、それもかなり緩和されて、白蓮と共にならたまに人里の方まで行くことができるようになったし、参拝客からも認識されるようになり、友人や知り合いとも会えるようになった。
俺が働いていた配達屋の主人には二ヶ月の無断欠勤と退職をこっ酷く叱られたが、それよりも一輪とナズーリンが主人を寺の裏に連れて行き、暫くして帰ってきた主人が元気でやれよと笑顔で言ってきた事の方が恐ろしく、未だに忘れられない。
白蓮の方も寅丸さんに謝り仲直りしたらしく、後日寅丸さんに泣いて感謝された。
俺も寅丸さんに助けられたので二人で手を握り合って感謝し合っていると、それを白蓮に見られて世にも恐ろしい事に発展しかけたりもした。
寅丸さんに限らず、参拝に訪れる人だろうと、俺を訪ねに来た友人だろうと、俺が女性と楽しくしているのを見たくないようで、そういうのを見ればすぐに引き剥がされて裏で泣きつかれる。
ちゃんと話し合ったとはいえ、俺をここに留めた事による罪悪感が無くなり切っていないのか、恋人であるにも関わらず怒るようなことはなく泣いて縋られるのだ。
俺としては白蓮から離れるつもりなどないのだが、それは白蓮自身の問題なので、そういう時は白蓮の気が済むまで傍にいてやることにしている。
あと、寺にいるのだからもちろん酒を飲んだり肉を食べたりが出来ず、そこは少し不満だったのだが、なんだかんだ聖に隠れて寺の皆が飲み食いさせてくれるので、俺のここでの生活は概ね満足出来ている。
「○○、どこにいるのですか?」
「白蓮か?俺ならここだ」
私室で少し前の騒動を思い出しながら茶を啜っていると、白蓮の俺を探す声がしたので返してやる。
すると、ぱたぱたと足音が聞こえすぐに白蓮がやって来た。
「こちらに居たのですね」
「ああ。そっちは休憩か?」
「ええ、まあ」
話をしながら白蓮は俺のすぐ隣に座る。
その意味は知っているが、そ知らぬ顔をする。
「で、どうしたんだ」
「はい。ぎゅーってしてください」
聖が両手広げて抱き締めろと催促してくる。
白蓮が俺の隣に座るということは、つまり抱き締めてほしいという事だ。
知っていた上に毎度の事ながら、俺はため息をつく。
「あのな、白蓮。そういう事は白昼堂々とする事じゃない」
「しかし、誰も見ていませんし、私は我慢出来ません」
「………」
「○○」
「あーもう、分かった。少しだけだぞ」
言うが早いか、白蓮は俺に飛び込んでくる。
毎回駄目だとは言っているのだが、その度に押し切られてしまう。
惚れた弱みとは本当に恐ろしいものだ。
白蓮は、このように時間があれば俺にそんな要求をしてくる。
あまりにも何度も来るので何故かと聞いてみたら、○○が私に触れ、私が○○に触れている事が幸せなんです、と頬を染めて言われてしまった。
そんな事を言われてしまってはあまり強く拒否も出来ず、今に至るということだ。
「白蓮、悪いがそろそろ昼飯の支度をしないといけなくなった」
「それなら仕方ありませんね」
四半刻もそうしていなかったと思うが、白蓮は俺の言葉を聞くと素直に離れた。
抱き締める抱き締めないの問答の時は絶対に引き下がらない白蓮だが、終わりはかなり聞き分けが良いので助かっている。
まあ、聞き分けが良いのも、また次がある事が分かっているからなのだろう。
「それでは、また後で」
「おう」
俺から離れた白蓮はそう言うと上機嫌で戻っていった。
その姿を見送りながら、それはそれほど後にはならないのだろうな、と思う。
そうして一人残された俺は、残っていた茶を飲み干し、その湯呑みを持って庫裏へ食事の支度をしに行くのであった。
最終更新:2015年06月17日 20:28