「―――実は○○さんには、守矢神社に入って貰いたいんです。」

昨日の今日で僕を呼び出したかと思えば、素っ頓狂にそんなことを言ってくる。
相変わらずの暴走ぶりに、人間はそうそう変わるものではないと思いながら、自
分の安寧のために昨日と同じように、当たり障りの無い答えを返しておく。

「いえ、そんなことを急に仰られても、此方としては色々不都合がありますし…
 あまりにも急でして…。」

それが昨日と同じように、糞ったれた結果を齎すだろうと薄々感じながらも。
 しかし緑髪の目の前の女は、此方の事などはお構いなしに攻め立ててきてい
る。あそこまでいっそ突き抜けることが出来たなら、却って悩みが無くなってす
がすがしいと思えるのであろうが、生憎そこまで常識と人間らしさを捨て去る訳
にはいかない。

「大丈夫ですよ○○さん。○○さんの悩みは私が全て解決しますよ!」

「いえ、そんな…。早苗さんの手を煩わせる事では御座いませんから。」

-だから、お前の所為で悩んでいるんだろ!-と心の中で言い捨てながらも、
目の前の奴をどうにか言い包めようと、僕の口は必死に言い訳を探していく。

「此方にも仕事がありますので、全てを守矢の方に向けるのは少々。」

「もう、○○さんは仕事と私、どちらが大事なんですか!」

世の中のパパがよく言われているであろう事を言われるが、大抵の男性は-お前
の為に仕事をしているんだろ!-と思っていることであろう。しかし早苗と家族
になった積りが欠片も無い時分としては、仕事の方に天秤が大きく傾く。一方が
軽すぎるだけであるのだが。

「私知っているんですからね。○○さんがいつも仕事で頑張っていること。この
前も暑い日に、町中で一日中売り子をしていていましたし、その前は村はずれの
畑で収穫の手伝いをしていましたし。駄目ですよ、折角渡した麦わら帽子を被っ
て貰わないと、流行りの日射病で倒れてしまいますよ。」

ごく自然にストーカーしていることを暴露しながら、早苗は俺に感情を向けてく
る。おそらく本人は、「これ」が悪事とは一片たりとも思っていないのだろう。

「いやあ、お恥ずかしい所をお見せしまして。しかし、あの日は一日一人だった
のですが…。」

取敢えず牽制をしておくが、蛇のように面の皮が厚いこの女には、効かないので
あろう。案外先祖に、蛙に加えて蛇の神様も入っているかもしれない。

「ねえ、○○さん。」

案の定、僕の言葉には答えずに、早苗は僕を抱き寄せてくる。

「こんな外では駄目ですよ。早苗さん。」

家の中でも駄目だがな、と心の中で付け加えて窘める。

「キスしてくれたら、許してあげます。」

「駄目ですよ。幾ら人気が無くっても、誰が見ているか分かりませんよ。」

そもそも許される様な悪い事などは、天に誓って何もしていないのであるが、山の
元締めからすれば、「わるいこと」なのかもしれない。絶対に受け入れたくない感
覚であるが。それでも早苗は僕に口付けをせがむ。

「ほら、今は誰もいませんから。」

そして一陣の風が吹く。


守矢神社への帰り道に、一人早苗は自身の唇を撫でて呟く。

「絶対に逃がしませんよ、○○さん…。」



 翌日の朝、家が突風に煽られたかと思うと、家の引き戸に新聞が一部挟まってい
た。見出しには大きく文々新聞の文字がついている。珍しく天狗の号外が発行さ
れたかと思い、はてそんな大事件など最近あったかなと、新聞の一面を見ると大き
な白黒写真で、自分と早苗の昨日の姿がはっきりと納められていた。
 思わず手が震えて、新聞がバラバラになり畳に落ちる。余りにも急な展開に自分
の頭がついていかないが、どうにか畳に這いつくばって新聞をくしゃくしゃにしな
がら集めて読む。驚きの余りか活字に目の焦点が合わずに、顔を紙に近づける。近
眼の様な格好になりながらも、どうにかこうにか本文を読んでいくと、僕と早苗の
熱愛報道として、無いこと無いことばかりが載せられている。
 妄想をここまで広げる人間が居たのならば、さっさと永遠亭の地下室にでも、
収容してしまうのが世のため人のためであろうが、生憎相手はプロの文屋である。
これくらいの作文は朝飯前であろうし、ご丁寧に-続報にこうご期待を!-と煽り
文句を入れていることからも、之だけで追求を終える積りは一蒙も無いようである。

 このままこの新聞を放置することは出来ない。なし崩しに守矢に取り込まれるので
あろうし、早苗の様子からすれば、嬉々として之を既成事実にしてくるのであろう。
そうなれば、神社の神二柱も面子に掛けて黙ってはいないであろう。兎に角、自分が
潔白で有ることを烏天狗に訴えねばならないし、守矢神社にも言って早苗を説き伏せ
ることが必要であろう。新聞をよく見ると幸いにも、今朝の第一版である。射命丸が
気を利かせて第一版を持ってきたのならば、自分が訂正をする時間を与える積りであ
ろうし、第二版以降で回収なりなんなりが出来るのであろう。そう思い急いで家を
飛び出す。一路目指すは妖怪の山。

 妖怪の山に着いた時分には、日が大分高くなり真夏の日差しがじりじりと僕を照ら
していた。滝の様に流れる汗をぬぐいながら、乱れ切った息を整える。烏天狗に訂正
させると意気込んでここまで無我夢中で走ったは良いものの、よくよく考えると天狗
だからあんなに早く移動できるのであって、高々人間が全力で走ったとして、空を飛
ぶので無い限りは、到底間に合いそうにもない。さてはそれが狙いだったかと内心忸
怩たる思いを抱きながら、妖怪の山に足を踏み入れる。


 妖怪の山に入って数分、今までの全速力が祟り亀の様な歩みしかできない○○目が
け、早苗が空から飛んでくる。

「そんなに急いで大丈夫ですか○○さん。神社までご案内しますね。」

-誰の所為でここまで汗掻いてんだよ-と当然の如く感じるが、それを押し殺して
早苗の手を繋ぐ。上機嫌になった早苗とは逆に急降下したテンションで、○○は守
矢神社に早苗と共に飛んで行った。本音では先に烏天狗の方に行きたかったのであ
るが、早苗を説得して射命丸に睨みを利かせて貰った方が、権力に弱い天狗には返
って好都合かもしれないと思いなおす。

 余談であるが、ここで○○が先に天狗の方に行っていても、先に想像した通りに
歯牙にも掛けられずに、あっさりとあしらわれるだけであっただろう。

 しかし、しかしながらに、先に守矢神社の方に行った場合でも、「○○にとって
の理想的なこと」になるかと問われれば、それは明確に否なのである。一寸先は闇
と世間では言うかもしれないが、今回は全ての道は羅馬に通ず、と言った方が正確
なのかもしれない。先は幸福か不幸か、結果は現人神のみぞ知る。



神社に入ると、山の上に建っているためか肌に涼しい風を感じる。夏の暑さと蝉の
喧騒から隔絶されたような社屋で、僕は早苗と向い合せに座っていた。あいつが淹
れた茶なんぞは飲みたくないのであるが、無我夢中で走って来たため生憎体は水分
を強烈に欲していた。よく冷えた麦茶を飲む。ここでは珍しいガラスに入った冷た
い麦茶は、悲しい程に美味しかった。

「一体どういうことですか。」

一息ついた後、早苗に問いただす。此方が主導権を握る為に敢えて何かとは言わずに
おく。目の前の女は何やら考える様子であるが、一向に答えようとはしない。爬虫類
並みの思考能力しかない早苗に腹が立ち、つい強い口調で怒鳴ってしまう。

「どうなっているですかあの新聞は!あんな出鱈目どうするつもりですか!」

ついつい普段の冷静さ殴り捨ててしまうが、我が道を行くであろう早苗は堪えてい
ない。

「ああ、「あれ」ですか…。別にどうでも良いでしょう?あんなもの。」

烏天狗の力作を一刀で切り捨てた早苗を見て、一番懸念していた両者が繋がっている
という可能性が消えたと思い、早苗を動かす算段を頭の中で整理する。走りながら浮
かんできた、巫女として求められる純潔性を利用し、不純とされる異性との交際をあの
二柱から直々に禁止させて自分を排除させることで、今朝のスクープを消してしまう
アイデアが一番楽だ・・・

「○○さんは私の夫になるのですから。」

「ちょっと待って下さい。幾ら何でも無茶苦茶でしょう!」

「どうしてですか。」

「どうしてって…」

-お前が嫌いだからだよ!-と言えずに口ごもった僕に、早苗が言葉を続ける。

「ねえ○○さん、あちらに諏訪子様がおられますよね。」

早苗の指差す方に釣られ、首を動かしてそちらを見た僕の視界の端を、何かが一瞬横切
る。首に熱い感覚と一瞬の痛みを感じると、体の力が抜けて正座が出来なくなる。

「え、ちょっ…、まっ…。」

舌が縺れ、背骨が溶けたかのように崩れ落ちた僕に、早苗はにじり寄る。僕の腰を支点に
上半身を仰向けにさせ、背中に手を回し僕を押し倒してキスをする。

「○○さん、愛しています。貴方が私を嫌いでも、奇跡の力で変えますから。」

「嫌だ…」

「駄目です。」

早苗は力強く断言する。この神社に入った時点でもう彼女に囚われていたのであろうか。
 ひとしきり囁いた後、満足したのかひっついていた体を離す。このまま解放してほしい
と願う僕を、彼女は細腕で引きずり奥の部屋に向かっていく。
 襖を開けた先には、一つの布団と二つの枕。僕は蛇の様だと内心見下していた彼女に、
蛇の如く巻きつかれ、丸呑みされ、捕食されたことを知った。

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最終更新:2017年01月09日 23:52