渡りし「鳥」の止まり木よ

外伝その弐『とある聖獣の渇望』


教師という仕事はストレスが溜まりやすい。
もちろんそれ以外の職業がどうのと比較して議論する訳ではないが、大変な職業なのは間違いない。

子供はぱっと見皆同じに見えるが、中身は千差万別だ。
成績から学習態度、家庭の環境と子供達はそれぞれ事情が異なる。

子供達の成長に対する教師の責任の比重は大きい。
そして、1人1人に対し真面目に対応する熱心な者程、比例してストレスも溜まりやすい。

幻想郷にて人間の里の守護者の務めの傍ら教師を兼任する、上白沢慧音にとってもそれは例外ではない。


里の中に学校は1つしか存在しない。
里の子供達は全員、彼女が開いている寺子屋に通っている。

学ぶ場所が限られているからか、子供達の学習態度は決して悪いものではない。
この事自体は決して悪い事ではない。
しかし、熱心な生徒が多ければ、教師の仕事が楽になるのかとは話が別だ。


教師としての仕事に加え、彼女には里の守護者としての役割が存在する。
それに加え時折やってくる外来人の世話もまた彼女の役目だ。
更には歴史を操る事が出来る故に任される歴史書の編纂の様に、彼女以外に任せられない事も多い。

危険が伴う場合も稀にある。

妖怪狩りが趣味などと愚かな事を言っていた無謀な外来人が花の妖怪に目を付けられた時、
話し合いにて里への被害が無いように調整したのはかなりの綱渡りだった。

上白沢慧音は聖獣と人間のハーフであり、分類上は妖怪だが、人への友好度は非常に高い。他に類を見ない程だ。
今の仕事も自分から申し出たモノであり、好きでやっている為、それを苦に感じることは決して無い。
のだが、やはりその仕事の多さには偶に辟易してしまうのだった。


子供達の無邪気な笑顔や、人々の感謝の言葉、平和な光景。
そして何かと子供っぽい所のあるのでちょくちょく面倒を見ている藤原妹紅という存在。
それらは慧音
にとって日々の仕事疲れを癒すのに欠かせないものだ。


しかし、それも長く時が過ぎると多少思う所が出てくる。
物事は常に変化するからだ。

年月が過ぎると、寺子屋で無邪気に笑っていた少年少女が家庭を築き、産まれた子供を見せに来る。
その子供もまた成長すると家庭を築き、満面の笑みと共に胸を張りながらその愛の結晶を見せにくる。
長い寿命を持つ身でそう言った日々の変化を見るのは嬉しくもあり、同時に寂しくもある。
喜ぶべきなのに、自分だけ取り残されてしまったという気持ちが少しばかり芽生えてしまう。

自分の知る人々の生活が変わっていく。
その姿を見て、慧音は妹紅とは別の類の自分を癒す新しいナニカを次第に求めるようになっていった。


自分の教え子達が、家庭を持った事で見せたあの幸せそうな表情。
かつて幻想郷で1、2を争う危険な妖怪と恐れられていた花の妖怪ですら、
特定の相手が出来てからは、恋する乙女と言った体で甲斐甲斐しく彼を世話していると聞く。

そういった周囲の様々な変化は皆、決して自分1人のみによって起きたモノではない。
必ずその傍らに誰かが、異性が寄り添っている。


彼らと自分の様子を見比べて、自分の心が羨望と寂寥感で満ちようとしていると自覚する。、
特別な存在、自分にとって掛替えの無い大切な存在、上白沢慧音は今の自分に無いモノを求める様になっていた。


そんな折、慧音は○○という外来人と出会う。
外で教師をやっていたという彼は、里の教師が1人という事情を知ると、
是非とも手伝いをさせてくれと申し出た。

この出会いが、慧音の日々を変えていく。

-了-

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最終更新:2015年06月17日 22:47