○○は薄暗い森の中で立ちすくむ、そう言う風に表現する他は無かった。
その日その時の○○は、目の前の惨状を目の前にして。そして、その惨状がかもし出している臭い、もっと言えば腐臭に対して……○○は絶句する他は無かった。

だが、○○が絶句して立ち尽くす材料と言う奴は。それだけでは無かった……ある意味では最後に残った、こいつが、○○を絶句させて立ち尽くさせる最大の材料、根幹の部分なのだ。
それは、この惨状と腐臭を作り出した。八雲藍の式である、橙が。主人である八雲藍、そして主人の主人である八雲紫を前にしても。
それら、自らよりも遥かに上位の存在を前にしても。憮然として、前を見据えて立っていたからである。

○○の場合は、立っているだけで実のところは何も見ていない。
橙の場合は、確固たる意志で八雲藍と八雲紫の前に立ちはだかっていた。

「なぁ、橙」
「これが、悪いんです」
しばらくの間、目線を左右に散らしながら八雲藍は辺りの惨状を確認していた。そして意を決したように、自らの式である橙に何事かを聞こうとしたが。
「私は悪くありません。自信を持って、そう断言できます」
万事がこの調子であった。主を前にしても自らの主張を表に立たせる事が出来るのは……素直に成長と思いたかったが。
しかしながら、眼を閉じていても誰の鼻先にも突き刺さる。この腐臭のせいで、今の橙は成長したのではなくて酷く我を忘れている……そう言う風にしか捉える事が出来なかった。

「これ……ねぇ?」
割と自分の式を甘やかす気のある八雲藍に代わって。今度は橙にとっては主人の主人である、八雲紫が声を出した。
「確かに……余りこういう表現は使いたくないけど。こんな細切れになっちゃったら、腐臭のする変な物、“これ”と言う表現しか使えないわね」
しかし○○に取って残念なのは、八雲紫の声色。それが非難めいた物では一切無かった事である。
興味が無い、ならばまだよかった。橙伝いやそれ以外の又聞きとは言え、○○も八雲紫が癖のある性格をしているのはそこそこ知っていた。
だがその前知識を使ったとしても、今のこの声色から察せられる感情と言う奴は……
「取りあえず、“これ”がこんな風になっちゃう前の名前とかわかる?橙」
あらこの子ったら、結構やるじゃない。と言った、むしろ誇らしいような感情すら嗅ぎ取る事が出来る……どちらにせよ、深刻そうな色と言うのは何も見えてこなかった。


「うっひゃあ……話に聞いていた以上に派手にやったなぁ。それ以上に、酷い臭いだ」
「香霖堂に寄ってビニール袋や手袋、それにマスクなんかをかき集めてよかった」
橙から動機と言う奴を聞き取る前に、男性が二人この現場にやってきた。
1人は八雲藍が来ている物に似通った服を、もう1名は男が着るにはちと少女趣味を想起させるような紫を基調にした服。

「とりあえず、手で掴めるような大きいのは全部回収しよう」
「それは良いが、飛び散った液体……って言って良いのか?それはどうする」
「これが家屋の中だったら……解体して焼き払ってしまうんだが。実際問題、それが一番楽だから」
「おえ……なんだこいつ……マスク越しにも腐臭が突き刺さる」
「あ……気持ちの悪い話になりますけど。今貴方が持ってるの、臀部……お尻の方の肉だから…………」
「おええ!?だから特に臭いのか!」
八雲藍の様な導師服の男も、八雲紫の様な紫色の服を着た男も。
どちらもが軽めの口調で、周りの惨状と臭いに気おされずに手袋やマスクを装着して、やっぱり軽いままの口調で辺りに散らばった“モノ”を掃除して行った。

「前々から“コレ”には、はっきりと言っていたんです。迷惑だと。それでも、何が目的なのかは知らないけど、ずっと。だから今日、遂にやるしかなくなったんです」
「――おまけにコレの奴、どうやら○○さんの事を見下していたんです」
「もしかしたらそうなんじゃと言う疑惑は、ずっと持っていました。でも今日、遂に口を滑らしましたよ。だったらもう、やるしかないじゃないですか」

声高にと言う訳では無いが、しかしながら橙は力強く。自らの行為を正当化どころか、○○の身を守るためだと言い切った。
その橙の声色からは、○○の身を守る為と言う部分については。決して恩着せがましい何かと言うのは感じ取る事が難しかったが……
しかしだ、橙が心底親身に○○の事を考えて今回の凶行を起こしたことを前提にするとしてもだ。
この凶行の原因が、実は○○の側にも、しかもそれなり以上の比率を持っている。そんな事を仲良くしている橙の口から暴露されれば。
“今はまだ”身も心も全ての部分で、ただの人間でしかない○○にとっては。意図せざるとは言え、自分が今回の事の原因と知れば、顔面の1つや2つは蒼白となってしまう物である。

「大丈夫!大丈夫だから!!」
蒼白となった○○の顔面を見て、急いで彼の下に駆け寄ったが。
しかしながら、猫又なうえに九尾の狐の式として働く橙は。人間とは明らかに違うのである。
この場合は肉体的な強さだとかそう言った部分では無い、内面の部分に置いての話である。
「大丈夫よ!これあけやれば、例え相手が永遠亭だろうと、もう絶対に復活なんてしないから!!」
「当然よ!コレは、何を考えているのか知らないし知りたくも無いけど、○○の事を随分見下していたわ!こうなってしまうのは当然、自業自得よ!!」
「ああ、でも……嫌な気分にはさせたわね、ごめんなさい。こんな奴の事、○○に知られずに始末したかったんだけど……ちょっと、やり過ぎてしまって」

橙と○○の間には、大きな大きなズレが。思考のすれ違いと言う物が存在していたが。
幸か不幸か、橙はその事にまるで気づく余地が無い。
○○は視線を右往左往させながら。橙の主人である八雲藍、その更に主人の八雲紫。
腐臭のする肉片を軽い調子で片づけている2人の男にまでも目をやったが。
全員が、○○とは殆ど目を合わせてくれなかった。藍と紫は橙の方向にすぐ戻ってしまったし。
2人の男は……“今の”○○には何故だか分からなかったが、この2人の男に至っては少し以上に厳しい、非難と思わしき目を向けた。

しかし、この非難と思わしき目線。それに対して○○が確信を持ちきる前に、2人の男はまた軽い調子で掃除に戻った。

「何となく、事情は飲みこめたよ。そうか、よくやったな橙」
そして間の悪い事に。八雲藍は今回の橙がやらかした事について処分を下さない所か、よくやった等と言って褒めだした。
○○は絶句しながら藍の方を見たが、一瞥されただけでその視線は橙の方向に戻った。
むしろ一瞥だけでもしただけ、まだよかった方ですらあったかもしれなかった。

「……実はね、橙には1つだけ謝らなきゃならない事があるのよ」
場面を見計らった様な調子で、八雲紫は声を出して、慣れた調子で彼女独特の能力であるスキマを展開した。
「紫、調査書ならいつも使ってる机の上に置きっぱなしにしてるから」
「分かったわ」
この、八雲紫がスキマを開くのを見ただけで。紫色の服を着ている男は、八雲紫が何を考えているのか理解していた。
そして男の言葉があったからなのか、八雲紫がスキマの中に手を入れて何かを探すと言った風な様子は。たったの数秒で終わってしまった。
「里にいる慧音から、妙な野郎が橙に限らず色々と……って報告を受けたから。あの人にも手伝ってもらって、少し調べてたの」
そして八雲紫は、一冊の帳面を取り出した。

「お前、そんな事してたのか」
「ああ、すまん。紫があまり大事にしたくないと言ったから」
「まぁ、そっちにはそっちの都合があるか……良いよ、別に。むしろお疲れ様だな」
奥の方では2人の男が何か会話を繰り広げていたが。どちらも仲が良いらしく、随分少ない言葉でお互いの事を分かりあっていた。


「橙だけじゃないわね……藍にも謝らなくちゃ。あまり大事にしたくなかったし、こっそり始末出来るならそれが一番だから。もちろん、事後とは言え報告はするつもりだったわよ」
そう言いながら紫は藍に対して、持っていた帳面のある箇所を開いて手渡した。

「……なるほど、こいつは色々と拗らせてたようですね」
「ええそうなの。才能はあったかもしれないけど、なまじ才能がある分、カサに来てたようなの。下手くそなやり方でお金も巻き上げる様に稼いでたみたい」
「ああ……酷いな。解決所か、下手に刺激して余計に酷くした事例ばかりだ」

帳面を読み進める藍は、急速に紫の言いたい事を理解して行っていた。
その頃には辺りに散らばった、腐臭の原因である赤黒い欠片たちも。2人の男たちの手によって殆ど片付けられてしまった。
まだ腐臭は残っているが、大元の原因が取り除かれた以上、そう長くは続かない。今この時でさえ、徐々に薄くなっていた。

「橙を踏み台にしようと考えていたようだな……見かけだけで私達妖怪を判断するとは、それ以上に橙を踏みにじろうとしたこいつの考えが許せん」
報告書を読み進めるごとに、藍は体が小刻みに震えだした。
「はーい、もう大体わかったでしょ。これ以上は体に毒よ?大体、その原因さんはもう橙が細切れにしちゃったでしょ?」
藍の声にどす黒い物が掛かり始めた所で、紫は帳面を藍の手から取り上げた。
「もうこの問題は解決したの、細切れの後始末も私達の恋人が殆ど終わらせたでしょ?」

「……そうでしたね」
紫に事実を指摘されて、少し以上に頭が冷めたのか。藍は顔をゴシゴシとこすりながら、ウンウンと言った風に頭を何度も上下させていた。
「そうだな……うん、二回目にはなってしまうが橙、よくやった。随分とんでもない奴だったんだな」
心の底から、藍は橙の事を褒めた。そんな言葉を貰えば、橙の顔は大きく弾けた花火の様に輝かしい物になる。

「はい!ありがとうございます、藍様!!」
「こっちはもう……ああ、大分終わったな」
橙の喜ぶ顔を見ながら藍は穏やかに微笑み、そして導師服を着させた恋人の方に目をやった。
「こっちはもう殆ど終わり、このゴミ袋を人様の迷惑にならない場所に捨てたら後始末も完了かな?」
導師服を着させた恋人も、穏やかな声と表情で藍に向いた。

「……そうだ、○○さん」
だが、○○の方に向いた時。穏やかそうな表情も声もそのままであるが、言葉と言葉の間に明らかに何かが存在していた。
「どうか、仲良くやって行ってくださいね」
「……橙ちゃんとか?」
「よかった、解ってたんですね。さっきから黙ってたから、ちょっと心配だったんです」
藍から導師服を着させられた男は、明らかに皮肉を○○に投げつけていた。
蒼白となった表情と頭でも、それが解った。紫色の服を着た男は、険しそうな表情でゴミ袋の口を結んでいた。

明らかにおかしな空気である。
しかし藍は、皮肉を投げつけている恋人を止めなかった。
藍の主人である紫も、なんらこの空気に苦言を呈さなかった。

「ううん!お2人とも、それに藍様に紫様も!!気にして下さってありがとうございます!私は○○が大丈夫なら、それで私も大丈夫ですから!!」
橙は何かを察したようで、慌てて○○と紫や藍、それらの恋人たちである4名の間に割って入った。
「じゃあ、行こう!○○!」
ヤバそうな空気と言う物から逃げたいからなのか、橙はまだ蒼白なままの○○の腕を引っ張って、何処かに行ってしまった。



「……褒めてあげればいいのに。橙の事、あの○○とかいう男は」
橙が○○を連れて行ってしまって、いくらかの時間が経った時。八雲紫がボソリと呟いた。
「全くだ、甲斐性が無いとはあの事だな」次いで紫色の服を着た男が、その顔は先ほどよりも険しかった。
「月並みな言葉だけどあの子が、橙がかわいそうですよね。折角頑張ったのに、○○の奴、何もなしだなんて」導師服を着せられた男も、堰を切ったように。
「何、いずれ解らせるさ。あの子が、橙がどれだけ正しい事をしたのかって部分をな」
こうなってしまうともう、誰にも止める事は出来なかった。そもそも4名が4名とも、火の勢いを煽る方に回っている。
最後に藍が不穏な言葉を残して、その不穏さを藍以外の3名も同調して……この場はお開きとなった。

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最終更新:2015年06月19日 22:43