◆Dreamy Sweet Night
――自分が死ぬ夢を見た。
「うわぁああああああああああ!!!」
何度も。
「はぁ…はぁ…はぁ……」
何の前触れもなく、突然のことだった。このところ数週間立て続けにそんな夢を見る。
妙に生々しくて起きた直後は現実と夢の区別がつかないほどだ。
夢の中では‘夢’だと気付けない。故に毎日のように飛び起きる。
そんな事が続いたある日、夢の中で一人の女性に会った。
夜空みたいに深く青い髪。サンタクロースのように真っ赤なナイトキャップ
白と黒の服に、これまた白と黒の玉がついている。
そしてその手には本とうねうね動く奇妙なピンクの物体
『こんばんは、○○さん』
「あなたは誰?ここは?どうして私の名前を知っているのですか?」
彼女は私を知っているようだった。でも私の知り合いにこんな奇妙な格好をした者はいない。するとこれは妖怪の類なのだろうか。
『ああ、随分とせっかちなのですね。夢の中だというのに』
「夢…ですか?」
『そうですとも。ここは夢の中ですよ。…今日は怖い夢、見なかったみたいですね』
「ええ、そうみたいで……えっ…?」
なぜ知っているのだろうか、初対面なのに…誰にも話していないのに…
『フフフ…困惑していらっしゃるみたいで』
『私はドレミー・スイート。夢の番人、とでも言いましょうかね…あぁどうなんでしょう…フフ』
夢の番人…成程、それならば私が今までみた夢の事を知っていてもおかしくはない。
それならば
「それなら私が怖い夢を見ないように何かしてくださいよ」
当然、こうも言いたくなるわけで。懇願するような視線を彼女に送ってみる。
『そうしてあげたいところは山々なのですが、そういうわけにもいきません』
「どうしてですか?」
『色々あるのです。あなたには説明できない事情が、ね』
つれない回答だった。まぁ、夢の管理者を名乗るくらいなのだから
彼女の立場も噂に聞く‘天狗の縦社会’というものに近いのかも。
そうであれば上司の無茶を必死できいている可能性だってある。
もしそうなら無理を言うのもはばかられる。
そんなつもりはなかったかどうやら露骨に表情に出てしまったらしい。
落胆する私に彼女は…
ドレミーさんはどうしていいものかとオロオロしていた。
そんな姿をちょっとおかしく思ってしまう。
夢で笑ったのなんていつ以来だろうか
『あの…○○さん?大丈夫ですか?』
「あっ…いえ、すみません。‘まともな夢’を見たのは久々なのでつい…」
『…フフ、そうでしたか。楽しんで頂けたのなら幸いです』
『ですが、時間です』
彼女がぱちんと指を鳴らすと、ゆっくり視界がゆがみ始める。これは一体…
『明けない夜はありません、少なくとも今は。ですから今回はこのままお別れです』
なるほど、要は朝が来た…ということだったのか
『ではまた…ンフフ…次もよい夢を』
―――――
「……あ…ぁ…?」
目が覚めると小鳥のさえずりが聞こえてくる。なんてすがすがしい目覚めなんだろう。
「――?!」
悪夢から解放された?
ここに来て初めての好転だ。何かいつもの悪夢とは違った夢を見ていたような気がするけれど…思い出せない。いや、もう夢の話なんてどうでもいい。
すばらしい目覚めに感謝、そして一日の始まりに胸を高鳴らせる。
願わくば明日もこんな目覚めを。
――――
――
「あああああああああああああ!」
現実は非常である。次の夜からはまた悪夢の連続が始まった。
しかも内容も段々と恐怖の度合いがつよくなってゆく。
頻度も増える。夜でも、昼寝でも、たった数分の転寝でさえも。
そんなことが今まで以上に続けば、やがて眠ることが恐ろしくなり、徐々に睡眠に費やす時間が減っていくのは想像に難くないだろう。
だが人間は眠らなければ生きてはゆけない。
私はだんだんと疲弊してゆき、ついには屍人とそう大差ないほどやつれてしまった。
万策尽き果て、里で定期的に見かける薬売りに相談してみたところ‘胡蝶夢丸’というものを貰えた。
なんでも好きな夢を見る事ができるらしい。
きっとこれで悪夢から逃れられる。
藁にも縋るような思いで飲んでみたところ、早速変化が訪れた。
森の中を散歩している夢。枝葉の間からは暖かい木漏れ日が降り注ぎ、時折小鳥のさえずりが聞こえてくる。ああ、なんてここちよいのだろう。
恐怖などとは無縁の空間。
動物たちがこちらをみている。手を振るとなんと向こうも手を振り返してくれるではないか!これはすごい!たのしい!かわいい!
少し進むと新緑の木々の中で白と黒の小鳥たちがさえずっていた。
[ぺぽぺぽ ぺぽぺぽ]
[ぺぽぺぽ ぽぺぺぽ]
奇妙だが不思議と安心する鳴き声だ。
鳥たちに導かれるように走り出す。気持ちいい。
ふと見渡すと、木々の間からはたくさんの花々やたくさんの顔のない何かが一斉にわたしを見てみてみてみみみみみああああああああああああ
恐怖と嫌悪感が綯交ぜになり、胃が裏返りそうになる。
それまでの安らぎなどまるで無かったかのように
泣き叫びながら必死に逃げ惑う私を顔の無い顔がたくさん追いかけて来る
いやだ!いやだ!助けて!助けて!たす――
『はい』
どこかで聞いたような安らかな声が聞こえた ような気がした。
気が付くと私は木陰で横たわっていた。…いや、膝枕をされ、頭を撫でられている。
『随分と魘されていましたね』
「あ…ぁ…」
聞き覚えのある声、この不思議な装飾の服…
『安心してください。こわいゆめは私が処理しました。あなたは槐安は守られたのです』
彼女はたしか、夢の番人を名乗って…。そうだ、彼女は…彼女の名前は――
「ドレミーさん…」
『――っ』
一瞬、彼女の手が止まった。とても驚いたような顔をしていた。
『……覚えて頂けていたのですね。うれしい限りです』
一瞬、驚いたような顔をしていたが、すぐに笑顔に変わった。
ねっとりとして、視線を固定されるような、それでいて慈愛に満ちたような…そんな笑み。
そんな表情に見とれている最中、彼女は唐突に話を切り出した。
『そう言えば、○○さん。あなたは今催眠療法のようなものを受けていたりしませんか?』
「いえ…そんなことはありませんが…」
『そうですか…ふむ…』
ドレミーさんは空いた片手を口元に当て、なにやら考え事は始めてしまった。
頭を撫でている手も止ってしまう。
「あの…なにか…」
『…あっ、いえ。実はあなたがさっきまで見ていた悪夢についてです』
さっきまでの悪夢…その反芻してみる。が、内容が思い出せない。
だがとてつもない数の恐怖と不快感に追いかけられたような――
『ああ、思い出さなくて結構です。大部分は処理しましたが、残滓を無理に思い出そうとすると記憶に定着してしまいますよ?』
『そうなれば今度は現世でも‘見えて’しまいます』
それは困るので、おとなしくドレミーさんに撫でられる感覚に集中する
『で、その悪夢なのですが、強制的に誘導されたような夢だったんです。特に、楽しいと感じる方向へ…ええ。なにか心当たりは?』
「それは…」
具体的な内容は霞がかかっていて思い出せない。だが楽しい…といえばおそらく胡蝶夢丸のことだろう。私はその胡蝶夢丸について、薬売りから聞いたことを全て伝えた。
『…なるほど、それのせいか…』
『わかりました。では○○さん、その丸薬を飲むのはこれっきりにしてください』
「そんな…!そうしたらまた悪夢が!」
胡蝶夢丸は一縷の望みだ。
胡蝶夢丸を飲んでなお悪夢を見たのは間違いないはず。悪夢を処理された今でも悪夢の不快感は残っていることが証拠だ。しかし、その感覚は今までの悪夢の残滓と比べれば格段に小さいのだ。
8割分の効果はあると言ってもいい。
「もうあの恐怖はいやなんです…怖い…いやだ…あの薬だけが頼りなんです…」
気がつくとわたしはわんわん泣いていた。ぼろぼろになった心をむき出しにして。
『大丈夫ですよ、○○さん。わたしがいますから。』
『こわいものは、ぜんぶ私が除いてあげますから』
『だから、お薬なんてやめてしまいましょう』
『大丈夫、ずうっとわたしが見守ってあげますから、ね?』
彼女の言葉がすうっと沁みこんでくるのがわかる
ドレミーさんは私が泣き止むまで嫌な顔一つせず抱きしめていてくれた。
慈愛に溢れた安らかな微笑みを浮かべながら、ずっと。
――――
――
『もう、大丈夫ですか?』
「…はい…ごめんなさい…」
大分取り乱してしまったようだ。ドレミーさんの服に皺が寄ってしまっている。
『…もう、起きる時間ですよ?』
「……」
『怖いのですか?』
「…はい」
起きればまた寝る時がきてしまう、そうなればまた…。
だったらずっとこのまま、どれみーさんといっしょにいたい
『もし怖い夢に入ってしまったら私の名前を呼んでください。』
『たとえ白昼夢であったとしても、私が駆け付けます』
「でも…覚えていられるか…」
『大丈夫ですよ。あなたは私の名前を覚えていた。間違いなくできます』
どれみーさんがここまで言ってくれている。
『さぁ、ゆきなさい』
「…はい!」
私は自らを奮い立たせるように強く返事をした。
それからは悪夢に遭遇する度、彼女の名を呼んだ。
そうすれば、彼女は応えてくれた。
あるときは頭を撫で、あるときはぎゅっとしてくれた。
毎日、毎日。
彼女こそが私の希望であり、心の支えだった。
初めは悪夢から逃れたい一心だったが、いつしか彼女が目的となり
寝る事がどうしようもなく楽しみになって。
やがて悪夢など消え去り
そうして数か月が過ぎていった。
『また会いましたね。○○さん』
「またきました、ドレミーさん」
他愛もない会話を紡ぎ、共に過ごす。
それがわたしにとってはとうしようもなくしあわせで、かけがえのない時間。
「私は思うんです、こうしてドレミーさんとお話している時がとっても楽しいんです」
「そして、唯一安らぎを感じるんです」
『そうですか。それはそれはよかった。ですがこれ以上はよろしくありません』
この関係への始めての否定の言葉。突然だった。
「…なぜ?」
『夢は現実以上に精神を侵します』
彼女は相も変わらずねっとりとした微笑みを向けてくる。
この目つきが、口が、声が、全てがわたしを狂わせる。
『あなたも分かっているのでしょう?眠っている時間がどんどん長くなっている事に』
確かにその通りだ。起きている時間がどんどん短くなっていることは実感としてあった。
生命の維持に必要な行為に費やす時間以外はほとんどすべて寝ている。
それゆえ、彼女が今言った言葉は警告なのだろう。
しかし、この目を見ると視線をそらせない。
妖しく動く口元が、わたしの意識をとらえる。
艶やかで絡みつくような声が、頭に響く。
もうドレミーさんしかみえない、きこえない、かんじない
『このままだと貴方は二度と現世に戻れなくなりますよ』
いやちがう。ドレミーさんをみたい、ききたい、かんじたい
『それでも良いなら、ずっとここにいさせてあげますけれど…どうします? 』
そうだ…私は…わたしは!
「ドレミーさん!わた―――」
『そんな事を言っている間に起きる時間になりましたよ。ああ、今回もお別れの時間ですね』
私が返事をしようとした瞬間彼女が時間切れを告げた。いやだ、待って。
『今回は一体何時間……いえ、何日間眠っていたのでしょうね』
『でもどうか安心してください。ここで起きればもう二度と私に会う事はないでしょう』
『さすれば貴方は日常へと戻ることができるでしょう』
いやだ、いやだ。まって、ドレミーさん。
『では、さようなら』
みるみるうちに彼女が遠くなってゆく。手を伸ばすたびに手が届かなくなっていく。
いかないで、ああいかないで、どれみーさん。
「―――ッ!――っ!」
私は必死に叫んだ。声にならない声を上げ、必死に彼女にすがりつこうとした。
しかし私の意識は急速に肉体に引き寄せられていく。
やめて、ひっぱらないで、助けて、ドレミーさん
『現実に未練はないのですか?』
ドレミーさんの声が聞こえる。待ってて、今行くから。
『無理やり来てはいけませんよ?』
どうして?いやだ、行く
『それ以上は…ああ、切れてしまいます』
みしみしと千切れそうなロープが軋むように身体から嫌な音がする
痛い、痛い、心と体が千切れそうな痛み。
なのになんで私は進もうとするの?何でこのまま戻りたくないの?
決まっている。だって、だって私は――
「ドレミーさんとずっと一緒にいたいから!!!!!」
全身全霊を込めて叫んだ。
そして私は真っ暗闇に放り出された。
しばらく何もわからず漂っていたが、自分置かれた状況を認識した瞬間、強烈な孤独と恐怖に襲われる。
「どこ…ここどこ?…こわい…どれみーさんどこ…?」
返事はない。それどころかまわりの音は消え、光も無く、ただ暗黒空間を漂っている。
まるで魂を鷲掴みにされたような異様な不快感に苛まれる。
「どれみーさん…!どれみーさん!!こわい!!どれみーさんたすけて!!!」
半狂乱になって暴れまわるが、手足の感覚は無い。それどころか自分の体がどうなっているのかもわからない、わからない、くらい、みえない、きこえない、こわい
『ああ、こんなところにいたんですか』
真っ暗闇に一筋の光が差した。ドレミーさんだ!!でも何故か声が出ない。
『フフ…もう大丈夫ですよ。全てうまくいきました。さぁ、いきましょうか』
彼女のやさしい声を聴くだけで脳髄が甘く痺れる
彼女に抱きしめられる度にしあわせがあふれる。
ふわふわ、ふわふわ。いっぱい、どれみーさん、しあわせ。
『そうですか。ああ、それはよかったです』
どれみーさんといっしょなら、わたしはいっぱいしあわせ
考えたことがそのまま彼女に伝わっているようだ。
彼女と私の間にはもはや言葉すら必要ないのかもしれない。
ああ、どれみーさん、どれみーさん、すき。ああどれみーさん、だいすき
『フフ…私も好きですよ、○○さん。いえ、愛しています。こっちの方が正しい表現です』
どれみーさん。ああ、どれみーさん。しあわせ。わたしもあいしています。すき
『これからもずっと一緒ですよ』
どれみーさんと、ずっといっしょ。いっぱいしあわせ
もう、夢しか見えない。
―――――
―――
『ンフフ…ああ…ようやくこの時が来ましたね…ああ、長かった』
もはや私以外についての興味を完全に失った○○さんを‘手に乗せる’。
わたしは只ひたすらに、夢魂だけの存在となった○○さんを撫でていた。
『初めて会った時からずっとずっとこうしたかったんですよ?』
そっと、○○さんを抱きしめる。
とくん、とくん――
○○さんの想いが熱となり身体に伝わってくる。ああ、なんて暖かく、そして心地良いのだろう。
『あなたの方から、あなたの意志で‘こっち’へ来てくれるなんて…うれしい』
思わず笑みがこぼれる。幸福感でどうにかなってしまいそうだ。
と、言ってもこうなるように仕組んだのはこの私。夢の支配者、ドレミー・スイート。
胡蝶夢丸なんてなんの意味も成さない。
『怖い夢も、私との楽しいひと時も、全部私が作った‘夢’なんですから』
○○さんは結局気がつかなかったみたいだけど。
夢の中では何者にもなれる。夢を通じて何者にもなれる。
それは夢の中では夢魂という存在になるからだ。
○○さんは夢の中で現実への回帰を否定した。それは現実の肉体と夢魂のリンクを切断する事にほかならない。
それだけのことならば、○○さんの全てを‘こっち’側へ導く私の作戦はまだ終わらなかっただろう。
しかし○○さんの思いの強さによって現実の肉体に宿る魂をも引き抜いてしまった。
こうなれば現実の肉体は魂を失った抜け殻になる。
通常、肉体の死をもって魂が肉体を離れるのだが、その順序が逆転してしまえばどうなるか。
存在する意味が消滅した肉体はグズグズの灰になって消え去り、シーツの上には燃えカスを人型に散らしたようなシミが残るだけだ。
○○さんは図らずも自らの意志で肉体を消滅させた。
戻るべき肉体を失った夢魂は二度と現世に戻ることは無い。
永遠に私と共にある。共にあり続ける。
そう、これでずうっと一緒にいられる。
ドレミー ・ スイート ・ ナイト
『ようこそ。永遠の “ 夢みるような甘い夜 ” へ(ドレェ…』
ああ、愛しい貴方と共に、永遠の春夢を。
ENDoremiy
最終更新:2017年05月28日 07:21