寅丸星は所謂、デキル女である。
寺を預かるものとして、偶像足るべく存在として、組織の運営たる長としてもデキル女だった。
運営の実権は勿論彼女も愛する聖白蓮であるが、屋台骨は星なくして成り立たない。
理想、情熱、引き付ける力、受け止める力は白蓮そのひとのもつタレントであるのは間違いないが、維持ということにかけては彼女をおいては成り立たない。
それは、財をもたらす宝塔を使いこなす力であったり、毘沙門天という御題目であったりもするが、しかしそれとは別にひとに「支えたい」と思わせる魅力が彼女にはあった。
それは、完璧な存在にはもつこと叶わぬ素養だ。
彼女、寅丸星は確かにデキル女ではあったが、失敗も多かった。
一言で言えば、うっかりした女でもあったのだ。
やれば出来る力を誰しも認めながら、回りの存在に「しかし自分の助けも必要」と思わせる絶妙のバランス。
それは聖白蓮のカリスマとは別種のカリスマ。
より稀有な才能であった。
誰しも、星を、この優しい寅柄の毘沙門天(代理)を愛した。

が、それが彼女を蝕んでいった。

彼女は、贅沢な話と思われるだろうが、愛されることに慣れてしまっていた。
だから、それが素直に受け入れられなかった。
彼女が目指したのは白蓮のような強い存在。
間違わない。
決してうっかりなんかしない、決然たる姿。
膝を汚し、四つん這いになり、涙目で「なんでこんなことに」なんて泣きながら失せ物を探す……
こんな惨めにならない。
迷惑を掛けない。
こんな、皆に、しようがないなぁ、なんて苦笑いさせない。
なんて、ダメな、女……わたしは……

「星はよくやってくれてくれていますよ」

聖、それはどういった意味で……?
星は頬の肉を噛んだ。
初動は怒りで。そして、はっと気付くと悔恨でより深く歯を軋ませた。
聖が、聖そんな「嫌味な」ことを言う訳がない。
私の考えたような、嫌らしい、傷付けるような酷いとこを……例え、私のようなどうしようもない粗忽者にすらそんなマネはしないんだ! それを……私は ……っ……

星は、白蓮になりたかった。

うっかりなんてしない。
毅然として、一人でも強くあれて。
大勢を引き寄せる。
それでも決して揺るがない。
そんな存在に……
そんな。
そんな聖だから、○○にも愛されるんだろうなぁ……
いいなぁ……
羨ましい。
○○は私にも優しいです。
痛いところには決して触りませんし、それでも見える範囲にいてくれて、私を案じてくれて、でも、見ないで欲しい時には一人にしてくれる……
優しいですよ。優しいです。


でも聖のとは違うんです!!!

分かりますよ……分かっちゃいますよ。
馬鹿じゃないんです。だから、○○が聖を見る熱と余裕の無さは私にも、皆にも、伝わってきました。嫌でも。
きっと遠くない未来、二人は結ばれるのでしょうね……
これ以上ない、似合いの夫婦となるでしょう。
聖は○○という伴侶をえたことにより、更なる強さを得て、理想を邁進するでしょう。
○○も、その愛情をいかんなく与え、分かち合い、聖を支えるでしょう。
私は祝福するでしょう。
そうするしかないです。
だって。
私がよしんば、この情けない姿で恋すがったとして、それが万が一受け入れられたとして、それは違うでしょう。
きっと、○○は本当の幸せになれない。きっと、私はそれでもより醜く○○を縛り付ける。すがり付く。
我慢しないと……駄目。
私のようなものが、二人の輝くような目映い未来を邪魔してはいけない。
そう、それでいいんだ。
それで。
私はフラレた訳じゃない。
○○も私を捨てたわけでもない。
勝手に私が秘するだけの話なんだ。

だから、その証に。


「……もし……もしも、貴方が傷付き、膝を付きそうになったときにはきっと私が支えようって
貴方の痛みを、誰よりも癒そう。それがたとえ、貴方の目に留まらなくとも。
……ふふ、そう思ってたんですよ?」

星は眠る○○の頬を撫で、そう回想の筆を置いた。
今や、○○を誰よりも包むことを○○自身に認められた女の、独白であった。
○○の頬を撫でた指をそっと頤(おとがい)から鎖骨、胸板、腹をへて自らへと繋がるところへと辿る。

「愛してます。○○」

寅丸星は
今はもう、聖が羨ましくなんてない。


「聖、もし良かったらですが、今日の説法は私もご一緒しましょうか?」

そう○○が切り出すと、聖の瞳孔がまるで猫如くすぼまった。
無言でキィ……っと○○へと首を巡らす。
それから数瞬の間、一同に会した面々は箸を動かすことも出来ず、ただ膳を前に朝日を浴びる他なかった。
ここ最近、聖白蓮の意識はときに曖昧であった。
誰も居ない場所で「誰か」と会話していたり、逆に皆の前でも誰も見ていなかったり。
これを、寺の面々は心配しながらも、一種近寄りがたい雰囲気を怖れていた。

「はい、喜んで。宜しくお願いしますね」

聖白蓮は微笑んだ。
ここまでの間に彼女の中で如何なる修正が行われたのか、知るものは居ない。
聖の妄想のなかに生きる○○と、現実の○○との差違を重ね擦り合わせ、同一のものへと変える。
自覚的に行っていた筈の幻の○○と自身の生活。それが白蓮の認識を侵していったのはいつだったか……
微睡むようななかで過ごす○○との世界は、常に優しく、甲斐甲斐しく寄り添い、聖白蓮を忘我へと誘った。
今回もまた、妄想の○○は白蓮に気遣い、明るく笑みを浮かべると現実の○○に重なり面影を一つとした。
かち、と箸を進めお新香を摘まむと、白蓮は艶やかな唇へと含んだ。

「ふふ美味しいですね」

そう呟いた。
それを合図にしたかのように、葛切りのように凝固した空気はほどけた。
○○と寅丸の関係を知る一輪が一瞬、なんと声をかけたものか悩んだ。

「頑張って下さいね」

結局そう声を掛けたのは他でもない、寅丸星である。
それが誰へと向けた言葉であったのか、知るものは彼女しかいない。しかし星は笑顔であり、頑張ってきますと応えたのは○○のみであった。

聖白蓮が何故このような曖昧な精神状態に至ったのか、○○には知る由も無い。
だが、それでも嘗て愛した女が異常な状態に陥っているのは知っていた。
何か悩みでもあるのだろう、そう思い全くの善意で同行を申し出たのは誰の目にも明らかだった。
しかし、それを分かっていても不満に思う者がいた。

「……まあ、いいんだけどね。何か約束とかしてたわけじゃないしさ……」

村紗水蜜は、朝食後の膳を清める○○の背中へと寄り掛かりながら唇を尖らせた。
慣れたものなのか、村紗を背中に受けながらも○○の手は淀みない。
まあそう拗ねるなよとあやす○○に、別に全然拗ねてないけど……と、村紗は分かりやすく拗ねて見せた。
勿論わざとである。
ーー日々着々と膨らむ村紗の想い。
自分を知って欲しい。自分の心の在り方を、自分よりも知っていて欲しい。
体を知って欲しい。今、預けた背中から伝わる熱を自分がどんな風に感じているのか知って欲しい。
育まれる自分移り変わりを、すぐ近くで見ていて欲しい。
手をとり、身を寄せて欲しい。
最早はっきりと、村紗水蜜は自分が恋をしていることを自覚していた。
寅丸星と○○の関係を知る彼女は○○を奪おうという気こそ起こさなかったものの、彼女なりのささやかな独占欲はきちんと持ち合わせている。
聖の居ない時で、且つ寅丸の邪魔にならない時間……
そのいっときを村紗はとても大事にしていた。
鼓動を打つことのない胸の奥に生まれ、全身を巡る暖かなモノ……
それを○○の体温で焙って貰う快感は、何にも変えがたい(彼女自身おかしなことだとは思うが)ーー生きている実感そのものだった。

それを、○○自身に御預けされたのだ。

(私がどれだけ辛いのか、○○は絶対分かってない! ふまん!不満だ!)

「おりゃー! この○○野郎ーっ」
「グワー!?」

不意討ちに、村紗は全力で抱き付いた。

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最終更新:2015年10月08日 23:58