「くせぇよ、お前」
鼻をつまみんだ正邪の顔は、天の邪鬼で言っているわけではなく本気で嫌がっている様子だ。バタバタと手を振って拡散させようと必死だ。
「じゃあ、近寄んな。このガキんちょ」
あんまりうるさいから、思い切り吸い込んだ煙を顔に吹き掛けてやると、ぐわーっと大袈裟に仰け反り、裸足で脇腹をげしげしと蹴りつけてきた。離れりゃいいのに、誰んちだと思ってんだ。
「禁煙だ‼没収だ‼お縄につくんだ‼この糞親父‼」
「やーだーね、家主はおれだ‼この家では俺がルールなわけよ。悔しかったら、家買ってそこで住みやがれ」
そんなやり取りをしていると、正邪が立ち上がって手四つてを仕掛けてきた。正直拍子抜けするほどの弱さだったが、ヘボいくせに粋がろうとする自分の娘っこの、何度も折ってやった鼻っ柱をこれしきのことで痛め付けるには忍びない。
「わかった、わかった。今日は何か、あれだ。飯飯、上手いの食わせてやっから」
「うそだ、どうせ豆の含め煮とか魚の頭盛りとかだ。分かる、分かるぞ。何年一緒にいると思ってんだ」
バレてしまっている。

「だから、煙草やめろってー」
争いが一息ついた後、はしゃいだ分お互いに疲れきってしまっていた。俺は座蒲団の上に、正邪は俺の膝の上に、頭をのせて寝そべっていた。
「やめれるんだったら、やめてるっつーの。バカ」「バカって言う方がバカなんだぞ」「その発言が既にバカなんだよ。ばか」
「もーいい、飯。腹へったわ、私」
正邪は起き上がると、そのまま台所に行き、飯炊きを始めた。俺も、立ち上がって薪を取りに外へと出ていった。
外へと出ると既に、遠く山の上の茜色の空に黒い墨が混じり始めていた。下に目を落とすと、一匹のデカいカラスがこちらを見つめていた。
「なんだよ、文。きてんなら手伝えよ。俺はもう腰がいてぇんだよ」
「えへへ、今日も来ちゃいました。」
突然、カラスの姿が歪んでぶくぶく膨れ上がると、そこにはいつもの見知った女が立っていた。

二人で薪を持って入ってくると、
「遅いっ。・・・・何だ、文さん来てたんだ」
正邪は包丁を持って、こちらを振り向いたが何故だか少し元気が萎んでしまったかのように見えた。
「こんばんはー、文ちゃん。一昨日ぶり」
「一昨日ぶり」 
「ぶりぶり」
「やだっ、〇〇さん。真似しないでよー、あはははっ」そういって、文は俺の肩にすり寄ってきた。
正邪の方をちらりと見やると、ザルに研がれた米をじゃっじゃっと水を切っていた、真顔で。
こいつ、分かりやすいなーと思っていたら、
「早く、火起こしてよ。炊けないじゃん」
と文句をかましてきた。

「やっぱり、文上手いわ、飯。こりゃあ、就職先も安泰だわ」
「褒めるのに、素っ気ないだもん。やりがいがないわ、この人」プイッとそっぽを向くと、彼女の髪が揺れて、爽やかな女の匂いがした。
ブスッと向かい側の席で、間抜けな音が聞こえたかと思えばバカが風船みたいな顔をしていた。
「ブスみたいな顔をして、どうした正邪。上手い飯作ってくれたんだから文にお礼言え。」
「・・・しだ…て、作っ……ーの」
「あんだってー?」
「バカ、煩いよ。文さん、ごはん美味しい。」

飯を食べた後、俺は渋る文を送り帰している頃だった。
「文ちゃん、ほんと可愛いんだもん。娘にしたいぐらいだわ」
「あいつは、構ってちゃんだからな。すねてんだよ」
辺りは静かで、砂利道を踏む音しか聞こえない。
「・・・・・・・わかってるのに気付かないふりして、文ちゃん可哀想よ?」横目でこちらを見やる彼女はころころと笑っていた。
「・・・・・今のは聞こえないから。バカだから、視野が狭いんだよあいつ」
なんでまた、こんな奴をね。他にももっとマシな奴がいるだろうに。一瞬、俺にイタズラを仕掛けた時の正邪の笑った顔が浮かんだ。
煙草を一本口にくわえると、文がそっと火をつけてくれた。やっぱ、良い女だわ。吸わねーのにな。
彼女の細い手は、優しく火を覆った後パッと俺から煙草を奪いとった。
「・・・・ッフー。不味い。あなたのキスの味」
「うるせぇよ」
「照れてる」両手を後ろにやって、ふりふりと体を揺すった。小さく笑っている彼女の姿を見ていると俺が惚れるのも仕方がないと思ってしまう。
「いつまでも、ぐずぐずしてるとあたし、我慢出来なくなって、〇〇さらっちゃうかも」
「わかったから、怖いことを言うなよ」

柔らかいキスをした。

「じゃあまたね、〇〇。送ってくれてありがと。」
「おやすみ、文」
五歩進んだ先で、彼女は闇に溶け込むようにその姿を消すと、バサッと何かがはためいた音がした。そして、その大きな羽ばたきは徐々にどこかへと遠ざかっていった。

「おかえり」
正邪は、外で俺を出迎えてくれた。
「寝とけって、つったろ正邪。ほら、風呂入るぞ」
そうやって、腕を持って引っ張るとそれはひどく冷たかった。

風呂に入ったあと、外で一服していると裾をグイグイと引っ張られた。無視をしていると、今度は黙って抱きついてくる。昼とは違い、ひどく甘えてくるようで、ただぐいぐいと体を押し付けてくるだけで小さい子どものようだった。
「匂い、臭い」
「だから、近寄んなって」
「消してるの」
「無理だろ」
「……知らない」
それからはぐりぐりと、体をこすりつけてくるだけだった。
 
「おやすみ」
「うん」
豆電気を消して、俺と正邪は床についた。時計の針が何周か回った頃、既に眠気でまどろんでいた俺のもとへと、もぞもぞと正邪が布団の中に入ってきた。
俺はなにも反応せずに既に眠っているふりをした。俺の胸元まで来ると、体をぴったり押し付けてそのまま動かなくなってしまった。ほんとに、子どもみたいだなこいつ。と思いながらそのまま眠りに落ちていった。

犬に顔中を舐め回される夢をみた。

終わり

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最終更新:2017年02月12日 13:52