満月の騒動

 「なあ、妹紅。ちょっと話がある。」
そう言って恋人の妹紅を呼び寄せる。軽い口調であるが、心の中は正反対に
バクバクと大きく脈を打っていた。
「なに、急に。」
そう言って彼女はいつもの様な顔をして近寄ってくる。永遠を生きる女性。
蓬莱の薬は不老不死と共に、妹紅に女と少女の境目にて、丁度色やら恋やら
を身につけていく年代の美しさを、若い女性には似つかわしくない白色の髪
と共に永久に彼女に与えていた。
普段通りに、何気なく、しかし耳に細心の注意を払い、妹紅に尋ねる。
「最近、里の八百屋の娘さんが居なくなってさ、今日も村役の皆で捜していた
んだけれどさ。」

 唾を飲み込み話を続ける。口の中はカラカラに乾いていた。
「白髪の女と神隠しに遭った娘さんが、話しているのを見たって人が居て。」
妹紅の様子を横目で窺うが、彼女は「ふうん。」と興味が無いような、気の
抜けた返事である。これはガセを掴まされたかと思いつつも、話を続ける。
「白髪の女性なんて中々珍しいからさ、何か知っているんじゃないかって
思ってさ。」
彼女は目線を左の上に向けている。確か外界の心理学の雑学本には、過去の
事を思い出す時に見る癖として紹介されていた。
「いや、別に会ってもいないけれど。」
たっぷり十秒程は考えて彼女は返事をする。

「白髪の若い女なんて、どうせ薄暗いから何かと見間違えたんだろう?」
いつもの口調で会話する彼女の話を聞いていると、何だか彼女はこの件に
関係ない気がしてくる。しかしそうと済ましていては、話は始まらない。
彼女の言葉に敢えて突っ込みを入れる。
「どうして若い女なんて知っているんだ。俺は何も言ってないぞ。」
無理矢理に苦しい問い詰め方であるが、何か有ればボロを出すであろうと
誘導尋問を掛ける。

 しかし彼女は動揺を見せずに、面倒臭そうな表情すら漂わせて返事をする。
「○○が私に話をするんなら、若い女なんだろう。日中で明るかったんなら、
多分何処の誰か分かっているだろうし。」
道理の通った回答である。いつも冷静な、ややもすればシニカルな彼女が感情を
露わにしたことを見たことが無い。千年も生きれば大抵の事は、慣れてしまう
のかも知れない。彼女に心の中で謝りながら、次の毒を吐く。
「いや、お前がその娘さんと言い争っているのを、見た人が居るんだ。」
嘘である。捜索中にも、そんなことは全く聞いていない。
 禁じ手まで使って彼女を罠に掛ける。軽い自己嫌悪になりながら、これで
何も無ければ、この話は終わりにしようと思う。元々話したやつも曖昧な
ことを言っていた程度のネタである。妹紅を裏切ってまで追求する価値は無い。

 彼女を真剣に見つめていると、今まで我関せずといった妹紅に、初めて変化が
生じた。
「あー、はいはい、あの時ね。炭の代金で揉めてね。居なくなった夜より
大分前の昼間だったし、こっちの数量違いだったから、何だか恥ずかしくってね。
ゴメンゴメン。その時だね。」
動揺する事も無く、淀みなく言葉を紡いでいく彼女を見ていると、本当にうっかり
していただけのようである。今晩酒と一緒に契約の証文を持って行くという彼女を
信じると決めた。


 夜になり妹紅が家に来る。唯の人間ならば妖怪が怖くて活動出来ない時刻であるが、
妖術が使える彼女にとっては、昼間と大差ないのであろう。日本酒を持ってきた妹紅を
つまみと共に出迎える。
 かなりの早い調子で妹紅は酒を飲んでいく。必然的に此方も応杯を重ねる。普段
ならば味わって酒を飲む彼女にしてみれば、珍しい飲み方であろう。そんな飲み方を
していれば、当然酔いも早いものであり、四半刻程経った時分には、すっかり酔って
おり、気分が高揚し背中の力が抜けてくる。同じ様に、机に寄りかかった妹紅は、
先程台所で作ってきた漬け物を、囓りながら尋ねてくる。
「そういえば、どうして今日あんなに私に聞いてきたの?」
そういえばそんなこともあったなと、回らない頭で妹紅に答える。
「聞き込みをしている時に、白髪の女が、八百屋の娘と話しているのを見たって、
米屋の太郎が言っていたから。」


「それだけ?」
どうしてそんなに聞いてきたのか、と彼女は僕に顔を近づけて擦り寄る。アルコールの
臭いでは無く、里で最近売っているパフュームの香りがした。
「聞いたのは、それだけ。妹紅が喧嘩していたのとかは出任せ。」
そう言ってから、しまったと内心思う。これでは彼女を単に疑っていたことが
バレてしまう。

 しかし彼女は目の前で笑顔を見せ、にんまりと、とでも言う様な満面の笑顔を見せ、
目の前に証文を出す。蝋燭の光しかない室内では、夜に文字を見るには外界よりも数倍
骨が折れる。暗い室内で紙を見ようと一層顔を妹紅に近づけるが、見えるのは得体の
知れない文字ばかり、はてそんなに酔ったかと首を捻り何が書いてあるかを妹紅に尋ね
ようとした時に、急に机に体を押さえつけられた。
 暗い室内に中、目の前には墨の匂いのする紙ばかり。-おい馬鹿、何を巫山戯ている-
と妹紅に言うものの、柔術の押さえ込みの技を仕掛けられたかのような格好になっては、
動くことはままならずに唯体を揺らして藻掻くばかり。数十秒の格闘の末、息が上がり
抵抗出来なくなったことを見計らい、妹紅は家の外に声を掛けた。
 外から来た人物がよく通る声から上白沢慧音と知り、其方の方にも助けてくれと求める
も、彼女は妹紅と話すのみである。そして妹紅が僅かに体をずらし、顔が解放された
その時に上白沢が顔を目の前の紙に押さえつけてくる。凄まじい力が頭に掛かったかと
思うと、意識がふわりと宙に舞いそのまま気絶してしまっていた。


 朝になり辺りを見回すと、机には昨晩食べたであろう、つまみが綺麗なままで残っている。
二日酔いであろうぼやけた頭で周囲を見回せば、妹紅と同じ布団で同衾していることに
気が付いた。彼女は白い寝間着でしがみつくように眠っていたが、動いた時に起こして
ようで話しかけてきた。


二日酔いを感じさせない白く澄み切った目で、彼女は私の目をしっかりと見つめて、
さも嬉しそうに言う。
「遂に私と同じ蓬莱人になってくれたね。本当に嬉しい。」
はてそんなことがあったかと、人ごとのように感じながらも、昨日のぼやけた記憶を
再生すると、昨晩酒に酔った弾みで妹紅に宣言し、血の滴る生き肝を食べた情景が
段々と脳裏に上演されてきた。ああ、しまった遂に人間で無くなってしまったと思う反面、
折角妹紅を愛したのだから、まあいいかと思う感情もあった。
「そういえば、月が綺麗だね、だったっけ?」
ほんの軽口で昨晩の口説き文句を妹紅に問いかける。
「そう、その言葉!本当に○○が言ってくれて嬉しかった。蓬莱人になってくれて、これで
一生、ずっと一緒に居てくれると思って。」
起き抜けであろうに、普段のクールな彼女とは違い、此方にぐいぐいと押してくる。
「汝健やかなるときも、病めるときも、愛しあうことを誓いますか、ってね。」
異国の宣教師を真似て彼女が軽口を叩く。
「誓います。」
同じく軽口を返すと、更に彼女の笑みが零れてくる。彼女の上辺のかつての姿は、人間と人外の
距離を保つ為のものであったのであろう。 ライオンが獲物を捕食するかのような、食い入る
ような彼女の姿を見ていると、年貢の納め時といった言葉が浮かんできた。

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最終更新:2017年01月09日 21:48