「……今まで、本当にありがとうございました」

そう言って○○は今まで世話になった面々に深く頭を下げた。

「外の世界でも元気でやりなさい。仮にも貴方は私の従者だったのだから」
「……何時から僕は輝夜の従者になったんだ」
「冗談よ。また遊びに来なさいよ」
「……約束は出来ないよ」
「あら、私の求愛を断るつもり? つれないわね」
「そうだね、もしもまた幻想郷に来ることがあれば真っ先に寄らせてもらうよ」
「……約束よ」
「ああ、約束だ。……それじゃあ、そろそろ行くね」

あまり話していると名残惜しくなる。
そう思った○○は振り返らずに博麗神社に向かった。
しかし気になってはちろちろと後ろを振り返りつつ、まだ手を振っている皆の様子を確認してちょっと苦笑しながら永遠亭での数ヶ月の生活を思い出していた。

12月のある日、幻想郷に迷い込んだ○○は永遠亭に保護された。
○○は普通の大学生だったが、外の知識とそれを面白おかしく話せる話術が輝夜に気に入られてそのまま永遠亭で過ごすことになった。
それから○○は輝夜の話し相手になったり永琳の薬の実験台になったり鈴仙と一緒に永琳にこき使われたりてゐに騙されたり……そんな日々を楽しく過ごした。
外ではけっして体験できない様々な出来事を前に○○は自分は来るべくして幻想郷に来たのだと最初は思った。





……しかし○○は幻想郷には馴染めなかった。
永遠亭で保護されて衣食住には困らずまるで夢のような生活を送っていたのだが、ある日用事の為に外に出た時に妖怪に襲われた。
その時○○は真の意味で幻想郷という世界を理解した。ここでは○○のように何の力も無い人間は本当に簡単に死んでしまうことがあるのだと。
本当にどこにでもいそうな普通な青年だったからか、そんな簡単に命が失われてしまうかもしれない幻想郷という世界そのものに恐怖を感じるようになった。
何度かそんなことがあって精神的に辛かった時に酒の席でそれを永琳に告白した際に「なら私がまもってあげる」と言われた際など感極まって号泣してしまったほどだった。それほど恐ろしく感じていた。
それ以来何かと永琳と行動と共にしたり鈴仙やてゐに空の飛び方などを教わったりしてある程度その恐怖も薄まったが、それでも外の世界が懐かしかった。家族や友達が恋しかった。
しかし同時に永遠亭の面々とも離れたくなかった。たった数ヶ月の生活だったがあまりに濃厚な日々が輝夜達との時間をまるで数年来の付き合いのように感じさせたからだ。

帰りたい。けれど帰りたくない。死にたくない。けど護ってもらえるじゃないか。確実とは言えない。けど外の世界でも命の危険はある……
そうやって何日も悩んで悩んで最後の最後まで迷ったのだが、○○は結局外の世界に帰ることにした。
そして季節が春になると迷い込んだ際に持っていたわずかな手荷物と一緒に住み慣れた外の世界へと戻っていった……




○○が結界を抜け外の世界に戻り家に帰ると家族が呆然としていた。
数ヶ月も行方不明になっていたのだから至極当然の反応だったのだが、ただ○○が無事なことを喜んでくれる家族の様子を見て○○は帰ってきたことは間違いじゃないと思った。
流石に幻想郷での出来事は話せなく訝しがられたりもしたが結局失踪していた間の記憶が無いとごまかすことにした。
最初はちょっとしたニュースにもなったりしたが、すぐに沈静化した。幻想郷でのことは誰にも話していないので当然のことなのだが。
そうして○○は幻想郷に行く前の、ごく普通の生活に戻った。










……かに見えた。





○○がふとおかしいと思ったのは元の生活に戻ってから一ヶ月ほど経った時だ。
それは大学で講義を受けていた際に偶然ノートの端で指を切ってしまったというどこにでもありそうな出来事だったが、その傷がすぐに塞がったのだ。
指先を見たら傷はどこにもなく一瞬見間違いかと思ったがノートに薄っすらと血が付着しているし、痛みも感じたのでそれはないと思った。
その時は幻想郷での生活で治癒力が上がったのかと思った。傷の治りが早いことが悪いことではない、そう思って。
しかし○○が感じた違和感はそれだけに終わらなかった。

それから何年か経ち、大学も卒業してそれなりの会社に就職した○○はそれなりに幸せな毎日を送っていた。
結局自分の目当てだった会社に就職することは出来なかったが元々大抵の物事をそつなくこなす○○は数年も経てば会社でもちょっとした人気者になっていた。理由の一つに輝夜にも気に入られるきっかけになった話術があったのだが○○は既にそのことを思い出すことは少なくなっていた。
○○にとって幻想郷での出来事は既に過去のことになっていた。たまに夢で当時のことを思い出しては皆は元気だろうかなどと考えたりはしたがその程度だった。
そして○○は同じ会社に勤めている一人の女性と付き合い始めることになる。
幻想郷で出会った面々に比べれば流石に見劣りするが、料理が得意な優しい女性だった。○○は女性との結婚も既に考えていた。
付き合い始めてから三年で二人は結婚した。
○○は本当に幸せだった。




結婚してから十年の月日が経った。
○○は四十歳になったのだが、見た目が二十歳の頃と全然変わらなかった。
何時までも若々しい○○に周囲の人間は何か秘訣はあるのかと聞いてきたが○○自身特に何もしていないので答えようがなかったが気にすることでもなかった。何時までも若々しいということ自体悪いことではないと思ったからだ。
だがそんな○○にも悩みがあった。結婚した女性との間に子供が生まれないのだ。
結婚してから当然のように夫婦の営みをおこなっていたのだが一向に生まれる気配が無く、それが元で夫婦の間で揉めることが増えた。

結婚して二十年がたった。
既に五十歳になり会社でもそれなりの地位についていた○○だが、あまりに見た目が変わらないことから陰で色々な噂が横行した。
会社での同期や大学からの友人から少しずつ敬遠されるようになった。何時までも若い○○の姿を気味悪がったり嫉妬したりと理由は様々だったが、皆が○○を避けるようになった。
○○と結婚した女性はそれがあからさまになってきた。何時までも変わらない○○の姿に恐怖を感じたからだ。妻として○○と共に過ごしていた女性は○○が異常なほど傷の治りが早いことも知っていた。○○がまるで人間ではないように見えたのだ。
流石に○○もおかしいと思い、医者などに見てもらったのだが完全な健康体だとしか結果が出なかった。五十歳を過ぎても老いないという明らかな異常があるのにその異常の原因が分からないのだ。

そしてそれから更に数年が経った。
夫婦間での亀裂は修復できない大きさになり、離婚が成立した。
会社でも完全に孤立していた。数年で定年退職という年齢なのに新入社員よりも若く見えてしまう○○は異常だった。異物だった。仕事が出来ることがかろうじて○○を会社に繋ぎ止めていた。
○○は自分が分からなかった。どうしてこうなったのか分からなかった。自分が恐ろしかった。

気が付けば○○は米寿になっていた。
とうの昔に両親は他界し、肉親は既に誰も居なかった。離婚した妻も○○が米寿を迎える4年前に老衰で亡くなった。
○○は一人だった。
全く老いないということがテレビの番組で取り上げられたりしたが、あまりの異常性に誰も寄り付かなくなった。
誰も居ない家で寂しく食事をする時に決まって思い出すのは幻想郷での日々だった。
そして○○は幻想郷を探すようになった。幻想郷でなら老いない程度で問題にならない。○○の居場所は最早幻想郷にしか存在しなかった。














「……そろそろ○○がこっちにやって来る頃かしら? もう限界でしょうし」

○○と別れた頃から全く変わらない姿で、永琳はそう呟いた。
永琳は○○と別れる直前に蓬莱の薬を○○に分からないように飲ませていたのだ。

永琳は○○が好きだった。○○を愛していた。○○が欲しかった。だが同時に○○が恐れているものを知っていた。
だからいずれ○○が元の世界に戻ることを知っていた。だから蓬莱の薬を飲ませたのだ。
そうすればどんなに時間がかかっても○○は自分の元に戻ってくることを理解していたからだ。

「これからはずっと一緒よ……○○……」

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最終更新:2011年03月04日 00:46