「もう! 貴方、苦手な妖怪とかいないんですか?」

そう言って華扇は頬を膨らませた。
ちなみに、何か食べているからではない。
怒ってるのだ。
そして呆れてもいる。
何故、彼女がこうも声をあらげたのかというと、それは○○の素行にあった。
○○。彼は他の外来人と同様、さほど妖怪を恐れない。
だので、誘われるとほいほいと妖怪だろうと祟り神だろうと付いていってしまう。
妖怪はここ幻想郷でも人を食う天敵である。普通なら恐れ、忌諱するものだがしかし幻想郷の特性がそれを阻害していた。

「いやー、だってさ、妖怪ったって女の子にしか見えないじゃん。ていうか、「女妖怪」って感じの人すら居ないよね」

「ぐっ、それは、そう……かもしれませんがっ」

幻想郷の妖怪はあまりにあどけなかった。
見た目でアピールする危険度がほぼ皆無、あら可愛い、といった塩梅の子供たちと稀に保護者のお姉さんズ。
それが外来人の持つ率直な感想だった。
勿論、何かの機会に妖怪としての側面に直面し、怖れるようになる者もいる。
しかし、我が身に塁の及ばぬ恐怖は所詮情報の域を出ない。
より率直にいえば娯楽ですらある。
また、そうした楽観を許す土壌が整い過ぎていたのもある。
幻想郷縁起は妖怪への恐怖を、共存の為の建前と書いてしまった。
妖怪との共存を説く尼寺は彼女らが手を取り合えると示してしまった。
人間に棄てられながら、なお人間を愛している妖怪傘
……等々あるが、なにより、彼女らを退治するヒーローたる筈のもの達が妖怪と良好な交遊関係を隠さない。
これで心底の恐怖をもてというのは無理であった。
下級の言葉を解さない妖怪もいるにはいるが、それらはまた「別物」として扱われる。
幻想郷のシステムは、率直で、荒い言葉や不適切な発言なども飛び交うが弛かった。
少なくとも、外の世界の世知辛さから見れば楽園足り得るほどに。

「いや、でも華扇ちゃんいうことも分かるよ?」

と、一転して○○は華扇におもねった。
そ…っと華扇の包帯を巻いてない方の指に、○○のの指が僅かに触れる。
反射的に身を固くする華扇に、しかし○○はより一歩近付いて、つかまえるように確かにその手をとった。
恭しく捧げ持つように胸の前にゆっくりと持ってくると、本の少しだけ指に力を入れた。
掌の熱が華扇のひんやりとした指に伝わる。華扇はその熱の伝導がそれ以外のものも運んできたように感じて僅かに微笑んだ。
応えるよう、少しだけ力をいれて握り返すと、待ち合わせたようにお互いの指が絡み合う。
華扇の胸に、締め付けられるような、僅かな痛ようが訪れるが、彼女はそれを愛しく思った。
かけがえのないものと。

「恋人同士だからさ、あんまり他の女の子と遊ぶなっていうのは分かるよ。うん、それなら分かる」

「…………まったく、貴方ときたら……」

華扇は蟠りが溶けゆくのを自覚した。
いや、実際○○の身を案じているの事実なのだ。
何かの拍子に一線を越えて……イヤらしい意味ではなく……一線を越えてしまえばその命を危機にさらすのは確かなのだ。
だから、心配しているのは確かなのだし、嘘ではない。
しかし、やはり女として、嫉妬を含んでいないかというと、無いとは言えない。
誰よりも大切な○○と触れ合えるのは自分だけ……そう信じていても、彼の近くに自分以外が居るのは面白くないのだった。

「こんなんで誤魔化されないんですからね? 私は貴方をですね……本当に危なっかしいんですから」

そう、小さくごねるのがささやかな抵抗。
しかし、その口許は知らずに緩んでいた。緩やかなカーブを描いて。

「はいはい。気を付けてるよ。それに俺だって近付かない妖怪の一人や二人はいるし」

「鬼だけは嫌だな」

○○は優しい温度のまま、嫌悪を告げた。
華扇は反応出来なかった。「えっ?」とすら声をあけることも出来ず、なにか思考の芯のようなものが先細り消えていくのを感じることしか出来なかった。



確かに、この幻想郷に棲む妖怪のなかでも最も危険な種族といえよう。
単純な強さ、分かりやすい攻撃力というか意味ではこれ程危険な妖怪は居ない。
反面、義理堅く、よく言えば実直、悪く言えば…………鬼、そのものである。
そう、強大なもの、残酷なもの、恐れるもの、憎い相手、それらすべて鬼、と呼ぶのだ。
鬼とは忌まわしいモノ、そのものに他ならない。
避けるべき相手なのはいうに及ばず、いわんや大事な相手を。
絶対に近付けてはならない。

「あ……ぁの、○…○? それは……えと……」

と、華扇は酷く弱々しく声を発した。
声を発したがしかし、なんと話しかければいいのか、それが全く分からなかった。
ただ反射的に、立て続けに○○から否定的な言葉を聞きたくない一心で打った一手。
辛くても華扇はやめて、とすら言えない。「仙人である華仙」にはそれをいとう理由がない筈だから。

「つってもさ、そんな死ぬほど怖いって訳でもないんだけどね……」

と、そういって苦笑いした○○の声は華扇にはどのように聞こえただろうか。
頭の両脇にしつらえたシニヨンの奥で、かりっ……となにか疼くものがあった。
まるで存在を主張するように。
赦しを得たかのように。
身動ぎすら封じられていたものが、もういいかい? と問うように。
華扇の手が、自然と髪へと伸びる。
ーー今。今ではないだろうか。
全てを明かすのは。
自分の真の姿、素性……それらを○○に明かすのは今ではないか?
自分は、実は鬼なのだと。
仙人であるのも嘘じゃない。騙していた訳じゃない。
でも、まだ……そう、「まだ」言ってなかった。
だってその必要なんて無かったし、貴方も聞かなかった。
でも、貴方には、貴方だけには……全てを知ってほしい。
他ならぬ貴方だから。
大事な、大切な、愛した人だから……だから
今、いうね?
華扇はひゅ、と息を吸って……

「ただ、嫌いなんだよね」

その吸った息に絞め殺されそうになった。
喉の奥で何倍にも体積を増した空気が華扇の喉を破裂させようとしているかのようだった。
空気が邪魔で、息ができなかった。
そしてそれ続けて、華扇の中で前向きに希望と勇気に満ちた意志が横一文字に断たれ、ガラガラとあちこちにぶつかりながら崩れ落ちていく。
ーーまぁだだよ
と、かくれんぼのソレが告げられる。
もういってもいいかい?と思って聞いても、ダメだと拒まれる。
許しがなければソレは動けないのだ。
この状態の華扇にひとつだけ、救いがあるとしたら「どうして?」と何でもないフリをして続きを促さなくてもいいということだけだった。
なにしろ○○が勝手に喋っているのだから、その必要はなかった。

気がつけば、華扇は自らの仙人空間へと帰っていた。
あれから、どう取り繕って○○のもとから離れたのか、それすら思い出せずにいた。
……いや、正確には違う。思い出せないのではなく、そこへ割くリソースが全く無いのだ。
ほんの数刻前のことを回想する余力もないほど、華扇の精神は疲弊していた。

(嫌、嫌嫌嫌……っ そんな嘘よ、嘘よっ お願い、構わないから嘘だと言って! 嘘ついても怒らないから、怒りませんからっ嫌いやぁ……)

両手で頭をハサミ潰すかのような勢いで締め付ける華扇。
鬼の剛力で締め上げるのだ、痛みが無いわけはない。しかし、その激痛がささやかな支えとなって発狂しそうな華扇の心を繋ぎ止めていた。
耳から、目から、まさに七孔噴血するように、自身を内から構築していたものがグズグスと液状化して流れ出す。
そんな破滅的な感覚に華扇は苛まれていた。

華扇を構築するもの。

それは即ち○○な他ならない。
○○との思い出、○○との今、○○との未来。
それらが穢れ、腐り落ちて永遠に喪われてしまう。
永い時を生きてきた華扇が、これほどまでに執着し、求め、そして受け入れられたことなど今までなかった。
生まれた理由、妖怪として発生した原因……
それらを「○○と逢う為」と見出だしていた。
そして○○と逢う、話す度、その想いは確信へと育ち、温もりを感じる度に無限に沸き上がる熱いものに打ち震えた。
それが「幸せ」と呼ばれる生の到達点だと、華扇は実感していた。
輝く世界、なにものにも負けない自信、いや、むしろ負けすらも楽しめる余裕。
明日も生が続いてくことの希望。ともに○○と歩いていく道が先も見えないほど長く永く待っている……

それが全てなくなる。

いや、なかったことになる。
間違いだったと。
何か運命を司る最上位のものが、手違いだったと。
だから取り上げることにした、と。
否応なく、取り上げようとしている。
そして、それを執行するのは他の誰でもない、○○自身。

「さよなら」

そう告げて、背中を向けるだけで、それは滞りなく済まされる。

「嫌!嫌です嫌です!! そんな、そんなの嫌です!うぎ、うぎぎあアアアアァッ!!」

その絶叫は老婆めいて枯れ果てた、肉を割くような絶望の遠吠えだった。

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最終更新:2016年03月29日 21:03