「まさか貴女が……」

という言葉を○○は寸でのところで飲み込んだ。
博麗神社へと続く参道の前、○○の前に立ったのは赤藍の装束に均整のとれた肢体を包み、艶やかな銀髪を背に滑らせる女性………八意永琳であった。
幻想郷の女性達の深く重い愛情は○○の知るところでもあったが、しかしあの理知的で玲瓏たる彼女がこうして立ちはだかることには、やはり困惑は隠せなかった。

「………」

永琳はただ、黙して○○の前に立つばかりである。
しかしその様子が却って雄弁に○○へと語りかけていた。
彼女、永琳は○○の知るなかで妖怪、人間、神を合わせても、おそらくは最強の存在だ。
その力をもってすれば人間一人、つまり○○をこの土地に縫い付けるなど腰をあげる迄もないだろう。
永遠亭の奥、診察室の椅子に座ったままで事を完璧に済ませることも可能な筈だ。
しかし今、こうして直に○○の前を塞いでいる。

(そんなに俺の事を………貴女程の人が何故、そこまで?)

「貴方のそんなところか、気に入って。かしらね」

と、初めて永琳が声にだした。
それは自嘲げで、「仕方がないのよ」とでも言うように力なく眉を下げた。

「俺はそこまでの男じゃ……」
「等価交換ではどうかしら」

初めから予想していたのか、○○が言い切るのを遮って、永琳は一歩、前に出た。

「交換……?」
「そう。貴方がここに居てくれるなら、私の全てをあげる」

ここに、といって、永琳はその中華風の服の釦を上から二つ、中指と親指で弾くように解くと、みずからのその豊満な胸に手を当てた。
普段の永琳なら「そう、交換」と合いの手挟むところだが、しかし彼女は急いで言い切った。
きっと「ここ」というのは色々な意味を持つのだろう。
幻想郷という土地、永琳という女の心、そしてその胸の上に……と。
俺にそこまでの価値がない、とはもはや言えない。
彼女自身が等価値と、示したモノに同じ言葉を向けることになる。
永琳がそう言い切った以上、舌戦でそれを覆すことは不可能である。

「わかったよ」

そう言う他なかった。

「………」

「………俺のものになってくれませんか?」

ほんとに?と、上目遣いで問うてくる永琳に、○○はいよいよハッキリと印を捺すほか無かった。
想像を絶する程の智と力を持ちながら、こうした仕草を嫌みなくしてのける………恐ろしい女であった。

「嘘だったらひどいわよ?」

ノータイムで○○の腕の中に収まったまま、吐息を○○の胸に染み込ませるように愛撫めいて永琳は釘をさす。

○○はなにも言えず、ただ目の前にある形のいい頭を掌で撫でさすった。
もしかしたら……。
もしかしたら、今少女のように胸の中にいる彼女の姿こそが本来の彼女かもしれない。
それは無いなと分かっていながら、「俺の永琳はこうなのだ」とも自惚れたい欲求が湧く。
そしてきっとこれも永琳には筒抜けなのだろう。ザルのように。

「きっと、楽しいわよ、私は」

これもまた、色々な意味にとれる言葉を首筋にはきかけると、永琳は瞳を閉じてついっと唇を差し出した。
ふるん、と柔らかな舌触りを確かめてから吸い付かれたソレは少女の弱々しさとは正反対に、積極的に触れ合いを求めてきた。

「ん、ふ、ふぅ……んんんっ、んーーはぁ……」

生々しい匂いの鼻息が、遠慮なく○○の鼻腔を犯す。

「んー、ぷばっ………ふ、ふふふふふ! 素敵!………ああ、そうだわ、忘れてた」

と、○○の、胸におでこを擦り付けていた永琳が、躁鬱のようにうって変わって冷たい声で離れた。
その様子に○○は不安を掻き立てられたが、しかしそれも一瞬。

「良かった………死なずにすんだわ」

言うが早いか、永琳は胸元から出した薬瓶を踏み砕いた。
薄いガラスは易々と砕け、内容物は全て土に還った。

「ね、帰りましょう。その……アナタ」

明確に貴方とは違うアクセントで永琳は○○を呼ぶと、その腕をとって寄り掛かりながら歩き出した。
ひどく歩きづらいが、永琳はお構いなしに十歩歩くごとに○○を見詰めて、二十歩歩くごとに愛を囁いてきた。
それは永遠亭につくまでずっと続いた。
「死なずにすんだ」という永琳の言葉を詳しく問う時間は、○○には全く与えられなかった。

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最終更新:2017年01月09日 23:38