八意先生は本当に良い人だ。
この幻想郷に迷い込み化け物に襲われていた俺を瞬く間に助けだしてくれた八意先生。
見ず知らずの俺のために主を説得して永遠亭に住まわせてくれた八意先生。
化け物に襲われた時の怪我を寝る間を惜しんで治療してくれた八意先生。
蓬莱人だと打ち明けてくれたのに化け物だと恐れた俺にも変わらず接してくれた八意先生。
恐怖のあまり思わず手を出した俺を何ともないと許してくれた八意先生。
外の世界に帰りたいと喚く俺に呆れずずっと宥めてくれた八意先生。
脱走して迷った竹林から俺を捜し出してくれた八意。
性欲に負けて襲いかかった俺になすがままにされても笑いかけてくれた八意先生。
過ちから出来てしまった子供を降ろさせようと迫った俺に子供に罪はないと教え説いてくれた八意先生。
そして、今日俺と八意先生との子供が生まれた。
俺はこの子と八意先生…いや、えいりんをまもっていこうとけっしんした。
ほうらいびとになってしまったがそれはささいなことだ。
おれはえいりんのことをあいしているのだから。

私の運命が大きく変わったのは、恋というものを知ったのは珍しく昼前に患者が途切れた日だった。
これまた珍しく、たまには体を動かすのも良いだろうと思い立った私は、鈴仙に一言残して竹林を散策する事にした。
いくら歩いても変わり映えのしない風景ではあったが、永遠を生きる私にとって気晴らしとしては及第点だ。
それからしばらく歩き回り、そろそろ戻ろうかと思った所で背後から人の悲鳴が上がる。
迷い込んだ人間が妖怪にでも襲われているのだろうと軽く考えるが、歩いてきた道に人は居なかったはずであり、少し不審に思った私は引き返すことにした。
声は思ったより近くから上がっていたようですぐに視認する事ができ、やはりと言うか人間が低級の妖怪に襲われているようであった。
放っておいても構わないだろうが、せっかくの気晴らしで人死にを見るのも詰まらない。
ごっこ遊びの時よりも力を込めると、人間に止めを刺そうとしている妖怪に向けて弾幕を飛ばす。
読み通りの動きで弾幕は妖怪の頭を吹き飛ばし、周りに肉片を飛び散らせた。
周りに他の妖怪の気配が無い事を確認すると倒れている人間の元に足を進める。
遠くからはよく見えなかったが、近づくと人間が成人したかどうかという歳の男だとわかった。
男は何が起こったか分からないというように呆然としていたが、私が近づくと先程負ったであろう足の怪我を庇いながら身構える。
その反応は想定内のものだったので、軽く挨拶をすると敵意が無い事と一通りの現状を男に伝える事にする。
身なりの感じと居なかった所に突然現れた事から、男は外の世界から流れ着いた人間だろう。
話している時の反応からそれは確定的であり、同時にどうしたものかと少し悩む。
幻想郷に迷い込んだ人間は博麗の巫女の元に連れて行けば外の世界に帰してもらえるらしいが、今から博麗神社に行くのは時間が掛かりすぎる。
ならば、姫の返答によるが連れて帰って後日藤原の娘に案内させるのが良いだろうか。
と、そこまで考えた所で視界いっぱいに男の顔が映り込み思わず身を引く。
「な、何よ?」
「いえ、助けていただいたお礼を言おうとしたのですが何か考え事をされていたようなので…」
器用に片足立ちをしながら申し訳なさそうに男が言う。
考え事をしていたからといって目一杯近づくのはどうなのだと思うが、どうしたわけか心が波立つのを感じる。
男の思いも寄らない行動からか、男の瞳から感じられた人里の人間にはない純粋な感謝の念からか。
自分の意に反し頭に血が上り顔が赤くなるのがわかる。
「な、なんでもないわ。それより自分が置かれている状況はわかったわね?」
冷静を保とうとするが舌が上手く回らない。
口が乾き、早口になる。
私は一体どうしたのだろうか。
「あ、はい。ええと、とりあえず人里に行けば良いんでしたよね?けど、さっきのような化物にまた襲われたりしませんかね?」
男は私の説明で全てを理解したようで、速やかに自分のいた世界に帰ろうとする。
当然の事、なのに私は血の気が引く気がした。
「あ…ち、竹林には妖怪が跋扈しているわ。それに貴方は怪我をしているみたいだし、私の家に来なさい。せっかくだから治療くらいはしてあげる」
「は、はい。お願いします」
気がつけば男を必死に自分の手元に置こうとしている自分がいた。
先程とは別の感情から顔が赤くなる。
男も私の勢いに圧されて目を白黒させながら承諾をする。
男が了承した事に安堵し、同時に何をしているのかと恥ずかしくなった。
とりあえず話が固まったので男を永遠亭に案内する事にするが、私は道中心の中で何度も自分に問いかけていた。
本当に私はどうしてしまったのか、と。

永遠亭に戻ると鈴仙が出迎えに来たが、私の後ろの男を見ると飛び上がった。
それに釣られて後ろを振り返ると、男の足の怪我が妖怪の妖力により酷いものになりつつあった。
気が動転していた私は、男が妖怪に襲われた事を忘れて妖気に対する応急処置を怠っていたのである。
急いで霊力を患部に流し込み妖気を打ち消すと、鈴仙に使う薬の指示を出し男を担いで診察室に運ぶ。
「そんなに痛むならどうして何も言わなかったの!」
運ぶ道すがら脂汗を流し痛みに耐える男に本気の叱咤をする。
処置を忘れたのは私の失敗だが、痛みが強くなるならそれを伝えてくれてもいいだろう。
しかし、男は痛みを堪えながらも申し訳なさそうに答えた。
「すみません。ですが、あの場だと治療も出来ないだろうからあまり騒いでも貴女に迷惑を掛けるだけだと思って…」
その言葉にまたも私の心臓が跳ね上がる。
男の言葉に嘘はない。
ただ私の迷惑になるから妖気に蝕まれる激痛に耐えたと言うのだ。
不謹慎かもしれないが嬉しい、と思ってしまった。
だがこの気持ちは嬉しさだけではなく、困惑してしまう。
この気持ちはなんなのだ、この男はなんなのだと。
しかし今はそんな事をゆっくり考えている時間は無い。
浮ついた気持ちを振り払うように思い切り息を吐くと、頭を治療へと切り替える。
診察室に着くと男をベッドに横たえ、その数秒後に鈴仙が多量の薬品を持って来たので治療を始める事が出来た。
状況が状況なので強い薬と霊力を投与することにはなったが、これなら一月くらいの入院で済むだろう。
鈴仙が後片付けに入り、私も一息つくとベッドで眠る男の顔を覗き込む。
薬の効果で眠る男はもう痛みとは程遠い表情で気持ち良さそうに眠っていた。
それが少し可笑しくて、愛おしいと思い
「…ああ、そうか」
そこでようやく私は気づいた。
私はこの男に恋をしているのだと。
出会って一日もしない男に、何千年と生きてきた私が初恋をしたのだ。
何とも面白い話だろうか。
しかし、私の心は笑えない程に、この名前も知らない男の事で埋め尽くされている。
そして私はその時からある事を完遂させるために頭を回転させていた。
「まずすべきことは姫様の説得かしらね?」
そう呟く私は、今までに浮かべたことのない満面の笑みを浮かべていた。

食事を乗せた盆を片手に、私は鼻唄混じりに廊下を進んでいた。
今日の診察は終わり、姫様達の食事も作り終えた今からは、私の一日で最も好きな時間が始まるからである。
誰にも邪魔されない、○○との時間。
○○の部屋が近づくに連れて心が高鳴る。
ここに来る前に何度も鏡の前で確認したのに服や髪、最近になって始めた薄い化粧が気になる。
まるで少女のようだと苦笑してしまうが、この初めての感覚はとても楽しく嬉しかった。
結局、○○の入院を姫様は二つ返事で受け入れて下さり、○○は屋敷でも姫様の私室の次に大きい部屋に移された。
○○は自分の待遇に困惑していたが、私の失態だからと言うと素直に受け入れてくれた。
その時に向けられた笑顔が未だに忘れられない。
○○の世話もなるべく私がするように言っているので、この笑顔が向けられるのも私だけである。
そう思うと口元が緩むが、○○の部屋の前に着いたので気を引き締める。
私は○○の事がこの上ない程に好きであるが、○○はまだそうではないだろう。
だから私は大人の女性として接して○○を悩殺してしてしまおうと思っているのだ。
実際、○○が入院してから半月が経ったが○○は段々と私に惹かれているように思う。
今日はどんな方法で○○の気を惹こうかと思案しながら中に居る○○に声を掛ける。
「○○、夕食持ってきたけど入っても良い?」
「あ、八意先生ですか?どうぞ、入って下さい」
襖を開くと○○は布団の中で私の渡した本を読んでいる所だった。
私が部屋に入ると、本を閉じこちらに笑顔を向ける。
「ありがとうございます。八意先生もお疲れなのに」
「気にしなくても良いわ。それよりも、その本はどうかしら?退屈じゃない?」
「とても面白いですよ。本当に何から何までありがとうございます」
「そ、それは良かったわ」
私の選んだ本を気に入ってもらえた。
それだけで心を乱される。
それはとても嬉しい事だが、やられっぱなしでは悔しいので粥の入った器とスプーンを持つと、適量を掬い息を吹きかけて冷まし上体を起こした○○の前に差し出す。
「あーん」
「あの、八意先生?俺は足の怪我なんで一人でも…」
「でも怪我人よね。はい、あーん」
「…あーん」
○○は何か言いたげにするが、最後には顔を真っ赤にしてスプーンに口をつける。
それがとても可愛くて悶えそうになるけれど、なんとか堪える。
○○は結局全て私手ずから食べさせられて、食事が終わる頃にはぐったりとしていたが、嫌がったりしない事がまた嬉しい。

そして、食事が終われば風呂に入る事が出来ない○○の体を私が拭くのだが、そちらは○○は全く恥ずかしがらず私だけがドギマギさせられる。
男性は下着の内以外なら異性に見られても何も思わないのだろうか。
そんな事を考えているうちに、いつの間にか全身を拭き終えてしまっていた。
それは同時に今日の悩殺計画の終わりを意味するので少し残念に思うが、それはまあ後日頑張れば良いだけなのでよしとしよう。
そして、食事が終わり体も清潔にすれば後は眠るだけであるが、私は○○の部屋からは出ない。
「八意先生、結局初日から夜に痛みはないですし夜通し居てもらわくても…」
「だめよ。この部屋は私や鈴仙達の部屋から遠いもの。もしもの事があったらどうするの」
「ですが、八意先生もゆっくり休まないと体を壊してしまいます」
「私の事は気にしなくてもいいわ。これでも休める時に休んでいるのよ?」
○○からの私を心配する言葉に嬉しさと申し訳なさが込み上げてくるが、○○から離れたくないと思う気持ちから嘘をついてしまう。
まず、私が細心の注意を払って診ているので、夜に悪化するようなもしもは万が一にもあり得ない。
それはどうでもいいのだが、もう一つ、私は今日…どころかここ最近少しも休んでいない。
しかし、私は蓬莱人ではあるが体は人間なわけで、不眠不休で動き続ける事は出来ない。
だから、私は死んでも蘇る事が出来る蓬莱人の特性を利用して、治療を少々と眠る○○を心ゆくまで眺めてから明け方頃に薬で自殺をする事にした。
死から蘇ると疲労さえも全て取り除かれた全快の状態になるので、空いた時間を全て○○の為に注ぎ込む事ができる。
蓬莱人になって長いが、この体に感謝したのは○○に出会えた事とこれの二つだけである。
とまあ、そんなわけで、今日もまた○○をずっと見ていられる至福の時間が始まる。
もちろん、○○が起きる時間に合わせて体温を下げる薬を飲み寝ているフリをするのも忘れない。
そうすれば、○○が冷えた私に今まで自分が使っていた布団をかけてくれるのだから。
と、自分の世界に入っているうちに寝息が聞こえてきて、現実に引き戻される。
安心し切った○○の寝顔にずっと引き締めていた頬の筋肉が緩む。
ああ、私はなんて幸せな女なのだろうか。

あれからまた少し経ち、もうすぐ○○の怪我が治ろうかという頃、私は悩んでいた。
そろそろ私の気持ちや体の事を伝えても良いだろうか、と。
恐らく○○は私の事を好いてくれているだろうが、蓬莱人という要素は○○には衝撃的なはずだ。
それとなく永遠の命というものについて触れてきたが、○○の反応は興味があるようにも嫌がっているようにも見え、私ですら真意が掴めていない。
しかし、これ以上時間を掛けると○○の意識が外に向いてしまう。
永遠亭に引き止める術はあるが、○○の、私の愛する人の意思を曲げるような真似だけはしたくない。
一人の女として○○には私への愛でここに留まる事を選んでほしい。
そこまで考えると私は悩む事を止め腹を括る。
それならば私には選択肢などありはしないのだから。
「○○、ちょっといいかしら」
「…改まってどうしました?」
その日の夜、眠る為に横になった○○に切り出す。
私の緊張が伝わったのか、起き上がった○○は真剣な表情をしていた。
その顔を見ると、口から出かかっていた言葉が出なくなる。
口の中はカラカラだし、心臓はうるさい位に鳴っているし、手だって震えている。
今までの人生でここまで緊張した事は初めてかもしれない。
しかし、ここで言わなければ何も始まらないと思い、意を決して私は口を開く。
「○、○○。あのね、その、私…実は、貴方が思っているような人間じゃないの」
「えっと、それは、猫を被っているとかそういう話、ですか?」
「いいえ、そうじゃないわ。貴方に良く見てもらえるように努力はしたけどそういう事ではなくて、私は蓬莱人なの」
「蓬莱人?」
「言ってしまえば不老不死者ね」
そこで○○は初めて訝しむような目を私に向けてきた。
それはそうだ。
いきなり不老不死だなんて言い出す人間は不審極まりないだろう。
だから私は○○に証拠を見せるために懐から小さな錠剤を取り出す。
いつも自殺に使っている、使用者を安楽死へと導く薬である。
「見ていてね、○○」
それだけ言うと○○の言葉を待たずに錠剤を飲み込む。
苦しみはない。
ただ、心臓の働きを弱め止めるだけだ。
徐々に体の力が抜け、目が霞んでくる。
○○が倒れそうになる私の体を慌てて支えてくれたのが嬉しかった。
大丈夫、目を開けたら後は私の想いを伝えるだけ、それで私と○○は結ばれる。
そこまで考えた所で、私の意識は深い所へと落ちていった。

どれほどの時間が経っただろうか。
どこかにあった意識が戻ってきて、体の感覚を認識出来るようになった。
待ち望んでいた時に私は心を高鳴らせて目を開ける。
初めに私の目に映ったのはやはり○○の姿だった。
それが嬉しくて、私は起き上がりざま○○に抱きつこうとし、そして避けられた。
一瞬、何が起こったか分からずに頭が真っ白になるが、避けられた意味が理解したくなくとも勝手に思い浮かんでしまう。
反射的に○○の顔を見ると、人里の人間達と同じ、化物を見る目で私の事を見ていた。
信じたくなかったが、夢だと思いたかったが、次の○○の言葉は私を絶望に追いやった。
「ば、化け物…」
間違えようがない○○の声、その絞り出すような言葉が私の心に突き刺さる。
あまりのショックに突如吐き気に襲われ、我慢出来ずに、しかし死から蘇り胃が空の私は胃液を吐き出した。
吐き気はそれでも一向に治まらなかったが、それよりも○○の考えを正さなければと気力で堪える。
「ま、待って、○○!違うの!確かに私は老いも死にもしないけど、私は貴方と変わらない人間よ!」
「うるさい!老いも死にもしない人間が、化け物じゃなくてなんなんだ!」
必死に言葉を掛ける私に、○○は半狂乱で叫び返してきた。
再び投げつけられた化け物という言葉に心を抉られるが、今はとにかく○○を落ち着けなければ話が出来ない。
力の入らない体を引きずるように這わせて○○の元に行こうとするが、そうすると○○はいよいよ怯えきった目で私から飛び退き叫び出した。
「く、来るな化け物!だ、誰か!誰か助けてくれえ!!!」
その救援から数拍の間があった後、部屋の外からバタバタと足音が聞こえてきた。
足音は複数ありその中に姫様がいると思うと背筋が凍る。
何とか○○を押さえようとするが、それはあまりにも遅すぎた。
「○○さん!大丈夫ですか!?」
襖を蹴破って寝巻き姿の鈴仙が突入してきた。
そして、その後ろには面白そうにこちらを覗くてゐと、表情の読めない姫様の姿があった。
部屋の中に私と○○しかいない事を理解すると、鈴仙は困惑したように私を見てくる。
それに対しててゐは相変わらずその場で野次馬のように突っ立っており、姫様は溜め息をつくと鈴仙を退かせて部屋に入ってきた。
姫様は私に目もくれずに○○の元に行き、そのまま怯える○○を抱き締めた。
その行為に頭に血が上るのを感じたが、ここで下手に動く事がどれだけ私の立場を悪くするかを考えると体に力が入らない。
少しして姫様が○○から離れると、何を言われたのか○○は少し落ち着きを取り戻していたように見えた。
姫様は私達の方に向き直ると早口で指示を出し始める。
「鈴仙、新しい部屋を用意してあげて。それと悪いんだけど今夜は彼に着いていてあげてちょうだい。てゐはこの部屋の掃除。はいはいそんなに嫌そうな顔をしないの…それで、永琳。貴女は私と共に来なさい」
姫様の言葉に鈴仙は即座に、てゐは面倒くさそうに動きだす。
私も姫様の言葉に力なく立ち上がり、部屋を後にする姫様の後ろに続く。
部屋を出る時にちらりと見た○○は、やはり私を怯えた目で見ており、私は今後を思うと出来ないと分かっていても死んでしまいたくなった。

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最終更新:2016年05月23日 21:26