探偵助手さとり6


彼女は如何にして彼を手に入れるのか?

 人間には思考があり、万人は自分の自由意志を
其れによって持つ事が出来る。一見、自分の
意思は自分がそう思っているから成り立つ
-つまり自分の好き嫌いで成り立つ-ように
思われるが、実際には例外が存在する。大まかに
分けると二種類、本能に寄る物と、教育に寄る物。

 本能に寄る物は簡単である。食欲等の欲求は最たる
ものであるし、人間や動物の赤ちゃんを見て可愛いと
思うこともまた、その種類のものである。ここで
暴力や殺人に対する嫌忌感は、これに入ると思われるが、
此方は教育によって植え付けられたものであると言えよう。
 人には親切にしましょう、真面目に働きましょう、と
いったこれら教育によって習得するものは、単純化すると、
ルールに従うという言葉に収斂する。これら規則は法律で
あったり、道徳であったりという形をとって、人間の
思考の中にインプットされている。

 別にこのルール自体が悪い訳ではない。人を殺すことは
悪いことだという規範が無いと、どこぞの世紀末世界(ポスト
アポカリプス)が到来するであろうし、現に妖怪なんぞは
人間を殺すことが悪いことではないと思っているが故に、
緑色の巫女に退治(そして時には処刑)されているのであるから。
 ところで人間の中にルールは如何にして埋め込まれるのか?
これは刷り込みに近いと言えよう。生活の中にルールが当たり前に
存在し、是を守ることが生活する上で必須であるため、
人はこのルールを自明とするのである。

 昔ミシェル・フーコーはこの流れを監獄を用いて説明した。
薄暗い監視塔から明るい囚人の檻を監視すると、囚人の方からは
監視者を見ることができず、彼は常に見張られていると思う様に成る。
このパノプティコンのシステムは現在も刑務所に監視カメラとして
取り入れられているが、今回は囚人の心理に注目したい。彼は
監視者の目線を常に意識していると、そのうちに常に見張られていると
思う様に成る。そして自分の思考の中に監視者をダウンロードし、
自分で自分の行動を監視して、監視者の希望に添うように行動する
様に成る。

 フーコーはこの一連の流れが、学校や工場のような一般の
世界にまで浸透しているとし、この見えない強制力をバイオパワー
と呼んだ。学校では規則を自分から守ることが良いとされ、
守らない子供は規則を守るように指導されている。工場では
マニュアルに従う事が求められ、従わない者は解雇されることで
ルールを自発的に守るように脅迫されるのである。
 もっとも、このルール自体は社会を維持したり、能率を上げたり
するためにはある程度は必要であるのだから、結局は程度問題に
なるが、やり過ぎるとどこぞの吸血鬼のカリスマ統治を超えて、
ジョージ・オーエンも真っ青の1985が到来するのである。

 今まで長々と話して来たのは論文を書く為ではなく、彼とさとりの
関係を紐解くためである。さとりは彼の心を覗くことが出来る為に、
彼は常にさとりの意に沿うような行動を執っているし、最近は
さとりの意思に沿うことを、無意識レベルでやっている。本人
がおかしいと思う事も無く、いつの間にか彼はバイオパワーに
浸食され、自分の意思をゆがめられているのであるが、彼は
其れには気づいていない。

 まあ一番の問題は、自分が縛られていることに心の奥底
では、本当は気づいているが、敢えて自らをその環境に
置いていることであるのだが。-心の深淵は暗く深い。

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最終更新:2016年03月29日 22:16