探偵助手さとり7


 彼は古明地探偵事務所の所長であるが、実際の捜査は助手の
さとり頼みである。彼がすることといえば、精々が税金の支払い
であったり、役所の手続きであったりするだけであり、後は依頼
者への応対を偶にする程度である。ここまで探偵らしくないと
もはや、所長を首にしてアルバイトでも雇った方が、探偵事務所
の利益に成るような気がするが、ことはそう単純ではない。
 -座っているだけで価値がある-そういう類いの役割を雑居ビルの
一室で彼は行っていた。


 彼が探偵事務所の所長になる前は、彼はどちらかといえば、探偵の
お世話になる方であった。勿論有り難く無い方でお世話になっており、
探偵やその依頼主の会社からは逃げ回っていた。つまり、友人の借金の
連帯保証人になり、夜逃げ状態であったのである。よく聞く話であり、
年上の人物からそういった類いの話を聞いた際には、連帯保証人には
なってはいけないと、教訓も付け加えられるのであるが、生憎彼にそういった
ことを教えた人物は、根保証については教えることを忘れたようである。

 最近の法改正では無効になったのであるが、一昔前は限度額を設定しない
借金の連帯保証人を作ることができたので、友情を金で精算した友人が
逃亡した暁には彼に大きな借金が残っており、やむなく彼も夜逃げをする
羽目になってしまっていた。普段ならば頼ることのできる家族や親族が
居なかったことは、借金取りの取り立ての被害が及ばなかったことを
思えば、一家崩壊するよりかはまだましなのかも知れない。どちらも不幸
であることには変わりがないのであるが。
 アパートに住んで短期の派遣をやっていた後に、ネットカフェ難民となり
コンビニのアルバイトで食いつなぐこととなり、其処にも追い込みが掛けられた
後には治安の悪いドヤ街にて、彼は日雇いの労働者をやっていたが、
諦めの悪い債権業者はしつこく彼の居場所を探っていた。ここまで来ると
もはや漫画やドラマに出演する、闇金業者の仕事であろう。


 さて現代日本において法律上は、奴隷制度は撤廃されているのである
が、人間を無理に働かせる場所が無くなった訳ではない。どこか
人里離れた山奥にある労働場所で、金属バットで武装
した監視役が見張れば、非効率ではあるものの奴隷的労働をさせることが
できるのである。監督と労働者の信頼関係がゼロ処かマイナスに突入して
いるため、どこぞの地下帝国のような単純労働しかさせることができない
のであるが。

 そういった場所は悪評が立つものであり、希望して行く人間なんぞいるはず
も無い。ならばどうするのかという問いに対する答えの一つが、彼が
現在受けているように、複数で襲って車に詰め込むこと-要は誘拐である。

 本来ならば工場に連れて行かれる肉牛のように、哀れ連行されてしまう
筈であった彼であるが、まさに連れ込む瞬間を目撃した者がいた。普通の
人間ならば百十番を掛けるか、逃げるかするのであるが、生憎その者は
凍りついたように微動だにしない。一方の襲撃者の方も中断するのではなく、
賽は投げられたとばかりに、小柄な女性であった目撃者を襲って連れ去ろうと
するが、抱きかかえて連れていこうとした人物は皆、地面と熱い
接吻を交わすこととなった。 そうして表にいた人物が全員倒れる頃には、
車内で彼を押さえつけていた数名が仲間の異変に気づき、救助に
向かうが彼らも残らず転倒して、栄えある先任者の仲間入りを無事果たしていった。

動ける人物が軒並み居なくなったところで、彼女は車より細腕で彼を
引きずり出し、肩を貸してその場より離れていった。一方襲撃者の方も気絶した仲間を
回収して何とか逃げ出し、猛スピードで逃げている最中に、「偶然にも」近くの橋の
欄干を突き破って、一人残らず川の藻屑となるのであった。

 意識が朦朧としている状態で、彼女に肩を借りながら何とか自分の家まで
たどり着いた彼は、扉を開けると途端に気を失ってしまった。そのまま昼前に
なると彼は全身の痛みと共に起き上がるが、途端に良いにおいが鼻を突く。
ワンルームしかない部屋の中を見回すと、彼女が料理を作っており、食欲が
沸いた彼は、そのままなし崩しに食事を取ることとした。
 彼は彼女に助けて貰ったお礼を告げ、彼女に部屋の中からかき集めた
僅かなへそくりを渡したが、彼女は受け取ろうとはしない。それどころか
彼の今までの事情を知ってか、ある提案をしてきた。普通の人ならば怪しくて
受け入れることは無いのであるが、失うものが無い彼はその提案を受け入れた。
 只より高い物はなく、悪魔との契約には細心の注意が必要である。童話では
登場人物は悪魔や魔神の契約の隙を突いたり、罠に嵌めて大きな対価を得るが、
その悪魔とて彼女の能力は持っていなかったであろう。無意識すら把握する
心を読む妖怪の前では、どんな策略とて無意味となり、本気の彼女を遮るには
物理的な力しか方法はない。
 ところで自分に残された物は何も無いと彼は思っている。それはある意味で
正しいのであるが、ある意味で間違っている。彼が持っている物は借金だけで
あるが、彼は今社会でどうにか生活している。-生きているだけで素晴らしい
-というふわふわのメレンゲでできた言葉は、ホームドラマの中ではとても
良い言葉であるのだが、先ほどさとりが彼に言った殺し文句の中では、不穏な
響きを含ませる。特に今彼に見せているように、目と口元が笑っているが、服の
中に隠しているもう一つの目が彼を見つめて離さない時には。
-笑顔は攻撃本能の発露でもある-という言葉が浮かんでくるのであるが
今回は少し異なる。さとりは本当に彼を手に入れて嬉しかったのだから。


 だからついつい嬉しくて、提案を受け入れて貰って手を握った時に
嬉しくて、

彼に催眠を掛けてしまいましたとさ。絶対に自分から離れないように。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2016年05月23日 21:29