慣れた事だ。
俺は退治屋。
頼まれれば何だって殺して来たし、
今回もそれは変わらない。
対象は妖怪で、ここしばらくは異能の者からの攻撃ばかり受けて来ている。
だからまず、協力者に弾幕での攻撃を仕掛けてもらった。
協力者にはわざと負けて逃げてもらい、狙うはその直後に出来る隙だ。
気配を消す訓練はし直した。
短刀も巫女の力を付与されてる。
奴は人外に向けての、異能の戦い前提の道具ばかりだ。
挑みかかった者も、同じく異能の者。故に道具の力の前に敗れたとの事。
ならば、物理はどうだ?
一か八かだが、そこで俺にお鉢が回って来た。
神経を研ぎ澄ませろ。
後ろから首に腕を絡めて、一気に急所を刺す……!
………今だ!
「がはっ…………!?」
決まった!
個人的にも、こいつのやり口は気に喰わなかったんだ……このままくたばれ、鬼人正邪……!
「ぐ……い、痛いじゃないか……やるな人間……。」
「今際の際までその態度か?腹の底まで天邪鬼だな。」
「ふふ……良い、良いぞ、お前の嫌悪と殺意をひしひしと感じる……。
抱きしめられながら…感じる殺意とは………極上なものなのだな……惚れて…しまいそう…だ……。」
いかれてやがる。
上気した奴の頬に寒気を覚えた俺は、すぐに心臓から短刀を抜き出した。
胸から滝の様に流れる血と、大量に吐き出された血。
巫女の力で傷は塞がらず、奴が死ぬ事は間違いなかった。
もう一つ、今度は長刀を取り出す。
これで終わりだ。
「何か言い残す事は?」
「ふふ……なあ…私を殺す事で、お前は気が晴れるか?」
「生憎だが、個人的にもお前の事は嫌いでね。心底スカッとする。」
「そうか……ふふ……。
…………あはははははははは!!!!」
その声は、正気を打ち砕くような笑いだった。
たまらず抜刀し、それはそのまま奴の首を撥ねる。
切断された首は、まるで意思を持つかの様に俺の元へと飛び。
そして、唇を重ねてきた。
“また、会うだろうな”
下卑た笑みを浮かべながら、奴の口は、そう声にならない言葉を紡いで俺の足元に転がり落ちた。
……終わった。
任務を終えた事への安堵はない。
あったのは、ただ奴に奪われた唇への不快感だけだった。
転がる頭部は尚も下卑た笑みを浮かべ、見開かれた目もまた、目尻を垂れたままだった。
……気持ち悪い。
しかし、亡骸を八雲紫に渡さねばならない。
頭を風呂敷に包み、身体は背負って雨の中を歩く。
背中に当たる胸の感触、なめらかな肌、まだ残る体温。
否応無く女である事を意識させるそれらも、それが死体、それも奴のものである以上、俺にとっては不快なものでしかなかった。
死体を八雲へと引き渡し、ようやく安堵を得たのはその直後だった。
褒賞の話など後で良い、とにかく風呂に入りたかった。
その日、俺はいつもよりずっと長風呂をした。
しかし染み付いた嫌悪感と感触は、ふとした瞬間に蘇り。
その度に立つ鳥肌に、肌を剥がしたくなるような、かぶれにも似た不愉快さを感じていた。
多くの退治をこなしてきたが、こんな事は初めてだった。
それからしばらくは、いつもの日常が続いた。
その後褒賞だけ受け取り、英雄としての名誉は辞退した。
英雄として崇められれば、その度殺した者の名も出る。
俺の名と鬼人正邪の名が、同時に人々の口から聞こえるのは不愉快でしかなかった。
故に、そんな名誉は不要だった。
頼まれれば殺す。
そこに何も不快感は無いし、後悔も無い。
それはその後舞い込む仕事に対しても、何も変わらなかった。
ただ、時折思い出す。
奴を殺した時の、例えようの無い不快感を。
神経を逆撫でる声色を。
下卑た笑みを。
首を斬られる時の、儚げな微笑みを。
アレはそう……命乞いではなく、恋をした女のような、寂しさをこらえているような……。
………いや、何を考えている?
殺した奴らの顔なんて、半月もすれば俺はまともに思い出せない。
何故あいつだけ妙に思い出す?
……後悔?
違う!不快感が抜けないだけだ。
そうだ……新しい依頼があった。
いつもより、激しく斬ってしまおうか。
斬って斬って斬りまくれば、やがて死体の記憶の山で、あいつの姿なんて追いやられる。
ああ、痒いな。
ぞわぞわと立つ鳥肌が。
“もうすぐだ……待っていろ………”
結論から言えば、血を重ねれば重ねるほど、あいつの影は濃くなって行った。
頭の中が真っ赤になりそうな視界の中でも、真っ赤に染まった立体として、正邪の顔が浮かぶ。
あの時の、儚げな微笑みが。
何故俺は斬った?
助けを求めるような、孤独に震えるような微笑みを前に、何故俺は刀を振るった?
しかしそう考える程、同時に吐き気を催す程の嫌悪感にも襲われる。
悔恨と不快感。
気付けば正邪に関する事を、四六時中考えては鬱屈していた。
食欲が無い。眠れない。
あいつの感触が肌を巡っては、皮ごと剥がしたくなる程の不快感が巡る。
四六時中体調が優れない。
仕事も暫し休業し、俺は床に伏せるようになった。
心臓を刺す為に抱き寄せた感触が、ひどく生々しく蘇る。
乾きにも似た憧憬が、吐き気を催す程の嫌悪が、同時に心臓を締め付けていた。
………死ぬのかもしれないな、このまま。
そして数日が過ぎた。
繰り返される幻影に衰弱した俺の体は、気付けば随分と痩せ衰えていた。
今も幾度となく、正邪の顔がちらつく。
その度に軋む体の痛みですら、何処か遠くに感じる程慣れてしまった。
ほら、今もまた……。
「待たせたな、人間。」
幻影では、なかった。
何故だ!?何故生きて……いや、違う……。
「ふふ……私は確かに死んだよ……罪人の魂として、幽閉される所だった。
ほら、脚がないだろう?簡単な事だ、脱獄してきたのさ。」
あの下卑た笑みを、さらに恍惚に染めながら。正邪は俺の上へと重なってきた。
感触は無い。
しかし、確かに抱き締められる感覚があった。
肉体をすり抜け、俺の魂そのものに触れる形で。
そして息をさせぬような、深い口付けを交わしてきた。
「殺される時に、初めてお前の姿を見たんだよ……一目惚れだった…。
でもあの時、私はもう助からなかったからな。だからひっくり返したのさ。
“私を殺したと言う達成感”をな。
随分と後悔して、そして余計に嫌ってくれていたみたいじゃないか……そんなに痩せるまで。
嬉しいよ…私の事ばかり考えてくれて……。」
ずるずると、意識が引きずり出されるのを感じる。
ひどく不快で、吐き気すら感じる嫌悪。
そして、植え付けられた後悔からくる安堵が俺を襲った。
やめろ………やめろ!!
「ふふふ……良い…良いぞ…ぞくぞくする!
達成感以外は、何も弄ってないんだよ……お前の腹の底からの嫌悪は、実に私を焦がれさせる!
私の生涯も野望も、お前がめちゃくちゃにしたんだ!
なのにこんなに恋焦がれるなんてなぁ………なぁ、責任取ってくれるよな!?」
「やめろ………お前なんか大嫌いだ!消えろ!」
「あはははははは!!!私は好きだぞ?
お前は取り殺されて死ぬんだ……永遠に、お前の魂は私のものなんだよ……。
もっと憎め!もっと悔やめ!
私の事以外何も見るな!何も考えるな!
……私だけで、お前を埋め尽くしてやるよ。
さあ……イッショニイコウ?」
「ああ……あああああああああ!!!!!」
数日後。
異臭に気付いた近所の者が訪ねた折、死後数日を経た彼の遺体が発見された。
布団に横たわってこそいたが、もがくように腕は硬直し、その顔は苦悶と恐怖を浮かべていたと言う。
彼岸の船頭によれば、それと思しき魂を渡した記憶は無いと言う。
そして地獄の牢から脱獄した、とある凶悪な妖怪の魂も。
今もまだ、見つかっていないとの事だ。
最終更新:2015年10月08日 23:38