蝉の鳴き声は少なくなり、変わって鈴虫が増え始めた頃。
上白沢慧音は人里にある寺子屋の一室で、
机に向かい寺子屋に通う子のテストに採点をしていた。
そして、丁度16人目が終った頃に誰かがやって来た。
「入っていいか?」
慧音には聞きなれた男の声だ。ただし子供の物ではない。
「……入れ」
少し考えてから、言った。
襖を開けて男が入ってくる。
「よお、姉さん」
この男は慧音の弟だ。名は○○。
○○は部屋に入ると、机を挟み慧音の前に座り込んだ。
顔が少し赤くなっており、酒気を帯びているように見える。
座ったのを確認すると、慧音はこう切り出した。
「○○、お前は何をやっているんだ! 酔ったまま寺子屋に来るなとあれほど……」
「酔って無ぇよ、呑んだのは少しだけだ。別にいいだろ? 会いに来ただけならさ」
この手の話は○○にしても不毛なだけな事は分かっている。
「用件はなんだ? まさか、また金の無心に来たんじゃないだろうな」
「……借りるだけさ、今は仕事あるから返せるし……」
目が泳いでいる。
「○○、ばれる様な嘘をつくな」
「……ちょろ~ん」
「誤魔化すな!」
つい、語気が荒くなる。少し間を置いてから、
「○○よく聞け、お前はその日暮らしだ、貸した所で金はすぐ消えるだろう。
仕事を紹介してやる、寺子屋での雑務だ、だが」
と慧音は続ける。
「まずは、酒を止めろ。そうじゃないと紹介できない」
「分かってるっての、その程度はな」
止める気はさらさら無いという態度をとる。

しばし沈黙が流れた後、慧音はこんな事を言い始めた。
「なぁ○○……その……相談したい事があるんだが……」
「俺に? 俺は構わないよ」
慧音は非常に言いづらそうだ。
「……何というか、その……例えばだ、凄く近くに好きな人がいて、
でもその好きな人は他の女とも話すんだ、それが凄く嫌で……
その……でもその嫌だって思う事自体が……まるで欲望をさらけ出すようで……」
「自己嫌悪してしまうって事か」
「……その、どうしたらいいのか私には……」
○○と慧音の付き合いは長いが、素面でこんなしおらしい慧音を見るのは久しぶりだ。
「ただの嫉妬だろ。誰にでも有る事だぜ。別に気にしなきゃいい、
それが無理だったらそいつを自分の物にしちまえば早い……ん?」
襖の向こうから足音が近づいてきた。
そして襖の前で止まると、若い男の声が聞こえた。
「慧音さん、入ってもよろしいですか」
慧音は小声で、
「おい、誰にも言うんじゃないぞ!」
と釘を刺した。その後、外の人間に入室を促した。
若い青年だ。脇に書物を抱えている。

「会話の邪魔をしてすいません。明日の授業の事で話したい事がありまして……」
慧音と青年が話している間、○○はその青年を値踏みするように眺めた。
顔は悪くないだろう、平凡ではあるが。
どちらかといえば生真面目な印象を受ける。
○○を見た時に一瞬不快の表情が出ていたが、むしろ一瞬なだけ他の奴よりいい。
ただし、○○は青年と出会った事など無いので、
おそらく誰かから○○の噂を聞いたのだろう。
「××、こいつは私の弟の○○だ」
慧音が○○の事を紹介した。
「ええ、どうも初めまして○○さん」
「俺か? よろしく」
というと、青年××は慧音に向かって頭を下げ、
「すみません、また少ししたら戻ります」
と言って、部屋を出た。
○○はにやにやしながら話しかけた。
「さっきの相談は……そういう事か」
「いや違うぞ!別に××の事じゃ」
「分かってる、人には言わねぇよ」
というと、○○は立ち上がり、戸棚から幾らか青錆の浮いた金を勝手に取り出した。
「じゃ、また」
「本当だ、本当に違うんだ!」
「金は来週かえすからな~」
○○は話を聞かずに出て行った。

昼頃、龍神像の前で○○は座り込んでいた。
銭はもう食べ物に変わった。
来週返すといってしまったので、仕方なく○○は仕事を探す事にした。
人里では随分悪評が広まっているので、出来るだけ遠くがいいだろう。
あと、なるべく早く、多く稼げる方がいい。
そんな事を思いながら、ゴミ捨て場に落ちていた今日の新聞を取り、
求人欄を広げた。

仕事を探すのが難しいのは幻想郷も外も同じだ。
むしろ、幻想郷の方が難しいかもしれない。
人里あたりでは、何をするにしても人との付き合いが必要になる。
しかし○○の人里での評価は最低に近い。
そのため、まず人里にある仕事は出来ない。
妖怪退治などもあり、これは金額が高くなおかつ早くすむ。
しかし、○○の戦闘力はせいぜい一般人より少し上程度。
そもそも妖怪が苦手だ、よってこの手の仕事も無し。
今日は無いのかもしれない。
(もう今日は諦めて明日にしようかね)
と、いつもの諦め調子に入った所で、足音がした。
いや、正確に言うと足音自体は往来があるのでずっとしているが、
その足音は○○に近づいてきている。
○○に向こうから近づいてくる人物を○○は数人ぐらいしか知らない。
その足音は目の前の辺りで止まったようだ。
しかし○○が顔を上げる事は無い。
(どうせ、自分にとって面倒くさい奴だろ)
ぐらいにしか思っていない。
そんな奴に一々顔を会わせる事も無い、とも思っている。
「誰だ、通りすがりならどっか行け」
新聞を読みながら話しかける。
こういう言葉が返ってきた。
「相変わらずですね…○○」

○○は苦手な人物は多いが、嫌いな人物は以外と少ない。
苦手な人物では真っ先に自身の姉〝上白沢慧音〟が出てくる。
○○の頭が上がらない数少ない人物だ。
そして、
「説法は聞かねぇぞ、聖白蓮」
目の前にいるであろう人物〝聖白蓮〟は○○にとって大嫌いな人物に入る。
いちいち構ってきてウザいとか、人望有ってムカつくなどと
殆どしょぼい理由ばかりなのだが、最も大きな理由がある。
上記の事も、その理由の副産物に近い。
「○○、貴方が何者であろうと、努力すればどの様な者でもやがては受け入れてくれます。
その為にもまず、わざと嫌われるような事はやめて……」
「嫌だ」
「○○……私は貴方を」
「俺は!里の連中も!山の連中も!そして何よりお前が嫌いなんだよ!」
新聞を地面に投げ捨て、柄にもなく語気を荒げながら答える。
○○が白蓮を嫌いな何よりの理由。
それは自分の秘密を知り、その上で自分を憐れみ手を差しのべてくる辺りだ。
その秘密故に人里の老人からは忌まれ、山の妖怪からは侮られる。
『何もしていないのに嫌われるくらいなら、自分から嫌われに行く』
それが○○の生き様である。
そんなデリケートな部分を偶然とはいえ見て、あまつさえ踏み込んでくる。
そこがなにより嫌いだった。
他の理由など、自分の弱い部分を隠す言い訳にすぎない。
○○は足早にそこを立ち去った。
人里の者が何か言っているが無視する。
白蓮は追ってこなかった。

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最終更新:2015年10月11日 20:54