いつもと変わらない、筈の事故であった
轢いてしまったのは一匹の猫。柵の隙間から入り込んでしまったようだ
勿論自分も気をつけていた。制限速度は守っていたし信号もちゃんと見ていた
轢いてしまう直前には警笛を鳴らして警戒した
なのに、なのに、起こしてしまった
指令に連絡し引いてしまった猫を確認しに行く。だが猫の姿はなかった
念のため床下を見るがなんら問題はない
おかしい。自分は確かに一匹の猫を轢いた筈なのに、その跡が見当たらない
これ以上は無駄と考え運転に戻った
猫などの動物を轢いてしまうことはよくある
だから今回も後処理をして直ぐに忘れるつもりでいた
しかし、どうやっても忘れられず頭にこびりついていた
あの猫が、轢く直前のあの表情がどうしても忘れられないでいた
まるで、自ら轢かれるのを待っていたかのような表情が
その後乗務を足早に交代し早退した
酒に溺れてでもあの表情を忘れたかったからだ
結局、酒でも忘れることができずただ気分をより悪くしただけだった
吐き気をぐっと堪え、家に入る
敷きっぱなしの布団にそのまま倒れた
まだ頭にこびりつく
あの猫が、あの表情が
あの目が
暫く猫にうなされながら眠っていると音がした
布団の上の窓からだ
どうせ鳥か何かだと思い、頭を上げると
猫がいた。あの時轢いた猫がいた
「あ、ああああ……!!」
声にならなかった
自分が轢いた猫が、今まさにあの表情でこちらを見ていたのだ
逃げたしたくなり、後ずさる
すると誰かに後ろから抱きしめられた
「ようやく、貴方に認められたね」
声から察するに少女だ
どこから入ってきたのかは考えている暇はない
「ねぇこの傷は、貴方がつけたんだよね?ということは私と一緒にいてくれるんだよね?」
恐る恐る振り返る
少女の腹には大きく、赤い傷があった
傷はよく見ると電車の車輪の形をしていた
「俺は……知らないぞ、そんなの!第一、誰なんだ君は……!!」
「誰かだって?酷いなぁ今日会ったじゃない」
クスクスと笑う彼女
「ま、まさか」
「その通り、そのまさか」
少女の目つきはあの時の猫のように鋭く澱んでーー
「猫はね、気に入った雄には自分を殺してもらうの。霊や妖怪になって雄にまとわりつく為にね」
「これからずっーーーと、一緒だよ貴方」
少女の舌が自分の頬を舐める
窓から視線がなくなったと思うと、猫は既にいなくなっていた
翌朝か、翌日か
自分は猫を轢き猫に魅入られた
そういう認識で間違いないのだろう
何より布団の隣で眠る彼女がそう物語っている
しかしここは自分の家ではなかった
何処かの立派な屋敷のようで、昔にタイムスリップしたかのような場所であった
少女を起こさぬようそっと布団を抜け出し、部屋を出た
部屋の外はほぼ真っ暗であった
空に点々と輝く星と蛍が辛うじて灯となっていた
廊下を歩き、他の部屋を確認していく
何処も同じ作りで迷っているのかと錯覚してしまう
暫く歩き続けると目の前に少女がいた
自分の横で寝ていたのとは違うが、彼女と同じく、
猫、猫であった
「う、うああああ……ああああ」
視界が歪む、足がふらつく、手が震えだす
まただ、またあの表情だ
鋭く澱み、こちらを逃がさないと睨むあの表情
少女が近づく
今のままではまともに逃げることはできず呆気なく捕まる
彼女もまた、抱きしめてきた
「おにーさん、本当に轢いちゃったのは私だよね」
訳がわからない
「おにーさんが轢いた猫は私だよ。あの娘じゃなくて私。だから私が一緒にいなくちゃいけないんだよ」
彼女もまた化けて出てきたということだろうか
しかし、自分が轢いてしまった覚えがあるのは一匹で二匹ではない
すると後ろから足音が聞こえた
「何やってるの……貴方?」
布団の少女だ
「何って『おにーさんは私のものだよ』
自分が答えるより先に彼女が答えた
「おにーさんは私を轢いたって認めたからね。私が一緒にいることになったのさ」
「何言ってるのよ。轢かれたのは私よ。だから私がずっと一緒なのよ」
すると少女は後ろに抱きついた
前後に抱きつかれ、倒れたくても倒れられない
彼女達が何か言い争っている
逃げ出そうにも彼女達の力は強く、逃げ出せない
「ねぇ」「おにーさんは」
「「どっちを選ぶの?」」
更に締め付けられ益々逃げ出せない
終いには先程よりも澱んだ目で見てきた
重い沈黙が続く
目線を逸らそうとも逸らすことができない
「……俺は、轢いてない」
沈黙に耐え切れず声を溢す
最早責任転嫁であったがそんなことはどうでもいい
「俺は轢いていない。確かに猫は轢いてしまったが君たちのような少女を俺は轢いてない!」
ーだから帰してくれ、と続けようとした口が塞がれる
口付けされていた
「ぷはぁ、いきなりそんなこと言うのは卑怯じゃないかいおにーさん」
「そうよ貴方。轢いた猫は私達だってどうして分かってくれないの?」
「そ、そんなこといったって……」
言い訳しか出てこない自分の口を尻目に彼女達は顔を合わせる
「どうやら、おにーさんには少し"お勉強"してもらわないといけないね」
「そうみたいね。まだちゃんと私達のことを理解できていないみたいだしね」
「じゃ、お勉強が終わってから」
「どっちを選ぶのかを聞こうか」
それまでは休戦ね、という声とともに自分は引きずられていく
声はもう出なかった
ただ無気力に顔を上げると今度は違う、それでもあの怪しい光の目つきで二人は自分を見ていた
ー殺さないし、殺させない。私を選ぶまで
そう言ってるかのように思えた
最終更新:2015年10月08日 23:28