優しいうどんちゃん

 火曜日と金曜日の午後一杯に、古びた教室を利用して大学の日本文化サークルは活動している。
日本文化と言うからには能や歌舞伎、古典といった所謂お堅い物に興味がある人が所属するのか
と思いきや、実際にそんなことに興味がある人物は殆ど居ない。鈴仙、水橋、白井和といった
よくこの部室にいるメンバーは大抵他の友人より誘われた口であり、何処にもサークルに入って
いないことに外聞が悪いと感じるような学生が隠れ蓑として入っている位である。もしも日本文学
を研究したければ、こちらでは無く斜め向かいで活動している西洋魔術研究サークルに入るべき
である。副部長の七洋さんは見た目からして賢そうであり、実際色々な古典に詳しいと鈴仙は言って
いたし、部長の浦戸さんはシェイクスピアの古典を、原文で読むことが出来るらしい。

 そんな不真面目な学生が加入しているサークルで皆が何をしているのかというと、適当に暇を
潰したり、これまた適当に飲み会を開催したり、あるいは体育館でバトミントンやら近くのコートを
借りてテニスをしていたりやらと、もはや何でもありの状態であり、それは他の飲みサークルと
どう違うんだと、他の人から尋ねられても本人も首を傾げるかも知れない。しかし当人達は飽きも
せずにこの部室に足繁く通っており、他のサークルよりも部員の中が良いことが美点なのかも知れない。

 その部活には○○も良く通っているのであるが、○○にとっては少々困ったことがあった。何故だか
水橋、白井和といった二人がよく○○を気に掛けてくれるのはいいのだが、何故だか○○に近づこうと
してくる事である。美人二人に迫られるとは、両手に華でいいことと妄想する周囲もいるであろうが、
二人の迫り方が強烈であったり、挙げ句には二人が○○に近づく他の人を排除しようとするに至っては、
○○のストレスは増すばかりであり、近頃行きたくなかった部室に一層行きたくなくなる状態であった。
 そんな状態ならば、いっそのこと他のサークルに入ってしまえば良いのではないかと思われるかも
しれないが、五月病の季節はとうに過ぎ去り、初夏となって初めての定期テストがある時分になると、
自分一人で対策をすることは難しく、結局は部室に行くこととなっていた。


 ○○が部室に入ると十名ほどが思い思いに寛いでいる中で、いつも通りに水橋が話しかけてくる。
「こんにちは○○。ああ、貴方とっても遅いのね、ホント妬ましい。」
「こんにちは、水橋さん。そんなに怒らなくっても。」
口ごもりがちになる○○に、水橋は不機嫌のオーラを周囲に放ちながら、○○へ言葉を投げていく。
「全くそんなに授業が大事なの。貴方の時間を奪ってしまうなんて憎らしいんだから。」
いつもながらに嫉妬を振りまく彼女に対抗するのは、常人には少々荷が重い。そんな彼女に対抗できる
人物といえば、必然的に強烈な個性を放つ人物となる。
「そんなに○○と離れたくないなんて、みっともないですね。本当に大学生ですか。」
毒舌を放つ水橋に正面から遣り合うのは、白井和唯一人。普段クールな彼女であるが、水橋が○○に
絡むと割って入り、他の人が放置している彼女に向かって対抗する。惜しむらくは、
「駄目ですよ。○○は私の物ですから。」
劇薬に対抗できる人材もまた、取り扱い注意の劇物である事であった。

 白井和が○○の所有を宣言すると、水橋も負けじと対抗する。
「はん、○○を物扱いするなんて、馬鹿はあんたの方じゃないの。」
これが穏健な鈴仙から出た言葉ならば、○○にとって救いの言葉となるのであろうが、
生憎水橋も「大概」である。塩酸と水酸化ナトリウム、毒サソリと毒蛇、こういった
二人の関係の中で○○の救いは数少ない穏健派である鈴仙のみとなる。
「お二人とも、○○さんが困っているのですから、ちょっと押さえて下さい。周りの人も引いてますよ。」
 如何に仲の悪い二人であっても、○○との争い以外は常識的であるのか、鈴仙がこうやって二人の
間に割って入ると、水橋と白井和は矛を収めるのが常であった。願わくばこの常識を○○に対して
も発揮して欲しい所であるが、恋は盲目とかなんとかいう流行り言葉と相まって、この争いは
○○にとっても日常風景となっていた。


 ○○と鈴仙が一緒に帰る風景は最近増えた事であった。水橋と白井和が争っていることが増え、
どちらも一緒に○○と帰りたがるようになったため、○○も一度押し切られて一人と帰った事が
あるのだが、両方ともに○○の家に普通に入ろうとして、夕方になっても居座ろうとしたため、
夜になってしまうことを恐れた○○が実力行使をしてどうにか追い出したのであった。か弱い女性
を力ずくでどうにかすることなんて、高校以前の○○が聞いたら怒るようなことであるが、
背に腹は代えられない。そんなことがあって以降、○○は一人か然もなくば鈴仙と帰るように
していた。因みに二人一緒に帰った場合には、両者ともに家に居座ろうとして、階下の住人に
迷惑を掛けずに追い出すことが出来ない惨状となっており、誠に申し訳ないながらも鈴仙を呼んで、
どうにか両者追い出すことが出来た次第であった。
 二人が一緒に家に帰る最中、○○の住むアパートの前まで来た鈴仙は、ふと不審げに目を細める。
声を出さないように口に手を当て、○○を近くの電柱の影に隠してこっそりと一人でドアの前で
聞き耳を立てる。時間にすれば一分程であろうが、何が何から分かっていない○○からすれば
とても長い時間が経った後、鈴仙からメールが届いた。
「今すぐ近くのコンビニに行って待ってて下さい。」

 普段の可愛らしいデコレーションが一切無い、無味乾燥なメールであったが、それだけに只ならない
状況に追い込まれているのを○○は悟った。免許証とクレジットカードが財布にある事を確かめ、
直ぐに一番近くのコンビニに駆け込む。家に置いてある通帳は一先ず諦めた方が良いのだろう。
コンビニに着いた後、乱れた息が整った頃に鈴仙がコンビニに入って来た。鈴仙は籠を持ちながら
ドンドンとシャツや靴下といった男性用の着替えを籠に入れていく。部屋がどうなっていたのか知りたく
なった○○は鈴仙に尋ねた。
「ねえ、一体部屋はどうなっていたの。」
男物のパンツも真顔で籠に入れていた鈴仙が、此方を見ずに答える。
「多分白井和さんだと思うけれど、誰か部屋に居ました。」

「え・・・。鍵掛けていたけれど。」
驚く○○に鈴仙がこともなげに答える。
「複製されたんでしょう。」
「そんな・・・。」
いきなりな状況に途方に暮れる○○に対して、鈴仙が矢継ぎ早に指示を飛ばす。
「ほら、取り敢えず今日は駅前のビジネスホテルに行きますよ。貴重品は明日友人に頼んで
持ってきて貰って下さい。」
「やばい、まじでヤバい。ホントにヤバい。」
言葉を繰り返す程に混乱する○○に、鈴仙は優しく声を掛ける。
「数日ホテルで暮らして、直ぐに引っ越し屋に頼めばいいですよ。大学の北の方なら少々高い
けれど、女性向けのしっかりしたセキュリティのアパートがありますから。」
「お金が・・・。」
とんちんかんな心配をする○○に、鈴仙は尚も根気強く説得する。
「安全第一ですよ、○○さん。いざとなれば、二十万位なら融通しますから。ほら、私永遠亭で
バイトしてまして。」
「ああ、あの大きな病院の・・・。」
○○の意識を別の方向に向けた鈴仙は、流しのタクシーを捕まえて運転手に行き先を告げる。
「ほら、一緒に行ってあげますから。心配しないで。」


 結局その日はホテルを取った○○は、一週間後には鈴仙の勧めに従って、次の引っ越し先に荷物を
運び入れていた。元々服などの荷物が少ないことが幸いし、非常に早く引っ越すことが出来ていた。


近くの看護婦が会社の借り上げ寮としても使っているという、やや古いながらも重厚なコンクリート
のマンションは、最近大家がリフォームをした所為か見た目には新築とさほど変わらないように見えた。
 しかも○○にとっての一番の利点は、会社の寮ともして利用される所為かオートロックが二カ所もあり、
監視カメラがきちんと設置されていることであった。一階の廊下も庭と柵で封鎖されており、不審者が
入り込む余地は無いように見えた。もっともその所為か家賃は他のアパートよりも一万円程高くなって
おり、○○は当分は大人しく節約しておこうかと思っていた。
 引っ越し当日に、上下の部屋に引っ越し祝いを持って行った○○は、夜分になってから、昨日は呼び鈴を鳴ら
しても留守であったのか、誰も出なかった隣の部屋を訪ねていた。管理人の話であれば此方も新しい人が
入ることになっているそうであるので、恐らく昨日は引っ越し作業で留守にしていたのであろう。

 ○○が呼び鈴を鳴らす。チェーンを外す音がした後に、目の前には数日前に会ったばかりの鈴仙がいた。
引っ越し作業で○○は大学を昨日、今日と休んでいたため、鈴仙もまた休んでいたことを知らなかった
○○は、驚いて鈴仙に話す。
「え、鈴仙が隣なの!」
「ええ、ここ前に勧めていたでしょう。永遠亭の関係者なら、安く住めるんですよ。」
納得しかけた○○であったが、しかし鈴仙は別の所に住んでいたはずだと思い直して尋ねる。
「前のマンションは?」
「最近不審者騒ぎがあったので、引っ越しました。まさか○○さんとお隣なんてびっくりですよ。」
「ああ、そうなんだ・・・。」
ビックリしたと同時に、言い様のない這い寄ってくるような不安感を感じた○○は、隣に住むのなら、
掛け合って部屋の料金をお安く出来ますよと言う鈴仙の言葉を聞き流し、その日は早々に散らかった
部屋で休むこととした。


 その日以降、鈴仙と一緒に大学へ行くことが増えた。以前は帰るときに時々であったが、こうも
頻度が増えた所為か、なんだが鈴仙が可愛く見えてくるようになった。優しいだけの印象であった
鈴仙であるがよく見ると、美人の水橋や氷の女王の白井和とは違う、愛嬌のような優しさが感じ
られる気がした。そうすると必然的に距離が縮まってくるようになり、○○は色々な事も鈴仙と
話すようになった。そしてある日鈴仙と話していると、バイトの話から家賃の話となった。
「そういえば鈴仙、このマンションは永遠亭が借り上げているんだって?」
「そう、会社の補助が出るから、安く住めますよ。」
「いいな~。」
自分の安全のためとはいえ、学生としては高級なマンションに引っ越した○○は、やや金欠気味であった。
「○○さんも、安くしたいですか?」
「そりゃあ、当然。」
「分かりました。ちょっと待っていて下さいね。」
そう言って鈴仙は話を打ち切ったのであるが、○○としてもその後直ぐに忘れてしまった。
 次の土曜日に鈴仙がチャイムを鳴らす。今日は大学は休みであるのだから、何かメールで連絡してきた
用でもあるのかと、ドアを開けた○○は鈴仙に誘われる。
「○○さん、今日は取って置きの方法を案内しますよ。」
「方法?」
「そう、前に家賃を安くしたいと言っていたでしょう。」
「ああ、そういえば。」
「ですから、」
自信満々に鈴仙は自分の隣の部屋を開ける。
「此方に○○さんに住んで貰えれば・・・。と思いまして。」
「うわ、更に広いね!でも、余計高くない?」
「大丈夫ですよ。二人で割れば其程でもないですから。」


「え?」
思わぬ言葉に○○は詰まる。二人とは誰なのか。その考えに頭を回転させると一つ答えが浮かんでくる。
「ひょっとして、鈴仙と同居?」
「そうですよ、ハウスシェアリングですよ。今風ですよ!」
「マジで?」
余りにも飛躍した考えに、思考が一向に先に進まない。同棲とは、男女ならば、一つの部屋。そういった
言葉が浮かんでは消え、脳と口が固まってしまう。すると鈴仙が○○の目を見て、問いかける。
「ねえ、○○さんは、私のこと好きですよね。」
「うん。」
「だったら、同棲しても問題ないですよね。」
「そうだね。鈴仙。」
「恋人ですもんね、一緒に住んで当然ですよね。」
「勿論だよ、愛しているよ。」
問いかけの形を取っている。取っているのであるが、しかしその答えが肯定しかないのであれば、
それは確認か強制ではないのであろうか。もっとも、○○からすればそれは今後思考に上ることはないので
あろう。彼の中では「やさしいうどんちゃん」は、ずっと「こいしいうどんちゃん」であったことに
なっているのだから。

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最終更新:2017年01月09日 22:07