日課である境内の掃除が終盤に差し掛かると、いつものように鳥居の方が気になり始め、私はちらちらと期待を込めた視線を向けてしまう。
箒で地面を掃く手は止まり、心臓も鼓動を早め、顔が上気するのが自分でも分かる。
そうして何度目になるか分からない鳥居への視線を向けた時、私のこの症状の原因である人が石段を登ってくるのが見えた。
それだけで痛い程に心臓が跳ね、緊張で足が震える。
彼がここに来るのは初めての事ではなく、何十回と繰り返されている事にも関わらず、この瞬間だけは緊張と喜びが振り切れそうになってしまう。
掃除という日課が終わる時、太陽が登りきる頃、私の最も好きで大嫌いなもう一つの日課は始まるのだ。
「よっす、東風谷。今日も来たぜ」
「こんにちは、○○君。そろそろ来る頃だと思ってましたよ」
石段を登りきった彼は私に気がつくと、手を振りそう言いながらこちらに歩いてくる。
それに対して私も手を振り返して挨拶をする。
良かった、今日も声は上擦らなかったし笑顔も自然に出来ているはずだ。
○○君と話すときはいつもそんな事を気にしている。
嬉しくて、恥ずかしくて、嫌われたりしないかと、自分の一挙手一投足に気を配り過ぎてしまう。
まあ、それだけ○○君を好きでいるのだと実感出来るので嫌ではないけれど。
「それで、今日はどんなことがあったの?」
そう言ってから、しまったと思った。
しかしそう思った時には遅く、○○君の顔が嬉しそうなものへと変わるのが見えてしまう。
「ああ、聞いてくれ東風谷。今日はついに名前を呼ぶことが出来たんだ!」
「…そうですか」
彼が嬉しそうにそう言う姿を見て、なんとか笑ってそう返しはしたが、それまで浮かれていたことが嘘のように私の気持ちは沈んでしまっていた。
いや、違う。
そもそも浮かれていた事が間違いなのだ。
彼が人間でありながらこの妖怪の山にある守矢神社に通っているのは、私の気持ちを高めるためではないのだから。
○○君は外の世界からの知り合いである私に、自分の好きな女の子との事を相談するために通っているのだから。
私は○○君が好きだけど、○○君は他に好きな女の子がいる。
なんて面白い話なんだろう、私はただの道化に過ぎないのだ。
先程話を促して、しまったと思ったがそれさえも無意味である。
私が気をそらさせようが、それが目的でここに来た以上○○君はいずれ目的を果たしてしまうのだから。
「霊夢って呼んだらさ、驚いた顔して『名前で呼ばないんじゃなかったの?』って言ったんだよ。これって俺が今まで名字で呼んでた事を覚えててくれたってことだよな!?」
「そうですね、今までの積み重ねは無駄じゃなかったんですよ」
○○君が嬉しそうに好きな女の子…霊夢さんの事を話す度に私の心は締め付けられる。
でも、その一方で大好きな○○君に笑顔を向けてもらえる事がたまらなく嬉しくもある。
私は外の世界にいた頃から○○君の事が好きだった。
だけどその時の私はただのクラスメイトで、○○君と話した回数なんて片手で数えきれるものだったように思う。
それに比べれば今は2人きりで向かい合って話し合う仲にはなれているのだ。
それが、私以外の女の子の話だとしても、外の世界でのただのクラスメイトだった時から考えれば、ずっと仲良くなれている。
なんて、自分の心を誤魔化そうとすればする程自分が惨めになる。
○○君には霊夢さんしか見えていない。
○○君にとって霊夢さんは霊夢さんでなければいけないけれど、私は私でなくてもきっと構わない。
恐らく元クラスメイトの女子だったら、いや、話せそうな女性だったら誰でもいいのである。
事実、この間人里の女の子にも相談しているのを見てしまった。
私に向けられるものと同じ笑顔で話す○○君を見て、きゅっと心が締め付けられた。
でも、その嫉妬心さえも無意味で、私もその女の子もただの相談役なのだ。
悔しい、辛い、腹が立つ、羨ましい。
色々な感情が私の頭をぐるぐると駆け巡る。
「おい、聞いてるか?」
「ひゃっ!?」
突然肩を掴まれて意識を戻される。
目の前には○○君の顔があって、その手は私の剥き出しの肩を掴んでいて、それだけで先程の暗い感情は霧散して、恥ずかしくて、嬉しくなってしまう。
どうしようもないけれど、そんな単純な自分が悲しい。
「顔赤いけど大丈夫か?もしかして無理させちゃってたか?」
「いえ、すみません、ちょっと考え事をしていただけで…すみません、聞いていませんでした」
冷静になると、○○君との会話を蔑ろにしていた事実に申し訳なさが込み上げてきて泣きそうになってしまう。
そんな私を見て○○君がガシガシと頭を掻く。 「いや、俺こそ悪い。毎日押しかけてつまんねえ相談ばっかりしてさ」
「そ、それは違います!私は○○君とお話できて楽しいですよ!」
○○君の言葉には私に迷惑を掛けているというような申し訳なさがあり、そのニュアンスから毎日来てもらえなくなるかもしれないと、思わず○○君の手を握り大声を出してしまう。
「…きゃっ!?ご、ごめんなさい!」
一瞬の後自分の取った行動にはっとして飛び退く。
やってしまった、嫌われたかもしれない、と恐る恐る○○君を窺うと、そこには驚く光景があった。
「あ…」
○○君が顔を真っ赤にして驚いたようにこちらを見ていたのである。
私の見たことのない表情。
驚きと、照れと、緊張が混じったようなそれは、決してただの相談役に見せるようなものではなかった。
私はそれに見入ってしまって、気づかないうちに○○君に近づいてしまい����しかし距離は縮まらなかった。
「あ…わ、悪い東風谷。そ、その、今日は帰るわ、ま、また明日!」
○○君は近づく私から後ずさって離れると、そのまま逃げるように石段を降りていってしまった。
私は何も言う事が出来ずにその後ろ姿を見送るしかなかった。
暫く何も考える事が出来ずにいたが、ある考えが頭を過ぎり、どきりとする。
○○君は、あの一瞬私を女として認識したのではないかと。
逃げるように去っていったのも、霊夢さんへの罪悪感からだと考えると納得できる。
だとすれば����
「く、くふ、くふふふふ…」
笑みが溢れる。
私は勘違いをしていた。
○○君には好きな人がいるから、私には魅力が無いから駄目なのだと諦め霊夢さんを怨んでいた。
しかし、そんなものは私の思い違いによる幻想だったのだ。
○○君と霊夢さんはまだ付き合ってなんかいない。
○○君は霊夢さんの事を好きみたいだけど、だからといって私が○○君を好きになる事も、○○君が私の事を好きになってくれるように努力する事も何も悪い事じゃない。
事実、○○君は私に女を見たのだ。
どうしてこんな簡単な事に気が付かなかったのだろう。
この幻想郷では常識に囚われてはいけないと学んだではないか。
「ふ、ふふ。待ってくださいね○○君。すぐに霊夢さんなんかの事なんか考えられなくしてあげますから」
私の頭には、○○君に振り向いてもらうための案が無数に浮かび、自然と口角が上がる。
霊夢さんにも、他の女にも、誰にも邪魔はさせない。
「くふふ、くふふふ…」
こうして、この日から私の日課はただ楽しみで、大好きなものへと変わった。
最終更新:2016年05月23日 21:41