「○○ー!」

台所の方からそんな嬉しそうな声とパタパタという足音が聞こえて来たので、俺は団扇を扇ぐ手を止め寝転がっていた体勢から起き上がり事に備えて構える。
するとすぐに襖を勢いよく開けて満面の笑みの藍が俺に飛びついてきたので、体を反らしてぎりぎりの所でそれを躱した。

「なぜだ…なぜ、私を拒むんだ○○」

避けられた藍は勢い余って床に倒れ込み、それまでの笑顔が消え信じられないという表情でそんな事を言ってきた。
しかし、俺も意味なく藍を悲しませるためにそうした訳ではなく、ちゃんとした理由あるのだ。

「あのな藍、梅雨の蒸し暑い時期にべたべた抱きついて来る奴がいたら普通拒むだろ。ていうかお前の場合その九本もあるモッフモフの尻尾で包んでくるから余計暑いんだよ」

寝転がっていた時と同様に汗をかきつつ団扇を扇ぎながらそう返す。
そう、暑いのだ。
梅雨だというのに中途半端な降水量のせいで、湿度と温度が上がるだけという非常に過ごしにくい環境が作り出されている。
ゆえに夜だというのにまるで気温は下がらず、俺は暑さを凌ぐために腕を必死に上下させるというほぼ無駄な徒労にさえ手を出してしまっている。
そうでもなければ恋人のスキンシップを無碍にしたりはしない。

「………」

そんな俺の言葉に藍は押し黙ってしまっていた。
普段なら食い下がって来るのだが、妖怪である彼女の身体的な特徴を嫌がってしまったせいだろうか。
少し言いすぎたかと思い、謝ってやろうと思った所で藍が口を開く。

「じゃあ…尻尾を切り落とせばいいか?」

「なんでお前はそう極端なんだよ!」

言いすぎたなどと考えた俺が馬鹿であった。
まさかの珍回答に思わず謝罪の言葉が突っ込みに変わる。
藍は普段は非常に頭の良い奴なのだが、俺が絡むとその知能ががくんと下がるようである。
前に『紫さんに仕えているならあんまり会えないな』と冗談で言った時は、本気で紫さんの暗殺を試みようとしてそれは大変だった。
そんなこともあり、それ以来つまらない冗談を言わないよう心がけていたのだが、まさかこんな事でもその発作が出るとは思わなかった。

「○○、私はお前と抱き合うためなら尻尾の有無など意に介さないぞ」

「そこは介せよ九尾の狐!お前の愛は重すぎるんだよ!」

「ふふ、そう褒めるな。まだまだ私の愛はこんなものではないぞ」

「褒めてないしこれ以上があるとか勘弁しろ!」

俺関連の話の時は頭の螺子が全部吹き飛んでいるんじゃないかと真剣に思う。
まるで突っ込みが追いつかない。
まあ、それが全て俺を想っての事であり、こんな美人が真剣に言っているのだから悪い気はしないのだけど。

「あー、なんだ、藍。そうじゃなくて…なんかこう、妖術か何かで涼しくしたりは出来ないのか?暑くなけりゃ別にお前の事を避けたりはしないぞ」

本当に尻尾を切り落とされても困るので代わりの案を出してみると、藍は顔を輝かせた。

「そ、そうなのか!?あるぞ○○、この一室に結界を張れば結界内の温度など自由自在だ!」

じゃあもっと前から提案しろよ、とはもはや言う気にもならなかった。
疲れた顔でそれじゃよろしく、と言うと藍は嬉々としてその結界とやらを張る準備を始めた。
少し時間がかかるとの事なので、俺は縁側の方へと移動し、そこで藍の作業を横目に団扇を扇ぎ始めることにした。

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最終更新:2015年10月06日 11:52