秋、というものは他の季節に比べて変化の激しい季節である。
気候の変化、心境の変化。暖から寒への移ろいと共に心も変化するのだ。
ある者は年の末へ向けて気を引き締め、ある者は散りゆく葉に別れを重ねる。
しかしそれも流れる雲と同じ。ため息ひとつ吐く間に風と消えるのが世の常といえるだろう。
だが果たして私はどうなのだろうか。
「――ふー…」
清楚可憐な仙人こと、この私、霍青娥は湯呑に刺さった桜の木の枝を眺めてまどろんでいた。
湯呑には盆栽よろしくこんもりと土が盛られ、表面には緑の苔が生え始めている。
こんなことをして面白いかと聞かれれば、そうではないと答えるだろう。
ではなぜこんなものを飽きもせず眺めているのかというと、
ソレが○○さんの遺した唯一のものであるからだ。
そう、あのひとはもう、この世にはいない。
訃報を聞いた時も涙は出なかった。もう‘慣れた’ことだから。
惹かれた理由は‘会ったことがあるような気がする人’だったから。
帰る場所を失った私はこの国にきて
殿方と出会い、ささやかな日々を共に過ごした
だが何も残さず、そうしているうちに別れは訪れてしまう。
その繰り返しだった。
私が惹かれる者はその‘魂’が同じものに思えて仕方なかった。
いや、きっと同じ魂なのだろう。ゆえに幾度も互いに惹かれあったのだ。
今回の彼にも‘きっと深い縁がある’と迫り、共に過ごすことになった。
ささやかで充実した日々であったが、彼もまた、何も残さず逝ってしまった。
今までの経験から、私は彼を繋ぎ止めようとありとあらゆることをした。
食事にも気を使った。
彼は病一つしなかった。
私の血を食事に混ぜた
怪我の治りが早くなった。
仙人にならないかと誘った。
あの人は‘まだそのときじゃない’と笑った。
そうこうしているうちに、突然その時は来てしまった。
泣きはしなかった。あぁまたか、と。
だが繰り返すほどに悲しみは深く、重く、諦めにも似た感情が私を縛っていった。
ふぅ、と息を吐き出す。余計なことを思い出してしまったようだ。
視線を枝へと戻す。
あの人が逝ったのは昨年の秋、‘いつも通り’何も遺さなかった
だが今年の春に変化が訪れた。
私の同業者――茨木華扇があの人の形見だと言ってこれを持ってきたのだ。
曰く、死んだ翌年の春に私に渡すように言われたとか。
この花弁が散るとき、私の命を散らせばあの人に会えるのだろうか。
そう考えたこともあったが如何せん花弁が散らない。
少なくとも半年以上は散らない桜などもはやただの桜ではないことは明らかである。
ゆえに、その普通でないものが私に遺された意味を求める。
愛するあのひとが、はじめて私に遺したものだから、きっと何かあるに違いないと思って
私は必死にその意味を見出そうとして
ずっと、ずっと考え、
悩んで
なやんで
そして止んだ。
いつからだっただろう。
こうして茫然と桜の枝を眺めるようになったのは。
そう、結局のところ私はその意味を見出すことができずにこうしているのだ。
「はじめから意味など、なかったのかもしれませんわね…」
あまり認めたくはないけれど、幾度となく考えてもわからなかった以上
そう思ってしまうのは仕方のないことなのかもしれない。
あの人が何も残さなかったのを不憫に思ったあのピンク仙人が
妙な気遣いで‘形見’と偽ったこの枝を私に贈った――
そう考えるほうがまだ現実味があった。
だがそれはありえない。あの仙人ならばこんな回りくどいことはしないからだ。
するとやはりあの人が何らかの意図をもって、意味があって私にこの桜の枝を遺したとしか思えない。
ではその意味とは何か。
この袋小路から抜け出すためにはひとつひとつ、普段気にも留めないようなことを考えなければならない。
だが生前はもとより、死んだ後のことでさえ有益な情報は出てこなかった。
わかったことといえばひとつ、
「ピンクの仙人に鮮やかな桜を持たせたのは中々洒落がきいてるってところかしら」
はぁ、と皮肉めいたため息をついた。
結局また袋小路に戻ってしまった。
あの人はいつも一言足りないんだから。
そうして考えることを放棄した私は枝を見る。
そういえばロクに手入れもしてしないのになぜこの枝は花びらを散らさないのだろう。
そもそも切り落とした枝の時点でダメなのではないだろうか。
接ぎ木じゃあるまいし、一体どこから栄養をもらっているのだろう。
きっとどこからも栄養をもらっていないのだろう。
だからこんなにも花弁が真っ白い――
「…白?」
自分の言葉に違和感を感じた。桜が白だって?
いや、白い桜は存在するし、幻想郷にだって普通に生えている。
問題はそこじゃない、ピンクの仙人から渡された桜は白かったのか
否、毒々しいほど鮮やかな、赤に近い桜色だったはずだ。
しかもそんな桜はそうそうあるものでもないだろう
ならばわたしのすべきことは一つ、桜に色を戻し、それをもって幻想郷中を探し回るのだ。
そうすればきっと、何かを得られる。そんな確信があった。
「では早速、栄養を与えねばいけませんね」
栄養があって、効果が出そうなものが必要だ。
「出血大サービスですわ」
文字通り過ぎてちょっと吹き出しそうになったが、なんとかこらえた。
手際よく指の腹を切ると、‘栄養剤’を2,3滴ほど滴下した。
仙人になってからはこういう事がためらいなくできるようになった。
この絹のような素肌に傷をつけるのはもったいない気がするが
どうせ翌日には元通りになっていることだろう。
さて、この花弁が元通りになるにはいつになるのだろう。
そうして私の日課は枝を眺めることから出血大サービスへと変わった。
毎日、毎日、愛情を込めて栄養を与える。
そんなことを繰り返しているうちに
ひと月、ふた月と過ぎていった。
雪が降って 年が明け
雪が降って 雪が解け
気が付けばもう春
風が吹き、咲き乱れる桜が散る。
そんな季節。
私が毎日栄養を与えた桜の枝につく花弁は
とても、そう、とっても鮮やかで美しい紅い色へと変わっていた。
機は熟した。
「さて、ゆきましょうか」
私は桜の枝を手に取ると空へと舞い上がった。
どの桜も淡い薄桃色だしすぐにみつかることだろう。
当初は楽観的に考えていたのだが、現実はそうも甘くはなかった。
結界の中といえども、この身一つで渡り歩くにはいささか広すぎたのかもしれない。
私がやっとその桜を見つけた時にはすでに昼をまわっていた。
たった一本、色の濃い鮮やかな桜がそこにあった。
枝の切り口はぴったりと合う。
そう、私は確かにみつけたのだ。きっと彼の遺した何かがここにある。
目を輝かせながらその場所を探し始めた。
――――
――
「……」
陽も傾き始め、空は朱色に染まり始めている
私はというと、件の桜の根元に力なく座っていた。
そう、結局何も見つからなかったのだ。
期待に胸を躍らせていた自分が莫迦だったのかもしれない。
得られたものは何とも言えない喪失感だけだった。
誰も知らない丘の上で、美しい桜色の雨が肩を染める。
ほのかに漂う、別れの香り。かすかに触れる甘い香りが鼻腔を、肺を満たす。
「いっそこのまま、石にでもなってしまうのも悪くありませんわね…ふふっ」
かつて愛した者にむけて言葉を紡ぐ。
当然、返事など返らない。
彼の遺したものをもって、私はここに来た。
だが結果はこの通り、何もない。
なに、結局はいつものことだ。たまたま桜の木の枝を得ただけで舞い上がっていたのだ、私は。
何をやったって、繋ぎ止められないのかもしれない。
そんな諦めにも似た感情が頭を擡げた瞬間
びゅう、とひときわ大きく風が吹き、そうして音が消えた。
「――っ」
桜が一斉に舞い、視界を埋め尽くす中で
私が持ってきた桜の枝についていた花弁が、
ほかのどの桜よりも紅い花弁が、枝ごと宙に溶けた。
そのとき、私は確かにあの人の声を聞いた。
目印をもらっていく、と――
そうして○○さんの魂の、その最後の残滓は
たった今、風に吹かれて桜の香りの中へ消えてしまった。
木漏れ日が舞う花びらを彩る
その光景のなんと美しいことか。
気が付くと私の頬を既に枯れたはずのものが伝っていた。
頬を撫でるソレは、どこか優しく、そして暖かい。
喉の奥が熱くなり、甘い疼きがせり上がってくるこの感覚は切なく、心地よく、懐かしくて。
張り付いた仮面が溶け落ち、懐かしい姿へと戻った私の涙が枯れるまで
桜の木々と夕陽が優しく包み込んでくれていた。
――――
――
「桜を眺めるのも、今日でおしまいですわね」
どれくらい経ったのだろうか。
既に日は没しかけており、遠くには里の明かりがうっすらと見える。
軽く息を吐いてその場から立ち上がり、静かに微笑んだ。
「いずれまたお会いしましょう、○○さん」
こんなに穏やかな顔をしたのはいつ以来だろうか。
肩の荷がすっかりおりてしまったような気分だった。
あの人がいった‘目印’はきっと私の血を吸った桜の枝なのだろう。
それを持ってゆくということは、いずれは、そう、きっと。
思えばこれまでずっと、季節の移ろいと共にあの人との出会いと別れを繰り返してきた。
そう、そして――
「――これからもずっと、ですわ」
そう言い残すと、桜の雨を肩に浴びながら
二度と訪れないであろうこの丘を去るのだった。
あなたと共に歩く日が来ることを信じて、私はずっと、ずうっと待ち続ける。
たった一つ、求める結末へとたどり着くまで、何度でも繰り返す。
来世の貴方もきっと、今回の貴方のような結末にいたるのだろう。
けれど、それはそれで良いかもしれない。
生きる楽しみが、一つ増えるのだから。
終わり
最終更新:2017年01月16日 20:47